【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践12 [転載禁止]©2ch.net
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お釈迦さまの教えとヴィパッサナー冥想に関心のある人、実践している人、
体験や変化を 実際に経験している人、初心者、先達の方々、預流果の方々、
更なる成長を求めて語り合いましょう。
前スレ
【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践11
http://itest.5ch.net/test/read.cgi/psy/1425309691/
※ここはテーラワーダ仏教全般について語るスレであって、日本テーラワーダ仏教協会やそこの所属比丘についてだらだら語る場ではありません。
日本には他にも上座部仏教修道会、日本上座部仏教協会、日本ヴィパッサナー協会など多種多様な団体があります、
諸外国においてもタイ・ミャンマー・スリランカ・ラオス・カンボジアなど、国ごとの違いもあります。
そこを踏まえてご参加ください。 >>271
ゴエンカ式には感謝をもっているけど、仏法のテープはかなり苦手でした。
おそらく文化圏、歴史的背景もあるんでしょうが、
宗教性の無さ、普遍性を強調する返す刀で、宗教性や儀礼、ひいては神への親愛を持った他宗教をかなり矮小化したり失敗例のたとえ話が多くて…スマナサーラさんと近いかより厳しいくらい
瞑想はじっとしてるのが辛いが、赤ん坊はお腹の中で10ヶ月も苦しんでる、生は苦しみだとか、
ネガティヴな表現を暗がりで長時間聴くのは
きつかった。
恐らく、そのくらい強調しなければ長い歴史の
中で瞑想の純粋性を保つのに必要だったのかと思う。
最後には、哲学や思想と切り離して瞑想するだけでも効果があると言っていたけど、
現代の日本人はもともとプラグマティックなのだから、あの説法もその辺りを加味して聴く必要があると思ったし、
西洋人の書いた本の方が日本人には合っていると思った。
ただ先生がたは非常に非常に慈悲のある方達で、そうした違和感は全くなくて日本人の感覚を理解し共感させてくれた あと、瞑想最後にはメッターを教えてくれた
これは瞑想には必須だそう。
グーグルの研修の意図はともかく、経済活動も、
他者への奉仕の観点が付加されるならそれは徳の回向ということとなると思うので否定は一概に出来ないのでは >>274
ゴエンカさんのメッターはどんな感じ?
日本テーラワーダ仏教協会の慈悲の瞑想は唱える人の主観が入りやすいんだよね
細かい説明がないとなんか宗教臭いお祈りみたいに思えるし
子供から高齢者、信仰があろうがなかろうが誰でも納得できる、理論的な明快さがあの文言から
感じられないんだよね >>275
理論的な明快さならテーラワーダの方があるかも
慈悲喜捨などの説明はなく、慈悲が育てば言葉は自分で変えていいとのこと。
自分にはその方があっているような気がした。
まあ指導する資格はないのであまり詳しくはかけないし、自分の感想にすぎないけど。
ネットで探せば出てくるよ 慈しみと平静とあわれみと解脱と
喜びとを時に応じて修め、
世間すべてに背くことなく、
犀の角のようにただ独り歩め。 慈しみと平静とあわれみと解脱と
喜びとを時に応じて修め、
世間すべてに背くことなく、
犀の角のようにただ独り歩め。///
そんな人は、古今東西おりゃーせんわいな。
お宅の脳細胞と
ご立派な文献の中に、居るだけ。 実践て慈悲とヴィパッサナーと戒律の3つをやっていきなさいということなんでしょうか、アビダンマ以外に学ぶ書物ってどういうのがあるんでしょう >>279
四諦(苦集滅道の四つ)と縁起に要約できると思いますが、
そのうち道諦が実践部分の説明になっていると思います。
道諦は三学(戒定慧)のことと言い換えることも出来ますし
三十七菩提分法で説明することもできると思います。
アビダンマを好むのであれば、ポー・オー・パユットー師の
著作など如何ですか。 ボディスキャン系の瞑想で体内を観察する場合、どこに何の臓器があるとかって把握しておいたほうがいいんでしょうか? イメージの世界だから大体でいいんだよ
http://マインドフル.com/bodyscan/ イメージでいいんだよ
人の認識するものすべてが錯覚、妄想、幻想、幻覚なんだから
イメージも同じ ゴエンカ式だとイメージすることはは禁止されていますね。
スキャンの対象となるのは、身体の感覚です。
山下良道師の言う、微細な感覚というやつです。 イメージするとサマタになるからではないかな。
実際の感覚を観ていくのが1番いいと思う。 地橋のところって具体的にどんなことがあってどんなふうだったの?ぐぐっても何も出て来ぬ、マハーカルナーと同じようなかんじ?
書籍その後も変わらず売れているようだけど、今買った人達も真相知ったら印象変わるよねぇ
私も本棚の本手放すかどうか迷い中だわ
おまけにスマホにはマハーカルナーの法話が入っとるw スマナサーラはスマナサーラで、講演行ってみたら金正恩のこと考えると怒りが沸いてぶっ殺してやりたい
(なので考えなくてもいいことは初めから考えない、近寄らない)的発言
噂に違わぬ暴言にこれまたショックw
やはり修行って一人でするべきものなのかもねw 瞑想する人がときどき「無我がわかりません」と言います。
わからなくていいんです。
その気持ちで結構ですよ、冥想するときはね。
無我がわからないというけれど、「自我」がわかりますかね?
自我ならわかりますよ、と言えますか?
だから無我がわからないと言っても、本当は自我もわからないでしょう?
そこでヴィパッサナー実践をするんです。「一体どうなっているのか?」とみればいいんです。
無我っていうのは、「わからない」というのが決して変ではなく、これは事実です。
無我がわかった時点でもう覚っています。覚りに達していなければ無我がわかっていないんです。だからそれを困る必要はありません。
わからないものは頑張ってわかるようにするということです。そこを無理してはいけません。妄想してはいけません。
ただ単に、実践をしていると真理が出てきます。
真理が確認作業によって現れてきたら、それは本物です。考えて発見したらそれは本物ではない。
妄想だけじゃなくて思考さえも抑えて、確認していくんです。
思考は切るということはありえないから、抑えて、あまり頼りにしない。それで確認作業を続けていきます。
それで真理のありのままの姿がどんどん見えてくると、自我っていうものが存在しないと発見します。
自我が存在しないと発見したことが無我なんです。
無我より先に自我にいかなくちゃいけないでしょう?
それで、性格的に「無我を発見してやるぞ」と思って冥想してもできない可能性があります。
だから、無我に挑戦するのはまれな人間だけなんです。 >>291
注釈書もね
そうじゃないと「身行(kāyasaṅkhāra)って何?」ってなっちゃう 無常に挑戦するんです。
100人が修行するなら、無常に挑戦して覚る人々は95人くらいでしょう。
苦もありますが、無常のほうが、たくさんの人々のわかりやすいんですね。
無我が宿題になるのはまれな人です。
とにかく、苦・無常・無我は同義語なんです。
だからわかりやすい無常をなんとか念頭に入れて冥想したほうが、かなりスピーディに成長します。
誰かが「無常を発見しました」と言えば、同じ意味で「無我も発見した」ということなんです。
定義的に言えば、” 我 ”とは、「永遠不滅の何かがある」ということです。
無常というのは、「すべての現象は変化するんだ」と。二つは同じことです。
誰にでもわかりやすい「無常」を宿題にしてください。無我ではなくて。 >>297
これスマナサーラさんのことだろw
毒舌=正直って公式は実際はあまり成り立たない
仏陀も道元も目の前の相手の感情に最大限に配慮して
優しい言葉を使うべきと言っていたし実際に使っていたそうな ブッダはマーガンディヤの娘さんをマゾなのを知っててなじったわけか 世俗の価値観と涅槃への道は、ぜんぜん別もの、別系統の価値観だし
世俗で価値あるものはぜんぶ無常、苦、無我だから
仏教徒が正直に話したら毒舌にしかならないと思う。 補足
〜正直に話したら“世俗の価値観的には”毒舌にしか〜 それにしても、糞尿に満ちたこの女には足でさえも触れたくない、てのは酷すぎだけどねw どこの世界も高いレベルを目指せば厳しい
だいたい適当で甘ちょろいやり方で結果が出る分野があるのか?
努力なしで素敵な成果が得らようなことを言う者は詐欺か金儲けか無能なんだよ
新興宗教の教祖にそんなのが山ほどいる
スマ長老の日本人向け説法でさえ、かなり甘い、甘すぎるくらいだ ヴィパッサナーしてれば悟るの?と同じ
その人による >>305
>スマ長老の日本人向け説法でさえ、かなり甘い、甘すぎるくらいだ
スマの場合は他宗に対して皮肉っぽいのであって
あれで甘いということはもっと他宗批判をしろということになるw 正しいと思うことことをズバズバ言って何が悪いの
間違いがあると思うなら反論すればいいんだし
いちいち顔色をうかがう必要なんかないね 仏教は理論的で明快だから誰に対しても(お釈迦様に対してもね)忖度なんかいらないよ
自由に質問、反論OK
そういうのが嫌なら新興宗教(大乗仏教も)しかないね
だって真実、真理を受け入れたくないひとは甘い夢や願望や希望を語る先生が好きなんだから >>316
スッタニパータの解説はなかなか良い
しかし、水子供養ってなんだ?訳わからん 色(rupa)は物質ではない――仏典における原意と訳語の考察――
https://doi.org/10.4259/ibk.59.2_858
村上真完先生、やってしまいましたなあ…… 天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖〔せい〕とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり
地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を
今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。
わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。
「・・・でありますように。」なんか慈悲の瞑想に似てるな 伝統的なヴィパッサナーは大雑把で個人差があり過ぎて個別の細かい指導が必要な感じ
現代のマインドフルネスの方はシステマティックで誰にでも安定した効果がでる感じ
ヴィパッサナーで停滞したり行き詰ったりした時はマインドフルネスのテクニックを取り入れた方が効果的かもだよ >>321
テーラワーダ系の瞑想会はマインドフルネスもヴィパッサナーも実践させているよ たしかに、いつまでも膨らみ、縮み、右足、左足のラベリングだけじゃ行き詰るな >>323
マハシ・サヤドー系の瞑想会ね
違う系統の比丘の瞑想会のところはやり方もまた違う >>323
感情とか心に浮かぶものはみんな気づきなさいって言われない?
思い出してる、思い出してる、聞こえる、聞こえる、触れている、触れている
気づく対象多すぎじゃない?
あとラベリングは気づきがちゃんとあるならなくても良いよってチャンミェ・サヤドーの法話に書いてあった 気づく対象を追いかけていたらきりがないような気がするが
観察の対象を腹や鼻先に絞ったら本当に短期間(二週間ぐらいで)で悟りに近いレベルまで行くのかな
スマさんは可能と言ってるみたいだけど >>323
でも生きてることって膨らんで縮むの繰り返しで、生きてる限り酸素を渇望し、二酸化炭素を吐き出したいと苦しむ、
つまり生きている限り煩悩は消えない、キリがない、生きている限り常に苦しみのなかにいる、
でも人間だけはそれに気づくことができる
養老孟司がいってたんだけど、人間は水を飲みたいと思ってから体を動かすのではなくて、
実は水を飲むために体を動かしはじめた後で水を飲みたいと思ってるらしいよ、それは脳科学的に実証されていることだと
瞑想が進んでいくと、そういう生命の大きなトリックにも気づいていくことになるのかな
というか、瞑想って実はそれに気づかせるためのものなのではないかって気もする 先に体が勝手に動き出してしまうということは、人間は放っておけば好き勝手してしまう生き物だということ
それをしないためには、それぞれが規則を作って、それを守っていくしか方法はないのだろう
自分が思う聡明な人たちは、皆自分でルールを作り、それを守るような生き方をしているような気がする、宗教とか関係なく >>327
結局、生命の根源、始まり、そして意味に対するブッダの答えが解脱なんだと思う
人間も原始的な生物から進化してきたわけだが
最初の生命がなぜ生まれ、なぜ盲目的生き続けようとするのか
生まれたからには寿命まで死なないように闇雲に必死で生き続けようとして
生物同士が殺し合って生き続けることにどんな意味があるのか
そうやって生き残って子孫を残して最後はボロボロになって死んでゆく
そういったサイクルに何か特別な意味、意義ががあるのか
悟ることによてその答えがわかるんじゃないのかな >>327
気づいているというのは誰?
気づいていると言う事はなに? 釈迦でも形而上のことは無記として答えなかったわけだし瞑想に過度の妄想を働かせるのはやめようや >>330
欲望には終わりがなく、またそれが自然だということ
それを知っているだけでも、少しはましな生き方ができるのではないかと
笑うから嬉しくなるとか、行動するからやる気になるとか、その類いの話には半信半疑だったけど、
世の中の賢い人たちはおそらく体験的に、ごくふつうのこととして知っていることなのだろうね >>327
煩悩というのは苦の原因となるので捨てるべきものなんで
呼吸を捨てたら死ぬそれは苦である
呼吸まで煩悩にカウントしたらあかんで >>331
137億年前にビックバンから 宇宙が誕生し
46億年前に地球が誕生し
40億年前にバクテリアのような生命が誕生し
600万年前に長い進化を経て人類が誕生した
これは形而上の問題じゃなくてほぼ真実
ただ最初の生命(生き続けようとする有機体)がなぜ,どのように生まれたかはまだ分かってない >329
この生命に満ちあふれた地球
その永い年月の間には、強い牙、高く早く飛ぶ翼
どこまでも深く潜る能力など様々な力を得てきました。
しかしながら、それらは空の彼方から来る破滅の力には
無力であり、繁栄をえていたものがあっという間に滅び去った
事がしらています。
それらの生命の試みは、ある意味失敗であったと思えます。
しかし、ついに生命は、考えるという特異な能力を生み出すことによって
それに対処しようとしているようにみえます。
いつの日か、この地球は炎に飲み込まれ、焼かれ
全ての生命が滅びる時がやってきます。
それに対処し、生命を生き続けられる能力は
今の段階では人にしかないようにみえます。
人はその能力と、その責任を有しているのでは
生き続けるために
生きとし生けるものが末永く幸せでありますようにと 生物の生きようする本能が煩悩だな
人間の場合それが少しばかり複雑になって数が増えただけ 解脱してないなら、また来世がある。
無常、苦、無我にして自業自得の輪廻が続いていく。
そして、来世も人間として仏法に出会える保証はない。 >>338
それどこの宗派の教え?それとも独自理論? 人類が600万年前に誕生したのならそれ以前は霊界はなかったことになるな なんでこの地球上の現生人類だけしか考慮対象に入ってないの。
仏教でいわれる輪廻のタイムスパンは阿僧祇劫、それどころか無始無終なのだが。 >>339
知らんけど輪廻からの救済というのは輪廻を信じてる人に対する方便じゃないの? ていうか、実は輪廻がないという信仰が迷信、つまり無明なんだけどね。 「輪廻があっても、なくっても、業と業果はありますよ」という語り口が、
輪廻がないと信じている、唯物論に毒された現代人への方便なのだと思うよ。
心を脳で説明したりとかね。
精神(心)を物質(脳)で説明しないと理解できないぐらい、有身見に囚われてるからね。
現代人は。
名色の区別を知っている僧侶が、本気で脳が心の本体だと思っているわけがないし。 >>342
アメーバの時代や恐竜の時代に天界、地獄界はありえんだろう 冥想で目指すものは、考えるという行為を超越することです。
何かを考えている限り普通の意識レベルに留まります。
夢を見るときはあなたは潜在意識下に入ります。
つまりそれはアストラル体がより意識されている状態です。
意識がさらにもっと深く超意識へと入っていけば、あなたは脊椎を柱として、
無上の喜びの中心にいるのに気付きます。
その至福の中で、あなたはコーザル体、即ち自分の魂の中にいることに気付くのです。
パラマハンサ・ヨガナンダ
http://mandalaya.com/s7.html この地球だけが人間界というのは、あまりにも人間的な発想。 自我が形成されるようになって善悪の概念が生まれ
人の心の中の天界や畜生や地獄のような感情や思考が集合無意識に六道を創り上げた
善悪の判断ができない下等な生物にとって天界も地獄もない 頭で考えた答えは、概念でしかないよ。
例えば、イヌがイヌの自我で考えても、出てくる考えはイヌの構造から出てくる、イヌの限界に規定されたものしか出てこない。
この事情は、人間も同じ。
三学を通して慧に達したときのみ、その限界から自由になれる。自我から抜け出せるから。
従って、そこではじめて信実が見えてくる。(考えて答が出てきたわけではない) 言い方は悪いけど、率直に言うと
自我自体がそもそも錯覚なので、その錯角の塊がいくら考えたところで、悟りの智慧から出てきた話は理解できない。 やれやれ、自我がないと分かったら悟り(解脱)なんだけどね
悟ってないんだから自我があるように感じるよね、普通は 煩悩がなくなっていないなら、まだ終わりじゃないでしょうよ。 何億年も続いた灼熱の時代に六道なんかあるわけないわ 「比丘たちよ、存在の始源は知りえない。それは無始である」 科学者の3大疑問とは、1)宇宙誕生、2)生命誕生、そして3)意識の形成、であると著者は考えている。
生命体を分解することは簡単だが、分解した生命体の部品をすべて使用しても生命を誕生することはできない。
人間はもちろんのこと、シンプルなウイルスでさえ部品を混ぜ合わせて作ることはできない。
これらの問題は古典的な物理学や生物学では解決できない。
しかし!答えは量子力学、量子生物学にある!(神通力のも解明も可能)
経典ばかり読んで「存在の始源は知りえない」なんて決めつけないで、最新の科学に少しは目を向けよう。
仏教は心の科学というじゃないか!
「量子力学で生命の謎を解く」
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この本はいいぞ!ためになるぞ! 原因の原因に遡ると、無限訴求するから
どんな理論的な論理でも、存在の原始には辿り着けない。
はず。 スマナサーラって人も、仏教は心の科学みたいなこと言ってたな
宗教の中では合理的だといいたいんだろう
たしかにマインドフルネスみたいに、科学的に捉えた瞑想もあるが、
本来の仏教って、やっぱり宗教だからな
輪廻転生とか、涅槃とか、どうしても科学に収まらない次元を扱ってる
そもそも科学みたいに存在の世界を扱ってるわけじゃない
科学は科学で必要だが、仏教とはあんまり結びつかないと思う >>362
経典バカか?
原因と結果(因果)は科学の基本だろ
原因を発見することで現代社会の様々な問題が解決されてきたんだよ 書き込み量が、激減しているのう
ほれ
もっと、頑張らんかい! >>365
無駄な落書きなら、書き込みこそ罪悪。
書き込み量の過多で物事を推し量る鬼和尚は邪道。 >>365
爺さんや、相変わらず達者じゃね!
いつもご苦労さんです
これからも、いつまでも、どこまでも馬鹿者共を導いてやってくださいな 魂や自我はないと言ってるの六道にいろいろな住民がいるの?
誰か教えて 映画のスクリーンに映し出された映像は、ある種の幻でしょ。
でもいろいろな世界があって、いろいろな登場人物やら動物たちがいますよね。
でもぜんぶ幻です。
そんな感じです。 × そんな感じです。
○ そんな感じだと言えると思います。
群盲象を評す。 >>369
車はタイヤや車軸やフレーム等を組み合わせてできている機能で、どこをどう変えても部品を全部とっかえても、走れれば車であることは変わらない
生命も同じで実体じゃなくて機能ってこと
そして、走る理由がある限り走る道(六道のどこか)に合わせて部品を変えて走り続けるわけ
おまけにこの車の機能にはナビが付いてて、ナビは自分が車そのものだと思ってる
目的地を設定してそれに向かって進むだけの単なるオプションにすぎないのにな
まあナビが提案した目的地にたいてい行くし、ナビに表示されてる地図に沿って動いてくから、自分が車で地図が実際の道だと思い込んでても仕方ない
…でもナビも換装可能なパーツで実装されている機能にすぎないんだよ…おわかりいただけただろうか…(ここ怪談風で) さあ他の群盲のみんなを象をさわるんだ
象を倒せば俺達の勝ちだ!(違う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています