阿含宗という宗教285 [無断転載禁止]©2ch.net
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>因縁解脱が桐山さんのオリジナルなら >それが嘘かどうか判定しようがない。 >桐山さんには桐山さんの世界があるからです。 ↑ この文言は、ペテン屑が述べたことですね。 その桐山靖雄さんは、阿含宗と名乗り、阿含経の 成仏法とやらを密教の様式で修行すると言って阿含宗を立て さらに自分の作ったちゃんぽんを 完全仏教と僭称したんだ。 因縁解脱は釈迦が言ったことだと公言していた。 初めから桐山教と名乗ってやればいいのだが、インチキ坊主、 私度僧の分際で、仏教 密教の看板で宗教詐欺を展開していた。 判定しようがない、それはペテン屑の姑息な言い訳。擁護。 判定できるよ、インチキ仏教 インチキ密教だろうが。 因縁解脱という造語を桐山靖雄が作ったにしても 全く実現してねえわな。桐山さんは脳梗塞で、最晩年に愛人裁判、 令夫人は癌で死亡だわ(桐山さんが喋っていた)。 どこが因縁解脱なんだ。 因縁解脱なんて宗教詐欺の脅し用語であって、それ以外ではない。 桐山さの世界じゃねえよ。 しょせんペテン屑は、基地外 卑怯者 荒らし それ以外の何者でもない。 ★愛人色情霊 怨敵退散 少子化対策のご本尊❗ 阿含の子らよ勃ち上がれ❗ http://i.imgur.com/7euLQj2.jpg 四禅で解脱の話は当スレとしてもレベルが低いね。心が清浄で安定云々なんてのは四禅の瞑想状態をいうのです。その瞑想状態を出てから涅槃に入ると阿含経に書いてある。だから、四禅と涅槃は違うのですよ。 四禅で解脱と考えた深山説は、煩悩滅だけで解脱とした大乗仏教の解脱説です。大乗仏教なら四禅で解脱したと考えても間違いではない。しかし、阿含仏教では四禅で解脱とはならない。業のはたらきが停止=輪廻停止も必須条件です 大豆は体に悪い http://i.imgur.com/DwmoJx2.jpg 加工デンプン(増粘剤)はデンプンを凄まじく化学処理した薬品 http://i.imgur.com/wDUoGXz.jpg http://i.imgur.com/bf1lLUE.jpg 断糖と高濃度ビタミンCで癌と闘え 西脇俊二(ハタイクリニックの医師) 統合失調症、うつ病、パニック障害は糖を抜くと3日で治った。 http://i.imgur.com/MmLHog5.jpg http://i.imgur.com/hm0OLR0.jpg ダダモ博士のNEW血液型健康ダイエット http://www.amazon.co.jp/dp/4087604330 O型は、小麦、トウモロコシ、豚肉、大豆、チーズ、蕎麦、ピーナッツ、カシューナッツなどを食べると体調が悪くなる B型は、小麦、トウモロコシ、鶏肉、カニ、貝、エビ、ピーナッツ、蕎麦、カシューナッツなどを食べると体調が悪くなる 日本人は牛乳を消化することができない 植物油は体に悪い最悪の食べ物 アメリカとオーストラリアの牛肉は成長ホルモンが大量に含まれてるので体にすごく悪い 養殖のサーモンには抗生物質が、マグロには水銀が大量にあるので体にすごく悪い 桐山師の指摘によって、慢煩悩が輪廻をもたらすと認識されたことは喜ばしいが、単純に煩悩が無くなれば輪廻が無くなると考えるのは間違いです。他の経では業によって輪廻する、と釈迦は説いています。業滅も必須なのです。 前スレ >798-799 このことは何年か前にも議論になったよね? あの時は最終的にペテン氏も八正道を認めたはず。 なぜまた持ち出すのかな? 八正道の最初は「正見」であり、これは四諦の真理などを正しく知ることでもあり、阿含経典でもそう説かれてある。 またwikiなどにもそのことが明確に書いてあります。 もちろん正見の段階で悟れるわけではないが、悟りの内容や修行の仕方などが説かれ方向性が明示されています。 七支(正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)が悟りへの実践でしょう。 またご存知のように悟りには階梯があります。 四沙門果では、預流果、一来果、不還果、阿羅漢果が示されています。 預流果は悟りの四段階の最初ですが、不完全でも既に悟りに入っています。完全な悟りへの聖なる流れに入った、預かったので、預流果と呼ばれます。 全ての煩悩が完全に滅した人が阿羅漢であり八正道の修行を完成させた人でしょう。 阿羅漢果では智慧が何の制限もなくストレートにはたらくと言われています。 >>9 神も仏も名無しさん2017/08/25(金) 08:14:05.25ID:wDYfnJ8B >四禅で解脱と考えた深山説は、煩悩滅だけで解脱とした大乗仏教の解脱説です。 他の信者さんたちは上記の1.5来補さんを見てください。 ペテン大作さんは十年にわたり「深山は四禅で解脱したと主張した」と 書き続け、今回、ようやくこれを撤回した。 もちろん、謝罪も何もない。 ところが、その直後、今度は1.5来補さんが「四禅で解脱と考えた深山説」などと ペテン大作さんと同じ事を書き始めた。 信者さんたちはどう思いますか? 十年間、何度否定されても、憎しみのまま同じ主張を繰り返して来た人も 変ならば、それを本人が撤回した直後に、別な信者がそっくり同じ事を また言い出したら、彼らがマトモだと思いますか。 これが阿含宗の擁護派と信者です。 こんなまともな知性や良識さえもない人たちが擁護しているかと思うと、 信者さんたちは恥ずかしくなるでしょう。 信者さんたちにこの二人の様子を示したのは、彼らの品性の卑しさや 知性の低さを示すためではありません(示す必要がないくら明瞭だ)。 釈尊の説く道とは、信者さんたちが考えているような瞑想や滝行や 護摩なんてものではなく、日常生活そのものだということを 理解してほしいからです。 桐山さんは、釈尊は瞑想や苦行によってチャクラやクンダリニーを 覚醒させ、桐山カルマを断ち切って解脱したなんてオカルト教を作った。 こういうオカルトを本気にしたペテン大作さんは未だに修行には階梯が あると確信して、丸い輪の始まりがどこなのかを探している。 ペテン大作さんは毎日何時間も瞑想しているそうです。 九次第定という釈尊が説いた瞑想をして、解脱に近づいている彼の姿を見てください。 彼は瞑想から出ると、深山憎しで、私が書いてもいないことを十年にわたり 書いた書いたとしつこくからみ、しかも、間違いを認めながらも、 まだ「書いたのと同じだ」とインネンを付け続けるのだから、 ヤクザやチンピラ並です。 他人には根拠のない因縁を付けて土下座しろと要求するのに、 彼の開き直りと卑怯者ぶりを私から「姑息、恥知らず、厚顔無恥、厚顔鉄面皮、 卑劣、品性下劣、卑しい、 下品、 小汚い」と批判されると、 ただただ悔しくて何の工夫もなくそのまま返してくるしか能がない。 他人の名誉を傷つけることは何ともなく、それでいて自分が批判されると、 自分がした悪事はきれいに忘れて、何十倍もの傷みとして感じて復讐の鬼になる。 これが毎日、仏教の瞑想をしているという人の現実の姿です。 信者さんたちは、ペテン大作さんの、長時間瞑想している時の悟り顔と、 現実世界での激しい憎しみで目をテラテラして、十年でも 逆恨みの復讐心を保ち続ける姿の両方を並べて比較してください。 瞑想が何の役にも立っていないことがわかります。 彼は釈尊の説いた九次第定を実習しているつもりなのですよ。 信者さんたちは何がまずいかわかりますか? どんな高度な瞑想なんかしても、現実世界での言動での煩悩を 減らさないかぎり、仏教としては何の意味もない。 釈尊は日常生活での言動に煩悩を出さないように説いたのです。 だが、ペテン大作さんも信者さんたちも修行とは瞑想や 道場で何かをすることだと思っている。 そうではなく、信者さんたちがこの文章を読んでいる今この瞬間も 煩悩に囚われないように常に気を付けること、これが 釈尊の説いた仏道であり、八正道であり、修行法です。 だから、仏教では瞑想も食事もトイレもまったく同じ価値です。 信者さんたちは瞑想は修行で、食事やトイレは日常生活にすぎないと思っている。 それは桐山教ではあるかもしれないが、仏教ではありません。 仏教では瞑想もトイレも同じで、比丘たちは常に煩悩に囚われないように、 しているし、それこそが修行であり仏道です。 それを単なる道徳と小馬鹿にしたペテン大作さんのザマを見てごらんなさい。 何度も何度も思い込みの書き込みをしては自分でコケて大恥をかき、 そのたびに自分を反省して恥じるのではなく、「深山め!」と 私を憎んでもよい理由を捏造し、憎しみをもっと増やす。 強烈な怒りと憎しみという煩悩に支配されており、彼がこのまま死んだら、 どんな姿になるか、信者さんたちは想像できませんか。 信者さんたちが信じている例でいくなら、霊障のホトケです。 1.5来補さんも同様で、他人の文章を読まない、理解しない、記憶しないから、 私が、四禅で解脱したと主張していると、また書いた。 彼もこれは初めてではない。 前にも私から注意されても、全然気にしないから、同じ間違いを繰り返し、 しかも何をどう指摘され批判されようが蛙の面に水です。 八正道を実践するなら、この姿はありえない。 なぜなら、四正勤の中に、過去の間違いは間違いと認め、 これを繰り返さないという項目があるからです。 信者さんたちは四正勤の説明を聞いて一瞬「単なる道徳」と思いましたよね? だが、そう思っている限りは、ペテン大作さんや1.5来補さんと 同様に、過去の間違いを何度も何度も繰り返すことになり、 行きつく先はすでに何度も述べたとおりです。 釈尊は「行為においてバラモンである」と述べた。 これは、出身や肩書や家柄ではなく、その人の言動こそが その人を決めるという意味です。 この言葉を応用するなら、「行為において人間である」 「行為において畜生である」となる。 ペテン大作さんは道理のわからない犬が激しく吠えるように、 憎しみと復讐という行為をしている。 1.5来補さんは犬の遠吠えみたいに、実力を伴わない空威張りや 周囲への侮蔑という行為をしている。 二人とも、行為においてシツケの悪い犬みたいに、これまでの人生で周囲に ものすごい迷惑をかけているのに、周囲から疎まれるという報い以外は、 何もまだ報いを受け取っていない。 行為において人間ではなくなった彼らが、死後その報いを受けたら 人間に生まれ変わることがあるだろうか? 釈尊が説いた八正道は、日常生活の行為で煩悩に囚われないことです。 それを示されても「単なる道徳」と侮蔑して省みることなく、 むしろ、憎悪という煩悩を積極的に増大させているペテン大作さんや、 威張ることしか頭にない1.5来補さんを信者さんたちに反面教師として見てほしい。 日常において煩悩に囚われないという教法である仏教を、 普通の人たちよりも煩悩を出しまくりの彼らが説いて何の説得力がありますか。 犯罪歴山積みのヤクザが順法の精神をお説教しているようなもので、 ただのお笑いです。 日常生活の行為こそが大切で、そこに煩悩を出さないのが八正道です。 これを理解したら、護摩木祈願なんてできるはずがない。 祈願とは欲望の実現ですから、煩悩そのものです。 先祖や死者を霊障のホトケなどと罵るのは卑しい心であり、 それを助けてやっているなど信じるのは慢心です。 いずれも煩悩丸出しの行為です。 阿含宗の宗教行事で、煩悩を増やさない行事は一つもない。 日常坐臥に煩悩に囚われないようにするのが八正道だと理解したら、 煩悩を増やすだけの阿含宗などやっていられるはずがない。 木切れ一本で、焚火で世界平和になりますように、なんて、 自分の滑稽な強欲ぶりに気が付いてほしい。 「十円で銀座の土地を売ってくれ」というほうがまだ欲が少ない。 その上、戦争犠牲者たちを日本に連れて帰ったなんて妄想まで作って、 自分は素晴らしいことをした、死者を助けた、神仏は称賛しているなどと 自惚れて、また慢心という煩悩を増やす。 それを批判されると、「悪口だ!」と怒りの煩悩を増やす。 阿含宗はまるで煩悩大量生産工場、煩悩増幅機みたいだと気が付きません 前スレでペテン大作さんが四諦の認識について出して来ました。 ここはアゴン宗スレなんだから、せっかくだから、アゴン宗の四諦、桐山四諦を題材に 考察しましょう。初めて論じるネタではありませんが、この機会に再認識しておく ことは役に立ちます。 桐山さんの苦集滅道の四諦は間違っているのです。 明らかに間違っている部分と、表現上誤解を与える説明があり、事実1.5来豚さんなども 苦の滅について間違った認識をしているのは、桐山さんのせいでもあり、桐山さんも 間違った認識をしている。 まずは昔から例祭法話でよく語られた桐山節の苦集滅道の四諦説法を拝聴してみましょう。 「おまえ、苦しいだろ?」 「はい、苦しいです。苦しくなかったらハワイにでも行ってバカンスを楽しみますが、 苦しいからバカンスをさておいてもこの道場に拝聴に来ているのです」 「何で苦しいかわかるか?」 「いえ、わかりません」 「それはだな、集めているからだ。苦しみの素を集めているからおまえは苦しいのだ。 苦しみの素とは苦しみを与える悪い因縁である。苦しむ運命の星がある。この因縁を集めているから苦しい」 「なるほど!そうですか。わかりました。それではさらに質問します。そのような苦しむ運命の星の 因縁を持った我々はどうすればよいのでしょうか?」 「なくせ!滅せよ。その悪い苦しみの素、悪因縁を滅してなくしてしまえばよいのだよ」 「・・・あ!なるほど。道理ですね。目から鱗が落ちる思いです。わかりました。 しかして、その苦しみの素たる悪い因縁を滅するには、どうしたらよいのでしょうか?」 「ここに道がある!仏道という道だ。因縁解脱を説くのが仏道なんだら、この仏道を ただひたすらに歩めばよいのだ」 「なるほど、よくわかりました。ならば私も仏道に励み、苦しくない人生を創造します」 以上です。 さあ、皆さん。この桐山四諦解説はどこが間違って、どこに表現上の問題があるかわかりますか? ああ、ちなみに苦しくなかったらハワイに行っているは私の付け加えではなく、 桐山さんが実際に法話でそのように話していたこともあるのです。 実はこういう苦の説き方が、苦は滅されて楽な人生、幸福な人生を送れるという 誤解を引き起こすのです。 阿含宗信徒は、勿論、阿含仏教の悟り=涅槃=解脱の定義を知っています。大乗仏教の悟りの定義も知っています。阿含仏教の悟りの定義と大乗仏教の悟りの定義との違いも知っています。深山説のの間違いも知っています。 深山説の煩悩滅が本当の仏教という説は、本当の大乗仏教の教えです。だから間違うのですり虚心坦懐に仏教辞典を読まないといけない。深山説は、己の見解を正しいものとして仏教辞典を読むから間違うのです。 何度もレスしているが、岩波仏教辞典で煩悩という語を引いてご覧なさい。煩悩を断ずることが大乗仏教の基本思想であり、大乗仏教の悟りにほかならない、と書いてあります。だから深山説は大乗仏教だというのです。 岩波仏教辞典の修行の項目には、初期仏教以来、修行の目的は苦滅の境地を得ること、と書いてあります。これが大乗仏教に至って苦は最大の関心事でなくなった、と苦の項目に書いてあります。苦滅→煩悩滅に変化したのです。 まず桐山四諦解説で明らかに間違っているのは2点あります。 一つは集めている苦の素を悪因縁としていることです。 ガンの因縁、横変死の因縁、家運衰退の因縁、中途挫折の因縁・・・うわあ、苦しい運命の星だ。 実は釈尊はこんなことを説いていない。 全ての苦しみの素は煩悩だとしている。 煩悩があるから苦が生じる。 ・・・いや、必ずしもそんなことないだろ?煩悩に関係なく、事故死したら苦しいだろ? また煩悩を克服して煙草を止めても、前に吸っていた煙草の害にもよる肺ガンになったら苦しいだろ? と1.5来豚さんのようなことを言う人もいましょう。 そういう人は仏教で説く苦しみの本質を知らないのです。 桐山さんは苦の本質を理解できるような説明をしていない。 その問題は後回しにして、桐山四諦解説のもう一つの間違いは、滅する道として仏道だと曖昧に示したことです。 しかし釈尊はこれを八正道だとはっきり説いている。 初転法輪の時から四諦の道とは八正道だと説いている。 だから皆さんも学校の社会科で四諦を習った時も道とは八正道だと教えられているはずだ。 しかし桐山さんは八正道も仏道の一つだが、八正道だけでは足りない。 八正道も含むが、それを超えた仏道全体だなどと説いた。 そしてアゴン宗を開くと七科三十七道品こそが道だなどとした。 八正道は道徳教育も受けておらぬ初学の人の為の前座教育だみたいなことを説いた。 しかしお笑いで三十七道品なんて便宜上の分類は意味がなく、八正道に集約されてしまうのです。 八正道を実践したら三十七道品全部実践したことになり、足りないなんてことはない。 だから八正道を敢えて避けて、仏道などと示すのは仏教的に全く誤りです。 慢を断じないから陰を相続して生じる、から単純に煩悩が無くなれば輪廻しない、と考えるのは間違いです。他の経では業によって輪廻すると説いていますから、煩悩と業を無くさないと輪廻はなくならないのです。 次に苦の提示の仕方、捉え方の問題を指摘します。 これは苦を滅するとどうなるのかという問題に関わることだから重要です。 しかしここでお昼休みの時間切れになりました。 続きはまた晩にでも。 今晩のうちに完結させます。(明日朝早いでな) 皆さんは桐山苦集滅道の煩悩滅と八正道以外にどこが問題があるのか考えてみてください。 ヒントを言いますと、桐山さんは苦を説明するにあたり「説法六十心1」の著書でも 四苦八苦を出して説明しています。 そして四苦八苦の解説は正しく間違っていません。 そして苦の説明には四苦八苦を出すことがわかりやすく、妥当なのです。 それにもかかわらず・・・ってな論になります。 賢明なる読者の方は私が何を論じたいかわかったでしょうが。 だから仏教辞典には、苦悩が消滅して業のはたらきが停止した悟りの境地である涅槃、と説明されているのです。業のはたらきが停止して輪廻が止むということです。これが阿含仏教の悟りです。 煩悩が苦をもたらす、という釈迦の言葉を具体的に分かりやすく説明したのが桐山教法の因縁論です。煩悩の種類は沢山あって、苦の種類も沢山あるわけです。どのような煩悩がどのような苦を生むのか釈迦は詳しく説かない。 どのような煩悩がどのような苦(因縁)をもたらすかを具体的に説いたのが桐山教法です。ガンの因縁やら横変死の因縁やらに、必ず対応する煩悩を示しているのが桐山教法です。その煩悩に気付かなかったのが深山ユビキタスです だいたいね、阿含宗信徒なら四禅が色界の禅定とされているくらいは誰でも知っているわけでね、その上には無色界の禅定があるわけよね。だから四禅は涅槃へ至る途中なわけです。四禅が涅槃だなんてアホなことは笑うしかないの。 遊行経にも四禅から出て虚空の境地の禅定に入ることが説かれているね。四禅の上には虚空から滅尽定まであるわけです。しかし、阿含経では瞑想状態=心の状態だけで涅槃とは定義していない。苦滅、業滅、輪廻滅、が必須なのです 32. 苦滅、業滅、輪廻滅、か。 それが実現したと仮定したとしても、何の救いにもならない。 滅によってして、何が実現するのか。 バカ丸出しである。 @沙門果経では、解脱には神通が必要です。 前スレ284ー >761 深山 >沙門果経には神通による解脱なんてないから、 沙門果経では、解脱には神通が必要です。 そう専門家も主張しています。 神通とは観察瞑想のことで禅定だけでは解脱できません。 神通とは三学の「慧」にあたります。 三学系統の経典では、慧が必要なのは当然のことです。 「沙門果経には神通による解脱がない」と主張する人は 経典を全く理解していない人です。 阿含宗という宗教174 606: 神も仏も名無しさん 2010/02/06(土) 17:09:44 禅定が壊れないまま死を迎えられた修行者は、梵天に生まれ変わります。 そこでは気が狂うほど長い時間、喜悦感のみに溢れた存在となりますが、 そのエネルギーが消えれば、やはりまた輪廻転生の世界に戻るのです。 ですから、サマーディ瞑想で禅定に達した修行者は、 輪廻転生を乗り越えて解脱に達するために、 智慧の開発に挑戦する観察瞑想に入るのです。 アルボムッレ・スマナサーラ著『沙門果経』 (サンガ、2009年5月 、278〜279頁) 大乗仏教の理屈をいくら振り回しても阿含仏教の涅槃にはなりません。阿含仏教の涅槃は、煩悩滅+苦滅+業滅という条件が必須なのです。煩悩がなく心が不動になり、次に宿命知が生じ、つまり三明が生じて涅槃を得るのです。 大乗仏教信者は、おそらくは神通の欠片もない煩悩まみれの凡人なのだろう。境界が低いから神通の欠片も生じないわけです。よって神通力など信じることも出来ない。だから煩悩滅の大乗仏教信者になるしかないわけです。 阿含仏教は神通力を肯定する仏教です。だが、神通の欠片もない、煩悩にまみれた凡はそれを信じることが出来ない。よって批判派になるのは自然の成り行きなわけです。それでも現役信者は大いなる慈悲心にて法を説くわけですね。 >>30 だ〜か〜ら〜、その対応する煩悩を示しても、桐山も桐山夫人も、煩悩(因縁)が切れなかったんだろ。 【ガンの因縁】 阿含宗副管長(桐山夫人) ガン死する。 【脳障害の因縁】 管長(桐山靖雄) 脳梗塞になってボケる。 四諦の第一の苦諦ですが「これは苦である」を「おまえ苦しいだろう?」とわかりやすく 導入したのはよいですが、この苦の捉え方にミスがあります。 四諦の苦諦は、一切皆苦が基本になっています。全てのものは苦であるという認識です。 全ては苦であり生きていること自体苦であるという諦観です。 まずこのことを説明しなければならない。 その上で苦の滅、苦の克服とは何であるか道筋をつけないととんだ見当違いになります。 実はその見当違いをしたのが桐山苦諦観です。 つまり人生には苦境、苦悩、不幸があるからこれを取り除いて幸福になろうというものです。 実はこんな考えは仏教にはない。それならば苦を取り除いて楽を得る単なる御利益信仰になります。 仏教でいう一切皆苦のスタートはそんなものではない。 さて桐山さんは四諦の解説を「説法六十心」をするにあたり、四苦八苦を解説しました。 実はこの四苦八苦は一切皆苦を説明するにあたり、苦諦を説明するにあたり全く正しい道です。 四苦八苦を説明することによって一切皆苦は誰にも理解できるからです。 そして桐山さんの四苦八苦解説は間違っていません。わかりやすい説明をしています。 では何が駄目なのか? 四苦八苦を正しく説明したはよいが、ではその四苦八苦の各々は苦の素を滅することにより どうなるのかという追跡がされていない。 単に教養知識をひけびらかしただけで、突っ込んだ考察がされず、間違った苦の解決、 苦の滅を説いている結果になっているのです。 集諦により集めている苦の素を滅することによって、苦はどう滅されるか?というものです。 それには四苦八苦を出したのだから四苦八苦にあてはめて考えればよい。 死苦を滅するとはどういうことか?死ななくなり永遠の命を持つことか? そんな人はいない。仏陀釈尊だって死んだ。桐山さんも死んだ。 老苦を滅するとはどういうことか?老いなくなり、永遠に若さを保つことか? そんな人はいない。老化には個人差もあるだけで結局老いて機能も低下する。 仏陀釈尊も老いたし、桐山さんも老化でかなり機能低下していた。 病苦を滅するとはどういうことか?病気をしなくなることか?そんな人はいない。 釈尊も食当たりで下痢が止まらず苦痛に耐えた。桐山さんも脳梗塞で長期間、晩年はほとんど不自由した。 四苦八苦の八苦の方を見てみましょう。 愛別離苦を滅するとはどういうことか?愛している人や物は自分から離れることは 金輪際なく、いつまでも自分のそばにあることを獲得することか? 怨憎会苦の滅とはどういうことか?自分にとって厭な人や物事は自分とは縁がなくなることか? 求不得苦の滅とはどういうことか?求めて得られぬものは何一つないということか? これは昔から1.5来豚さんに質問をして回答を得ていないものです。 これらを考えると、いずれもそんな滅などあり得ないと誰でもわかるのです。 しかし桐山さんのガンの因縁を滅すればガンにならず健康になり、横変死の因縁を滅すれば 自殺も他殺も事故死もなく天寿を全うすることになり、夫婦縁障害の因縁を滅すれば 夫婦円満になり、中途挫折の因縁を滅すれば、失敗することなく成功するという話になります。 四苦八苦の滅にはならないが、一部限定的に条件がよくなり、おそらく苦は消えるであろう とした苦の滅です。 だから1.5来豚さんもそういう苦の滅しか考えられないでいる。 しかし一切皆苦を説くにあたり、どうしてそんな四苦八苦を釈尊は提示したのか? 一部の御利益信仰ならばこんな四苦八苦まで提示する必要がない。 四苦八苦を提示したのならば、不老不死ができるのだぞと示して、釈尊自ら 死ぬことなく老いることなく病気をすることなく、何不自由のない永遠の人生を今でも 送っていなければならない。 四苦八苦を提示しておきながら苦の滅を説くなんて矛盾ではないか? しかし実は矛盾など一つもありません。苦の滅の意味をはき違えているのです。 死そのものがなくなるわけでもないし、老化がなくなるわけでもないし、病気がなくなるわけでもない。 人や物との別離は当たり前の必定であるし、何でも自分の都合のよいようにはいきません。 つまりそれ自体は何一つ滅されることなどない。 じゃあ何で苦の滅なのか?苦の滅とはどういう状態なのか? それを考えるにあたり、集諦の本当の内容がヒントになります。 集めているのは不幸になる運命の星のインネンなどではなく、煩悩です。 煩悩があるから苦がある。 するとそれはおかしいではないか? 煩悩と不幸な運命の苦とは必ずしも因果関係がない。 たしかに害意の煩悩が人殺しという悪い人生を作り出します。 それを運命だとは私は絶対に思いませんが。 しかし普段から心がけがよく、あさましい煩悩もない人格者でも事故死に遭遇することもあります。 彼を事故死に至らしめた煩悩とは何か? 実はそんなものはない。 今日も1.5来豚さんも書いているが、桐山さんも因縁と煩悩、悪い心癖の手鑑帳などを作成して こういう煩悩がこういう不幸な運命になると根拠のないことを示しています。 しかし桐山さんも自ら気付いているが、この煩悩不幸原因論には絶対に限界があります。 桐山さんが気付いた限界とは選択と被選択の問題です。 人間改造の原理と方法あたりに書いている。 四苦八苦の理解についても、境界に応じた理解にならざるを得ない。桐山師が般若心経瞑想法の本で指摘した四諦には聖者の四諦と凡人の四諦と二つある、というのがそれである。ユビくんにはユビくんなりの不完全な理解となる。 一口に苦と言っても軽重がある。地獄餓鬼畜生といった苦や人間天上といった苦である。すべてが苦なのであるが、いきなり涅槃とはならない。まず、地獄餓鬼畜生の苦を逃れて人間天上に上がらないといけない。 人間天上に上がった上で、無常という人間存在の縁起の法からも解脱してしまう。それが阿含仏教の涅槃です。桐山教法の〇〇の因縁を切るという教えは、最初の段階である地獄餓鬼畜生の苦から逃れることを教えているわけです。 桐山さんは選択が不幸な運命を呼ぶとしている。 不幸な運命になってしまうものを衝動的に選択してしまう。 この衝動選択にあたりソンディの家族的無意識を間違って借用した。 しかし家族的無意識の抑圧意識とやらがどんなに偏った選択をしようともそれは煩悩とは言いません。 そこに煩悩があるか無いかは別の判別の目が必要です。 単にたまたま偏った選択が不幸になったことを無理やり結びつけただけです。 池田ジミズさんも間違った認識をしていたが家族的無意識はそれ自体煩悩ではありません。 選択衝動だけでも説明に無理があるのに、被選択となるともうどうしようもない。 人生は自分が選ぶだけではない。相手からも選ばれるし、自然条件とか人間以外の条件からも 「選ばれる」という面を考察しなければならない。 ソンディは異母兄が恋した若い語学教師と同じ条件の語学教師の女性に恋をする選択をした。 しかし選択しただけでなく、どうしてその語学教師はソンディの前に現れたのか? 煩悩(?)の選択だけでは説明がつかない問題がある。 桐山さんもこれについて触れ、結局話をオカルトにしている。 もはや煩悩論ではなくなっている。 桐山さんが煩悩の話を出すのは仏教が煩悩抜きには語れないから仕方なしに 自分も煩悩について脅迫道具の一つに使っているだけだ。 しかし限界があるから結局は背後の霊障とかも示唆して、煩悩論ではない オカルト因縁論を作った。 しかし仏教ではそんなオカルトでない煩悩と煩悩の滅を説くだけだ。 これでどうして苦の滅が得られるのか? 一切皆苦を理解し、その解脱を考えるのは先ず、地獄餓鬼畜生の苦の因縁を切ってからです。物事には順序があります。いきなり涅槃とはならない。先ず、不堕悪趣という地獄餓鬼畜生の苦の因縁を切らないといけないのです。 煩悩(=悪い心)を無くせ、なんて教えは掃いて捨てるほどある。そんなありふれた教えに何も寺まで作って礼拝する価値はない。そうではなくて、煩悩による悪業で作った業報苦を消す教えであるから仏教には価値があるのです。 煩悩の滅により苦の滅が得られるとは、死とか老化とか病気とか別離とかの「苦境」 そのものの滅ではありません。それは依然としてなくなりません。 それに付随する己の「苦悩」「苦悶」「囚われ」がなくなるのです。 それが苦の滅です。 苦境は苦境として誰にも当たり前にあることなんだから、それはそのまま受け入れる。 もちろん生身の人間なんだから病気などには苦痛が伴います。 しかしそれは避けられないのだから覚悟して受け入れる。 しかしそれ以上の苦悩や苦悶には発展させない。 それが苦の滅です。苦を苦としては捉えなくなるのです。 自分の心の転換です。仏教では自分の心の問題だけを対象にしているのです。 考えてみれば四苦八苦の解説を聞いただけで少し賢明な人ならこれを悟ります。 そりゃ死も老化も病気も避けられないよなと悟る。別離などのない永遠の愛だとか 単なる妄想であり、ワガママだなと悟ります。 これを悟れない奴が未だに躍起になって不老不死までは追い求めぬまでも 不当な都合のよい欲望追求に走るのは道理を知らない奴です。 彼の不当なる欲求は実に苦しい話だ。 さて桐山さんは「説法六十心1」で四苦八苦を説明し、今度はその解決法について考察する。 ちなみにまだアゴン宗を開く前の桐山密教時代です。 桐山さんはまず桐山さん自身当時無知ゆえに小乗仏教という言葉を使用して 小乗仏教はあきらめを説くとした。 次に権大乗として来世極楽などに生まれ変わる期待の浄土信仰を現実逃避と退けた。 晩年彼は輪廻転生瞑想を打ち出して、来世への期待という道を示したが、 彼が昔批判した逃避の道をアゴン宗も選んだわけだw わき道にそれるからそれはさておき、次に彼は大乗とされる法華経などをして 自分の価値観の転換として消極的な解決法とします。 しかし彼はもっと積極的な解決法はないかということで金剛大乗と呼ばれる密教について語る。 密教こそが真の人間改造法だとする。 つまり超能力者に変身してしまうから今までできなかったこともできてしまい、 欲望は叶えられ苦は解消するという理屈です。 いやはや、せっかく釈尊が説いた四諦の真理も結局こんなお粗末な結論で終止符を打った。 そしてそのお粗末な苦の解決法は実は密教からアゴン宗になっても何一つ変わっていない。 密教は相変わらず打ち出しているし、アゴンを看板に差し替えただけでその実阿含などどこにもない。 安っぽい低俗で根拠も力もない御利益信仰のままです。しかも悪意の嘘まである。 桐山さんには深く物事を考えることなんかできないから自分でも説明した四苦八苦が 具体的にどのように滅されて、叶えられてしまうかは、きっと彼の頭の中にもないでしょう。 なんか仏教の話も出して仏教であるかのように見せかけただけです。 だからアゴン宗の信者はこれを信じて、仏教に縁のない一般人ですらも持たない 余計な欲望を煩悩として抱え、追い求め、自分には自覚ないだろうが人並み以上に苦しんで いるのが見てとれます。 では明朝早いので寝る準備。 他のことにはかまっておれん。 尚、>>19 で >「なるほど、よくわかりました。ならば私も仏道に励み、苦しくない人生を創造します」 と書いたのは、これは桐山語録ではなく私の意訳付け足しです。 >「はい、苦しいです。苦しくなかったらハワイにでも行ってバカンスを楽しみますが、 >苦しいからバカンスをさておいてもこの道場に拝聴に来ているのです」 のハワイの話は桐山語録のままですが。 私の付け足しは、結局桐山流苦の滅は苦→楽の転換に過ぎないことを強調したかったからです。 またハワイの話を省略せずに載せたのは、こんな人生いろいろあって苦もありゃ楽もあるけど 苦しいのはかなわんからなんとかしたいなあと、最初から苦→楽の転換しか苦の解決法としか見ていないことが こんな表現にも見てとれると思い、敢えて添えました。 結局桐山さんは一切皆苦など理解していない。 >>12 >八正道の最初は「正見」であり、これは四諦 >の真理などを正しく知ることでもあり、阿含 >経典でもそう説かれてある。 八支の先頭にあって初歩の修行である正見が どうして四諦の内容なのかについては 「ニカーヤにおける八聖道と三学系統の修験道」 (ターナヴットー・ビック)に詳しい。 それによると正見には「有漏の正見」と「無漏の正見」があって 八支の先頭に出て来る有漏の正見は他の七支の正邪を知るためのもので、 後に出て来る無漏の正見が四諦の智になるようだ。 無漏の正見は他の七支の修行を行った後の 一番最後になり、この後に十無学法の正解脱が来る。 四諦の智である無漏の正見は、正定(四禅)の後、 八正道の最後になるいうこと。 笑うしかないほどユビくんの苦滅の認識は子供じみていたわけだ。無老無死の意味が分からなかったわけだ。釈迦も桐山氏も老いて死んだからね。その後のことを無老無死と言っているのだよ。凡人は死んだ後も輪廻して、また死ぬ @「心が統一」の文句は解脱ではない。 (その理由4点) 阿含宗という宗教150 332 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 13:25:05 ID:lnhRYV0M 「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、 巧みで確立し不動」 とは、煩悩が消滅して解脱したという意味です。 仏教学者に上記の文章の意味を聞いてごらんなさい。 全員が、これは解脱したことを意味すると解釈するはずです。 この段階で釈尊はすでに解脱しているのです。 自分の勝手な解釈に経典を合わせるのではなく、 経典に合わせて解釈するのです。 「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」の文句は解脱ではありません。 その理由は以下の4点です。 1.比丘は四諦認識の後に解脱したと経典の記述にあること。 (これで「心が統一」の時点では解脱していないことになる) 2.「心が統一」「清浄」は、すでに第二禅の説明に出て来ること。 (これらが解脱なら比丘は第二禅で解脱したことになってしまう) 3.この文句を解脱だと解釈する仏教学者がいないこと。 この文句は「比丘が神通を行う前の基礎となる禅(第四禅)に入ったことの表現」 ( 中村元監修『原始仏典〈第1巻〉長部経典1』春秋社、605頁) 「八種の禅定において自在になっていること」(片山一良『原始仏教第二号』中山書房仏書林、55頁) 4.解脱には神通(観察瞑想)が必要であるという専門家の主張があること。 (アルボムッレ・スマナサーラ『沙門果経』サンガ、278、279頁) 以上 凡人は死んだ後も輪廻転生してまた老いて死ぬわけです。だが釈迦や桐山氏は死んだ後、涅槃に入って、再度、老いて死ぬということがないわけです。それを無老無死というのです。 自分等の間違いが既に完全に明らかなのに、 未だに自分等の主張に固執して、間違いを絶対に認めないばかりか、 間違いを指摘した人間を侮辱し必死に排除しようとする深山ユビキタス。これぞ増上慢の極地であり彼等の真の姿であると言えます。 阿含宗も批判されるべきことはありますが、批判している側も 仏教をまともに理解出来ない人たちであることが分かります。 阿含経によれば、解脱を認識するのは三明という神通力=解脱知見によってです。だから神通力が生じなければ解脱を知ることもないし、解脱にならないのです。大乗仏教では違います。 深山説は、大乗仏教説の涅槃の定義を根拠にしているから、阿含仏教とは意見が合わないのです。岩波仏教辞典を読むとすぐに分かります。 >>59 オマエが理解できないほど洗脳されているかバカなだけです。深山さんをコケにするとは 無知の極みですね〜w 岩波仏教辞典を普通に読めば理解できることです。 >>57 神も仏も名無しさん 2017/08/25(金) 22:55:52.67 ID:YLzB7rkm >阿含宗も批判されるべきことはありますが、批判している側も あなたは元信者のペテン大作さんですね。 ならばそのアゴン宗の批判されるべきことを語ってみなさい。 いや、私はあなたが元信者であることを疑っているわけではありませんよ。 たしかに元信者だろうから遠慮なく批判されるべきことを語ってみてください。 一番最初はあなたは一応批判側だったことも私は知ってるし。 全面批判をせよとは言ってませんよ。 あなたは未だに桐山技法の瞑想などもやっているわけだから、桐山さんを信じている 部分も残した元信者だ。 だから信じている部分を信じているスタンスでかまわないから、そんなあなたでも 批判されるべきことは何なのか語ってみてはどうか? <A三悪道、貪瞋痴を切った人物>には輪廻再生が自ずと止む。 六道の悪心と煩悩とは<A>を成就しておけば容易に順序良く切れる。 <A>を満たした人物が再生しようと母胎を求めても容易には当てはまらない。 霊的な浄化が女性に備わって無ければ<A>と因縁が合致しないからである。 例えせば良き種子に相応する良き土壌は稀なのである。 え?あんたの吹く駄法螺は凄いね。と言う御仁に申しましょう。 君も含めてこの世に生まれてきた人の殆どは、娑婆世界に生まれる事を強く望み、 しかも両親を選んで誕生している。 釈迦の説法の原点は、輪廻転生を否定していない。 其れをどの様に制御と転換をし、人間苦を受けないで済ませるかが、説法の肝心である。 此れは人類本然への救済を説くと言えましょう。 さて或る宗派の信徒は死相が美しいと自讃するそうですが、此れっていうならば練り歯磨きの チューブの使いようがきれいでしたねぇ。と言っとるような感じを受けます。 然しもう少しよく読めば霊的なる存在と人間をある程度は認めているらしいのです。 つまり抜け殻と霊体の美的一致を説いてるわけです。 これって葬式専門の布施貰い坊さんの言い草でしょうか? お釈迦様は信徒の死相をトヤカク批評しては居らん筈です。 >>44 ふ〜ん、じゃあ桐山は最初の苦さえも切れなかったのね。 偽阿含桐山外道宗だからなぁ。 >>63 サッパリ感心しとらんで好いからさ、も少し 理解しやすい批評は出来んもんじゃろうかな? 貪瞋痴の悪苦の生命は一見すると無限の連結ですぜ。 因果具時とも言いますな。 同じ阿含経を読んでも、読む人の能力によって解釈が異なる。仏教学者や桐山師や私などは解釈が一致する。が、深山ユビくんの解釈はそれとは異なる。同じ経を読んでそれだから、どうにもならない。度しがたい。 例えば、自説経菩提品の悟りの述懐「諸々の縁の滅尽」や似たような経から、桐山師は阿含経の悟りは因縁解脱だと読み解く。仏教学者は悟りは縁起の滅した世界と読み解く。そのと〜リと私も読み解く。が、深山ユビは理解不能だ。 例えで言うと、禁煙しても、前に吸ったタバコの業報で肺がんが進行しているわけだよ。釈迦の教法はその肺がんを消す力がある、と釈迦自身が説いているのだね。だが、注意深く読まないと気づけないだろう。 67. 肺ガンを消す力がある、か。 それは医学である。 それは宗教ではない。 バカ丸出しである。 66. 悟りは縁起の滅した世界、か。 それでは物理学である。 それは宗教ではない。 バカ丸出しである。 69 悟りは縁起の滅した世界、と仏教辞典に書いてあるよ。仏教学者はバカ丸出しかい? お前こそバカ丸出しだよ。 お前は仏教辞典もないのかえ! アイドル登場 Demi Lovato - Sorry Not Sorry - Choreography by Jojo Gomez - #TMillyTV https://youtu.be/k ◆■TdjNbiNVmc Champagne & Sunshine | Dytto https://youtu.be/A ◆■RKiwV50NqY Cola - CamelPhat & Elderbrook | Brian Friedman Choreography | IAF Experience https://youtu.be/Z ◆■JAFCVZscvc Earth, Wind & Fire - "Lets Groove" | Phil Wright Choreography | Ig : @phil_wright_ https://youtu.be/_z ◆■dv23bAINM ダンス後にプロポーズ John Legend - "You & I" - Phil Wright Proposes To His Girlfriend | Ig: @phil_wright_ https://youtu.be/2 ◆■dMfh8YfbNU ジャスティン・ビーバーのバックダンサーをしてる女性Delaney Glazerの動画 2番目のグループの真ん中の女性がDelaney Glazer David Guetta ft Nicki Minaj - Light My Body Up - Choreography by Jojo Gomez | #TMillyTV https://youtu.be/d ◆■BJauw90cCI 2番目のグループの左の帽子をかぶった女性がDelaney Glazer Missy Elliott - I'm Better ft Lamb - Willdabeast Adams Choreography @MissyElliott @TimMilgram https://youtu.be/R ◆■SZiutoGnJM Alex Aiono - Work The Middle https://youtu.be/rJ ◆■951IVU3ig Far East Movement - Freal Luv #FrealLuv' - Choreography by @nikakljun https://youtu.be/8 ◆■vsPFhrSq5M Black Fever - Alexander Chung Choreography - Jordan Bratton https://youtu.be/D ◆■UnBMIOT_Zk Justin Bieber - What Do You Mean? - Choreography by @NikaKljun & @SonnyFp - Filmed by @TimMilgram https://youtu.be/x ◆■0n6BCmTv7A Kid Ink Ft. @ChrisBrownOfficial - Hotel @KidInkBatGang @JoshLildeweyWilliams https://youtu.be/Ib ◆■ZFXeRT8WQ >>70 じゃあ桐山くんにもバカ丸出しと言いなさい。 四諦の真理は縁起を活用したものです。 苦集滅道は縁起の法則を人生最大のテーマの苦をあてはめたものだと桐山くんは言っている。 縁起の法則とは これあるによりてかれ生ず これなきによりてかれ滅す です。 つまり苦の滅も縁起の中に包含される。 縁起を滅した世界なんて認めず、縁起の活用を説いた桐山くんをバカ丸出しだとなじりなさい。 桐山さんは釈尊の悟りが苦集滅道なんて単純なはずがないなんて書いている。 しかし単純と考えるのは自分が苦の滅を苦には原因があるからこれを取り除けば 苦はなくなり楽になると短絡的に捉えたから単純としか見えない。 実は煩悩の織りなす一切皆苦が根底にあることすら知らないのです。 >>57 神も仏も名無しさん 2017/08/25(金) 22:55:52.67 ID:YLzB7rkm >自分等の間違いが既に完全に明らかなのに、 >未だに自分等の主張に固執して、間違いを絶対に認めないばかりか、 あなたのいう間違いとは「心が統一・・」が解脱かどうかの話ですよね? ペテン大作さんて本当に視野が狭い人だ。 「心が統一・・」が解脱かどうかは、私は解脱だといい、 あなたは解脱ではないと主張した。 あなたは自分の主張を「完全に明らか」と言うが、 私も自分の主張は「完全に明らか」なのです。 お互いに自分の主張は「完全に明らか」なのです。 でも、あなたはそれがわからないのでしょう? こういう相手の立場を理解しえないのは小さな子供だけですよ。 双方が主張したのだから、この点の議論は終わりで、判断は読者に任せるしかない。 だから、私はあなたみたいにいつまでも同じ話はしない。 なぜなら、このスレはそもそもこれが解脱なのかどうかを議論し、 決着をつけるスレではない。 スレ違いと指摘されても無視して自分の興味だけを書き続けるのも小さい子供だけです。 >>55 の1〜3まではすでに何度も何度も私は反論したが、 あなたは完全に無視して、同じ主張を繰り返す。 スマナサーラさんの引用にも「心の統一・・」が解脱でないなどとは 書いておらず、私やユビキタスさんが書いている神通の説明そのままで、 あなたの恒例の早とちりだが、スレ違いだから反論しない。 >>57 神も仏も名無しさん 2017/08/25(金) 22:55:52.67 ID:YLzB7rkm >自分等の間違いが既に完全に明らかなのに、 >未だに自分等の主張に固執して、間違いを絶対に認めないばかりか、 >647神も仏も名無しさん2017/08/21(月) 18:15:54.31ID:N6ZOqeg7>>648 >もちろんこれは神通力で解脱を説く桐山さんを批判したいためだ。 あなたが書いた647が議論のテーマであり、「心の統一・・・」の議論の元です。 議論の始まり、テーマは、桐山さんの「神通力で因縁解脱し、これが 仏教の解脱だ」という主張が嘘だと私が批判したことから始まる。 だが、ペテン大作さんはそもそも桐山さんがこのように主張しているか どうかを知らないという。 知らないのに、どうして、何を私に十年間反論し続けているのだ? しかも、何回も私がその桐山さんの文章を引用しても、未だに知らないという。 桐山解脱説を知らないあなたが、桐山解脱説を批判する私に 十年間何を反論して来たのですか? 桐山説を批判する私に反論するなら、阿含宗の教義を知ってから するのが当たり前だ、ということくらいわかりますよね? 社会常識です。 ましてや、あなたは元信者なのだから、知らないで済む話ではない。 自分で調べて、「桐山ゲイカは神通力解脱をここに説いており、 それは阿含経のコレコレに載っている」と反論するべきですよね。 もちろん、ペテン大作さんはそんなことは絶対にしない。 目的が阿含宗や仏教の議論ではなく、深山をぶちのめすことだからです。 >>57 神も仏も名無しさん 2017/08/25(金) 22:55:52.67 ID:YLzB7rkm >自分等の間違いが既に完全に明らかなのに、 >未だに自分等の主張に固執して、間違いを絶対に認めないばかりか、 ペテン大作さんは、とにかく深山にインネンを付けて咬みつけるところはないかと、 日々私の文章を憎しみの目で見ていることは、超能力などなくても私にも透視できる。 深山をぶちのめしたくてウズウズしているが、毎回舞台でコケテ、 読者の爆笑や失笑を買っているのはペテン大作さんです。 幸い、あなたも1.5来補さんも羞恥心がほとんどないから、 恥をかいても三分で忘れて、深山への憎しみだけが増える。 あなたは批判側が「基地外」「異常」だから擁護側になったと 書いたが、桐山解脱説も知らずに、桐山解脱説を批判する私に 十年間咬みつくというのは「基地外」「異常」でなくて何なのだ? しかも、こういう指摘をされても、あなたはいつも完全無視する。 そしてスレ違いで、すでに終わった議論をしつこくしつこく 十年にわたり出し続けて勝利宣言をする。 その態度が卑怯者でないなら、何なのだ? あなたが本当にオトコなら、桐山解脱説をここに解説して、 阿含経の根拠を示して擁護してみなさい。 卑怯者で、オトコではないペテン大作さんがするはずがない。 井の中から出て、阿含宗の議論をすればビタ負けするのは 体験済みだから、「心を統一・・」を出して、何をどう言われようが、 井の中に留まり、井の中から勝利を吠えるしか度胸がない。 >>57 神も仏も名無しさん 2017/08/25(金) 22:55:52.67 ID:YLzB7rkm >阿含宗も批判されるべきことはありますが、批判している側も あなたが桐山解脱説の議論の中で四諦を出したから、 四諦のどこに神通による解脱があるのかと質問すると、 「専門家に聴いて頂こう」(>>732 )と逃げた。 四諦のどこに桐山カルマがあるのかと質問すると、 「元信者の私には関係ない話です。」(>>732 )と逃げた。 因縁解脱はどこにあるのかと質問すると、 「因縁解脱が桐山さんのオリジナルなら それが嘘かどうか判定しようがない。」(>>734 )と逃げた。 よくまあ、オトコして恥ずかしくもなく、こんなことを書いたものだと あなたの毎度のミジメな姿に鼻をつまみ、目をそらす。 あなたは追及をうまく逃れられたとほくそ笑んでいるが、 あなたのみっともない姿に追いかける気にもならないのです。 なぜ私があなたの姿を笑うのではなく、鼻をつまみ、目をそらすか、 ペテン大作さんはわからないでしょうね。 あなたは桐山さんから教えられたチャクラ開発法で男性機能が 朝から元気溌剌などと自慢していた。 だが、あなたの精神的なオトコは「立たない」「立っていない」。 だから、1.5来補さんと同じで恥じる心もない。 あまり下品な表現は良くないと思うから、私はいつも「恥知らず」 と表現をするが、それはあなたの精神的なオトコが立っていないという、 男性に対しては最高に侮辱的な内容です。 ・・・と言われて、ますます私を激しく憎むようになりましたね。 そして、私の真似をして私を罵倒したいとあれこれ言葉を考えるが、 何も出てこないのでしょう? 悪業を積むと私が書くと、それを真似して、三悪道に堕ちると 書くとそれを真似し、姑息、恥知らずなどの単語を羅列すると、 そのまま引用して返したつもりになっていた(前スレ799)。 バカと言われてバカとしか言い返せないのをみっともないと思わないだ!? よくまあ、憎悪する相手の論調や言葉を真似しますね。 私はあなたと違い精神的にオトコなので、そんなことはしない。 >>57 神も仏も名無しさん 2017/08/25(金) 22:55:52.67 ID:YLzB7rkm >阿含宗も批判されるべきことはありますが、批判している側も 桐山阿含宗の話になると、ペテン大作さんは質問をはぐらかし逃げる。 >>61 のユビキタスさんと同じ事を書きましょう。 まず、阿含宗の批判をしてください。 あなたが「基地外」「異常」でない阿含宗批判をして模範を示してください。 それが読者には一番の説得力です。 「なるほど、深山やユビキタスの批判は基地外で異常だった」と 読者が同意するような阿含宗批判をしてください。 私とユビキタスさんの阿含宗批判が「基地外」「異常」とわかること こそがあなたが最も望んでいる復讐です。 読者はあなたの話を待っているのだから、舞台に上がってください。 今までのように勝利宣言をしてはスッテンコロリンとこけるような お笑いから、一気にこのスレの大スターになれる。 理解していないと思うから、説明してあげるが、阿含宗批判を書くことが、 ペテン大作さんのオトコが立つという証拠なのです。 書かなければ、あるいは質問に対する答のように適当にはぐらかしたらどうなるか。 もちろん、あなたはやっぱりオトコが立たないのだと笑われ、 私の予想が当たるから、私への信用が上がるだけです。 あなたはもちろん書かないか、適当にごまかすでしょう。 1.5来補さんと同じで、あなた方のオトコは「立たない」。 70. 仏教辞典のバカである。 そのバカ辞典が歩いていることになる。 書いてあることの正否、真否が理解できないバカである。 @先生曰わく「心が統一」の文句は仏教理解を試す試験問題。 >810 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2017/08/24 12:49:23 >「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らか で、巧みで確立し不動」の文句は解脱ではありません。 (>>594 ) >この釈尊の言葉は、仏教を理解しているかどうかの試験問題のようなものです。 >これを解脱だと言う人は、仏教を理解しているし、 解脱ではないと言う人は、仏教を理解していない。 道理で十年経っても鮮度を失わないわけです。 当スレに無関係なテーマではないと分かり安心しました。 @深山ユビキタスは天井知らずの慢心の持ち主 803 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2017/08/24 12:20:05 >「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」 >信者さんたちにもう一度考えてほしい。 >「心が統一され・・」は釈尊本人の言葉です。 >その釈尊が「単なる道徳」「倫理・道徳」を解脱の果報として説くだろうか? 「心が統一」の文句は仏教学者の解説にあるように 四禅に入った比丘を表現している言葉です。 解脱したという意味ではありません。 「心が統一」「清浄」という言葉ならすでに第二禅にも出て来る。 その第二禅より第四禅ではより一層、禅定が深まったことが この文句で分かるのです。 ところが深山ユビキタスはこの文句が解脱だと言って譲らない。 そして私がこの文句を道徳だと言ったなどと、私が言いもしないことを 作り出し、私が釈尊を罵ったと言いがかりをつけた。(前スレ803 彼等が解脱に固執する理由は、 この文句はとにかく解脱でなければならぬという思い込みです。 ただそれだけの感情的な理由で解脱にしがみついているのです。 だから私の指摘した4点(>>55 )については反論出来ずに無視するしかない。 自分等は誰よりも仏教を知っている。 信者などは何も知らんバカだと常に軽蔑しているのです。 そんな彼等には回りの言葉など一切通じない。 学者専門家の言葉でさえどこ吹く風です。 自分がこうだと思い込めばそれが地獄への道でもまっしぐら。 生まれつき持っていた慢心がここで一気に花開いたwのでしょう。 彼等が行き着く先は何処なのか。 皆で見守りましょう。 一切皆苦なんて、まともな阿含宗信徒なら誰でも知っている。深山ユビくんだけが知らなかったのだね。だからね、例えば末世成仏本尊経の本p68には、仏陀とは因縁からなる世界を解脱した存在、と書いてあるのです。 仏陀とは因縁からなる世界を解脱した存在、と説明した桐山師の言葉の意味が分かるかな?仏教学者が、悟りは縁起の滅した世界、と説明した意味と同じなのですよ。 あとはだね、ユビくんの考える、苦の滅は縁起の中ももあるというのはね、縁起の法の中の滅とは仮の滅に過ぎない、ということだね。なにしろ無常の世界だからね。滅の状態が持続しないわけです。無常の世界を解脱するのが阿含経 無常の世界=縁起の世界、から解脱するというのが阿含仏教の解脱なのですよ。桐山師もそう説いています。但し、法話などではレベルを落とした話もするわけです。子供から大学教員まで聴衆がいるのですからね、皆を飽きさない 法話の聴衆というのはね、深山ユビくんみたいにレベルの低い信徒からレベルの高い信徒までいるわけです。それら皆を飽きさせず、それぞれ満足させる話をするわけです。子供レベルの信徒には玩具レベルの話もするわけです。 当然、苦滅とは、苦を楽に転換するような法話もするわけです。一切皆苦で楽も苦だという釈迦の話なんてわかり過ぎるまで分かった上での話なんですよ。それを間に受けて、一般化するのはレベルが低い人だけなのですね。 >>86 >当然、苦滅とは、苦を楽に転換するような法話もするわけです。 しかし、いくら苦を楽に転換する話をしても、そもそも桐山は苦を滅していないからね(笑) 脳梗塞になってボケるww 87. 脳梗塞でボケる。 その苦から出られないのが、桐山バカ教祖である。 晩年大大運気で120才まで元気で生きると豪語していた桐山さん 結局、 晩年脳障害脳梗塞で二度発病 愛人内弟子に訴えられ 裁判に敗訴し 認知症がどんどん悪化して ボケて95才で死にました。 合掌。 http://i.imgur.com/NHmePvJ.jpg レベルが低いといわれても怒ることはない。レベルアップは何時からでも可能だからね。そのためには間違いを認めることだ。それからレベルアップは可能だからね。桐山師が、仏陀とは因縁からなる世界を解脱した存在、と説いた レベルが低いと怒ることもレベルが低い。間違いを認めるレベルでは勝ち抜けないよ。 レベルアップなんでいつの時代の無謀さ。 仏陀とは因縁からなる世界を解脱した存在、と、桐山師が苦心して本に書いても、アホな読者には意味が分からないわけです。因縁からなる世界=縁起の世界、から解脱する、なんてことは聞いたこともないわけだからね。 >>85 神も仏も名無しさん 2017/08/26(土) 15:25:04.97 ID:IS0468uW >子供レベルの信徒には玩具レベルの話もするわけです。 >>86 神も仏も名無しさん 2017/08/26(土) 15:32:28.81 ID:IS0468uW >当然、苦滅とは、苦を楽に転換するような法話もするわけです。 >一切皆苦で楽も苦だという釈迦の話なんてわかり過ぎるまで分かった上での話なんですよ。 >それを間に受けて、一般化するのはレベルが低い人だけなのですね。 ほう?桐山管長渾身の説法法話の内容が玩具レベル?間に受けるなですか? 和田さんに宗務局さん、聞きましたか? 因果律しか知らないし。演技だって古いでしょ。解脱だって完成しなかった。 仏教辞典には、苦悩が消滅して業のはたらきが停止した悟りの境地である涅槃、と初期仏教の涅槃の定義を説明している。業のはたらきの停止とは、タバコを止めても前に吸ったタバコの業で肺がんが進行していたが停止したわけね。 >>98 だから肺ガンが停止して肺ガンにならずに済んだとか治ったとかの功徳を求めるのが 苦→楽の御利益信仰だと述べているわけですよ。 あなたも話のわからない人だ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる