>>123
> >  「山道はいくつもあるが、頂上はひとつ」みたいな言い回しがある。 これは確かにその通りである。  』
これに対しての、
> 一つの頂上とは、絶対神を想定してのものだろうし、
> 人の姿をした紙であろうし、
ここの関連付けの作用を「ミル」ことが、仏教のキモである。

「悟るための手段はひとつではない」というニュアンスを伝えたいのに、
「頂上だからすごいものであるはずである」と関連付けされてしまうのが、この場合のカセである。

実践とは「ミル」ことである。