【拝金主義】 幸福の科学 与国秀行 幸福実現党 【売名芸人】
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大川隆法はユダきょう子が大嫌い、できれば殺したいとさえ思っている。
実際に、幹部を動員して「悪妻封印祈願」できょう子を呪詛したことがある。
【ことわざ】 坊主(きょう子)憎けりゃ袈裟(5人の子供)まで憎い
というのが大川隆法の心理なので、ユダきょう子の血が流れる5人の子供に対する愛情など微塵もない。
だから、長女をデブ、ブタなどと平気でからかう(良識ある父親はこんなひどいことは絶対に言わないものだ)
紫央の子供が生まれたら、5人の子供はじゃまになる。
既に、長男宏洋と三男裕太の粛清が始まっている。 ◆◇◆◇◆◇ 雲母行方不明事件の真相 ◆◇◆◇◆◇
三男裕太は東大を現役合格し美人女優雲母と結婚(大川隆法は東大を浪人、留年した落ちこぼれ)
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大川隆法は裕太に嫉妬している(大川隆法はGLAの高橋佳子にふられ、東大時代にも振られまくったモテない君)
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大川隆法は裕太が雲母と結婚することに反対だった
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裕太は父親の大川隆法の言うことを聞かず雲母と結婚した
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大川隆法は自分の言いなりにならない裕太が嫌い(長男の宏洋も嫌い)
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大川隆法は雲母を悪魔憑き認定し新宿精舎に軟禁させた
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大川隆法は裕太を大阪正心館に左遷し雲母と離れ離れにした
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大川隆法は単身赴任の裕太にハニートラップを仕掛ける?(雲母と離婚させるつもりのようだ) ◆◇◆◇◆◇ 宏洋教団追放事件の真相 ◆◇◆◇◆◇
大川隆法は清水富美加を愛人にするつもりだった
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大川隆法の愛人に相応しい女性にでっちあげるために清水富美加を千眼菩薩に認定した
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霊能力の無い大川隆法は清水富美加がゲス不倫をしていることを知らなかった
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テレビなどマスコミで清水富美加のゲス不倫報道がされ愛人にすることをやめた
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千眼菩薩認定した後だったので引っ込みがつかなくなった(清水富美加が千眼菩薩でないと大川隆法の霊能力が疑われる)
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千眼美子の後始末を気に入らない長男宏洋に押し付けた(週刊文春に2人の結婚をリークする)
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宏洋は煙草プカプカ酒ガバガバ不倫パコパコ千眼美子との神託結婚を断った
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自分の言うことを聞かない長男宏洋に激怒しニュースタープロダクション社長を解任する還俗させる
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宏洋にふられた可哀そうな千眼美子はヤケ酒を飲む
・・・・・・・以上、ある信頼できるネット情報から ◆◇◆◇◆◇ 大川隆法は長女の咲也加が嫌い ◆◇◆◇◆◇
母親の君子はデブで母親の遺伝を受けついだ大川隆法もデブだった
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大川隆法は学生時代にデブなことに対して強いコンプレックスを持っていた
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長女の咲也加は大川隆法に一番似ている
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大川隆法は自分にそっくりな咲也加を見ると学生時代な惨めなデブの自分を思い出す
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大川隆法はデブな咲也加を見ると気分が悪くなる自己嫌悪に陥る
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大川隆法は霊言で咲也加を「デブ、ブタ」などと罵倒した(これは大川隆法の本心) ◆◇◆◇◆◇ 大川隆法は愛理沙を不倫の子と疑っている ◆◇◆◇◆◇
愛理沙には「ヒンガラ目(斜視)」という障害がある
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地球神エル・カンターレ大川隆法の子供に障害があるなんてありえない
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大川隆法は愛理沙が自分の子供ではないと考えた
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大川隆法は愛理沙をきょう子が浮気した時にできた不倫の子と疑っている(霊能力が無いので霊査できないため)
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大川隆法は自分が浮気しまくっているので他人(きょう子)も不倫すると思っている
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大川隆法は不倫の子である愛理沙が嫌い
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愛理沙は幸福の科学の学園時代にいじめに遭っている(大川隆法が作った信者の子弟が通う学校の中で)
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大川隆法の子供である愛理沙がいじめに遭うことなど考えられない(大川隆法がいじめを放置・容認した?)
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現代の医学では斜視は簡単に治せるのに大川隆法は愛理沙の斜視を治そうとしないのは不可解だ はい。発動しましたね。
PKの呪符が原因です。
彼は、HSのないコピーパラレルを融合させました。
HSなきコピーパラレルとは、関係者全てが消えた世界。
つまり、彼も私も消された世界です。
そう、貴方も私もいない世界。
それが融合されたらどうなるか?
我々の人間関係、HS絡みの関係全てが破壊されます。
HS関係の全てが崩壊します。
一番悲惨なのは職員たちです。
地獄を見ます。
我々もまた、教団を離れ、距離がある分、
全面的に巻き込まれることはありませんが、
代償として、だいぶ嫌な思いをすることでしょう。
そう、深く洗脳された人々の不幸を目の当たりにする為、
かなり辛い日々を送ることになります。
PKは、軽い気持ちでとんでもないことをやりました。
しかし、それもまた、運命だったと思います。 納骨団拝受者への補償は一切、為されないことでしょう。
墓地を売り、一切をHSの納骨団に入れてしまった人たち・・・
悲惨です。
もうお金、ないでしょうから。
一千万はおろか、百万すら戻りません。
ええ、一円も戻りませんよ。
支部長、支部女性部長、逃げ回る日々が来ます。
引っ越しも、一回で済めばいいですけどね。
殺されないことを祈ります。
幸福の科学自体、中川親子の始めた詐欺でした。
まさか、あんなに大きくなってしまうとは、思わなかった筈です。
当初、中川力を仏陀として始める予定だった計画から分かる通り、
中川親子には、審神者能力はなく、隆にも観自在力など、ありませんでした。
隆は、単なる霊媒に過ぎず、霊たちの操り人形だったのです。
とんでもないカルト教団。
それを誰よりも一番知っているのが「タカシ」です。
彼の最期・・・
凄惨なものとなるでしょう。
プロメティウスの最期のような・・・・
https://ameblo.jp/01000440ktndy/entry-12385880479.html
http://jump.5ch.net/?https://stat.ameba.jp/user_images/20150914/21/hagetaka-washizufund/7c/b3/j/o0330031813425038478.jpg 【加計問題】「加計学園は説明責任果たせ」愛媛県議会が全会一致で採択!
⇒前川氏「安倍総理が嘘つきだということは証明されている」
愛媛県議会「加計学園、説明責任果たせ」全会一致で採択
決議は「県への虚偽報告についての謝罪や理事長の記者会見が行われたものの、未(いま)だに混迷した状況が続いている」とし、
学生らが学問に専念できる環境を整えるには「学園自らが、疑念を晴らすための説明を尽くすことが最も大切」と指摘。
「説明責任をしっかりと果たし、学園のコンプライアンスとガバナンスを確立すること」を学園に要請している。
県は、学園に約93億円を補助する今治市に対し、約31億円を支援する。 「安倍晋三首相の嘘つきは証明されている」 前川喜平前文科次官が講演 「面従腹背は役人必須の技術」と強調
文部科学省前事務次官の前川喜平氏が11日、都内で講演し、安倍晋三首相について「嘘つきだということはほぼ証明されている」と断じた。
前川氏は、首相が国会で加計学園の獣医学部新設の計画を知ったのが平成29年1月20日だったと答弁したことについて
「安倍さんを嘘つきだといってもこれは名誉毀損(きそん)にあたらないと思う」と述べた。 ネズミのキャラクターで大成功したウオルト・ディズニー
ただし、こうしたことは、成功のレベルによるのかもしれません。
例えば、ウオルト・ディズニーのような方でも、あれほど大成功してしまえば、「世界のディズニー」であり、ディズニーのことを知らない人は、まずいないと思います。
電化製品が入っていない国や地域で入るかもしれませんが、普通に電化製品が入っているようなところであれば、たいがいディズニーのことは知っているでしょう。
さて、そのディズニーに関しては、「若いころに貧しくてボロアパートに住んでいたため、穴からネズミが出入りしていた。
彼は、そのネズミをジーっと見ながら、『これをキャラクターにしたら、どうなるか』と考え始め、ミッキー・マウスを思いつき、大金持ちになった」という伝説的な話があります。
しかし、普通であれば、思いついたとしても、今で言うWゆるキャラ”ぐらいではないでしょうか。「ネズミのゆるキャラを売って、お金を儲けました」という程度なら、個人で商売をしても、ありえるかもしれません。
ただ、「自分の店で、世界で初めてネズミのキャラクターの商品を売って、黒字になって儲かりました。そして、生活が楽になりました」というレベルでは、すべてが黄金色に輝くことはないでしょう。 やはり、事業が大きくなって、デイズニーランドのようなものがたくさんでき、毎年、何千万もの人を動員するようになって、関連事業も次つぎと増え、世界中に広がっていくようになると、違います。
今度は、その「貧しくて、ボロアパートに住んでいて、ネズミと友達だった」ということが、すべての成功のもとに見えてくるわけです。 もちろん、一般的には、ネズミが出入りするような部屋に住んでいれば、そうはならないでしょう。
例えば、司法試験に受からずに、司法留年をして、さらには、大学を卒業しても受からずに、三十歳まで、「また落ちた。また落ちた」とやっている人の場合、ネズミがチョロチョロしていれば、
おそらく、「このネズミに邪魔されて、勉強に集中できなかったから、また今年も落ちてしまった。このネズミのせいで、いつまでたっても受からない」というようなことを言うと思います。そのように、同じ条件でも変わるわけです。
ともかく、普通の状況をはるかに超えて大きな成功をした場合は、過去に遡ってまで、すべての経験が「光」になってくるということがあります。
例えば、広島の原爆で身内を失くした方であっても、大きな成功をしたら、「おかげさまで、私はとても頑張るようになった」というように、全部が変わるでしょう。
あるいは、東日本大震災で身内を失った方であっても、その経験を、自分が成功した原因として考えるようになるわけです。
そういう意味で、過去も現在も未来も、実は変えることができます。要するに、人間は、考えの力で、思いの力で、すべてを変えていくことができるのです。 >>291-293
こっちの記事のほうが面白いぞww
今回の平成30年7月豪雨について、海外メディアも大々的に報道をしています。
ガーディアン紙やABCニュースなどは被害状況を伝える特集記事を掲載し、
日本において最悪クラスの豪雨災害と取り上げていました。
そして、イギリス大手BBCの記事では被害状況と同時に、安倍首相らが豪雨中にパーティーを開いていたことが報道され、
政府の初動対応が物議を醸していると書いてあります。
日本でも安倍政権の宴会画像を報道する場所が見られ、
依然として政府対応を巡って議論が続いているところです。
Japan flood: At least 179 dead after worst weather in decades
https://www.bbc.com/news/world-asia-44790193
Japan floods: Death toll rises to 200, as UN offers assistance
http://www.abc.net.au/news/2018-07-12/japan-floods-death-toll-hits-200/9985308 3 「心の操縦法」を知らない現代人に伝えたいこと
心を認めないのは、ハンドルのない車に乗っているようなもの
実際に、心というものが実体としてあり、この心のあり様が、自分の人生を変え、未来を開いていきます。そして、その事実を知った人には、ちょうど、車のハンドル操作を覚えた人が道を自由に走れるようになるのと同じことが起きるわけです。
逆に言えば、「心がない」と思っている人は、ハンドルがあるのを知らずに車に乗っているようなものでしょう。
しかし、アクセルとブレーキだけで、ハンドルがない車に乗せられたら、たまらないと思います。アクセルを踏めば前には進みますが、そのままではどこかに激突するでしょうし、ブレーキを踏んでも止まるだけです。
これしかないのであれば、基本的に運転などできません。真っ直ぐな道路を走り続ける以外に、方法はないわけです。
しかし、自分の前にも後ろにも車がいるなかで、アクセルとブレーキだけしかない車で真っ直ぐに走り続けるのは「恐怖」でしょう。私も、できれば避けたいと思います。
やはり、アクセルとブレーキは要るにしても、ハンドルがあるために運転ができるようになるのです。
ところが、このハンドル部分を、「ない」と思っている人がいます。あるいは、「ハンドルを動かせるのは自分だ」ということを知らない人がいるわけです。 そのため、「あなたの思いで、今、そうなっているのですよ」と言われても、それに気がつきません。「あなたがハンドルを右に回せば車は右に曲がり、左に回せば左に曲がって、まっすぐにしたら、まっすぐ進むのですよ。
『中道』というのは、まっすぐに走ることを言うのです。仮に、ハンドルを右に回しても左に回しても、簡単に何かに激突するでしょう。どちらでもいいですが、死のうと思えば、すぐに死んでしまいますよ」と言っても分からないのです。
ただ、実際はそうであって、人間は、死のうと思えば簡単に死ねます。例えば、ハンバーガーだけを一年中食べ続けたら、体を壊して死んでしまうでしょう。あるいは、ステーキでも同じだと思います。
関係者がいたら許していただきたいのですが、たとえ、そのお店の方であっても、毎日は食べられないのではないでしょうか。それは、さすがにたまらないはずです。牛丼屋で働いているからと言って、三食とも牛丼を食べ続けていたら、やはりどこかで病気にもなるでしょう。
ともかく、たとえて言えば、「ハンドルとアクセルとブレーキがあって、自分という車を運転できているのだ。もちろん、ガソリン等の燃料を入れる部分もあれば、空調等の機能も付いているけれども、基本的には、そういう感じなのだ。
そして、運転している人間が『魂』と言われる部分であり、車体の部分、乗っているマイカー自体は『肉体』である。この肉体の部分に魂が宿っているのであって、これが、車を運転している人間に当たるのだ」ということになります。
さらに、人間の魂のなかで、特に、考えたり、判断したりしているのが、いわゆる「心」という部分です。このような人生観が大切なのです。 私が数多くの霊言や教えを説き続けている理由
ところが、そうしたことを知らない人は、「オートマチックの車が、人工知能を載せて、勝手に動いている」と考えているのかもしれません。
あるいは、遠隔操作ができて、自分がその遠隔操作をしているように思っていることもあるでしょう。もしくは、「インプットされた情報に基づいて目的地まで動くような車の、その機械の部分が自分だ」と思っている人が大勢いるわけです。
しかし、これは、現代教育によって生じた間違いにほかなりません。こうした考え方を変えた方が幸福になれるのです。
どちらの選択もできますが、自分自身が、「幸福になるか、不幸になるか」の決定権を持っているのであれば、「自分にとってよいほうを選んだほうがよい」と述べているのです。
「あの世などと言っても、そこへ行って帰ってきた人などいないじゃないですか。それを信じるなど、バカげている」と言う人もいるかもしれませんが、そんなことはありません。
私も、毎年毎年、あの世の霊人からの言葉や思想を数多く紹介しています。さらに、その収録映像を上映していますが、私は漫才師ではないので、演技であのように延々とできるものではありません。
また、過去のこととはいえ、私は東大法学部を出ており、あえて詐欺師の仲間になるようなことをしなければいけない理由はないのです。
今でいう大学入試センター試験ぐらいのものであれば、片目をつぶってでも解けるほどにはできましたし、どんな道ででもしっかりと生きていける資格や才能もあると思っています。
そのような人間が、「これは大事だ」と思い、それまでの仕事も辞め、今、教えを説いているのです。
したがって、人をだまさなければいけない理由など何もありません。それでも、そういうルートを辞めてまでも、「これを説かなければいけない」と思ったのは、「多くの人が間違った道を歩んでいて迷っているから、これを救い出さなければいけない」と思ったからです。
そのために、今、教えているわけです。そして、本を出しているわけです。 説かれた教えがすべて記録として遺っている幸福の科学
なかには、すぐに人を疑う人もいるでしょうが、私の場合、自らがしようと思って行うというよりも、本当に天命としてこの道に入っています。
新しい宗教のなかには、いわゆる詐欺、ペテンの類も数多くあるでしょう。たが、そういうところはあまり大きくならず、小さいものが多いようです。
一部には組織的な知能グループのようなところもあるでしょうが、長い間には、やはり、評判や人の信用等を通して、いろいろと明らかになる面もあるのではないかと思っています。
私の説法は、本として出しているだけでなく、CDやDVD等でも出されており、すべて記録が遺っているので、何も隠していません。本にする際には、言葉がきれいになるように、「てにをは」等の直しを入れる程度であり、基本的にはすべて遺っています。
幸福の科学の第一回座談会から今までのものが遺っているので、インチキは一切ありません。証拠があるのです。
よそのところのように、ほかの人にいろいろと書いてもらったりするようなこともなく、実体験したこと、自分で考えたことを書いています。
この実体験ということについても、昔の江戸時代のころであれば、農家のおばさんなどに、突如、霊の声が聞こえてきて、「神様がかかってきた」などと言うのがよくあるパターンでしょうが、
私の場合は、一応、この世の学問をキチッとした上で、「これは、確実にある」と、理性・知性を持って判断して出しているものなのです。
「幸福の科学から出ているものは、非常に知性的で、論理的で、合理的だ」とも言われています。その意味では、当会には理系の方も大勢来ていますし、社会的に知性のある方も数多く集ってきています。
それどころか、経営者がテキストとして使っているケースも数多くあります。経営そのものについて教えるとともに、人間の心のあり方について説いています。この「人間学」の根本のところを教えていることが役に立っているわけです。 「生き通しの人生」という真実を知る
したがって、「心などない」という人に対しては、「いや、そんなことはないですよ、そう考えるのはあなたの自由ですが、それは、自分を機械の一部のように考えることであって、ものすごく卑下した自己像なのですよ。
『人間の体は機械のようなもので、心は、そのなかのどこかで動かしている部分だろう』と思うような、そんな人生観で本当にいいのですか」と、どうか、粘り強く伝えてほしいのです。
現代には、「死んだら、もう何もかも終わりだ。あとは、亡骸を焼いて灰にして、投げ捨ててもいいし、海に撒いてくれてもいい。まあ、好きにしてくれ」というような感じで、この世だけの幸福論になっている人がたくさんいるわけです。
私が「心」というものを説く理由は、「人間の本質というのは生き通しなのだ。生き通しの人生なのだ」ということにあります。
「自分には、『生まれる前の過去』もあったけれども、『死んでから後の未来』もあるのだ、そのような、『生き通しの人生』である」ということを考えないと、これが本当だったときに、知らなかった人は大変なことになります。
一方、この事を知って人生を生きるならば、やはり、非常に価値のある人生を生きることができます。これは大事なところです。
心の存在から魂の存在のところへ考えが至らなかった人は、
「人生はこの世限りで、死んだら終わりだ」というように思っているため、「あとは、相続税対策と、遺された家族の処理だけをすれば終わり」などと考えているのかもしれませんが、それでW終わり”ではありません。
そこからが、また、W新しい始まり”になるわけです。
つまり、「生き通しの人生」なのです。 人生約三万日、この大事な一日一日で何をなすか
今世、生きている時間は二万日から三万日ぐらいです。わずか、その程度のものなのです。たくさんあるかと思えば、それほどにはありません。三万日も生きたならば、八十歳を超えます。
私も、すでに二万日ほど費やしてしまいました。「残りはあと幾日かな」と思っていますが、二万数千日ぐらいが普通の人生なのです。
「残っているのはあと何日か」と考えると、一日一日、毎日毎日、消えていくわけです。三万日はなかなか超えられません。そのように、一日一日が消えていきます。
したがって、「この一日一日で何をするか」ということは、大変重要なことです。今日一日を無駄にしないことは、非常に大事なことなのです。
私と近い年齢の人は、過去、すでに二万日は使っているはずです。まだ若い人もいるでしょうし、もっと行っている人もいるでしょうが、「三万日はなかなかそう簡単に超えられない」ということは考えなければいけないと思います。
そうすると、一日一日がとても大事なものになるわけです。毎日毎日を大切にしていかなければいけないわけであり、「この毎日毎日をどう生き切るか」ということが、極めて重要なことになるのです。
そういう意味では、哲学や、仏教における禅などとも、結論的には似た考え方もあるでしょう。そういう所もあると思うのです。 4 日々、自己変革をして生きよ
「空を飛べなくなった。野ガモ」の話
百年以上前の人になりますが、デンマークのキルケゴールという哲学者は、こんな話を紹介しています。
その国のある地方には、毎年、渡り鳥の野ガモが飛んでくる所があり、親切な老人が餌付けをしていたそうです。
ところが、栄養のある餌をもらえるものだから、野ガモたちの一部は、寒くなったら南の方へ飛んでいくという習性を忘れ、だんだん太っていき、飛べなくなってしまったといいます。
ところが、ある日、その親切な老人がコロッと亡くなってしまったのです。それで大変なことになりました。
実は、太った野ガモたちは空を飛べなくなっていたため、「さあ、困った。どうしよう」ということになったのです。彼らはすでに渡り鳥の習性を失ってしまっていたわけです。
そして、雪解け水が洪水のように流れてきたときに、溺れて死んでしまったということです。 「野ガモの話」を紹介した実存主義哲学者・キルケゴール
ちなみに、この話を紹介したキルケゴールは、生きていたときにはあまり有名ではなく、無名に近かったのですが、後に、ドイツのハイデガーという哲学者が有名にしました。哲学においては、いわゆる実存主義哲学の始まりのところになります。
キルケゴールという方は、もとは家のお手伝いさんだった女性との間に生まれた子供であり、病気も持っていたということで、ある意味では不幸な生い立ちという見方もあるかもしれません。
また、晩年には「瞬間」という題の教会批判の冊子をつくっていました。
「君たちは、もう手遅れだ。月曜日から土曜日まで、毎日、ぐうたらぐうたらと堕落した生き方をしていながら、『日曜日だけ教会でお祈りをしたり心を清めたりしたら、いいところへ行ける』などと思っているなら間違っている。
人間は、毎日毎日が大事なのだ。月曜日から土曜日まで怠けていて、日曜日だけで救われると思っているのか」などと言った調子で教会を批判していたのです。
そんなことをしていたある日、路上で生き倒れになって、悲惨な最期を遂げました。
これが実存主義哲学の始まりにいた人ですけれども、今述べた、野ガモの話などが有名です。 「飼いならされた野ガモになるな」というIBM精神
さらに、この話を、IBMという大会社をつくったトーマス・ワトソン親子のジュニア(息子)のほうが引用しています。
「飼いならされた野ガモのようになるな。人から餌をもらって食べているうちに、飛んでいけなくなるようになっては駄目だ」というように、野性味を失わないことの大切さを、IBMの精神として説いています。
要するに、「『現状で食べていけるから、これでいい』と思うような生き方をしていたら駄目だ。いつ危機が来るか分からないし、いつ潰れるか分からない。だから、危機感を持っていきなさい。
毎日毎日が真剣でなければいけないし、毎日毎日がイノベーションでなければいけない。そういう野性味、危機感を持って、毎日を生き抜かなければだめなのだ。
一生懸命生きなければ、未来はない」というようなことを言っていたわけですが、それもあって、IBMは世界的な企業になりました。 日々に精進し、自己変革し、課題に挑戦し、環境の変化に耐える
このような考え方は、みなさんにとっても大事なことであると思います。
「今、これで生活が成り立っているから大丈夫だ」と思っていたとしても、いつ、その生活が何らかの外部的事情、例えば、ライバル店の出現等、様々な状況によって変わるかは分かりません。
また、大手の企業にしても、今、どんどん潰れています。トップメーカーであっても潰れかかっているところはたくさんありますし、現に潰れたところもあります。ほかにも、外国のライバルが出てきたり、国内のライバルにやられたりすることもあるでしょう。
今、世界を席巻しつつあるユニクロのようなところにしても、もし、一ドル百五十円になれば潰れるでしょう。以前は円高だったために、外国に数多くの出店をしても安くできていたのですが、これが一ドル百五十円になったら潰れるはずです。
トヨタのように輸出で儲けられるところであれば、為替レートが一円安くなると、百億円ぐらい儲かったりすることもありますが、安売り店などは潰れ始めます。
円高対策に、海外で現地生産をするようにしたところなどは潰れるようになるので、どうなるかは分からない面があります。
したがって、「野ガモ精神」を忘れてはいけません。ここが非常に怖いところであり、そういう危機感を持って人生を生きなければいけないという所では同じだと思うのです。
やはり、みなさんも、いつもそういう気持ちを忘れてはなりません。
「日々精進する気持ち、日々自己変革をし、新しい課題に挑戦し、環境の変化に耐えていこうとするW遺伝子”を持たなければ、もはや、人間個人としても、あるいは組織としても、生き残ることはできないのです。 永遠と思われてきた宗教の世界が直面する「消滅の危機」
「宗教は永遠だ」と思われていても、いくつかの宗教を見るかぎり、消えつつあるところも多々あるようです。
今、甲府湖の科学では私の説法を全国各地で衛星中継していますが、中継地の近くにある宗教のなかには、「いつ、幸福の科学に滅ぼされるか分からない」と思って震え上がっているところもあるでしょうし、すでにW消えた宗教”もあるでしょう。
幸福の科学が立宗した1980年代は新宗教が数多く出てきた時代でした。70年代、80年代当時には次々と宗教が現れ、ライバルもたくさんいましたが、この三十年間のなかでそうとう淘汰されて消えていきました。
すなわち、世間でははっきりと評価していないものの、やはり、「残って大きくなるところ」と「消えていくところ」とが出てきているわけです。それは、厳しいことではありますが、宗教の世界でも同じなのです。
ただ、古い宗教にしても、「今、頑張らないと、なかなか生きていけない」ということを、いちおう意識はしているようです。
例えば、戦後七十年に先立ち、浅草の東本願寺(浄土真宗)のようなところでも、渡部昇一氏を呼び、入場料無料で講演を開催したりしていました。
実際、親鸞系統の教えで戦後七十年をどう評価するかといっても、全然分からないでしょう。「阿弥陀様、どうにかしてください」という以外に方法がなく、自分たちではできないからか、評論家等を呼んでタダで講演会を開いたりしているのです。
その点、当会は自前でいろいろと意見を言うことができるわけです。 「今までは大丈夫だった」というW安全神話”の見直しを
先ほど述べた、老人に餌をもらっていて跳べなくなった野ガモの話なども、国の体制に関するWたとえ話”として持っていくこともできるでしょう。
アメリカというW親切な老人”が、栄養のある餌を日本というW野ガモ”に一生懸命くれるので、日本はそれを食べるうちに、「もう、南のほうへ渡らなくてもいいな。このまま安泰で、冬も越せるだろう」と思っていた。
ところが、ある日、突然、雪解けの水が流れてきたときには、空を飛べなくなっていて、溺れ死ぬようなことはある。だから、「W安全神話”を守ってさえいれば大丈夫だ」と思っていると、ある日、突然に最後が来ることもある。
要するに、そのW親切な老人”がえさをくれなくなることがあるかもしれないので、そのときのことを考えておく必要があるわけです。
このような例をわざわざ引いたのは、今、日本の国会等でもいろいろ揉めているということもあります。
普通の鳥たちであれば、冬になると南のほうへ飛んで行って餌を取るところを、
「いやあ、私たちは普通の鳥とは違うのだ。餌をくれる人がいるから、もう、南へ渡らなくても大丈夫なのだ」と思っているのかもしれませんが、「大丈夫ではないこともあると知っておいたほうがよい」ということを述べているわけです。
ここでは難しい憲法論議には入りませんが、「今までのW安全神話”で、うまくいっているから大丈夫だ」とはいっても、基本的には、やはり、原点に戻るべきでしょう。
「国家とはどのようでなければいけないのか。ほかのところはどのようにしているのか」ということをよく見もせずに、「自分のところは、これでうまくいっているから大丈夫だ」などというのは甘いのです。
それは、国家にも言えることですし、みなさん個人にも言えることですし、会社にも言えることですし、自営業等にも言えることでしょう。
「絶対に大丈夫」と思っていたのに、ライバルが出てきたりすると、突然、駄目になるようなことはあるわけです。ライバルの店が向かいにできたりとなりにできたりしただけで、潰れることはあります。
したがって、いつも凛として張り詰めた生き方をしなければいけません。 5 心をどのように生かし、人生を生き切るか
人生で得た魂の経験は死後も続いていく
そして、人生二万日から三万日を上手に生き切った人、智慧を持って生き切った人には、その後の未来もあるのだといえます。
「その後」のことについて、さらに分かりやすく付け加えるとするならば、人間は、死んでも魂はなくならずに存続します。
某宗教のように、「人間は、死後、大海のようなところに吸収され、その粒の一つとして沈んでいるような状態になる」と言った「あの世観」を持っているところもありますが、そのようなものではありません。
人間の魂は個性を持っており、あの世でもそのまま生きています。
今世、生きたときに、男性または女性としての性を持っていますが、
この世を去ったあとの来世での姿としても、「今世の意識、名前、男性か女性かの性別、ある程度得た知識や経験等から得られた個性」を持っており、次回生まれ変わるまでは、それを自分だと認識しているのです。
すなわち、個性としての人生経験が、基本的にはあの世でも続いていくことになるわけです。だからこそ、非常に大事なことであると言えます。 人生の時間を上手に使い、十分に生き切るために
人生は二、三万日しかありませんが、その時間を上手に使い、十分に生き切って、誰のせいにするのでもなく、自分で考えていけるものについは、「自分のWハンドルとアクセルとブレーキ”」を使って上手に乗り越えていくことです。
また、未来のみならず、自分の過去さえ変えていけるのです。
「過去が不幸だったから、今も不幸だ」と、いつまだも言い続けているような国もありますが、そのように言っていること自体で、すでに「不幸」なのです。そういうことを言い続けるかぎり、絶対に幸福にはなれません。 29神も仏も名無しさん2018/05/07(月) 04:21:33.47ID:QEceDMak
その国の今が本当に輝いているのであれば、過去のことは許せるはずなのです。過去のことなどは言わないものです。
それを、例えば、「七十年、八十年前にこんなことがあったから、今、私たちは不幸なのだ」などと言い続けるということは、「今の政治が悪い」ということなのです。
それは間違いなくそうでしょう。今の政治が悪いために、為政者は、国民の目をそらすために、過去のせい、外国のせいにするわけです。
そのあたりのことが分からないようでは、残念ながら、現代に生きるトップの知性層とは言えません。
心の話を中心に述べてきましたが、「我々は自由にできるものを持っている」のです。百パーセント、自分の自由になるものを持っているので、これを使って、上手に生き切ることが大事です。
幸福の科学は、この「心をどのように生かし、人生を生き切るか」ということについての智慧をたくさん説いています。
2015年のベストセラーになった『智慧の法』という書籍でも、「どのようにして智慧をダイヤモンドのように磨き上げ、値打ちを出すか」ということを教えています。
このような宗教はほかにはありませんので、どうか、この違いをよく学んでくだされば幸いです。 🌟 明日を変える言葉@
信仰の「無限界の力」、病が治る奇跡。
心を変えれば、環境は変わり、
人は変わり、未来は変わっていくのです。
その根本にあるのが信仰の力です。
信仰は、たとえて言えば、
あなたがたの家庭に引かれている水道の本管につながる行為です。
蛇口をひねって水道の本管から水を引き入れる行為、
それが信仰なのです。
本管に滔々たる水が流れていても、
信仰によって蛇口をひねらなければ、その水は蛇口から出てはきません。
これと同じように、「信じる」ということ、「肯定する」ということ、
「受け入れる」ということによって、
あなたがたには無限の力が与えられるようになるのです。
この「信じる」という力は、
通常の学校教育において教わることは決してないでしょう。
これは、宗教あるいは宗教教育においてのみ教わることです。
あなたがたの真なる父が、
天において、無限界であり、無敵であるように、
あなたがたも、
この地において、無限界であり、無敵でありなさい。
それは、「信仰において勝利せよ」ということなのです。
信ずるものの場合、病が治っていきます。
あなたがたが、どのような人生観を持ち、
どのような自己イメージを持つかによって、
あなた方自身の肉体の設計は変わります。
あなたがたの血液のなかにある赤血球や白血球、リンパ球、
こうしたものもまた、
強い霊的な生命力を帯びて、日々、活動しています。
そういうものが、「あなたがたが、どのような思いを発信するか」
ということによって変わっていくのです。
体のなかにあるウイルスその他、
悪しき物質と戦って、それを駆逐し始めます。
体のなかにできているガン細胞や、その他の不適切な組織は、
この「思い」によって、どんどんとつくりかえらえ、
廃棄処分にされていきます。淘汰されていくのです。 🌟 大川隆法著 「伝道の法」
第3章 人類幸福化の原点
1 「宗教心」「信仰心」は、なぜ大事なのか
「大悟三十五周年」「立宗三十周年」を迎えた幸福の科学
幸福の科学にとって、二〇一六年は「大悟三十五周年」「立宗三十周年」であり、一つの区切りの年でした。
立宗して三十年がたったので、宗教団体としては、ある程度、日本のなかにおいての地位は確立してきたと考えていますし、世界においても知られつつあると思います。
海外で当会を知っている人の数を合計すれば、日本よりは、はるかに多いと思いますが、海外でも、まだまだ現在進行形で活動しているところです。 私の生誕地である徳島県が、どのくらい海外で知られているかは知りませんが、いずれ徳島県は世界の聖地になると考えています。
また、二〇一六年には、映画「天使に゛アイム・ファイン”」でも多少キャンペーンをしましたが、立宗三十周年を記念して、吉野川市の川島町に、「聖地エル・カンターレ生誕館」を建立させていただきました。
内心では、多少、恥ずかしい気持ちがないわけではないのですが、記念になるものが何か一つぐらいはあったほうがよいのではないかと思っています。きっと、世界のみなさんが参拝に来て下さるようになるのではないかと信じています。
未来の徳島県には、阿波踊りのときだけではなく、私の生誕日である七月七日あたりを中心にして、さまざまな機会に、全世界からいろいろな方が訪れるようになるのではないかと考えているので、徳島県の未来はとても明るいのです。
以上を前置きとして、本章では、主として宗教的な話をしようと思っています。 徳島県出身の「三木武夫・元総理の霊」を困らせた質問
ーー17行割愛ーー
やはり、「四国の地は、弘法大師空海が八十八箇所の霊場を定めて以来、千年以上もの間、霊的な地として護られていた」ということが大きいのではないかと考えています。
生まれ育った環境から、やはり、文化的なものの影響をそうとう受けるので、「そうした霊的な環境のなかに生まれた」ということが大きかったのではないかと考えているのです。 「霊的なこと」を受け付けない、現代の学問や科学
ただ、そういう信仰深い所に生まれたからといって、すべての問題が解決したわけではないことも事実であり、私の人生の大半は、「田舎的な部分と都会的な部分との葛藤を経ながら、成長してくる」という過程でした。
世界の情勢や日本全体を見渡す意味において、四国は、そう有利な地だとは思いません。
しかしながら、郷土の「純粋な信仰心」と、「日本全体は、今、どこを向いているのか。
世界は、どのような方向に向いているのか」ということを比べてみて、そのギャップを知ることは、「今、何をなさねばならないのか」ということを考える意味で、たいへん役に立ちました。「勉強になった」といってもよいかもしれません。
四国の徳島に育ち、やがて東京に出ると、「常識」というものがかなり変わっている印象を私は受けました。
簡単に言えば、「信仰心やあの世など、『霊的なこと』について表立って話をしても、あまり受けつけない」という感じでしょうか。コーティングされていて水を弾くような感じで、ツルンとしていて、まったく受け付けないような感じでした。
学問においても、科学においても、あるいは都市文明においても、だいたい、そういうところがあったように思います。
また、日本以外の国においても、先進国では、そういう点が非常に強いのではないかという印象を受けました。
もっと話を大きくすれば、次のようなことが言えます。
現代において、例えば、「霊界」「あの世」とか、「神様」「仏様」、あるいは、「高級霊」「菩薩」「如来」という言葉は、学問的には完全に死滅しかかっており、そういうものは「ないもの」とされています。
そして、「目に見えるこの世だけを、どうにかよくして快適にし、幸福に暮らすのが、人間の目標、人類の目標だ」と考えるのが主流になっています。
いろいろな学問があり、いろいろな専門がありますけれども、どれもこれも、「地球の表面上で起きていることがすべて」のように見えていて、
宇宙を見ても、「天体望遠鏡で見える世界がすべて」という感じで見ていて、これが「開かれた世界」だと思っている人が多数なのです。 戦後の日本人の信仰心は「縁起を担ぐ」というレベル
二〇一六年四月に出した、福田赳夫・元総理の霊言の「まえがき」にも書いておいたのですが、アメリカでアンケートを取り、「あなたは神を信じていますか」という質問をストレートにしたら、
九十八パーセントぐらいの人が「信じています」と答えることが多かったようです。
調査によって少し違うこともありますが、だいたい九十八パーセントぐらいの人が「神を信じています」と答え、「信じていない」と答える人は二パーセントしかいないのです。
一方、日本では、「あなたは神を信じていますか」とズバッと訊いた場合、「信じています」と答える人は十数パーセントです。そういう答えは、十五パーセント前後、十五パーセントか十六パーセントぐらいしか返ってきません。
まともに「神を信じていますか」と訊いたら、一、二割の人しか、「信じています」と言えないのです。
ところが、「あなたは正月に初詣に行きますか」「お盆にはお墓参りをしますか」「お守りなどを信じますか」「お祓いを受けたりしたくなることがありますか」などというかたちで訊いたら、
半数以上の人は、「そういうことはあります」と答えます。
「神様を信じていない。仏様を信じていない」と言っても、「合格祈願」や「交通安全祈願」などのお守りを持っていたりするのです。
神も仏もなかったら、そういうものを持っていても意味がないと思うのですが、「『縁起を担ぐ』というレベルぐらいの薄い信仰心がったら、この世の今の進化についていくことができ、共存できるぐらいの範囲でいられる」という感じでしょうか。
それが今の日本の常識なのではないかと思います。 しかし、これは、世界の常識からみれば、かなり外れているわけです。 ただ、決して、昔からこうだったわけではないのです。
第二次世界大戦後、この風潮が極めて強くなりました。
新しい憲法ができ、政治と宗教の分離を決められ、「学校教育から宗教を追放する」ということが行われてからは、宗教は一種の迷信扱いをされてきたのですが、それ以前もみな、そうだったわけではありません。
つまり、戦後の七十年余りが「異質」なのです。
その前の日本人は、「神を信じていますか」と訊かれたら、今のアメリカ人が答えるように、九十八パーセントぐらいの人は、「神様や仏様ぐらい、いて当たり前でしょう」と答えたと思います。
戦争で敗れた国の価値観が、全部間違っていたかというと、そんなことはありません。
「そこまで自虐的になってはいけないのだ」ということを申し上げておきたいのです。
一部、物質文明のなかで勝ち負けが生じることはありますが、「それによって、今まで持っていた伝統が全部否定されたり、信じていたものが全部崩れたりする」というのは行きすぎであって、やはり、きちんとした揺り戻しがあって、元に戻らないといけないわけです。 霊言集を何百冊も出し、霊人たちの「個性の違い」を示している
「そういう気持ちになっていただきたい」と思って、三十年間。幸福の科学の活動をしてきました。
私自身、説法を数多く行い、また、理論的な本をたくさん出してきたのですが、それ以外にも、霊言集というものを、相当の数で出してきました。
「霊言集を出さなくても、総裁の考えとして教えを説けば十分ではないか」と言う方もいますし、私もそう思って、十数年間、新たな霊言集を出さずにいた時期もあります。
しかし、だんだん、若い人が生まれて大人になってくると、「霊言」というものを知らない人が増えてき始めました。
「え?あの世ってあるの?死んでも人間としての個性がそのまま残っているなんてことが、あるんですか。脳が魂なんじゃないんですか。
脳が停止したら、人間として終わりなんじゃないですか」と考えて、このあたりを「当たり前で、常識だ」と思っている人がすごく増えてきたのです。
「魂やあの世などと思っているのは、脳や神経の作用だ」と思っている人が大勢いるわけですが、火葬場で焼かれてからも思考力が残っていたら、「そうではない」ということになるでしょう。そこで、霊言集を数多く世に送っているのです。
そのなかには、私の考えとは多少ずれている意見のものもあります。その人特有の考えがあるので、私の考えとは、ずれているものもあるのです。
そういう意味では、「教義の統一」は難しくなるのですが、「この世で個性が違うように、死んで、あの世に還っても、個性の違いはそのままあるのだ」ということをお教えするために、たくさんの霊言集を出してきました。
それはどういうことかというと、みなさんは、今世に生まれて、何十年かの人生を生き、やがて、あの世に還ります。「みなさんは、死んで、肉体を火葬場で焼かれ、お墓に入れられたら、それで終わりではないのですよ」ということを意味しているのです。
これは、すごく大きなことなのです。 【炎上】ヒゲの隊長「安倍総理のリーダーシップで自衛隊がコンビニ商品をトラック輸送!」
⇒ネット「被災者に売るのかよ!」
驚きました。
政府が自衛隊に輸送させた“支援物資”は、すべてを流され体ひとつで避難所にたどり着いた人たちのところではなく、コンビニの店頭に並べられました。
自分のお友達には手厚く補助金を出す首相は、ひとりひとりの国民(被災者)にはとことん援助を渋るつもりのようです。
なんでコンビニ?
なんで被災者に配らないの?
コンビニまで行けない人や手持ちの現金がない人もたくさんいるだろうに。
>>298-317
いくら煙たいからって、このスレでの連貼りはしないでくれる? コンビニ業者がツイートするならまだしも、官邸がツイートするとは、おたんこなすにも程がある。
この策は、おそらく世耕弘成あたりが考えたのだろうと推測するが、
他の被災場所には電気もガスも水道も止まって大変な地域があるだろう!
何が物流強化だ!急いで助けろ!
確かヒゲの隊長のツイートだと、自衛隊は水やカップ麺などの温度管理の必要のない商品を送ったはず。この棚のチルド品は自衛隊と関係あるの?
https://twitter.com/kantei/status/1017560612484739073 … >>296
穴見は生まれつきバカじゃけぇ。
おまけに重度の精神分裂症患者。 信仰心には「この世を善良にしていく力」がある
死んで、火葬場で焼かれ、お墓へ入れられ、それで終わりだったら、「残された時間で、とにかく自分が満足できるように、快適に、エゴイステイックに生きればよいのだ」と思うかもしれませんが、
「もし、『死んで終わり』ではなかったとしたら、どうするか」という観点から考えると、人生はコロッと変わってくるわけです。
さらに一歩進めて言えば、昔の人が言っていたような、「亡くなったお祖父さんやお祖母さんが見ているのですよ」というあたりから始まって、「神様、仏様があなたの人生を見ているのですよ」という言い方もあります。
これは、「今では、笑う人が大半だろう」と思うようなことでしょうが、もし、これを「本当だ」として、
「神様、仏様が見ている」「亡くなったお祖父さんやお祖母さんが、私の一生をずっと見守っている」と思って生きたら、悪いことの一つも、なかなか、そう簡単にはできません。
子供でも同じです。中学生や高校生で、「コンビニには、夜間、店員は一人しかいなくて、とろいから、二つか三つ商品を゛持っていって”も、分からないだろうな」という気持ちがあったとしても、
ふと、「やはり、お祖父さんが見ているかもしれないなあ」と思ったり、「仏様は見逃さないだろうなあ」と思ったりして、それを止めようとする力が働いてくることがあります。
こういうものが実は信仰心の力なのです。信仰心には、実は、「この世を善良にし、道徳的に推し進めていく力」があるのです。 「自分ならざるものが自分を見守っている。ほかの人が見ていなくても、別の世界から自分を見守っている存在、自分の一生をジーっと見守っている存在がいる」と思うことによって、自分の人生を正すことができるようになるわけです。
ただ、「丸見えで、監視カメラで見られている」というようなことが感じられると、人生は不自由なので、それが分からないようにはなっています。
「自分がやっていることを見られていない」と思って生きていられるようにはなっているのです。
しかし、時折、そういうものを霊感的に感じたり、自分の両親や親戚などから、そういう宗教的な話を聞いたりすることがあり、それで、ふっと気がつくことがあります。
そういうものの存在を忘れないようにすることは、とても大事です。そのような「宗教心」「信仰心」というものは大事なのです。 2 善悪を分ける「二つの方向」
毎日、W幽霊”の相手をしている私でも、ホラー映画は怖い?
今、日本で広がっている「霊的なもの」や「宗教的なもの」のなかには、残念ながら、誰もが怖がるような内容を持っているものが非常に多くあります。
私は毎日のように、霊言を録ったり、あの世の方と実際に話をしたりしています。そして、それを本にしたり、映像として公開したりしています。
「そのような人間は、あの世の人など別に怖くも何ともないだろう」と思うでしょう。公式的には、そうです。全然、怖くも何ともありません。
ただ、そんな私でも、「リング」だとか、「らせん」だとか、「着信アリ」だとか、「エクソシスト」だとか、そういうホラーものの映画を観ていると、やはり怖いのです。
「うわっ、怖い、怖い。ぞくぞくしてくる」と思ってしまいます。
しかし、ふと気がついて、「あれ?私は毎日、W幽霊”の相手をしているのだから、怖がってはいけない」と思うことがあります。
「そういうものをつくっている人は、『怖がらせよう』と思っていて、霊などについては、話には聞いているかもしれないが、よく知らずに作っているのだ。
毎日、あの世の人と話をしている私が、そういう人が作ったものを見て怖がってはいけないな」と考え、思い直すことがあるのです。
ただ、時々、仕事をしていて、「この世は、なかなか手強い。難しいなあ。もう、どうしようもないな」と思うようなときに、つくりものではあっても、ホラー物を観ると、身震いというか、武者震いをして、
「これは戦わねばならん」という気になることもあるので、そういうものの効能がゼロというわけではありません。 悪魔を退散させるには、悟りに伴う「法力」が要る
特に、エクソシスト(悪魔祓い師)ものの映画では、バチカン公認のエクソシストたちが悪魔と戦ったら、たいていコロコロと負ける話になっています。
登場人物たちは、窓から落ちたり、階段を転げ落ちて死んだりするのですが、あまりにも情けないので腹が立ってきます。
私も悪魔を数多く相手にしたことがありますが、私はあんなに弱くはありません。映像でご覧になった方もいると思いますが、たいてい、数秒ぐらいで退散させているので、簡単なのです。
「出ていけ!」と言ったら、バーンと出てしまいます。(注。『エクソシスト入門』等参照)
それほど力の差があるので、映画のようにはならないのです。
映画では、バチカン公認のエクソシストたちが、ラテン語の『聖書』を読み、十字架を掲げ、「聖水」という水を振りかけても、向こう(悪魔)は笑っていて、全然、出ていかないわけです。
しかし、本当に「悟り」を持っていて。その悟りに伴って、「法力」というものがあったら、悪霊(あくれい)、あるいは悪霊(あくりょう)、悪魔というようなものであっても、退散させることができます。
悟って、日々、それを実践している人には、一種の力がついてきます。禅定をすれば、「禅定力」というものがついてくるように、いろいろな修行をすれば、力がついてくるのです。
四国では弘法大師の密教が流行っていますが、弘法大師の一生も、おそらくWエクソシストの一生”であっただろうと思います。いろいろな悪魔祓いをたくさんやっていただろうと思うのですが、私にはそれがとてもよくわかるのです。 「人の幸福と不幸のどちらを願うか」が人間の方向を決める
死んで浮かばれていない人、例えば、交通事故で亡くなったり、急な病気で亡くなったりして迷っている人の霊が出てくるのは、よくあることであり、おかしくも何ともないのです。
ただ、その奥にあって、そういう霊たちを地獄に引きずり込もうとしたり、あるいは、そういう霊たちを、ある家庭に解き放ち、その家庭をもっと不幸にし、目茶苦茶にしようとしたりする霊人がいます。
そういう事を本当に計画的に考え、後ろから操っている霊人がいるのです。
こういう者と対決することもありますが、やはり、許しがたいものはあります。
自分一人が不幸であることについては、多少、受け止めなくてはいけない面はあるかもしれませんが、自分が幸福になれないときに、せめて、他人を不幸にし、それを嘲笑って快感を味わおうとする人が、世の中にはいるのです。
それは、例えば、自分はお金儲けに成功しなかったけれども、他人がお金儲けに失敗したり、破産や倒産をしたりしたら、「ざまを見ろ」と言って喜ぶ人です。
あるいは、自分の病気が治らないときに、隣の誰それさんがガンになって死んだと聞いて、「ざまを見ろ」と思う人です。
そのように、他人の不幸を見たら、胸がスッとしたり、「許せる」という気分になったりする人は、やはりいると思うのです。
ただ、「これは、人間として考えて、やはり最低の心だ」ということを知らなくてはいけないと思います。
環境や政治制度、周りの影響によって、自分が幸福になれないこともありますし、たまたま家庭に恵まれないこともありますが、自分が恵まれないこと、あるいは、現在、幸福感を得られないことには、何らかの理由があることもあります。
そういうことも、やはり、よく考えるべきです。それをもって、「ほかの人の不幸を願う心」のほうに向かっていくようであったら、これは、いわゆる「悪霊」や「悪魔」の気持ちに通じていくものなのです。そのことは知らなくてはいけません。 原理は簡単なのです。それほど大きく難しいものではありません。
「他人さまの幸福を願う方向」で考えているか。「他人さまの不幸を願う方向」で考えているか。どちらを願うかが人間の方向を決めるのです。
もっと簡単に言えば、他人の幸福を願いながら数十年の人生を生きた人たちは、基本的に、天国という世界に還ることになっています。
あの世の天使や菩薩たちも、そういう人が亡くなったら、きちんと「お迎え」に来て、行くべきところへ連れて行ってくれます。
ところが、生きているときに、何か他人の不幸を願っていて、実際に、それに加担するというか、悪霊や悪魔たちがやっていることを、この世に生きながら、一緒になって行っている人がいます。
例えば、いじめです。映画「天使にWアイムファイン”」にも、いじめの問題が出てきました。周りが何人かでいじめをやっているときに、「そんなことをやってはいけない」と思いつつも、自分も参加することで快感を得たりする人がいます。
あるいは、「いじめに参加することで、自分がいじめられなくなる」と思い、いじめっ子グループのなかに入ることで身を護ろうとする、卑怯な心をもって生きている人もいます。
どちらも同じであり、やはり、他人の不幸を願う方向に引っ張られていきます。
善悪と言っても、基本的には、そういうことです。
ほかの人の幸福のほうを選ぼうとするか、ほかの人を幸福にするように、自分の人生をつくりあげていきたいか、そういう人生を生きたいか。そういう仕事をしていきたいか。それとも、反対に、他人さまの不幸を願う方向で生きたいか。その二つに大きくは分かれます
細かくは、それぞれのケース分けがいろいろあるとは思いますが、基本的には、そういうことなのです。 「ほかの人の幸福を願う人間」を地上に増やしていく
幸福の科学が目指している「人類の幸福化」とは、どういうものでしょうか。
私どもは、基本的に、「ほかの人の幸福を増やしていくようなことを願っている人間」を、この地上に増やそうとしています。
「世の中を悪くしよう」とか、「他人を不幸にしよう」とか、そのような気持ちになり、「それが当たり前なのだから」と思い、そちらだけで行ってしまっては駄目です。
人間の持っている動物性というか、動物的本能としては、当然、自分の身を護り、ほかの人を蹴落としたり、そういうことを思ったりします。
動物は、みな、「食べられる恐怖」でいっぱいです。「食べられる恐怖」と「飢え死にする恐怖」が、動物たちの持っている基本的な恐怖です。この二つから逃れることは、ほぼできません。一生、「植える恐怖」と「食べられる恐怖」「殺される恐怖」でいっぱいなのです。
それが人間世界でも広がりつつあるわけです。
しかし、私たちは、もう一度高度な存在として、やはり、善悪の観念をはっきりと持たなければいけないのです。
善悪は、個別具体的には難しいものがあり、何とも言えないところはありますが、大きく言えば、前述したように、「他の人々をその方向で引っ張っていくことが、他の人々を幸福にするのか、不幸にするのか、それをよく考えて生きなさい」ということです。
原点は、ここにあるのです。 3 政治問題を宗教の立場で考える
「自衛隊員の命を護れ!」といった民進党幹部
「善悪」は、大きく言うとそういうことですが、個別に見ると、難しい問題もあります。
宗教団体の多くは、今、政治問題としては、「反戦」「平和」「環境保護」等に取り組んでおり、そちらのほうを支援する方向に行っている団体が多数です。お坊さんたちもそうですし、新宗教もキリスト教も多数はそうです。
「反戦」「平和」「環境保護」「沖縄のジュゴンを護れ」などの言葉は、耳触りがとてもよく、訴えていて気持ちがよいのです。
一方、例えば、W戦争法案”と言われている、日米が共同で軍事行動をとれるようにする安保法案は、「よろしくない。戦争に巻き込まれるではないか」と言われたりしています。
(注。安全保障関連法は、2015年9月30日公布、2016年3月29日から施行された)。
民進党の政調会長になった方が、「自衛隊員の命を護れ!」と言っているのを聞いて、私は引っ繰り返りそうになりました。
「ええっ?自衛隊員が日本国民の命を護るのではなかったのですか」と思い、一瞬、耳を疑ったのです。
例えば、火災が発生しているときに、「消防隊員の命を護れ」と言って、一生懸命、消防車の前で演説している人がいたら、
普通は、「あなた、何を言っているのですか。火事で燃えている所から、命を懸けて人を助け出すのが、消防隊の仕事でしょう?火消しをするのが消防隊の仕事でしょう?」と言われるでしょう。
「消防隊員の命を護れ。出動しては相ならん!」と言ってる人がいたら、「ちょっとおかしいのではないか」と思うのが常識でしょう。
そのように、生命の危険を伴う職業も世の中にはあります。
警察官もそうです。「警察官の命を護れ」と言っていたら、警察官は危険な所には出かけなくなります。「今、ナイフを持った男が家に押し込んできました。来てください!」と言われたのに、警察官が、「いや、私も怖いから行きません」と言っていたら、仕事になりません。
これでは単なる「税金泥棒」です。そうとしか言いようがないのです。
職業によっては、他の人を護るために、生命の危険を伴う働きをしなくてはいけない人もいるわけです。 宗教系統の人たちが「悪」に対して勘違いしてはいけないこと 宗教系統の人たちが「悪」に対して勘違いしてはいけないこと
宗教で言えば、私たちもそうです。
前述したように、この世の人が死んで不成仏になっている場合もあります。それはよくあることではありますが、
それ以外に、(生きている人のなかで)大きな野心を持ち、この世の中を悪くしようとしている人たちが動いているときには、やはり、これを止めようとして、現実の行動を起こさなければいけないこともあります。
そのためには、「個人の力」だけでは駄目で、多くの人たちの「集合の力」が要ります。たくさんの人の思いを集め、その悪くしようとしている「方向性」を変えていかなければならないのです。
そのあたりを勘違いしてはいけないと思います。よく考えてください。
「平和」や「環境保護」を訴える人たちはいますし、宗教系統の人たちも、そういうことを言うのがすごく好きです。私も、できればそれを言ってみたいと思ってはいるのです。
しかし、その結果、最終的に卑怯な自分をつくり、他の人々の幸福についてはどうでもよく、無関心で、「ただただ自分のことだけをやっていればよい」という気持ちになるのであれば、問題があるのではないでしょうか。
このあたりは、もうすこし賢くないといけないのではないかと思います。 地震が多発するときには国が乱れている
地震も、現在ただ今のテーマではあるのですが、非常に難しい問題です。
地震が起き、被災して、亡くなる方や救助を求める方がいます。そういう人を助けに行くのは英雄的な行為ですし、それに反対する人は誰もいません。
幸福の科学も、これまでずっと、炊き出しをしたり、給水をしたりしてきています。これは当たり前のことであり、全然、批判すべきではありません。
ただ、その原因のところ、「なぜ、そういう地震が起きるのか」ということについて、唯物論的にだけ考え、「断層があるから起きるのだ」などという人もいるのですが、「ちょっと待ってください」と言いたいのです。
断層は昔からいくらでもあるのですが、「なぜ、それが今、活発化しているか」というところが問題なのであり、それを私どもは調べていっているわけです。
日本列島は世界の地震の一割ぐらいを起こしており、地震そのものを止められるわけではないのですが、過去を調べてみても地震が多発するようなときには、やはり、国が乱れているときがすごく多いのです。
国が乱れるときには、「地震」「津波」「火山の噴火」「飢饉」「疫病」などが流行ります。そういうときに、いろいろな宗教家たちが出て、新しい教えを説いたりします。
あるいは、政治においては革命が起き、幕府が倒れ、新しい政権に替わったりします。そのようなことがたくさん起きています。
それは、天から見放された場合のことだと思うのです。 日本に関係する神々は「世直し」を促している
近年では、「阪神・淡路大震災」あたりから始まって、「東日本大震災」や熊本での地震というかたちで、大きな地震が続いています。
ここ二十年から二十五年の間、日本は経済停滞の時期に入っていますが、「どうやら、天上界は、あまり良い思いを持っていないらしい」ということが分かります。「日本に関係する神々も、これをあまりよしとされていない」ということが分かるのです。
「この国は、もう一段、力強く発展して、世界のリーダーになるべき立場にあるのに、それを放棄しているのではないか」という不満がおありなのではないかと私は思います。
そういう意味で、「世直し」を促していらっしゃるのではないでしょうか。それが、私たちがキャッチしている霊界情報です。
幸福の科学に関して言えば、「幸福の科学というものを三十年ほど前に立宗したのに、まだ、こんなものか。この程度しか進まないのか。何をしているのだ」と、むしろ叱られているのではないかと思っています。
「三十年たって、まだ、こんなものか。もっともっと「世直し」ができるかと思ったのに、進んでいないではないか」というようなことを問いかけられているのではないかと思い、私のほうは責任を感じています。
もう一段の大きなうねりの力があってもよいですし、そういう力が日本国中で湧き上がってこなければ、世界にまでは、なかなか手が届かないのが現実なのです。この悔しさには何とも言い難いものがあります。 徳島県には「エル・カンターレ空港」があってよい
四国の皆さんは、「熊本や大分のあたりで断層が動き、地震がたくさん起きている。
『中央構造線』は、愛媛県の松山辺りや徳島県の吉野川付近までつながっているので、その辺り全部で地震が起き、四国が半分ぐらいに割れるのではないか」というようなことを妄想し、怖がっているかもしれません。
どっこい、四国は私の生誕の地です。そんなことは許しません。
これから、幸福の科学の基本的な思想や考え方、人類を幸福化するためのエネルギーを、世界に流していきたいと思っています。
その中心地、発信地であり、私のゆりかごというか、揺籃というか、生まれの地、足場において「弱い」ということには、やはり、何んとも言えないものがあります。
例えば、高知には「高知龍馬空港」があり、徳島にも「徳島阿波おどり空港」がありますが、「阿波おどり」でなくてもよいのではないでしょうか、
「徳島エル・カンターレ空港」という名称であっても全然悪くないのではないかと思いますし、世界の人には、その方が分かりやすいのではないかとも思うのです。
「そう思うところぐらいまではやらないと、徳島の信者、あるいは四国の信者としては、力が少し足りないのではないか」という気がします。私が、そのような強い後押しを地元から受ければ、とてもうれしく感じます。
私は四国出身ですし、徳島県出身なので、徳島に不利になるようなことを考えたりしないつもりでいるのですが、まだ、それだけのご信頼を十分に得ていないので、残念な気持ちでいっぱいです。
私の講演会のうち、例えば、七月の「御生誕祭」や十二月の「エル・カンターレ祭」は、地方のテレビ局では、今、六、七局ぐらいで放送されているのですが、まだ私の地元辺りでは放送されておらず、テレビ和歌山を観なくてはいけないのではないかと思います。
「まだ、地元の盛り上がりが、やや欠けているのではないか」という気がしているので、もう一段、「本拠地の強さ」というものを見せていただきたいと思います。
天理教は、奈良県に天理市ができてしまうぐらいの強さを持っているわけですから、「本拠の強さのようなものがあってもよいのではないか」という気持ちは持っています。 4 伝道で「救いのチャンス」「悟りのよすが」を与える
この世とあの世の間の垣根を跳び、真理をつかめ
私が述べたいことを整理します。
最初に、「真実は何か」ということを確定しなければいけません。
この世に生きている人は、学校での教育だけでは、「人間は、魂がある存在なのか、肉体だけの存在なのか、ということが分かりませんし、学校教育には、どちらかといえば、「目に見えるもの、肉体だけが自分なのだ」と教えるような傾向が出てきています。
「肉体が自分だ」という考えのなかで道徳を説いても、それは交通ルールを教えている程度にしかすぎないことが多く、精神性が足りません。
精神性を高めるためには、「真実の世界」について教えなければいけないのです。
したがって、教育者や社会的地位のある方々が、きちんとした信仰心を持っていることが非常に大事です。そういう偉い方々には、「真実の世界」について勉強し、きちんと知っていてほしいのです。それから、知識階級の方にも勉強していてほしいのです。
近代の原理のなかでは、とにかく、科学的にも、「疑い」というものを中心に据えたりもしていますし、ジャーナリスティックにも、疑って疑って、真理をつかむ」というような考え方が、けっこう強く出てきています。
しかし、疑うことだけが真理を得る方法ではありません。真理というものには、一気に飛び込まないと得られないところもあるのです。
この世とあの世の間には、どうしても垣根があるので、その垣根を跳ばなくてはいけません。あるいは、溝というか、谷を跳ばなくてはいけないのです。思い切って跳ばないかぎり、つかめないところが真理にはあるのです。
「信仰を持つ」とは、そういうことなのです。どこかで跳ばなくてはいけないのです。
ところが、どう見ても、谷の幅がかなりあるように見え、跳ぶと落ちそうに思えるために跳べません。
これが普通の人間なのですが、この世に毒されていくうちに、だんだん、それがすごく難しいことのように感じられ、「向こうに行ったら、怖いことが起きるのではないか」と思うようなところがあるのです。
しかし、「真理は何であるか」ということを確信したら、その真理をガシッとつかまなくてはいけないのです。 私と釈尊に共通する「過去・現在・未来を見通す目」
もう学問も駄目になってきているのですが、ものを扱う唯物論的な学問だけが駄目になったのではなく、宗教学や仏教学なども駄目なのです。 私と釈尊に共通する「過去・現在・未来を見通す目」
もう学問も駄目になってきているのですが、ものを扱う唯物論的な学問だけが駄目になったのではなく、宗教学や仏教学なども駄目なのです。
これももう哲学のようになってしまっています。
二千五百年以上前のお釈迦様の教えも、人間の頭のなかで考える哲学になってしまい、哲学をひねくり回しているようになっているのです。
仏教系の大学があっても、そこで教えていることも、そういうものです。
「とにかく座禅の作法を守れ」とか、「念仏を称えろ」とか、「『南無妙法蓮華経』と唱えろ」とか、とりあえず、かたちをつくることまでは教えるのですが、中身がありません。
中身については信じていないのです。
例えば、「お釈迦様は、ヨガの行者のように座禅をしていただけなのだ」と思い、「質素に生活して座禅をしていれば、それで済むのだ」というように考えている人が、けっこう多いのです。
しかし、それは違っています。
確かに、座禅をしたり精神統一をしたりしてはいましたが、釈尊の人生を見てみると、「菩提樹下で悟りを開いたときに、三明を得た。三つの明かりを得た」と、はっきり書いてあります。
三明とは何かと言うと、「過去を見通す目」「現在を見通す目」「未来を見通す目」の三つのことです。「悟ったときに過去・現在・未来が分かるようになった」と仏典にはっきり書いてあるのです。
「三明を得る」とは、そういうことです。 _,.-v⌒'「`'r-、__
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」´ゝ'´ `ヽ!>ヽ,
. 」 /´ 、 ヽ、! ',
〈γ イ ノ i 、 .! ' 、 ',
Y / ,./ ,.ハ ハ, ! 、_ハ `ゝ !
ノ / イ レ'´ ヘノ iノ`ヽ,.ノiハイ ハ
. イ ! /ハ!‐、_‐rッ, 'ニi.ア, /、ン-, ',
'レiハ .!  ̄ . ,.,., iハノノ; ; .!
!. 从"" ___ /イノ i ´ i <テクノロジー犯罪をやってた大川弟子
ノイン i ゝ、 ` ´ ,rYイノ ハ人 `ヽ..__
〈/(y´ハ _i`ァー='i7Y〈 Y 〉ゝ、 r-‐'"´
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>私は四国出身ですし、徳島県出身なので
四国の山猿、殊に徳島県人がノータリンなのは日本の常識! >>324-340
さすが麻原尊師の言説には他者を唸らせるだけのものが有るようですね!! 『この道は道なき道ざぞ。天理も金光も黒住も今はたましひぬけて居れど、この道入れて生きかへるのぞ』
『 九二の火水。九二の日月の大神、黒住殿、天理殿、金光殿、大本殿、まつり呉れよ、併せて神山にまつり結構致しくれよ』
『仏の取り次ぎ、キリストの取り次ぎ、天理、金光、大本の取り次ぎさん、早う改心結構ぞ。アラーの取り次ぎさん、道教も同様ぞ。』
『まだまだ世界は日に日にせわしくなりて云ふに云はれん事になって来るのざから、表面(うわつら)許り見てゐると判らんから、心大きく世界の民として世界に目とどけてくれよ。』
寝ぼけた意識で創られた現実から
目覚めた意識で作る現実へ
2018年二二の岩戸開き
https://i.imgur.com/oKKmS6j.jpg ●オーストラリアではこんな支援をしています。
日本語を学ぶ学生へ、日本留学支援スカラシップ
西オーストラリア州の州都パース市にある、西オーストラリア州立カーテン工科大学では、
ワールドメイトは、17年以上にわたってスカラシップを続けています。
このスカラシップにより、日本語を学ぶオーストラリアの学生の中でも、
特に成績優秀な学生が毎年二名ずつ、日本へ留学しています。
このスカラシップはオーストラリアにおける最古、
最長の日本語学習奨学制度であり、大きな実績と高い評価を得ているのです。
余り知られていないと思い、ご紹介をさせて頂きました。
オーストラリアでは、国民の7人に1人は耳が良くないとのことです。
そこで、ワールドメイトでは、耳の不自由な子供達がもっと楽しい人生を送れるようにと、
西オーストラリア州パース市にあるスピーチ&ヒアリングセンター(聾唖センター)内に、
専門図書館兼遠隔教育センターを設立しました。
同センターのポール・ヒギンボサム所長は
次のように感謝しています。
「このセンターができたことによって、聾唖者と関わる職業の人や家族は
一般の図書館では手に入りにくい書籍や雑誌、ビデオ、CD-ROM
その他の専門図書を手にすることができるようになりました」
深見先生は、民間人としてできる福祉は何かと常に考えられ
少しでも会員さんの玉串が有効活用されるよう、決断と実行をされているのです。 現在(いま)の大川隆法って、
北野武の映画「キッズ・リターン」のラストシーンのようだと最近、感じる。
(引用開始)
「マーちゃん、俺達もう終わっちゃったのかなあ?」
「バカヤロー、まだ始まっちゃいねえよ」
(引用終わり)
かっちゃんです。
日本人はこのラストシーンを観て「希望」を見出し、フランス人は「絶望」を見出したという。
監督の北野武はフランス人の見出す「絶望」を正解とし、日本人の愚かさを嘲笑している。
https://www.youtube.com/watch?v=iukt6NGyplQ
人間には、現実は厳しいかもしれないけれど、せめてフィクションでは夢を見させて欲しい、という欲望がある。
「キッズ・リターン」はそういう終わり方はしていない。現実には敗北した。良い事は一つもない。
希望はこれっぽっちもない。何もない。
結末はどうであれ、人生は続きます。
だらだらとした大川隆法と幸福の科学の下り坂。
以上です、ではまた。 闇の韓国人テロリスト天皇アキヒト政府 (韓国人天皇 アキヒト) 仮計算
宮内庁 1000人 皇宮警察 1000人
(この2000人の中に色々居そうだ。闇の工作員が700人くらい居てもわからない)
本当に必要な人数は何人だろうか。 300人いれば十分だろう。
本来必要ない700人は何だろうか。
これが裏の宮内庁だろう。【マスコミの黒幕100人】、反日放送内容やテレビで日本人を騙す内容を考えているのか
裏の【警察OB仮50人】(公安含む)
【詐欺師のプロ10人】
【韓国人職員(帰化人含む)200人】
【外務省OB10人】
【ネット工作員 100人】 表と裏
裏 参与(相談役) 大勢いてもおかしくない 規定がない。
例 警察OB、元宮内庁侍従など、元裁判長、元韓国大使、マスコミ関係者、謀略担当、公安関係者
表 侍従(元警視総監などの警察トップ警察OB)公表している人物 ほんの数人。
この数人で闇の政府をやれるわけがない。闇の政府の新入りだろう。この新入りが一人前の犯罪者だったら、闇の非公開宮内庁職員になるのか。
しかも警視庁の毎年の予算が 0.65兆円。
警察力強化というのは、天皇の独裁の為だろ
宮内庁ではなく、皇宮警察に様々な技能をもった職員がいる可能性もある。
廃止しろ。日本政治の元凶。本来こんな奴らは文化庁の一組織でいいはずだ。
https://goo.gl/xGaQrR /´ ̄ ̄ ̄  ̄ ヽ
/ \
/::::: \ 幸福の科学は、実はご臨終間近なんだ・・・
_______ + /::::::::: ヽ
|i:¨ ̄ ,、  ̄¨.: i |::::::::::: |
|i: /ヘ:\ :i| _ |::.:. : : ,,ノ:..:ヾ、 |
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|ii~~'、;'´`,'~,;~~~~:i|;イ:;:":::::::::::\;;。(ー一) (ー一)。;:;:. /::::: ヽ
|i`::;:':::::;::;:'::::::::::;.:i|`。⌒/7, -──〜 、(___人___,)"⌒;;::/::|:::::〆::\
|i::::::;:':::::::::::::::::::::::i| ::::://,::::.. " ニニヽ、⌒ij~";_ ィ /:::::::|:::::〃::: : ヽ
─|`ー=====一 | ::::::|_|;;、:::.__y-ニニ'ー-ァ ゚‐─'───┴────── ‐
::::::`ー―――‐一´ ̄~  ̄  ̄ 補足データ。
http://eic.obunsha.co.jp/pdf/educational_info/2017/0904_1.pdf
「大学・短大『現役進学率』は 54.8%」
「(平成)29年3月に高校を卒業した 107 万 5 千人のうち、大学・短大には 58 万 9 千人、54.8%(現役進学率)が進学したことが、このほど発表された文部科学省の『平成 29 年度学校基本調査速報』でわかった。」
笹谷のかっちゃんです。
この数値(54.8%)れに比べて、幸福の科学学園高校(那須)の現役進学率が2割を切っているのは、明らかな異常事態ですね。
あとはわたしの推測ですが、
どうせHSUに進学するとわかってしまえば、幸福の科学学園高校(関西校含め)の生徒は誰も勉強なんてしなくなるよね。
大学合格実績の著しい劣化は、この辺に原因がありそうです。 ある方からご報告があったのだが、
「無敵の龍 リョウ サカザキ」がツイッターで千眼美子を批判してた。
千眼美子
@sengen777
2018年4月25日
祝!!
本日、映画@hs_movies の主題歌と
「眠れぬ夜を超えて」発売日です
↓
名前をクリックして左側のリンク先参照(=サカザキ)
@eclipsemode7
2018年5月2日
千眼美子さんよ、この程度しかできないのかい。
歌の指導をしている小桜姫ともあろうお方がこの程度しかできないなら笑いものやな。
ウインクを聞いて思い出して、もう一度やり直して来い。
あんたらが言う調和の世界の歌とはこれやろ。 🌟 大川隆法著 伝道の法
第6章 信じられる世界へ
あなたにも、世界を幸福に変える「光」がある
「教えの発祥の地」としての責任と義務
最近を振り返って、いちばん難しかったのは、二〇一五年春のハッピー・サイエンス・ユニバーシテイ(HSU)の開学でした。
文科省の判断を押し切って開学したわけですから、「国家 対 宗教」の戦いでしょう。
おそらく、いまだかって、文科省が認可しないのに大学を開いたところはないと思います。
しかし、幸福の科学そのものが、ある種の共同体になっていますし、全世界百か国以上で活動している団体ですので、「エル・カンターレの認可があるものを、さらに認可するところはない」と考えました。
内容的には、私たちが信じているとおりにやったほうが、よいものができると思います。決して、他の人々の意見を聞かないというわけではありませんが、W認識の低い人たち”の意見を聞いて内容を劣化させることは、学生の未来を危うくするでしょう。
そう考えて。内容には手を加えずに、もっとよくする方向へと進みました。
これは一つのチャレンジではありますが、幸福の科学は、W弾圧”ぐらいで、それほど簡単につぶれるような宗教ではありません。
むしろ、政府としては、W国家が潰れる”ことを心配なされたほうがよいのではないかと思います。
しかし、日本国政府が潰れても、幸福の科学は潰れません。たとえ、日本が海の底に沈もうとも、世界百か国以上で活躍している同志たちが、この光を、未来永劫、掲げることを誓ってくれています。したがって、何ら心配することはないと、私は思っているのです。 ただ、この日本の国は、幸福の科学の教えの発祥の地として、大いなる責任と義務を背負っていると考えています。この日本が、エル・カンターレ信仰の中心地として、可能なところまで突き進むことが大事であると感じているのです。
なお、ささやかではありますが、二〇一五年は私の著作として、ちょうど二千書目となる『正義の法』を全世界で発刊することができました。また、ほんのわずかではありますけれども、二千四百回以上の講演・法話等を積み上げてくることができたのです。
恥ずかしながら、思いは、まだまだ届かないレベルではありましょう。しかし、志は、三十五年前の大悟、三十年前の立宗、二十五年前の宗教法人格の取得のときから、いささかも衰えてはいません。私たちは、このレベルで納得し、満足するわけにはいかないのです。
私が、最初の頃より説いている教えを見ればわかるでしょう。それは、天地創造からの教えです。天地創造からの教えを説ける宗教が、日本に何万もある宗教の一つとして認められるだけで良いのでしょうか。そんなはずはありません。それで許されるわけがないのです。
確かに、幸福の科学は、国内を見渡せば、戦後に生まれた宗教の一つとして、ある程度の大きさにまでなりました。おそらく、一定の市民権を得つつある段階だと見られていることでしょう。
二〇一六年は、幸福の科学にとって大悟三十五周年、立宗三十周年に当たるだけではなく、暦の上では、「革命が起きる年」に当たります。そうであるならば、その革命は、我々が起こさずして、いったい誰が起こすというのでしょうか。
われわれは、三十年間、組織として蓄えた力を発揮し、法輪を転じ、転じ、転じて、国内と全世界に、いよいよ、その存在を明らかにしなければならないときだったのではないかと思うのです。
【映画「さらば青春、されど青春。」〈劇場実績〉】
本部名/目標/合計実績/進捗/土日単日目標2.5万/単日/進捗
◎東京本部/98633/21295/21.6%/2055/325/15.8%
◎西東京本部/36403/4613/12.7%/758/115/15.2%
◎山梨本部/6156/1195/19.4%/128/0/0%
◎埼玉本部/57945/13271/22.9%/1207/237/19.6%
◎北関東本部/52404/11549/22%/1092/176/16.1%
◎千葉本部/50700/13156/25.9%/1056/247/23.4%
◎東神奈川本部/47253/6199/13.1%/984/0/0%
◎西神奈川本部/30727/4447/14.5%/640/0/0%
◎北海道本部/47688/7457/15.6%/994/218/21.9%
◎北東北本部/30329/4836/15.9%/632/20/3.2%
◎南東北本部/38335/7904/20.6%/799/55/6.9%
◎新潟本部/25776/4881/18.9%/537/149/27.7%
◎長野本部/23822/3887/16.3%/496/104/21%
◎静岡本部/31265/8354/26.7%/651/138/21.2%
◎愛知本部/72636/16572/22.8%/1513/149/9.8%
◎岐阜本部/19889/2161/10.9%/414/0/0%
◎三重本部/18214/3260/17.9%/380/0/0%
◎北陸本部/37277/6618/17.8%/777/39/5%
◎滋賀本部/17249/4972/28.8%/359/0/0%
◎京都本部/26124/2123/8.1%/544/0/0%
◎奈良本部/13572/4621/34%/283/203/71.7%
◎和歌山本部/7896/1581/20%/165/44/26.7%
◎大阪本部/76241/13186/17.3%/1588/80/5%
◎兵庫本部/48859/6258/12.8%/1018/0/0%
◎東中国本部/36223/4237/11.7%/755/0/0%
◎広島本部/31399/5503/17.5%/654/28/4.3%
◎山口本部/15115/1578/10.4%/315/0/0%
◎四国本部/46354/9702/20.9%/966/55/5.7%
◎福岡本部/55198/9352/16.9%/1150/217/18.9%
◎西九州本部/22195/3408/15.4%/462/84/18.2%
◎東九州本部/24571/5866/23.9%/512/0/0%
◎南九州本部/33322/5537/16.6%/694/153/22%
◎沖縄本部/20230/3061/15.1%/422/0/0% トランプほどの男が現代のミュンヘン会談に騙されるわけがなかった。 たかし一族の所業で唯一賢明だと思うのは結婚が早いという事。
30代での子育ては阿修羅の如く働きまくる必要があり、ガチで大変だから。
フミカという人は何で女優になったのか分からないくらい容姿も演技力も
感性も普通の人という感じ。年喰って苦労して演技力磨いたならモナ・リザのような
神秘的な美人になる可能性はあるが・・・
こういう人は市井人として生きるのがもっとも幸せだったろう。
エグイ芸能事務所を辞めてたかし軍団へという、トミノの地獄を思わせる変転ぶりは
一人間の生き方として同情に耐えない。 >人ではない佛に何を求めるか。求めておくべきだろうか。
少なくともたかし軍団はもう人ではないだろう。
古来より悪人を「人でなし」というが、実際に人ではなくなっていく・・・
現代に彷徨う二匹の悪魔。
宗教とは教団とは人間を自らの神性から遠ざけるルシファーであり、
無神論・ニヒリズム・反知性主義・ファシズムはアーリマンである。 貴方の勇気が、多くの信者たちの家庭を救うのです!!/”ノストラダムス=アブラメリンへの依頼書”
https://ameblo.jp/01000440ktndy/entry-12380135405.html
Q.KRRは、大川らのキメセクを知ってますね。 まあ、当人自体、参加者ですから(家族全員、参加者)。
A.Yes.
A.No. (次男、三男は、不参加)
Q.意見が割れましたねww つまり、次男、三男は知らない、不参加ですね?
A.Yes.
Q.実父の大麻取締法違反逮捕の拡散情報を 大川たちは、「裏切り」の可能性を示唆し、KRR親子を追放したのでしょうか?
A.Yes.
Q. 残念ですが、警察への多大な情報強力をしたKRR親子(次男、三男を除く)も、麻薬取締法違反で逮捕されますね?
A.No.
Q.三人は、逮捕の可能性があるが、判断は警察に任せたい、ということですね?
A.Yes.
Q.被害者たちが泣き寝入りする理由の一つが、この「逮捕」ですね?。
A.Yes.
Q.卑劣なやり方ですね。
麻薬使用を告げず、薄々気付くように仕向け、「共犯者」として密告出来ぬようにする。
とても、「再誕の仏陀」のやることではありませんね?
A.Yes.
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
教団関係者の中には、大川らの被害に遭われた方々が沢山居られることでしょう。
どうか、勇気を出して、この犯罪を告発して下さい。
騙され続ける信者たちは今尚、資産、時間を活動に奪われ、家族崩壊し、
無意味な「グルグル回転菩薩」をやっているのです。
無理なお願いをしているのも重々承知しています。
「逮捕」のリスクがあります。
しかし、そのリスクを冒して告発しなければ
この「生ける悪魔たち」を刑務所にブチ込めません。
貴方の勇気が、多くの信者たちの家庭を救うのです!! 強姦教団”HS”早急滅亡祈願!!
連続強姦魔”OR”早急逮捕祈願!!
オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ
マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン 🌸Instagramフォロワー数ランキング🌸
1位 渡辺直美 8,000,000
2位 水原希子 5,000,000
3位 ローラ 4,820,000
・・・・・・・・・・・・・・・
40位 新木優子 1,670,000 💖幸福の科学在家信者
・・・・・・・・・・・・・・・
500位 関根りさ 281,000
・・・・・・・・・・・・・・・
?位 千眼美子 30,800 💖幸福の科学出家信者
とりあえず500位を目指そう!千眼美子ガンバレ
☆☆☆☆☆☆ 千眼美子さんを応援して下さい ☆☆☆☆☆
信者が1100万人もいるのに、Instagramフォロワー数が3万人の千眼美子さんが可哀そすぎる(T_T)
同じ信者なのに新木優子さんのInstagramフォロワー数は167万人もいます
ニコ生「千眼美子、ただいま修行中。」があまりにも人気がないため
たった3回で放送終了になりました(T_T)
第1回 2月20日 来場数2,897 コメ数3,005 (初回)
第2回 3月20日 来場数1,351 コメ数 864
第3回 4月29日 来場数 559 コメ数 129 (最終回)
ひどい!ひどすぎます!!
これじゃ、売れない地下アイドルレベルの少ない動員力
千眼美子さんは幸福の科学を代表する🌟菩薩🌟です
過去世も🌸小桜姫🌸ですよ
信者の皆さんはこれでいいのですか? ●深見先生の絵画の、国内外における評価について
深見先生は、画家でもあります。一流アーティストの作品をたくさん見てきて、絵画の目利きでもある、某出版社のM氏は、
「深見先生の絵に惚れています」とおっしゃっています。
このM氏が、巨匠の絵画の条件は、純粋さ、素朴さ、稚拙さの三つであるとおっしゃっていたそうです。
深見先生は、35歳から独学で絵画を始められたそうですが、今まで、
・遊美堂刊の「2000年度優秀美術作品全集」に作品2点が選ばれる。
・中国芸術研究院より、外国人初の国家一級美術師の認定を受ける。
・日豪芸術交流祭において、330人の日本のトッププロ画家の中から選ばれ、3賞を同時受賞する。
・中国国立清華大学美術学院美術学学科博士課程修了
など、評価が高いようです。 ●ワールドメイトは自由で解放的
ワールドメイトは自由で開放的です。
ワールドメイトは、神道グループですので、神社のように、来る者拒まず、去る者追わずというように、どこの宗派の方だとしても拒むことはありません。
ふつうの宗教にはありえないはずです。
ワールドメイトの場合、神仏へのご祈願の方法や、悩みや問題を解決する方法が学べますので、
明るく幸せになったら、自分の興味のある分野をさせていただきます、と退会されていく方もおられます。
私の身近でも、
子供の不登校も収まったし我が家も平和になったのでもう大丈夫だから退会します、
仕事がハードになったので忙しくなったので、などという理由で、退会していかれた方がおられました。
このように、退会するのも自由なのです。誰かにとがめられることもありません。 ●深見先生は、どんな人でも、いつも気にかけておられます。
深見先生も、昔、頑張っておられた方のことを忘れることはないようです。
元気にしているかな?と、いつも気にかけているそうです。
ある時の先生が、昔、だれだれさんがね、と話題に出されることがありますが、
「深見先生は、お世話になった方のことや、一緒にがんばった人や、人の恩などを忘れることはないのだなあ」と感じたものです。 ●ワールドメイトは再入会が意外に多い
いったん退会された後、再入会される方がけっこうおられるのも、ワールドメイトの特徴だと思います。
先日もそのような古い知り合いに出会って話したのですが、
「なんとなく、ワールドメイト会員でいたときのほうが、充実感があったように思ったんですよ。
また、退会してから神社でご祈願しても、ワールドメイト会員だったときのような、お祈りの通った、という感触があまりなく、
祈願の成就力も違ったような気がして…。
とおっしゃっていました。
人生山あり、谷ありですから。まっすぐストレートに行く方ばかりではありません。
紆余曲折されて、ワールドメイトの素晴らしさを実感されるというのも、また味のある人生ではないかと思った次第です。 ●ワールドメイトの教え
ワールドメイトの教えは、以下の3つです。
1、実在の神を掌握する
2、神を行ずる
3、神人合一の道を極める
これは、会員なら誰でも知っている、ワールドメイトのオリジナルな教えです。
1、実在の神を掌握する
とは、実際に存在している神様を自分の思い通りに動かすということです。
つまり、神様に願いを叶えてもらう方法、法則を学ぶということなのです。
初めは、「証(あかし)」が出て、自分の個人的な願望が叶ったりすることにより、
神様が実際に存在しているということを実感されるという方が多いようです。
しかし、証が出るというのは「実在の神を掌握する」の第一歩、入り口です。
神様のご守護を感じるようになると、神様の御心というものが実感としてわかってくるようになります。
2、神を行ずる
これは、日々の生活修行を通して、自分が神様のような行いをしようと心がける段階です。
神と人とが一体になった状態を、神人合一と言います。
神人合一して、神のお取り次ぎが社会の中でできるように、自ら修養していく段階になると、「自分の願いを叶えたい」という気持ちは薄らいでいきます。
どうしたら、周りの人をもっと幸せに導ける自分になれるか、どうしたら自分がもっと向上できるか、と日々考えるようになるのです。
自分の願いが、周囲の人の幸せに直結するようになってくると、神を行ずる、に近い状態かもしれません。
神様は、どんな人にでも、合一できるわけではありません。
法則に則り、悟りの深さ、年期の長さなどによって、合一する神様は変わってきます。 3、神人合一の道を極める
究極の修養の段階です。
神人合一を極めるためには、人間としても万能で、あらゆる知識がないと達成できません。
たとえば、中国の名医と伝説高い、華佗(かだ)の神霊が来られても、
医学の知識がなければ、神示を聞いたところで、ちんぷんかんぷんです。
絵の神様が来られても、絵の技術がなければ、表現できないのです。
人間の技術や知識があって、その上に足りない一厘のポイントを教えてくれるのが、神様です。
高級神霊は、単に人間の心と体を乗っ取って、操ったりはされません。
人間の自主性を尊重されるのです。
ですから、人間的にも素晴らしい人格となり、知識や技能も素晴らしく、しかも、何年も継続できてこそ、
「神人合一の道を歩んでいる」
と言えるのです。
●ワールドメイトの教えの特徴
こうした神人合一の道が降りているのが、ワールドメイトの最大の特色です。
開運しないとか、証が出ないとか、
深見先生とお会い出来なかったとか言って、疑問を持たれる方がたまにおられますが、理解が浅い方であると思います。
神人合一の道を歩もうとしているかどうか、ということと、
以前、支部長であったとか、コミッティーであったとかいうことは全く関係ありません。
本人が、修養しようという心がけを継続しているかなのです。
しかし、ワールドメイトの被害に遭ったとネット上で批判されている方は、
ワールドメイトの教えを理解されている方は皆無であるように思います。
深見先生は、知識もあり、悟りも深く、常にお祈りをされてお話になるので、いつでも、感動的な、温かいお話をされます。 ●福祉をする理由について 1/3
ワールドメイトや深見先生が代表を務める様々な団体が、中国やカンボジア、アルバニアでの福祉、特に児童福祉や教育に力を入れている理由について、
「日本にも困った人が沢山いるのに、なぜ中国やカンボジア、アルバニアの救済に励むのかと尋ねられることがあります。
それは、カンボジアがアジアの最貧国であり、アルバニアがヨーロッパの最貧国であり、中国山間部が世界の最貧地域だからです。
中国の辺境では、年収約6000円、つまり月収が日本円で約500円の最貧農家がたくさんあります。
日本で困っている人も助けてはいますが、その困っている度合は、比べものにならない程悲惨なものです。
●福祉をする理由について 2/3
中国の辺境やカンボジアは、日本でいえば明治のはじめのような状況にあります。
その中で、日本人が建てた小学校を卒業した子供たちは、成長してからも、日本人に対して良い感情を持つようになるでしょう。
特に中国では、『井戸水を飲む時は、井戸を掘った人の恩を忘れるな』と言います。
受けた恨みも忘れないですが、受けた恩も忘れないのです。 。
この子供たちが、将来、たとえ小学校を寄付した私の団体や私の名前は忘れたとしても、
日本人全体に対して好意的な感情を持つようになり、
長い目で見た直接的な日中友好に役立つことができれば…と願っています。
●福祉をする理由について 3/3
だからこそ、いつも日本人を象徴する羽織袴で中国の公式行事に出席されるのです。
また福祉とは、そこに人的なつながりがあり、切に求められているからこそ、実行が可能となります。
ですから、インドやアフリカにはなかなか手が回りません。それゆえ、人的なつながりがあり、可能なところから支援を行っているのです
このように、しっかりとしたコンセプトを持って福祉をされているのであり、
民間人として、日本人として、また将来も見据えて、会員さんの玉串が最大限有効活用されるよう、決断と実行をされているのです。 ●日刊カルト新聞に欠落している真実:ワールドメイトには一切問題はない
「やや日刊カルト新聞」というブログにて、
ワールドメイトが問題のあるところだと書いてありましたが、
よく調べずに書いたのではないかと思います。
1993年頃に、別派騒動があり、
首謀者が深見先生の社会的地位を低下させるために、
ありもしない問題をあちこちにタレ込んだり、裁判を次々起こしたりなどの、破壊活動とそれへの攻防があったのは知っています。
しかし、深見先生は、最終的に、別派騒動の首謀者と仲直りしているわけです。
首謀者の人が記者会見をし、深見先生と仲直りして、平和的に解決しているわけです。
ですから、問題があったとしても、円満に平和に解決しているという真実も、書くのが、公平であると思います。 ●ワールドメイトを批判する情報が、偏見と悪意に満ちたものである
悪意に満ちた情報を操るそのバックには、ある組織が意図的にやっているという話もあります。
しかし、ワールドメイトや深見先生は、他宗教の攻撃や批判はしないポリシーなので、知った上で、そのままにしているのでしょう。
また、入退会を自由にしている限り、
退会した会員は、退会した自分の行為を正当化するために、
なんでもネガティブにとらえ、あらゆる批判をするのが常です。
こうした現状をよくご存じの方は、誹謗中傷を見て同情することはあっても、ほとんど信じません。2ちゃんねるとレベルが同じだからです。
世間で少々言われていることが、一方的な偏見と悪意に満ちているということは、
深見先生のお話を直接聞き、生き様にふれれば、誰にでもわかることだと思います。 平成最大の西日本豪雨はなぜ起こったのか 現政権に問われる不祥事の責任
《本記事のポイント》
西日本豪雨での死者が200人に達した
過去、「天の警告」として大きな自然災害が起きてきた
「神仏の目」を意識した政治と、「生かされている」という謙虚な思いが求められる
近畿から九州を襲った西日本豪雨について、警察庁は12日、全国14府県で200人にのぼる死者が出たと発表した。
大雨特別警報が出されてから13日で1週間が経過するが、被災地では今なお約7千人が避難生活を余儀なくされ、行方不明者の捜索も続いている。一日も早い復旧と、亡くなられた人のご冥福を心から祈りたい。
「平成で最大」「記録的」などと冠された今回の水害。確かに、これほどの広範囲で甚大な被害が出ることは珍しい。
「天の警告」としての災害
なぜ、このような災害が起きてしまったのか。
歴史上、大きな天災は、政治の乱れや社会の腐敗に対する「天の警告」だと考えられてきた。
古代で言うと、ローマ帝国・ポンペイの滅亡が有名だ。繁栄を誇っていたが、西暦79年にヴェスヴィオ火山の噴火によって、一夜で町が消滅したという。
当時、町は情欲や享楽にふける人々に満ち、噴火に先立っては、首都ローマで暴君ネロがキリスト教徒を迫害・処刑するなど、政治も混乱を極めていた時のことだった。
近年の日本でも、大きな災害が起こる時には、政治や思想の"歪み"が確認できる。
例えば、10万人以上の死者・行方不明者を出した、1923年の関東大震災。
当時、ソビエト連邦の成立を背景に、日本でも社会主義がにわかに台頭していた。大学ではマルクスやレーニンの書籍がテキストになり、震災前年には日本共産党が成立した。物質の平等を求める唯物論が蔓延する中、大地震が日本を襲った。
また、阪神・淡路大震災が起きた半年前の1994年6月には、社会党の村山富市委員長が首相に指名され、村山内閣が発足。震災が起きたのは、伊勢神宮に首相参拝するという新年の慣例を見送った直後の1995年1月。
同年3月にはオウム真理教による地下鉄サリン事件も起きている。恐ろしくなったのか、村山氏は4月、伊勢神宮参拝を行った。
さらに、未曾有の被害を生んだ東日本大震災が起きたのも、左翼的な政策を打ち出した民主党・菅直人 リーディングで判明した霊的背景
大川隆法・幸福の科学総裁は過去、複数回に渡ってリーディングを行い、災害の霊的影響を探っている。
2014年11月に阿蘇山噴火、2015年6月に小笠原諸島西方を震源地とするマグニチュード8.1の地震が起きた直後、エドガー・ケイシー霊などの支援によるリーディングを行った。
これにより、両災害が、「信仰心が欠如している日本人」に対する神々の警告であったことが明らかになった。
「生かされている」という謙虚な気持ちを忘れた時、人間の文明の儚さを知らせるように、大きな自然災害が起こるようだ。
「神の目」を忘れた政治
「信仰心の欠如」という観点から言えば、現政権にも反省すべきことがあるはずだ。
安倍政権で、財務省や文科省による不祥事が続いている。財務省は公文書を書き換えたとして糾弾され、文科省は大学の許認可権をめぐる不祥事が相次いでいる。
これらの不祥事に共通しているのは、バレなければ国民を欺くことができるという、「神仏の目」を忘れた傲慢さだろう。
信仰心を持ち、自らに善なる言動を求める気持ちがあれば到底できなかった行為だと言える。政治家や官僚一人ひとりに、神仏に恥じない言動が求められている。
西日本豪雨のみならず、大阪の地震をはじめ、各地でも地震が頻発している。
実際に災害に遭われた人たちに罪があるわけではないだろう。しかし、こうした自然災害が繰り返し起きることについて、日本人全体が真摯に受け止める必要がある。活火山や地下断層など、日本全土に災害の要因が存在する。
そうした列島において、数千年に渡って生命が存在し続けていることを、「当たり前」だと考えてはならない。 「創価学会」の名前を隠してに堂々と活動している公明党
実は今、創価学会の信者のように、目に見える形で活動している人以外にも、数多くの理解者がいます。
そういう人たちが自信をもって、「私も手を差し伸べて、一緒に協力したい。活動してみたい」と言えるだけの「自信」と「勇気」に満ち溢れた団体をつくっていくことが、今、当会として必要なことだと考えています。
そういう各界にいる人たちが、自分から信仰告白をし、「私は創価学会の信者です。これで自信をもってやっています」とカミングアウトできるようになってほしいのです。
「『創価学会』の名前を出したら選挙で落ちるから、出せない」などというような弱い人ではなく、「創価学会」の名前を出して、堂々と当選する人が出てほしいのです。
そのためにも、公明党は、あえて隠さずに、堂々と活動しています。
最初は怖いかもしれません。ただ、何度も何度も選挙に出ていれば、人間性というものが見えてくるでしょうから、「何を訴えているのか、どういう事をしようとしているのか」ということが分かってくるはずです。
かつて、ある自己実現の大家が、「一回の失敗で諦める人は凡人であり、三回失敗しても諦めない人はなかなかの優れ者であり、十回失敗しても諦めない人は天才だ」というように言いました。
それで言えば、公明党は、まもなく、”天才”の域に入ろうとしています。おそらく、そうなるでしょう。
私は、実力というものは、負ければ負けるほど出てくると思っているのです。
公明党の支持者はいろいろなところにいるのですが、「現実の政治は、ブランドのある老舗のところに任せた方が楽だろう」と思い、
そちらを支持している人も多いし、小選挙区制であると、どうしても二大政党制へと収斂していく傾向があるので、第三極以下はなかなか勝てないようになっています。
それでも、そのなかで、次第次第に浸透していくことになりました。
最後は、日本中の人々が信者になってくれればよいと願っているのですから、そこまでやるしかないと考えています。
「すべては前に向かって進んでいる」と思っているのです。 あなたがたの中で偉くなりたい者は、
皆に仕える者になり、
いちばん上になりたい者は、
皆の僕になりなさい。 マタイ20:26,27 株価つり上げに64兆円/年金基金・日銀が資金投入/時価総額の1割
この時代に株価の異様な安定? 多少の上下は、あってもね〜?
カネを手にするのは、金持ちばかり、 濡れ手に泡の1%。
脳科学者が言っていたけれど
カネの欲と、麻薬での快感の部位は、一致すると。 ◆GPIF40兆円+日銀24兆1000億円=株価つり上げに64兆円。
東証一部上場企業に限ると、その比率は10%を超える。
国内株の1割を公的資金が占め、株価をつり上げる異常事態。 でんでん一味時代の自民公明衆参全議員の全財産を没収しないとな。
人様の年金を勝手に上限以上使い込んでおいて足りなくなったんで支給年齢上げます、なんて通用させてたらいかんからな。
という風に日本国民全体が思わない限り、選挙で馬鹿をやる連中が後を絶たないのが虚しい。 中国人権活動家・劉暁波氏の死から一年 ドイツで式典開催も妻の参加叶わず
ドイツのベルリンで、劉暁波(りゅう・ぎょうは)氏の一周忌を祈念する追悼式典が13日午後(日本時間14日)に開催された。
劉氏は、中国共産党支配に抵抗し続けた人権活動家だ。1989年の天安門事件以来、複数回に渡って中国政府に拘束されてきた。
民主化を求める「08憲章」を発表後、2009年に「国家政権転覆扇動罪」で投獄。11年の実刑が下され、2017年に獄中で亡くなった。
劉氏の妻である劉霞(りゅう・か)さんは、8年間に渡って軟禁状態にあったが、今月10日になって、ようやくドイツに出国できた。
今なお実弟が人質状態に
式典に参列した、ヨアヒム・ガウク元ドイツ連邦大統領。
劉氏が劉霞さんに伝えたメッセージが、ドイツ語と英語で紹介された。
追悼式典は、ベルリンのゲッセマネ教会で行われ、旧東ドイツの民主化運動の指導者であったヨアヒム・ガウク元ドイツ連邦大統領や、2009年にノーベル文学賞を受賞した作家ヘルタ・ミュラー氏、著名ジャーナリストなどが参列した。
メディア関係者も多数訪れ、人権活動が盛んな香港からも多くのマスコミが参加した。
一方、動向が注目されていた劉霞さんが参列することは叶わなかった。劉霞さんは中国を離れられたものの、実弟の劉暉(りゅう・き)さんは出国を認められなかった。
弟が実質的な人質状態にあるため、参列を見送ったと指摘されている。
こうした中国政府による拘束に対して、式典のスピーチでは、「劉霞氏の実弟が中国当局の実質的な『人質』にとられているので、『自由』になったと言っても、自由を行使できない」と、中国共産党への批判の声が上がった。
式典では、劉氏が亡くなる直前に劉霞さんに伝えたメッセージも紹介された。劉氏は、病床にありながら、足を動かし続ける動作を妻に見せることで、立ち止まることなく進み続けるよう促したという。
自由を奪われる13億の国民
中国は、独裁体制により13億人以上の国民を支配下に置いている。
信教の自由や良心の自由、言論や表現の自由が奪われることは、人間の尊厳を失うことと同義だ。公然と人権弾圧を行う中国政府に対して、日本人一人ひとりが声を上げ、民主化を働きかける必要がある。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています