プロテスタントの分際でエホバの証人批判するとか馬鹿なの? その5 [無断転載禁止]©2ch.net
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◆L2ew5aH3E3Qf さんの、お陰で聖三者の理解が進みました。
コスモスのたとえはうまいですね。
あの説明が分らんのでは・・・、しょうもない連中です。
トリニティ(三位一体)とクリスマスへの攻撃は
プロテスタントだけでなくカトリックや正教も否定。
カルヴァンに抗議したセルバートのように、もろ異端。
新世界訳は改ざん聖書で
日本聖書協会の誤訳の域ではない事も問題。
プロテスタントといっても諸派あります。
改革派(日本基督教団)・長老教会>バプテストや
英国国教会>メソジスト>インマヌエル>ホーリネスとあり
ルーテル教会>聖契教会(スウェーデン国教会[ルーテル派])とか
無教会派に
福音派など
考え方が色々あって、一概にコレが悪いって言えないのです。 >>306
29日命日でしたでしょうか。
桐山氏の一周忌を、お悔やみ致します。
絶対悪ではないけど
解脱供養1回1体10万円
10体も100体も供養せよ、は暴利だろう。
川崎大師では
1回の1万円の加持祈祷料だし。
阿含宗には7科37道品は無いと
桐山氏の加持祈祷の脇侍であった
側近のファミリー・リーダーが
桐山氏本人から聞いたと
私は聞かされ
阿含宗に、阿含経の修行法なしと悟り
退会する原因の一つになったんです。
念力護摩の発火化学薬品は
今はない下北沢の古本屋の
鴨書店(鴨志田さん)の手品本がネタだし
瞑想入門の、なんその法は禅宗ネタだし
密教入門の、阿字観は真言宗ネタだし
大柴燈護摩は京都伏見の神具店でも売っている
加持祈祷の九字やお経や真言のネタでもある。
阿含経からの瞑想法や作法ではないの。
東京の神保町の本屋で勉強になりましたよ。
1999年7の月の地球壊滅も
小説と言う事で、袖にされ、偽予言者と気付き
1999年9月××日に、退会しました。
その後17年ほども長生きしたんですね。
95才、天寿を全うした、と誉めるべきでしょうか。
キリスト教を辞めて
仏教に戻る日が来るかは、分かりません。 人間の教え。
三位一体。クリスマス。信仰のみ。
バカは死ぬまでバカ。 他の教え。
聖餐で仲保者(仲介者)・ペンテコステ・行いのある信仰(セツルメントなど)。
これってどう? プロテスタントってのはぁ、一貫性がないから各牧師が自由に解釈してどんどん様々な宗派がポンポンと出来上がっていってる。
オカルト的な要素も織り交ぜて人を騙し、大金をむしり取る教会も多々ある。
変な神を信じ込まされて人生狂わされるくらいなら自宅で聖書読んでた方が賢いよ。余計な金も要らんし。 >>326
そのアホみたいな神をひたすら信じてりゃ良くね??
いちいちここで強制せんでも。 いや〜改めて1から読み直すとおもしれぇなこのスレw
三位一体なんぞの支離滅裂な教理なんざぁサタンの策略なんだよボケがぁ、
脳ミソ凝り固まった思考停止のジジイとババアしか居ねーよ
ダセェダセェー、マジダセェーwwww
正に老害w
もう寝るわw おはようございます
我々は誰しもが罪びとです。
私は夏痩せした罪びとです
悔い改めて、三位一体なる神を信じましょう 三位一体についてこのスレのプロクリがわざわざ教えてくれた公式見解によると
@神は唯一
A父なる神は神
Bイエスは神
C聖霊は神
このうちどれか一つでも間違っていれば三位一体は間違いという事になるらしいじゃないか
@〜Cのうちどれか一つでも間違いが証明されたらプロテスタントの負けって事でOKなの?
プロクリさん答えてよ
それとどうしてプロクリはこの質問をされたら毎回逃げるの? >>331
で、どれか1つでも間違いを指摘できたとでも? >>331
@神は、神のウーシアにおいて一つ。
A神はヒュポスタシスにおいて父子聖霊の至聖三者
ということがどーしてわからんのだね。
キミはウーシアとヒュポスタシスとをごっちゃにするから
矛盾していると誤解してしまう愚を犯すのだ
小松菜を食べて反省しなさい! >>332
え!?普通にイエスと聖霊は神様じゃないでしょ。 http://m.ameba.jp/m/blogArticle.do?unm=geneumi&articleId=12306682121&frm_src=article_articleList 結局神は三位一体じゃないって結論になったけど、あとは何話せばいいのかな? 聖書は象徴言語でありそれ自体が直接の「神の啓示」ではなくて
「神の啓示」である神の御心を象徴的に表現してるものよ。⭐🐻。⭐🐼🌟
聖書は神を象徴的に言語形式で表現してるのであって
神そのものではありませんわね。⭐🐻
神を指し示ししてるのが聖書よ♪⭐🐻。⭐😍
神と聖書の区別がハッキリしますわね。⭐🐻 >>348映画ベンハーでは十字架ではなくT字だったよね、エホバの証人は一本の杭と言うし、実際イエスが背負ったのも一本の杭なのか十字架なのか、どうだったんだろうね 別に杭の形状なんてどうでもいいことなんだと思う。
T字だろうが十字だろうが一本の杭だろうが異教のシンボルだった十字をキリスト教に持ち込みたかっただけでしょ。 ラテン十字架(パッションクロスとも言う)が今ではキリスト教の主要なシンボルとなっているが、6世紀まではキリスト教美術には現れていなかった。
キリスト教の時代より遥か昔においては、この十字架は、ヨーロッパや西アジアにおいては、異教のシンボルであった。
初期キリスト教徒たちは、それが異教のものであったために、排斥さえした。
3世紀のキリスト教会の神父であったミヌキウス・フェリクスは、キリスト教徒たちがラテン十字架を崇拝することに憤慨して、次のように言った。
「お前たち、それでは異教徒ではないか。木の十字架を崇拝するなんて、それはまさに異教徒のすることだ……
お前たちの記章や旗や標識と言えばただぴかぴかの美しい十字架だけではないか。そしてお前たちの勝利の記念品はただの十字架だけではなく、その上に人間を乗せている」 >>351ですよね
>>352
知らなかった事なので勉強になりました。ありがとうございます
やはりキリスト教は異教に乗っ取られてますね >>351 ありがとうございます勉強になりましたm(__)m クリスマスもイースターも十字架も三位一体もイエスの教えじゃなく、異教の名残だよ。 そこを支離滅裂な聖句引用で説明しようとするから バカになる 当時、コンスタンティヌスは階級間にあった分裂のただ中にいて、大きな戦いに進んで行こうとしているところでした。
彼の軍隊には多くのクリスチャンたちがいましたが、クリスチャンでない人々がそれ以上に多くいました。
『ミルビアン橋での戦い』の前日、コンスタンティヌスが太陽神に向かって祈りをささげると、そこに一つの『十字』が現れ、「このしるしによって、打ち勝て」という刻印があった、と言われています。
このことをよく調べると、コンスタンティヌスが見たとされるその『十字』は、大文字の「T」という字の上に、小さな輪が付いているものに似ていたことがわかります。
エジプトでは、それは『アンク十字』(古代エジプトの十字架)として知られていました。
そのようなものは、決してクリスチャンのシンボルではありませんでした。
それは常に、バビロンのカルトの宗教的シンボルとなってきたものです。
コンスタンティヌスが彼の軍隊の者たちに、自分は「十字」のしるしを見たと話した時、クリスチャンたちは、彼があの「クリスチャン」の「十字架」のことを話しているのだと考えました。
異教徒たちは、それが異教のシンボルであることに気付きました。それが彼らを戦いのために団結させたのです。 >>351
十字架はローマ帝国の当時の死刑の道具でキリストがそれに磔になって処刑されて人間の犠牲になったから
それを思い起こす為にキリスト教のシンボルになったんだよ
異教徒も美術も関係ないんだが? >>365
初期の教会の信者に宛てた書簡が残ってるんだよ
十字架に付けられて犠牲になったキリストを思い起こすようにってな
何が嘘なんだよ 「キリスト紀元よりはるか以前のものとされる,様々なデザインの十字架を描いた物品が,古代世界のほとんどあらゆる場所で発見されてきた。
インド,シリア,ペルシャ,エジプトからは,いずれもおびただしい数のそうした物品が出土している。
キリスト教時代以前に,非キリスト教徒の間で十字架が宗教的象徴として使用されたが,それはほとんど全世界的なものであったと考えてよいであろう。
そして,非常に多くの場合,それは何らかの自然崇拝と結び付いていた」
―ブリタニカ百科事典(1946年版),第6巻,753ページ,英文。 「[2本の梁材を十字に組み合わせた]形は古代カルデアにその起源を有し,同国およびエジプトを含む隣接した国々において,タンムズ神の象徴(その名の最初の文字で,神秘的意味の付されたタウの形)として用いられた。
西暦3世紀の半ばまでに,諸教会はキリスト教の幾つかの教理から逸脱するか,それをこっけいなものにしてしまった。
背教した教会制度の威信を高めるため,異教徒が,信仰による再生なしに教会に受け入れられた。
それらの者には異教の印や象徴を引き続き用いることが大幅に認められた。
こうして,タウつまりTがキリストの十字架を表わすのに用いられるようになり,多くの場合に横棒を下にずらした形が使われた」
―新約聖書用語解説辞典(ロンドン,1962年),W・E・バイン,256ページ,英文。 「キリストの誕生よりもずっと昔から,またそれ以後も,教会の教えが伝えられていなかった種々の土地で十字の印が神聖な象徴として用いられてきたのは不思議とはいえ,疑問の余地のない事実である。
ギリシャのバッカス,ティルスのタンムズ,カルデアのベル,ノルウェーのオーディンなどはみな,その信奉者にとって十字形で象徴された」
―「宗教儀式・建築・美術における十字架」(ロンドン,1900年),G・S・タイアク,1ページ,英文。 「エジプトの祭司たちや神官長を務める王たちは,太陽神の祭司としてのその権威の象徴として,
手に……『輪頭十字<クルクス・アンサータ>』の十字架を持っており,それは『生命のしるし』と呼ばれた」
―「死者の崇拝」(ロンドン,1904年),J・ガルニア大佐,226ページ,英文。 「エジプトでは至る所で石碑や墓に種々の形の十字架が見られる。
多くの権威者はそれらを,男根[男性の性器を表わしたもの]もしくは交合の象徴と見ている。
エジプトの墓では,男根像のそばに輪頭十字<クルクス・アンサータ>[上端に輪または取っ手の付いた十字架]のあるのが見られる」
―「性崇拝の歴史概説」(ロンドン,1940年),H・カットナー,16,17ページ,英文。また,「キリスト教に無関係の十字架」,183ページ(英文)も参照。 「これらの十字架は,バビロニアの太陽神の象徴[書籍を参照]として用いられた。
それが最初に見られるのは,ユリウス・カエサル(西暦前100‐前44年)のコインであり,その後,西暦前20年にカエサルの後継者(アウグスツス)によって鋳造されたコインにも見られる。
コンスタンティヌスのコインに最もよく用いられた象徴は[書籍を参照]であるが,前述の象徴が,周りを囲む輪なしで,長さの等しい,縦と横の4本の腕木によって表わされている。
それは,『太陽輪』として特別な崇敬を受けた象徴であった。
コンスタンティヌスは太陽神の崇拝者で,彼がそうした十字架を天に見てからおよそ四半世紀後まで,『教会』に入ろうとはしなかったことを述べておかねばならない」
―コンパニオン・バイブル,付録No.162,英文。また,「キリスト教に無関係の十字架」,133‐141ページ(英文)も参照。 既に十字架か杭かで十字架が正しく、イエスの架かったものは十字架だと論破済み
異教世界で十字架が見られようとイエスの架かったのが十字架であればイエスの十字架での贖いに感謝せよ 説得力ゼロwwww
>>370-375 が大正解!
異教のシンボルをアホキリスト教が吸収しただけ。 「聖書,神学,教会に関する著作百科事典」
「十字架のしるしは,古代の数種の国民の間で聖なる象徴であったことが今では知られている。
したがって彼らを,……十字架の帰依者……と呼ぶことができよう。
……十字架という象徴が意味するものは極めて多岐にわたっていたように思われる。
時にそれは男根像[性崇拝で用いられる]であり,時には金星である」 ベアリング・グールドは自著「中世の奇妙な神話」
「オアハカ州[メキシコ]でスペイン人は,木製の十字架が神聖な象徴として立てられているのを発見した。
南アメリカでは同じしるしが象徴的で神聖な物とみなされていた。
それはパラグアイでも人々からあがめられていた。
ペルーのインカ族は一片の碧玉でできた十字架を尊んだ。
クマナのマイスカスの間では十字架には……悪い霊を払う力が与えられていると信じられており,それゆえに新生児はそのしるしの下に置かれた」 「キリスト教の記録」
「十字架でさえ教会の装飾としてすぐには採用されなかった。
キリストに関する最も初期の象徴は魚(2世紀)であり,彫刻の施された最も初期の墓では,良き羊飼い(3世紀)として示されている」 ドラキュラに十字架を掲げると怯むのは
イエスキリストのおかげかのう 古代から棒を二本組み合わせた十字、プラス、クロス等はどこの世界でも見られるものだ。
異教世界で使われていたからといって日本で十という文字やプラスの文字を用いていたら異教由来とでも言うのかw
こじつけ馬鹿批判じゃねーか。
イエスが架かったのは歴史的にも考古学的にも十字架であり、当時の処刑法は十字架刑であったのは確か。
その呪いの十字架に罪なき仔羊であるイエスが贖いとなり架かられた。アーメン。 論破済みのバインや他の辞典からの虚しいコピペとはな。哀れな奴。 苦しい言い訳よのぉぉw なーにが論破じゃ、w
バーーカw キリストなんて所詮キリストの教えじゃない。
人間が作ったただのインチキ宗教だよ。 >>390
自分達のついた嘘のためにローマから迫害されながら死ぬかよアホ。 ローマがでっち上げたのなら、なぜ300年もの間クリスチャンを迫害したのか。
支離滅裂なキリスト教アンチw
はい、簡単に論破。 >>390
お前は侮辱するだけで何も反論を言えないんだな 「これらの十字架は,バビロニアの太陽神の象徴[書籍を参照]として用いられた。
それが最初に見られるのは,ユリウス・カエサル(西暦前100‐前44年)のコインであり,その後,西暦前20年にカエサルの後継者(アウグスツス)によって鋳造されたコインにも見られる。
コンスタンティヌスのコインに最もよく用いられた象徴は[書籍を参照]であるが,前述の象徴が,周りを囲む輪なしで,長さの等しい,縦と横の4本の腕木によって表わされている。
それは,『太陽輪』として特別な崇敬を受けた象徴であった。
コンスタンティヌスは太陽神の崇拝者で,彼がそうした十字架を天に見てからおよそ四半世紀後まで,『教会』に入ろうとはしなかったことを述べておかねばならない」
―コンパニオン・バイブル,付録No.162,英文。また,「キリスト教に無関係の十字架」,133‐141ページ(英文)も参照。 「キリストの誕生よりもずっと昔から,またそれ以後も,教会の教えが伝えられていなかった種々の土地で十字の印が神聖な象徴として用いられてきたのは不思議とはいえ,疑問の余地のない事実である。
ギリシャのバッカス,ティルスのタンムズ,カルデアのベル,ノルウェーのオーディンなどはみな,その信奉者にとって十字形で象徴された」
―「宗教儀式・建築・美術における十字架」(ロンドン,1900年),G・S・タイアク,1ページ,英文。 もう言い逃れ不可能だね。クリスマスにしろ十字架にしろ。
もうええやん、異教からパクリました。で。
素直になれやw 余談だが、先日、「ハロー張りねずみ」でオカルトを扱ったものをやっていて霊媒師がまだ不動明王
を中心にとなえていたが、不動は悪いほうへいってしまいもう消滅させられたという情報を得ている。
これからは降三世明王を中心に唱えるべきだ。
大日如来はパワーがほしいときあるいは怒りがほしいとき不動(シヴァ)と合体しては絶対ならない。
ハトフル、マリア、キリスト、キリスト教、ヤハウェ、ユダヤ教、ルシファー、ベルゼブブ(パールゼブル)
釈迦も同じ。みんな都合いいように記憶や思いをすりかえられたり、術中にはまって
ほれぼれピーに不正にさせられたりしている。だから取り返すものがいつまでもとりかえせない。
不動は人間側も唱えてはいけないし何万年分の入れ替え弁償とって早く元から消滅完全に
させなければならない ユダヤ人が荒野でキャンプした形は十字形だし モーセがアマレク戦で岩に座り両手を挙げて十字に祈り 真っ直ぐな青銅蛇に杖を付けた十字形を拝んだし エゼキエルは十字形の乗り物に座す主を拝みイエスは十字架で死んだのも否定するのか 十字架の言葉は 滅びいく者にとっては愚かなものですが、私たち救われる者には神のちからです。
第一コリント1:18
バビロニアでタンムズのシンボルがタウ十字だろうが サタンが様々な異教のシンボルに十字を使おうが キリストの死と贖罪の象徴十字架を否定する根拠にはならない なぜなら、わたし(パウロ)はあなたがたの間で イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外 何も知るまいと心に決めていたからです。
第一コリント2:2 イエスは預言者、メシアであって、神ではないよ
神は唯一だからね わたし(パウロ)は キリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。
ガラテヤ2:19 20
ああ、物わかりの悪いガラテヤの人たち 誰があなたがたを惑わしたのか。目の前にイエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり示されたではないか
ガラテヤ3:1 >>402
黙れサタン
キリストは神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にしてしもべの身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって死に至るまで それも十字架の死に至るまで従順でした。
フィリピ2:6 7 フィリピ3:18 19
「 今また涙ながらに言いますが キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです。彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし 恥ずべきものを誇りとし この世のことしか考えていません。 恐れるな わたし(イエス)は最初の者にして最後の者 また生きている者である。一度は死んだが見よ 世々限りなく生きて 死と黄泉の鍵を持っている
…神に創造された万物の第一原因である方が 次のように言われる。
黙示録1: 17 18 3:14 見よ 神の幕屋が人の間にあって 神が人と共に住み 人は神の民となる。神は自ら人と共にいて その神となり
黙示録21:3
見よ わたしはすぐに来る…わたしはアルファであり オメガである。最初の者にして最後の者 はじめであり 終わりである
わたし イエスは…以上のことをあなたがたに証しした
黙示録22:12-16 ヤハウェ宣給(のたま)はく…我よりまへにつくられし神なく我よりのちにもあることなからん ただ我のみ 我はヤハウェなり われの外に救ふ者あることなし
我はヤハウェなり他にひとりもなし 我は光をつくり 又くらきを創造す 我は平和をつくりまた災いを創造す
イザヤ43:10 11 45:5 イザヤ6:1-3 ウジヤ王の死にたる年われ(イザヤ)高くあがれる御座にヤハウェの座し給ふを見しに その衣は殿にみちたり セラピムその上にたつ…たがひに呼びいひけるは聖なるかな聖なるかな聖なるかな萬軍のヤハウェ その栄光は全地にみつ
…汝ら聞きてきけよ然れどさたらざるべし見てみよ然れどしらざるべしと汝この民の心を鈍くしその 耳をものうくしその眼をおほへ キリスト教が初めは十字架を拒否していた。
異教というか異端でグノーシス主義の影響があって崇拝していなかった。これは紛れも無い事実である。 ヨハネ12:39-41
…すなわちイザヤまた云へらく、
「彼らの眼を暗くし心を頑固にし給へりこれ目にて見心にて悟り翻って我に癒さるる事なからん為なり」
イザヤの斯く云へるは、その栄光を見し故にて、イエスに就きて語りしなり。
※ イザヤが見た主の栄光とは イエスの栄光だと証しています。イエスは神以外の何者 でもありません! 少なくとも、背教したキリスト教と結びついた十字架は、太陽信仰としての十字架の使用が結びついたもの。 J・ホール自著「芸術における主題と象徴の辞典」
「コンスタンチヌス大帝によりキリスト教が認められたあと,十字架は石棺,燭台,ひつぎ,および他の物体の上に現われ始めた。それが5世紀以降にはさらに頻繁になる」
E・A・ワリス・バッヂ卿は,「お守りと魔よけ」
「十字架は4世紀まで,キリスト教の最高の表象また象徴となることはなかった」 旧約外典偽典を読んでみると、キリスト教徒が多くの改ざんを行っているのがわかるよ
実際にはメシアの出現は旧約外典偽典で預言されており、イエスも自分はメシアだと言っていたが、自分は神だとは言わなかった
キリスト教の成立以降、メシアのことが書かれた文書は自然とユダヤ教徒から避けられ、外典偽典になっていったんだよ >>412
だから異教や他の文化が十字架を使ってようがキリストが十字架に磔になって処刑されたのは事実だろ
ローマ帝国の処刑方法と他の異教や文化が何の関係があるんだよ >>415
無理無理。結局これも三位一体やクリスマスと一緒。異教の慣わしをパクっただけ。認めろ、見苦しい。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています