>>178
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頭たり第一第二
臥竜は止水に鑑さず
無処には月ありて波澄む
有処には風なきに浪起る
稜禅客稜禅客
三月禹門点額に逢う



頭たり第一第二:第一頭、第二頭と。
臥竜は止水に鑑(うつ)さず:潜竜は静まり返った水面(無処=下層無意識脳)には姿を現さない。
無処:絶対無の処(下層無意識脳を中心とする脳)。
有処:妙用の処(全脳=上層脳と下層脳がバランスよく機能する脳)。
稜禅客:長慶慧稜。
三月禹門点額に逢う:三月に禹門(竜門)を突破した鯉は竜になれるが、
そこで額を打ちつけたら引き下がるしかない。



古来保福が第一頭で長慶が第二頭だとかいう見方があるが そのような順位付けでは“如来の語”にはお目にかかれない。
“如来の語”は一字不説で第一も第二もない絶対の語だからだ。
そもそも長慶が「二種の語」などと言うから第一や第二と言い出すのだ。
そんな紋切り型の収まり返った処(止水)には生きた臥竜(如来)の語はない。
絶対無の処(無処、下層無意識脳)には静まり返って月影がさやかに映っているだろう。
しかし、そのような静まり返った処(無処)に波乱万丈の活動は期待できない。 
妙用の処(有処=全脳)にこそ風がないのに驚天動地の働きが期待される。
稜禅客(長慶)は弟分の保福にそこを悟らせようとしたが、泥棒(保福)を呼び込んで家財道具を持って行かれたようなものだ。 
それは三月に禹門(竜門)を登って竜になりそこねた鯉が岩に頭をぶっつけたようなものである。