> 宮沢賢治の雨にも負けずの詩の中に  一日に玄米四号と味噌と少しの野菜を食べとあるが、 玄米四号ってすごいよね。二回に分けても2合だからどんぶり飯大盛だな。 』

現在でも修行僧が、取引関係の仏具屋、離れで、一日のんびりと手足を伸ばして休養する日が、有る、と言う。

日頃質素な食事をしているのだが、この日ばかりは、お櫃を抱えてメシを食いつくす、と言う。

また、全国各地の神社のお祭りで高く盛り上げて盛りつけられた茶碗のメシをたいらげる、と言う神事がある。

従来から日本人はビックリするぐらいのコメを食べていたのである。

一汁、一采、である。

汁物が一椀、に漬物が付く。

年に一回は魚の干物が付けばいいほうだとか。

栄養のバランは悪いが、コメにはほとんどの栄養は入っているが、多量に食べないと生きていくには栄養補給が出来ないのである。

玄米は、昔の木のの蓋の重しでは圧力がかからず、うまく炊けなかったろう。

米ぬかのにおいと味は、なかなか慣れるものではない、におうし、まずいのである。

だが白米に比べると栄養面では優れる。

宮沢賢治も、玄米4号を食うと言うが、味噌とはみそ汁の事であり、野菜とは漬物の事である。

現代人が想像する食事とは、まったく異なるもので、たんぱく質がどうの、脂質がどうの、ビタミンがミネラルがどうのと言う現代人の思う食事など食べられなかったのが常識だったのだ。

日本人の長い腸は、米飯に適応してきたのである。

2万年続いた縄文人は、2〜3百年物の大木の栗の木が村の周辺にはびっしりと植えられており、栗は保存にも向いており、主食であった。

他には、動物を食べていた。イノシシ、シカ、馬、イヌ、ネコ、生うに、アサリ、ハマグリ、サザエ、アワビ、果実類。

米飯食だけの仏教伝来後の日本人の身長が、1メートル40前後であったことに比べると、はるかに背が高かった。

食事の量を半減した私は、最近はすっかり慣れた(-。−;)アセアセ