ピッピさん、検索の聖書って、こころをほぐすお話でしょうか?
いま新約聖書で、携挙がなかった、過ぎ去った説を探している最中ですがね。

テサロニケの二の手紙は
一の手紙の「携挙」が来なかった為の言い訳の様に感じられるんですが?
これって決めつけですよ。・・・ちがいない、って表現は。

新約聖書 テサロニケ人への第二の手紙 2章
2節 霊により、あるいは言葉により、あるいは
わたしたちから出たという手紙によって、主の日は
すでにきたとふれまわる者があっても、
すぐさま心を動かされたり、あわてたりしてはいけない。
3節 だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。
まず背教のことが起り、
不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。
〔 聖書 口語訳 日本聖書協会 〕