パウロ自身が明言するように、聖書の編纂者たちに史的イエスのに対する興味もなく、
三位一体論は、キリスト教とギリシャ哲学に影響された異教徒を融合させる都合の良い道具だったのです。

新約聖書自体が、自分たちの教義に反するものを暴力的に排除し異端とする者どもによって編纂された偽文書のコレクションにすぎません。

敵対者と考えられる者を,破門し、殺すことによって「訴えられた事柄」に勝利しようとつきすすんでいく集団やその活動については、連中の申告書がどんなに崇高なものであろうと疑惑の目を向けなければならないのは明らかである。