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婚前性交の禁止と言うから生々しく聞こえますが、福音に照らせば「他者を快楽や利益の道具としてではなく、その人自身として、自分を大切にするように大切にせよ」という戒めに要約されるのでしょう。

クリスチャンの間柄でも、別の間柄でも、「互いに大切にせよ」とだけ呼びかけあうべきであって、婚前性交の禁止などピンポイントで干渉するのは避けるべきだと思うのです。

結婚したからといって互いに大切にしているとは限らないでしょう。逆に、結婚していないからといって、互いに大切にしていないということもないでしょう。

性は必ずしも情欲だけで成り立っているとは限りません。結婚していなくても、互いに大切にしている者同士が、相手に気を配りながら体を重ねることは、絆や親密さや信頼をより深めるでしょう。このような関係には平安 が伴うでしょう。

しかし、情欲や利益のために互いを利用し合う関係もあります。このような関係ならば、たとえ結婚後であっても、それは罪であって、失望と苦悩が伴うでしょう。

このような互いに大切にされない間柄でズタボロになった人々の多くが、悔い改めてイエスに従ったのでした。
神の国は、互いに大切にされる世界です。神はイエスにおいて、傷ついた罪人を大切にするために、放蕩息子を待つ父親のように、99匹の羊を置いて1匹の羊を探す羊飼いのように、彼らを探し、共にし、背負われたのでした。

イエスに従うならば、呼びかけられるべきは婚前性交をしたかどうかではなく、互いに自分自身を大切にするように大切にしたかどうかということになるでしょう。また、イエスに大切にされた罪人の一人として、同じく罪の軛でうめき苦しむ人々に寄り添うことでありましょう。