>>784 神も仏も名無しさん 2017/09/10(日) 23:30:47.32 ID:7t8TduFC
>「仙尼経では別の五陰を相続して再生すると説かれますが、
>この場合「何」が別の五陰を相続するのでしょうか?」

何が、と言うよりも何によってと言うならば漫という煩悩です。
生前に抱えていた煩悩です。
これが起因となって五陰は破壊されてバラバラになった後、また新たな五陰を集めて
仮合体となって来世に輪廻するのです。
もともとが今生きている自分なんてものは五陰の仮合に過ぎないのです。
だから寿命尽きれば肉体も滅び、肉体だけでなく感覚作用も意識も認識も思考も
なくなります。
しかし漫が残ったままで死ぬと、そこで終わりではなく、また肉体が別に生じ
感覚作用も意識も認識も思考の精神作用が成立する条件を仮に集めて来世となる
と説いているわけです。
だから前世と来世に脈々と繋がる魂みたいなものはありません。
もともと自分なんてものはなく、今人間としての条件の中で一時的に成立しているに過ぎない。
これを無我といい仏教の基本です。
だから無我なんだから変わらぬ魂など継承されません。
また仮に生じてしまっただけです。