プロテスタントの分際でエホバの証人批判するとか馬鹿なの? その5 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
皇帝が決めたのではないと言っている人がいますが、
皇帝が決めています。
なぜなら、
キリスト教を国教にすると軍事において有利に働くとみての
決断であり、
ローマ帝国皇帝が、教皇も取り込んだという
位置関係であるからです。
軍部、軍人が政治の中枢を掌握しており、
今で言う軍事政権であり
キリスト教が民衆に広まるのを見て、これは利用できるという判断で
国教にしたのですから、
軍事政権の暴力と支配の装置として
はじまったローマカトリックキリスト教であり、
その後 キリスト教が、他民族支配の道具として殺戮に加担しつづけたのは、
生まれと育ちがそうであるからです。
腐敗を指摘したり、支配に有利な教義に宗教者として疑問を持ったりすれば
異端に下され、葬られるのは政治(軍事)としては当然であるのです。
宗教だと思っているから、教皇が決めたなどと錯覚するのです。
皇帝がトップで、軍事政治の心理作戦部門のトップが教皇です。
簡単です。キリスト教を国教にしたのは、皇帝です。 ミラクルエースさんや、よしおさんに間違われるのは、私としては光栄ですが、お二方に対して失礼ですよ。
しかし私も、お二方に間違われるほど成長しているという事ですね。
感無量です。 >>74
主を愛さない者はだれでも、のろわれよ。主よ、来てください。 (1コリント16:22)
「…なぜなら、神はそのために任命しておられる一人の人によって義によってこの世界をさばくための日を決めておられるからである。」(使徒17:30) よしお、ミラクルエース、麻守麿の三位一体の勝利ですね。 三位一体には三位一体を。
ヤハウェ様の教えの通りですね。 >>91
何で要る要らんとの話になる?
何ですぐすり替えするんだ?
どちらが正しいか間違いかで間違いを訂正するために俺は書き込んでるんだよ
もし君が自分の名前間違えられたら訂正するだろ
間違いを訂正するのは当たり前だろう >>111
理解できないのに正しいと信じ込めるのはアホだけです。 ダニエル7:9-14
「…見よ 人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、…主権と光栄と国が与えられ…その主権は永遠の主権で…(ある)」
年を経た方とは父なるヤハウェ 人の子とはメシアなるヤハウェです。マタイ26:64 黙示録1:7 参照
以上から 1:8イエスはアルファであり ω 1:18 一度は死んだが永遠の主権者 神であることがわかる。黙示録22:13 16 >>113
三位一体なら、イエス様はよしおと同じ事をしていた事になります。
そんな、ちょっとアレな神様で良いのなら、よしおにしておきなさい。 神の独り子なるイエス・キリストを十字架に与えられ、復活によって人類を 原罪によって生じた現実から救われる 神の意図をわからない者は最初から救いに選ばれない者たちであり 何を言っても霊の目は開かれません ヨハネ12:38-41 理解できない、の対象が、
神であり、神秘であるとするのは、普通なの。
ここ大事だから、よく覚えておいてくださいね。
三位一体が理解できない対象
である時は、
神秘は理解できないではなく、
単に定義されている神秘でもなんでもない、
三位一体が理解できないものであるという話ですよ。
神秘だとか、そんなカッコいい話でなく、
神秘のかけらもない、カッコ悪い話を
盲信せよとか、神秘だとか、にすり替える事が、
よく恥ずかしくないものですね、という話。
無理。 創世記1:26
そして神は 「われわれに似るようにわれわれのかたちに、人を造ろう」…神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。
ここで神がご自身を指して「われわれ」との呼称を用いているのは一説にはヘブル語における「権威強調の表現」もありますが キリスト者的には 唯一神が 父 子 聖霊なる3つの区別される人格をもち しかもその本質において一つである啓示と信じます。
「父なる神」は永遠の初めから独立自存されるお方で全知全能偏在なる方 マタイ5:45-48 「子なる神」は永遠の初めから父なる神と共におられ、言(ロゴス)と言われ 創造にも関わられましたが 時至ると人の子イエスとして(受肉)十字架において贖いのみわざを成した。 神が人になった表現が 「地上に幕屋を張った」とあります。黙示録21:3 ゼカリヤ14:4 まともな説明もできねぇくせによくもまぁ大勢の人を殺せたもんだわ。
人殺しはなくなってもスタイルは当時のまま、何の進歩もないなw ヨハネ1:1-14(岩波訳抜粋)
はじめにことば(ロゴス)がいた。ことばは 神のもとにいた。ことばは 神であった。… ことばは肉(なる人)となって われわれの間に幕屋を張った。
ヨハネ黙示録21:3 …見よ 神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて その神となり、 お前のやったことはすべて全部スリッとまるっとごりッと
お見通しだ!💦 使徒4:12
この方以外には 誰によっては救いはありません。世界中でこの御名のほかには 私たちが救われるべき名としては、どのような名も人間に与え れていないからです。
この御名をエホバと答えた証人さん貴女は勉強不足
ローマ10:9-13
神ヤハは救い イエシュア イエス ヤハウェの名はイエスにシフトしたのです >>121
じゃあもう一神教に拘らなくていいじゃないですか。
多神教にしておけば、三位一体といった屁理屈をこねなくてすみますよ。 御子は 見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。なぜなら …万物は 御子によって造られ 御子のために造られたのです。…神の本質を御子のうちに宿らせ 十字架の血によって…万物をご自分と和解させてくださったからです。
コロサイ1:15-20 _._._._
/__ __ `ヽ
,/ー -‐‐ :ミミ
}ー、、-へ ミミ
〉='} '=‐ = lハ
〉'イ,.,ぅ'ー' 〉 り ダメだこりゃ!
V__jj,__ヽイ |!
ゝ-==->,} / {、
`7⌒´ //.ハ、
/>…'゙/ / >>118
墓穴をほっています。
われわれ=複数です。
複数の神々が居るということです。
私たちが我々に似たものを作ろうと言った時、
我々が複数だからと言っても
椅子や机をつくらないのと同じで、神々も我々に似たものと言う表現は自然です。
その話もね、神が複数あるとまずいので聖書のその記述をどうしようかと
いった、対策ですよ。
一神教でなければならないのですから、
対策として
それは、三位一体の事なんだと言う丸め込んで、
先手を打って考えないようにさせているだけですよ。
なるほど、啓示だと思わされているのですね、あなたは。 「聖霊なる神」は父なる神 子なる神とともにおられ イエスは信者の内外で働かれるお方として 「別の(しかし同質の)助け手(パラクレイトス)」と呼びました。勿論人格を持たれますが いわば地上に遣わされた神の力として働きます。ヨハネ14:16 17 26 ヨハネ16:14 聖霊は私たちにイエスのことばを語り イエスのわざを伝え イエスに栄光を与える霊です。一言でいえば 聖霊の内住によりキリストの御霊とも呼ばれます ローマ8:9 キリストの御霊のないものはキリストに属していない >>130
真似すんな!
政治的理由で三位一体という神を作り上げないとキリスト教を大きくすることができなかった。
(これが聖書で言う広い道)
異教にまみれたキリスト教はキリストの教えに感動した信者ではなく、キリスト教が様々な異教由来を取り入れた為に、異教徒が馴染みやすかっただけ。
以上。 >>134
コンスタンティヌスよりはるか前からキリストも聖霊も神。
以上! 三位一体なる神を信じない者は広い道であることは間違いない。
モルモン、統一、エホ証も世の者も三位一体なる神を否定し、自らの考えを神としている。 まぁ(⌒▽⌒)まぁ
3つの人格神がヒトツ(⌒▽⌒)とゆー
実際にどんな状態なのカ
理解できナイ、三位一体わ
実際にわ飲み込めなくて藻(⌒▽⌒)
そのまま流れde洗礼受けテ
キリスト教信徒となれるン(⌒▽⌒)デスケド
(^ν^)ネ そうですね。
話を聞いていると、皆さん教会を信じる→三位一体を信じるという順序ですからね。 >>141
キリスト伝の、キリストの体である真のクリスチャン(教会、エクレシア)を聖書とともに信じるな。
お前のエクレシアは教会ではなく単なる集会な。信じるに値せん。 教会に吹き込まれなければ、三位一体といった概念は出てきませんからね。
信仰者の方も、人間の発想でないと言ってましたし。
信じられるという人は、選ばれし幸せ者ですから、そのまま信じていれば良いと思いますが。
だからと言って、エホ叩き、異端迫害しているようではカルト信仰ですよ。 キリスト教以前の三位一体の概念をもつ宗教について知っていれば、混同して聖書の神もまた三位一体だ!と思ったかもしれません。
しかし現代人の場合、信仰者の方も認めるとおり、聖書を読んだだけでは三位一体といった結論には至りません。
三位一体を信じるには、教会によるマインドコントロールを受け入れる必要があるのです。 >>144
三位一体の神だけが真の神。
お前こそエホカルト思考の抜けない人間。 >>145
真の神が最初から三位一体なのでサタンも真似しているのです。
三位一体否定になるには陰謀論のマインドコントロールかエホバカルトの感染が必要なのです。 >>146
自分の書き込みを客観視してみてください。
ネトウヨとかパヨクと呼ばれる人たちと同じレベルに落ちてますよ。
さっさと悔い改められますように。 >>147
そういったアホしかハマらないロジックに、あなたはハマってしまっているのです。
工卒の私でもハマりませんよ。
さっさと悔い改められますように。
アーメン。 >>118-119
>>121
>>123
>>125
特に注目していただきたいのが敢えて岩波訳のヨハネ1章の イエスが幕屋(肉体)を地上に張ったこと 黙示録21:4 やゼカリヤ14章にも同じ表現があり(新世界訳は知らない) イエスが まさに人となって地上に(肉体)を持たれ共に生きてくださる神であること。 >>151
イエスが神でも人間でも天使でもどうでもいいけどさ、父なる神と同質ってのは無理があるよ。
しかも、そこに聖霊も加わるとか、アホそのもの。 ヨハネ黙示録21:4 に 神が幕屋を張る意味= 神が人として(肉体)を持たれた存在となること を示唆していることは明らかです。
注目キーワードは ゼカリヤ14:4 「オリブ山」「柑欖山(かんらん)」
なんと使徒1章でイエスが昇天した場所 二人のみ使いは 「主は同じように戻られる」と約し ゼカリヤでは ヤハウェは人間の様でオリブ山から地上再臨すると預言されている。つまり ゼカリヤのヤハウェは =再臨主なるイエスなのだ! 三位一体が多くの神学者の頭を悩ませるのは、父・子・聖霊の三つの位格が、独立性を持ちながらも一つであることは果たして可能なのか、という疑問である。
この教義を理性的に突き詰めてゆくと、三神論か様態論のいずれかに陥ってしまう。
三神論だと、三つの位格が独立性を持っているが、一つではなくなってしまう。
様態論だと、一つであるが、三つの位格の独立性がなくなってしまうのである。
率直にいえば、この疑問に対して、全く矛盾や疑問点のない解答を出せた神学者は存在しないし、今後も現れないと思われる。
テルトゥリアヌスは、三位一体とは人間の理性によって理解できるものではなく、ただ信じるものであると、「不合理ゆえに我信ず」という言葉で表現している。
馬鹿丸出しwww ふごうり
【不合理】
《名ノナ》理に合っていないこと。論理的な筋が通らないこと。 正教会においては、「三つが一つであり、一つが三つというのは理解を超えていること」とし、三位一体についても「理解する」対象ではなく「信じる」対象としての神秘であると強調される。
カトリック教会においても、神は自身が三位一体である事を啓示・暗示してきたが、神自身が三位一体であることは理性のみでは知り得ないだけでなく、神の御子の受肉と聖霊の派遣以前には、イスラエルの民の信仰でも知り得なかった神秘であるとされる。
何が神秘だよw
屁理屈だから説明できない、でいいだろ。
結論
三位一体は人間が押し付けた存在しない空想の神
以上!! >>152
敢えて ROMするが >イエスが神かみ使いか何かなんて「どうでもいいこと」である筈ないでしょ
そりゃ 「あなた」にとっては ある意味 「どうでもいいこと」かも知れないが
イエスが神(の御子)つまり(子なる神)であると注目されたから 「石打」に処されかかったのだし 究極的に 「磔刑」「十字架刑」に処されたのではありませんか?
あなたの立ち位置が創価なのか?統一なのか?エホバ あるいは他の 考え方なのかは判らないのでアレですが 徹底的に朝までやってもいいが結局徒労に終わるのがわかっているから 敢えて相手せずだ!聖書(神のことば)から 真理なるイエス キリストを証する それだけだ。 敢えてROMするが?? 神の前にまずIT用語から勉強した方が良さそうだなw >>161
徹底的にやられるだけだもんな。屁理屈野郎。 >>159
何新しいキャラぶってんだ、アホが。
いつもいる馬鹿だろ。そういうとこがカスなんだよ。
おっさん。 >>163
お前の物量作戦的なコピペ投稿には 圧倒されているよ (内容は相変わらず不毛だがな)
お前を相手にしても不毛だから 他の方々が真理なるイエスの証を読むようにするまでだ さて 朝まで覚悟よろしいか >>164
朝鮮の歴史知りたいと言ってたバンナだろ?
何時も来ている訳ではない あまりに内容が神への冒涜と思えるから 敢えて お前は無視して真理なるイエスを証するまでだ 勝ち負けに拘るのが韓国系や創価に似ているが >>166
お前が1番勝ち負けに拘ってんだろうがw
何が敢えてROMするがだよバーーカw
新しいキャラ演じようったって無駄なんだよ、カス、ボケ、エセヤクザw >>166
あとな、三位一体が1番の神への冒涜なんだよ、
いい加減目ぇ覚ませよ!いつまでもくだらない屁理屈に惑わされんな 先ずは最初から行くか イエスはミカエル説は ものみの塔オリジナルではなく アドベンチスト(セブンスデイ)教会からのパクりから詳細を語るか?否
やはり 正攻法でイエスの神である証拠を挙げよう >>169
お前の言うことは毎回同じなんだよwww
まず三位一体の屁理屈をなんとかせぇよ。 多くの人が三位一体の教義の裏付けとなる聖句を見つけようとしていますが,
「一つの神の内に三つの位格……があるということを示す記述は,新約聖書のどこにも見当たらない」
と,ドミニコ会の司祭マリー‐エミール・ボワマールは自著「キリスト教の夜明け―教義の誕生」
(フランス語) >>162
人の間違えで足引っ張るのが 創価臭い奴だな 一度座談会で宗論したが相手は折伏(しゃくぶく)しようと俺一人に五人周りを取り囲み ああだこうだとマシンガントーク 神のことば聖書のみを武器に立ち回り 数時間の後 「あんた帰ってくれ」 事実上学会員をねじ伏せてきた 相変わらず頭の悪そうな文章だなぁ。
ねじ伏せてきたw
お前の解釈なんてどうでもいいから、三位一体は人間に理解できないからとにかく信じるんだっていう都合のいい押し付けをどうにかしてくんねーか? バカしか言えないバカは相手にせず 朝までキリストを証する
先ずはヨハネ1から 岩波訳 から
はじめに ことば(ロゴス)がいた ことばは神のもとにいた。ことばは 神であった。 ま、聖書での神の定義は色々あるからな。
論破。
はい、次。 >>176
敢えてもう一度だけ相手するが 馬鹿か何が論破だ お前の書いている内容に目新しのはない
異教起源に関しては俺が常駐している聖書をディープに語るスレで 当に論破してるよ 十字架とクリスマスなどの起源をサタンが巧みに ミスディレクションしたことを
http://same.ula.cc/test/r.so/rio2016.2ch.net/psy/1462883464/l10?guid=ON >>168
はい、同意です。
してはいけないことを、していることに気付いてほしいと思います。
三位一体ではなく、
父と子と聖霊を愛してほしい、信じてほしいと思います。
>>170
ご自分にもっと自信を持たれたらよろしいのでしょうね。
>>171
ドミニコ会の司祭マリー‐エミール・ボワマール
キリスト教内において、真実の発言ができるのは、
聖霊に満たされ、勇気にあるからだと思います。
穢れなき、霊性にある方なのですね。 >>178
お前も朝五時まで付き合えるのか?余計な邪魔するな
ヨハネ1の続き
すべてのことは彼(ロゴス)を介して生じた。彼をさしおいては 何一つ生じなかった。
あ そうそう プリティ野郎 一応 アレ書いておいたからな 約束した コロサイ一章の考察 >>179
あなたでしたか。
>約束した コロサイ一章の考察
ごめんなさい、いつもここを見ていないので、
お手数ですが、再度貼っていただければ、助かります。 まずここまで、ヨハネ1章は真理の濃縮エキスだ ドロッとして サタンはかなわないから 直ぐに逃げ出す
はじめにことば (ロゴス)つまりイエスがいた。 此れだけでイエスミカエル説撃沈 さ はじめにいた方とは何者か 如何に 次に ことば(ロゴス)なるイエスは神のもとにいた。別の翻訳では神と共にいた。 ではイエスは神とは別物か?ニヤリ
次に何とある。 ことば(ロゴス)つまりイエスは 神であった
さあ困った >>180
前のスレ探してくれ たしか 900代だったかしらん
急にことばがアレだな おいこら どうした 相手はしないし無視するが適当に合いの手として雑音投稿しろよ
続き 最初のヨハネ1章の内容から イエスの神なのはわかるが その全貌は 理解出来ないのが正直なところだ 続き すべてのことは彼(ことばロゴス=イエス)を介して生じた。彼をさしおいては 何一つ生じなかった。彼において生じたことは 生命(ゾーエ)であり その生命(ゾーエ)は人びとの光であった。
先ずはここまで
この箇所は先のコロサイ一章の内容とシフトしているので省略 つまり 万物は御子イエスにより 御子イエスにあって 御子イエスの為に創造され 今も維持管理されているってこと つまり 天地創造主とはヤハウェなるロゴス イエスってこと 創世記一章より
「はじめに神は天と地を創造された。
…神は『光あれ』と言われた。すると光があった。
学会員が大好きな宇宙生命の源は 我は真理であり 生命であり 光である と自己紹介された 主のものだ。 ゾーエとは 宇宙生命のこと 光とは真理なるイエスのことだからだ
ちなみに 南無阿弥陀のミダとは 永遠の光 永遠の生命の意味
阿弥陀=イエス
おっと話が脱線、 ただ今 朝5時までの予定で ヨハネ1章の岩波訳から抜粋して考察中です
続き
ことば(ロゴス=イエス)は肉(なる人)となって われわれの間に幕屋を張った。 われわれは彼の栄光を 父から(遣わされた)ひとり子の(持つものと)としての栄光を見た (彼は)恵みと真理に満ちて(いた) >>182
正直でよろしい。イエスは再三父への従属性を示された。特にこのヨハネの書で至るところに書き記されてる。
ここから三位一体を証明するのは無理。 さてそれでは この『はじめに』は創世記一章の 『はじめに』とは異なることを指摘 創世記は時間の端点つまり 『開始点』を意味 ヨハネでは時空間が存在していなかった『永遠のはじめ』であり、時間の概念を超えています。
つまり 『はじめにことばがいた』ロゴス=イエスが時空間を超越した存在者と言っているのですから イエスは被造物ではなく 『神』概念と唱えるしか理解不能なのです! >>186
さにあらず 合気小手返しの技で一本
ヨハネ1章から 三位一体概念は無理でも イエスが神テオスであり 人間として肉体(幕屋)を張った 神であることは明らかになる ことば(ロゴス)なるイエスは肉(なる人)となって、われわれの間に幕屋を張った。
人の間と書いて 『人間』 果たして唯一神 天地創造主は 『神』でありながら 『人間』に為られるのか?聖書の答えは 『是』だ。
幕屋を張る の意味再三語ってきたが 神が人間として肉体をつけたことを意味するからだ そのことを今度は考察する ただの酔っ払い。 自分から三位一体証明できないって言っちゃってるしwww
勝手に自爆してるアホ丸出しちゃん。 よし、今回こそ期待したけど、毎度毎度の戯言だったか。
三位一体なんて言うクソ教理の説明なんて出来るわけがない。
そろそろ俺のコピペで潰したろうかな。
酔っ払いは寝とけ。 そもそも幕屋とは何か? タバナクル
平たく云えば『テント』『仮駐屯の場』だ、モーセの時代には幕屋をはり 十戒の石板二枚とアロンの杖 マンナの壺(日本の前方後円墳そっくりな形Ω)の入った 契約の箱(聖櫃アーク)が鎮座し 神臨在のシェキナの光が光っていて メノラー 香檀 常供のパンがある幕屋を連想する >>192
わけわからん。お前1人でやっとけよ。酔っ払いのジジイ。
三位一体が多くの神学者の頭を悩ませるのは、父・子・聖霊の三つの位格が、独立性を持ちながらも一つであることは果たして可能なのか、という疑問である。
この教義を理性的に突き詰めてゆくと、三神論か様態論のいずれかに陥ってしまう。
三神論だと、三つの位格が独立性を持っているが、一つではなくなってしまう。
様態論だと、一つであるが、三つの位格の独立性がなくなってしまうのである。
率直にいえば、この疑問に対して、全く矛盾や疑問点のない解答を出せた神学者は存在しないし、今後も現れないと思われる。
テルトゥリアヌスは、三位一体とは人間の理性によって理解できるものではなく、ただ信じるものであると、「不合理ゆえに我信ず」という言葉で表現している。
馬鹿丸出しwww ヨハネ黙示録の21章3に
「見よ 神の幕屋が人の間にあって 神が人と共に住み 人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、」
先のゼカリヤ14章のヤハウェが人となる箇所とシフトし 神が人間となり 人間と共に新しい天地創造世界で暮らすという驚くべき 詳細を語っていたのだ! このように簡単ではありますがヨハネ1章から 三位一体概念は聖霊について語られていないので 説明できませんが少なくとも イエス =ことばが 世界のはじめに神として存在されていたこと(父と共に)その方が幕屋とも言うべき 人としての肉体をつけたこと証明。 続いてヨハネ14:6-11
「わたし(イエス)は道であり 真理であり 命である、 続き
「…いや 既に父を見ている」
フィリポが「 主よ、私たちに御父をお示しください… 」…イエスは言われた。「…わたしを見た者は 父を見たのだ。」
ここまで 新世界訳では「父をも」見たのだ なんだそうですが意味が全然違うようになります。 イエスは父とは違う人格ですが 此の箇所から子は父の内におり 父が子の内におられる驚くべき内容を話しています。 ヨハネ14:16
「父は別の弁護者を遣わして 永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる この方は真理の霊である。
父と共にいる子を説明された主イエスは 次に 別の弁護者(パラクレイトス)を紹介されています。
聖霊のことです「この方」と呼んでいますので 人格者 時に無人格な振舞いさえするお茶目さん ある意味 非常にナイーブな女性的な神 家庭でも奥様は旦那を立てて 引っ込んでいるように 繊細な感情の聖霊に対して主は 冒涜の罪は許されないと断りをいれているのです。 聖霊は人間の内に内住することが出来ます 遍在の神だからです。内に外に活躍したことは使徒たちの記録に詳細にあります。ある意味 聖霊行伝とも言うべき 内容だからです。
さてと馬鹿さんが圧倒的物量のパワーシャベル的コピペでわたしの書いた貴重な投稿を「潰す」みたいですので (力で押すしか出来ないカス)
真理を知りたい人は 雑草をかき分けて 神が人となってまでして死んでくださったアメイジング驚くべき 愛に感謝されますように
此のぐらいの加減で宜しいかな 相手して論争しないで良かった。主の民の祈りには力があるからです
聖霊に逆らう奴はいずれ裁かれます 詩編73 参照
それでは二時間仮眠しますので 今夜はさようなら。 >>190
二時間仮眠した
ああ そうかい、主イエスもパリサイ人に同じように嘲笑されたよな ルカ7:33 34
見ろ 大食らいの大酒飲みだ 収税人と世の中の爪弾き者どもの仲間だ とな
だがお前さんの浅知恵がわけ知り顔で言っていることはまるっきり支離滅裂だ って 岩波訳な
さてと 今日はもう来ないよ 前スレ900代になくて、800代にありました。
コロサイ1章9−23 「御子キリストによる創造と和解」 新共同訳
この箇所全部を、言葉に注意を向けながら何度もゆっくり読んでみてください。
私たちには父母親がいます。
でも反抗期にあると、父(母)を信頼して父の言いつけを守り、
父に委ねをしません。
乳幼児から自立の時期に入り、個性の育成の自立出来たら
次は家出(物理的精神的)していた時期が終了します。
父(母)が持っている様々な教え、職人さんなら、父の技を余すことなく自分の中に
取り入れようとする姿は分かり易い譬えとなります。
(人間ですから、どうしようもない父(母)親もいますし、また人間同士であるから
父以上の人格と技を習得することも可能かもしれませんが、社会的成功の有無でなく
父母を超えられないと、個性と尊厳において、
なにより自分を養ってくれた実感として言われます)
ですから、霊的世界においてもクローンではないので、
父=子ではありません。
スロさんの愛の神学のように、
神性=愛の本質において一致して一体のようにして働く
父と子と聖霊であるというのは、ひとりの神である、ではないし、
説明不可能、無理矢理一神教の三位一体でなく、
神秘で言い訳しなくても、誰にでも易しくわかる、三位本質一体です。
どうでしょうか? 教会で教えられた三位一体を、聖書にない三位一体であるから
必死で、探し求め、徘徊し、疲れて神秘なのだ〜 信仰なのだ〜
みたいな幼稚な結末を向えずに、済むと思うのですが。
それに、三位一体を異端排出の暴力装置といて、また他宗教との軋轢の
解消にもつながる、すばらしいものだと私は思います。
神様もイエス様も持ち望んでおられるのでは。 いくらなんでも三位一体をわからない神学者はいないでしょ
いたら神学者失格です。
三位一体はとても簡単な論理です
あなたたち信仰の無い者は三位と一体とを同次元で考えるから
矛盾であると間違うのです。
しかし三位という位格と一体である神性(神のウーシア)とは別次元の事柄なのです
だからまつたく矛盾していません ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています