>>78
全然分かってない勉強不足ですよ
五蘊(色受想行識)が空、無我→「構成要素の心身は、私、私のものでない」
自分の観念的思いは、真の自己ではない→苦悩の減少、苦を滅することが可
生まれてから自己でない全部外から取り入れた世俗価値概念、情報、固定観念、
思い込み等、でもって自我が創り上げられ構築された→バイアス付仮構の自己
宗教思想にも しがみついて自我を強化させる
それら思想、観念の束縛からの解脱で自主的立場自由になる
思想に束縛支配された人間でなく、思考を道具として使う
この自由は他者と素通しになり慈愛という美質も湧く、他者に対する色メガネ、
偏見がない 異なる宗教に排他的になって宗教戦争も起こらない
選民思想のように自己特別視というエゴもない、生命平等
で、その修行法は、今ここの事実に生きる観察が必要
連祷の無我の境地→それは一時的であり作為的なものは壊滅すると仏典で説かれる
つまり日常に戻れば、煩悩思考の産物状態なわけですよ