碧巌録(へきがんろく)  第95則   長慶三毒(ちょうけい さんどく)

垂示

有仏の処、住することを得ざれ。住着すれば頭角生ず。
無仏の処、急に走過せよ。走過せざれば草深きこと一丈。
 たとえ浄裸々、赤洒々として事外に機なく、機外に事なきも、未だ免れず株を守って兎を待つ。
しばらくいえ、総にさようならざれば、そもさんか行履せん。
試みに挙す看よ。
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注:
住着:執着。
頭角生ず:動物とおなじような角が生えて凡夫の世界に生きる。
草深きこと一丈:自分を埋め尽くすほどの煩悩妄想に埋もれるだろう。
事:現象。
機:心の働き。
株を守って兎を待つ:同じ処に止まり、自らを転換できない。 
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垂示の現代語訳
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これが仏だ、これが悟りだと、仏や悟りに尻をすえて、停滞してはいけない。
そんな処に住着すれば頭に角が生じ、動物に近い凡夫の世界に堕落してしまうだろう。
それでは何も無い無仏の処が良いのだろうか。
無仏の処も急いで走過しなければならない。
何も無い無仏の処に住着していれば身を埋め尽くすほどの
煩悩・妄想の草に埋没してしまうからだ。 
それでは浄裸々、赤洒々ときれいさっぱりと洗い流した超絶の境地や、
「事外に機なく、機外に事なき」と言った万物一体、心境一如の境地が良いのだろうか。
そのような境地も、「株を守って兎を待つ」ような愚かさに近い。
ではそのように、何もかもだめだと言うならば、どのように振舞えば良いのだろうか。