エホバ病、よしおバンナいすらえる [無断転載禁止]©2ch.net
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御子ということは隷属を表すものではなく 尊厳を表す まして劣等を表すものではない 三位一体には順序があり御父が御子をおつかわしになったのであり 御子が父をつかわされたのではないが しかしこのことは優越や劣等を意味しない >>361イエスキリストの知識を知る事は無駄な事なのかい? 御子ということは隷属を表すものではなく 尊厳を表す まして劣等を表すものではない 三位一体には順序があり御父が御子をおつかわしになったのであり 御子が父をつかわされたのではないが しかしこのことは優越や劣等を意味しない >>366
知識じゃなく 知るんだ エホ証のようにセッセと勉強して 救われるんじゃない 十字架の傍らの罪人が即救われたように 父と子の知識ではなく 個人的に神を「知る」のが大事なんだよ 馬鹿め 真理子さんっているとしよう、君がストーカーして 真理子の様々な情報を収集したとしても それだけの関係に終わる しかし君が真理子さんと個人的にお付き合いして彼女を「知る」なら 軈て二人は愛しあうようになるって喩えで理屈わかるかな 神との関係も同じなんだよ 主イエスが人間になられて 父に対する服従の立場を取ること 御子という名に より低い価値を与えるものではなく むしろ 彼の 「へりくだり」の偉大さを物語る。 ヘブル5:9 キリストは御子であられたのに お受けになった多くの苦しみによって従順を学ばれた >>370マルコ10章18
イエスは彼に言われた、「なぜ私の事を善いと呼ぶのですか。ただひとり、神意外には誰も善い者はいません。 ヨハネ5:19〜 主イエスは御子として御父の知恵とちからに等しいものを持っていると あり すべての者が父を慕うように子を敬うため と示しています しかし エホ証も君らも イエスを偉大なる神であることを拒絶し 結果 不敬罪 冒涜罪を犯している。 御子イエスは父の懐におられる神です。懐は愛のすみか マルコ12:6 彼は最愛の独り子
あなたはわたしの愛する子 と証 イエスこそ 父より生まれし神 偉大なる独り子の神であります ヨハネ1:18 フィリピ2:6
キリストは神の身分でありながら 神と等しい者であることに固執しようとは思わず かえって自分を無にして しもべの身分になり人間と同じ者になられました。…へりくだって 死に至るまで 十字架の死に至るまで従順でした >>374イエスは神の子であって、神の様では有るが、唯一まことの父には成れないんだよ。
お前がお前の父ちゃんと同じかって事だよ 父ちゃんの子では有るがお前は父ちゃんでは無いよな コロサイ2:9
キリストの内には満ちあふれる神性が余すところなく見える形をとって宿っており ヨハネ3章16
「というのは、神は世を深く愛してご自分の独り子を与え、誰でも彼に信仰を働かせる者が滅ぼされないで、永遠の命を持てるようにされたからです。 >>377
お前は馬鹿だ 御子の立場を今書いたばかりなのに何もわかっていない。
御子の地位について詳細を語ると一冊の本になるので略すが 結論 御子というイエスの地位が父なる神との同等性を意味してるんだよ へりくだりと書いたばかりなのに学習能力欠如な馬鹿野郎め 常識的に考えればわかる事、
父なるエホバ神が世に、子なるイエスを与えてるんだから子供より与えた父ちゃんの方が偉いに決まってんだろ
よって崇拝の対象は唯一まことの神エホバになるな 「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです」(ヨハネ17:3)
この聖句こそが全て。神は唯一。父が遣わしたイエス。遣わされたイエス。逆はあり得ない。
キャラが違うだけ。本質は1つとか言うデタラメかつアホな教理は抹消しましょう。 マルコ10章18
イエスは彼に言われた、「なぜ私の事を善いと呼ぶのですか。ただひとり、神意外には誰も善い者はいません。 キリストの御子たり地位について更に考察しよう 馬鹿は基本相手にしない
新約聖書の「子」には2つの言葉があり 一つは誕生による血縁関係をさし もう一つは 身分と尊厳さとを表している。
父と子の関係ではなく 「子」とある場合 神と信者との関係を表している。 黙示録21:7
「子」という言葉が血縁ではなく身分のことを語っているのがヨハネ1:18 彼は独り子の神 この「独り」ということばも「子」と同じように 必ずしも出生のことをさしていない
イサクを独り子と言う場合 彼をイシマエルや後に生まれたアブラハムの子と区別された特別な立場 地位を物語っている。 イエスについて使われているときは「ひとり」ということばの意味は 彼の唯一無二性 また父なる神と御子との間がらの親愛の深さを表している。イエスは必然的に この栄光において唯一の方 ヨハネ20:17 何をほざいても人間の伝統を習わしにしてる時点で説得力は皆無w コロサイ2章8
気をつけなさい。もしかすると、人間の伝統にしたがい、また世の基礎的な事柄に従ってキリストに従わない哲学や虚しい欺きにより、あなた方を餌食として連れ去る者がいるかもしれません。 オレが埋めてもいいが、埋めるのは、まことの
得意中の得意なことじゃないか お前なんざ説得する気もない 勝手に滅べばいい
何がエホ証じゃないだ 嘘つきめ 悪魔の子よ ヨハネ8:44-47 再三言うが御子とは隷属を意味しない ましてや劣等を表していない 何を馬鹿野郎どもは悪魔に騙され 勘違いするのだろう。ヘブル5:8
「キリストは御子であられるのに お受けになった多くの苦しみによって従順を学ばれた 」 すべての者が父を敬うように子を敬うため
子は父がしておられることを見て行う以外には自分からは何事も行う事ができません と再三馬鹿が悪引用する言葉は真実ですが 真意は彼が劣っているゆえではなく 神と一つであられる彼の人間としての立場ゆえであります 効いてるなww
まあ何を信じるかは個人の自由なんで頑張れや 我らが主イエスの御子たる地位は※受肉(人間になること)の結果ではない。
証人はみ使いが洪水まえに人間になることを「化肉」というらしいが 混同しないこと。この意味の違いは後日詳述する。
ヨハネ1:14 父のみもとから来られた独り子としての栄光 とある 脱線するが栄光 について ルカ2:8 旦那神さまの輝き ヨハネ13:31 32
栄光 ギリシャ語ドクサ 「息子が父親に栄光を与えた」と表現から 栄光の意味がすべて解けそうです。 「神が※人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神もご自身によって人の子に栄光をお与えになる」
※人の子とは主イエスの別称 ドクサ 栄光 父神は 「父さん!」といつもすがる我が子イエスに父神はもうメロメロ 栄光の意味を理解しますと 父と子のなんたるかを理解できます 父なる神より生まれし子なる神父のみもと(懐)から来られた独り子なる神の栄光 ヨハネ1:14
彼は人として肉体をおとりになる前に 父の懐中におられました。リアルにどのような意味なのかは地上にいる私たちには理解できませんが ヨハネ16:28 私は父から出て世に来ました。もう一度 私は世を去って父のみもとに行きます。 仮に 御子と呼ばれる方が単に最初に創造された霊者ミカエルでしかなく 万物は彼を通してエホバ神が云々が正解であるなら
キリストの御子たる地位は ローマ1:4 は間違いになります。彼を見た者は父を見た者であるなど 神を冒涜です。我は真理 いのち 光など へりくだりどころが悪魔より酷い傲慢そのものになります。 コロサイ1:16
万物は御子にあって造られ
御子によって 御子のために 造られた
彼は創造者です イザヤにはヤハは誰の助けなしに万物を造られたと証しています。 空間と時間を造られたということは御子はその外側に存在していたことになります。宇宙の存在理由は彼の働きゆえでした ヨブ26:14 力あるセラピムから みすぼらしい石にいたるまで 万物を創造した力は彼に宿る無限のエネルギーでした。素粒子を土台に万物を構成しどんぐりに巨木になる可能性を与え あまりに膨大なため天文学者は光年ということばで語り 数学者らをうっとりさせる魅惑的な世界を創造し 万物は御子のために
つまりあなたもわたしも 世界は宇宙は イエスキリストの為に存在理由があるのです。キリストは始めであり終わり 万物の源 第一原因 目標 万物は彼の為に存在している 彼にあって世界は支えられているのです。最後に万物はイエスを主と認め 父なる神に栄光を帰します >>356
日本語読めますか?
ヘブライ語聖書に聖四文字があるとはいえ、ギリシャ語聖書本文に存在しないものを新世界訳のように挿入すべきではありません。
それは翻訳とは言えません。
また、エホバはテトラグラマトンとアドナイの合成語であり誤訳、間違いです。
発音は失われており、ユダヤ人もアドナイと発音しているのですから主が適切な翻訳です。
文語訳聖書を見れば分かるように、新約部分では文語訳にでさえ1度もエホバは出ていません。
つまり、新約聖書にYHWHがあったなどという推論は、どの写本からも否定されており、何ら立証されていないのです。
百歩譲って、ヤハウェを挿れたいのなら、旧約部分のみにすべきでしょう。 >>377
お前の父ちゃんもお前も同じ人間だよな?
天の父と子も同じ神。 >>383
神としての証明をされ、数々のしるしと不思議を行われた神なので「善い」と呼ばれとるんだよ。 同志よ 基本主ご自身は 今さら証する必要なし 馬鹿が主を侮っていたので参加していただけのこと
でもそうしたネットの働きも馬鹿に出来ないから不思議です。
無理しなくて良いから 馬鹿は近い内に自滅する >>410
自滅しますかね。
まぁ、聖書辞典やらなんやかんやとネットから引っ張り出してきてますが、だいぶ昔にその間違い、悪引用は指摘されてますのに今更ですね。
私は無理してませんよ。空いた時間に書いてますから。 >>411
自滅すんのはお前らだろw
いわゆる「信仰の時代」において、農夫たちは、キリスト教会側の人々が望んだほど、十字架に対してひたすら謙虚であったわけではなかったと思われる。
「呪われたる狩人たち」、あるいは「弓を射る魔術師たち」というある血盟団は、いつも、道端にある十字架をぶちこわしていた。
十字架に3本の矢を続けて射込むと、弓の手がすばらしくあがる、と信じていたからであった。
彼らは太古の狩猟の神が持っていた男根を表す三叉のほこと、キリストのシンボルである十字架とを、対比させたのであった。
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今日では、十字架は宝石品になることが多い。
太古の時代に十字架はなお守りの呪力があるとして用いられたが、今日、十字架が宝石品として用いられているといういうことは、太古の時代と全く変わらずにお守りとして機能しているということを証明しているようなものである。 キリスト教の三位一体の解釈の違いがその原因です。
そもそもキリスト教は、ギリシャ世界で広がり、それがローマ帝国全体に広がりました。
キリスト教がローマ帝国の国教となったときに、キリスト教の定義として、三位一体の考え方が規定されました。
そこの公会議で使われた言葉がキリリシャ語であったため、ローマで使うラテン語に翻訳された際に、聖霊の出に関しての誤訳がありました。
本来は、「聖霊は父より出でて」となっているところが、「聖霊は父と子より出でて」となってしまいました。
このことにより、ローマ教会とコンスタンティノープル教会とで、三位一体に関する解釈が異なり、それが典礼の差につながり、しだいに乖離が大きくなり、修正が不可能になり分裂しました。
特にビザンツ皇帝レオ3世が出した、「偶像破壊令」が、両教会の決定的対立点となり、教皇レオ3世が、
フランク王国のカールを西ローマ皇帝に戴冠すると、政治的にも統一は不可能になりました。
そもそもローマ教会による三位一体に関する誤訳は、誤訳ではなく、意図的に行われたと考えざるをえません。
三位一体の考え方の違いにより、ネストリウス派、単性派などが異端とされていますが、それらの異端と、正教会では、
父=神
子=人間
聖霊=天使
三位一体=キリスト
と解釈されていますが、カトリックでは、
父=父なる神
子=子なる神(キリスト)
聖霊=神の意思(?)
三位一体=神
とわけのわからない解釈になっています。
(これは三位同体であっって三位一体ではありません)
これは、キリスト教がローマ周辺で、キリスト教の本質からずれた布教(キリストを神としてしまった)が原因で、本来のキリスト教の理念に戻れなくなってしまったために行われたとしか思えません。 「三位一体の神・・・この神観は、確かにキリスト教に独特のものであるが、イエスは夢にだにこういう『展開』を考えたことはなかった。
こういう議論は、あの時代特有の文化史的背景のなかで、特定の意味を持っていたものにすぎず、それを実体化・永遠化・形而上学化することは、ほとんど迷信的であろう。」 一部の神学者の頭でしか理解できない「三位一体」などというドグマが「啓示」から生じているはずはなく、人為的に作られたもの、一つの解釈に過ぎないということは明らかです。
もちろん、わかりやすければよいというわけではなく、「異端」とされた「三神説」または「様態説」なども「啓示」に根ざしているとは言えません。
「啓示」から導き出される「三・一」の関係とは、「正統」を自認する人々が、結局は「秘義」だの「神秘」だのと言って思考停止させる不可解な言説などではなく、
イエスという人が聖霊に満たされ、その送り主である創造主なる「神」を「父」(アッバ)と呼んで親しく交わり、その関係の中に人々を招き入れようと働かれた「神の国の福音」宣教から示される「神(父)、イエス(子)、聖霊」に尽きるのであり、
実に簡単明瞭、誰にでもわかることです。
そこに複雑怪奇な、「位格」(ヒュポスタシス/ペルソナ)だの「実体・本質」(ウーシア/スブスタンチア、エッセンチア)といった哲学的概念は無用なのです。 「三位一体」の教義は、ほとんどのクリスチャンがわからないのです。
唯一の神に三つの位格があるなど簡単に言いますが、そのような定式だけ聞いてわかったふりをしているだけであって、具体的には理解できていません。
それでは信仰生活とはつながりません。
司祭や牧師も同じで、いかにもわかったようなつもりになっているだけで、突っ込んで問われたら結局、三神論や様態論のようになったり、従属説などと大差なくなるのです。
神学者と呼ばれる人々の中にもそういう人が少なくありません。
しかも、その理解できないことをもって三位一体の真理性だと主張した日には一般信者の現場を無視した暴論としか言えず、ただ驚き呆れるばかりです。 >>414
> 聖霊は天使なんですか?
聖霊は、「三位一体の神」の位格の一つで、天使とは違うとされます。
キリスト教は一神教ですが、一つの神に三つの位格、父なる神・御子イエス・聖霊を信仰します。
これは、父と子と聖霊は互いに応答しあう関係性を持ちながら、三つの神ではなく、一つの神という意味です。この教義は三位一体(さんみいったい)と呼ばれ、人智を超えた奥義とされます。
このうち「聖霊」は、神の霊、創造する力、生命の与え主、真理を示す弁護者です。自ら啓示し・証しをし・呼び掛ける、固有の位格とされます。
一方、天使は、神ではなく、物質的な存在でないものの、神から創られた被造物の扱いです。
> 正教会で聖霊は天使だと教えている?
正教会でも、聖霊(正教会では聖神と訳します)と天使とは、別個と捉えられている。
https://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q1323963863
もちろん正教会でも、至聖三者として三位一体なる神を信じている。
日本正教会では"the Father"・"the Son"・"the Holy Spirit"に、「父・子・聖霊」ではなく「父・子・聖神゜(せいしん)」の訳語を用いる。
聖霊を天使などとは教えていないのだ。 >>414
聖霊は父と子から発出する根拠は聖書である。
ヨハネ15:26
わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。
ヨハネ20:22
そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。 >>413
十字架を神として崇拝しているクリスチャンなど存在しない。
お守りとして機能しているという事は何ら証明されていない。 たとえや類似点は、教義を完全に説明することはできないものの、三位一体に関して似ている点をわかりやすく説明するのには役立ちます。
基本的なレベルでは、他の人たちに証しをする上で助けになるのです。しかし、完全に正確な描写ではないので、博学な人との熱のこもったディスカッションやディベートにおいて三位一体の完全な真理を示すのには不十分です。
たとえは基本的なレベルでは役に立つのですが、限界があるのです。
しかし、完全に正確なたとえはないものの、また、三位一体のどんな説明によっても教義を完全に把握することはなくとも、三位一体が神からの理解力によって理解できないということではありません。
クリスチャン神学者ロバート・M・ボウマン・ジュニアが、限られた人間の頭で三位一体を理解するとはどんなことかを説明しており、私はその説明が気に入っています。
「三位一体は理解できないものと言うのは不正確であり、少なくとも誤解を招く可能性がある。三位一体を説く神学者は、三位一体が訳の分からない戯言だなどと言うつもりはない。
彼らの言わんとすることは、三位一体は、人間の限られた頭脳では完全には理解できないということである。
何かについて基本的に正しく理解することと、すべてを総合的、包括的、また完璧に理解することとの間には違いがある。他の多くの神学者はこの違いについて、
三位一体は理解(understand)されうる、つまり『意味をとらえる(apprehend)』ことはできるが、『しっかり把握する(comprehend)』ことはできない、と述べる」。[2] C・S・ルイスも、著書「Mere Christianity(邦題:キリスト教の精髄)」の中で三位一体について次のように述べています。
「神のレベルにおいても人格があるが、そこでは、神のレベルで生きていない私たちにとっては想像もできない新しい形でお互いに結合されている。
いわば神の次元においては、三つの人格でありながら一つの存在であるという、そんな存在が見えるのだ。・・・もちろん、そのような存在を完全に理解することはできない。
それは、私たちが空間の中に二次元までしか知覚できないように造られているとしたら、立方体というものを正しくイメージできないのと同じである。
「三位一体について考える時、それがあり得ない矛盾であるとか、ろくでもない算数(1+1+1=1)であるなどと考えるべきではない。
そう考えるということは、私たちが人間や人間関係を把握するのと同じ方法で神を把握できると考えていることになる。神は、ある程度、不可解な存在である。
何といっても、永遠なる創造主のことなのだから。 ■イエスの時代から十字架はクリスチャンにとって特別なものである。
コリントの信徒への手紙一/ 01章 18節
十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。
コリントの信徒への手紙一/ 01章 23節
わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、
コリントの信徒への手紙一/ 02章 02節
なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。
コリントの信徒への手紙一/ 02章 08節
この世の支配者たちはだれ一人、この知恵を理解しませんでした。もし理解していたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。
■イエスの十字架は異教のものではない。 父と子の二者に限って見れば、ざっと目を通してみるだけでも、ヨハネ福音書では「私は・・・私の父を敬っている」(8:49)
「父は私よりも大いなるかた」(14:28)と言われています。
たしかに1章ではキリストは「神の言(ロゴス)」として「神」と言われ、「ひとり子なる神」とも言われていますが
その一方ではイエスの言葉として「わたしに栄光を与える方は、わたしの父です。この方のことを、あなたがたは『私たちの神である。』と言っています。」
(8:54)とか、「わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る。』と告げなさい。」(20:17)
と記されています。イエス自身が「神」であるならこのように自分以外の「神」を語らないでしょう。
実に不自然です。共観福音書においても、「(神、)おひとりのほかに善い者などいない」(マルコ10:18、マタイ19:17、ルカ18:19)
とか「子も知らない。父のみが知っておられる」(マルコ13:32、マタイ24:36)
パウロ書簡では「キリストは神のもの」(コリント一3:」23)とか
「キリストの頭は神である」(同11:3)とか・・・その他多くの例を挙げることができるので、「本質(or 存在)における従属」という解釈も、「職務の従属」と同等もしくはそれ以上の根拠を聖書に有つと言えます。
そもそも「本質において」であれ「職務において」であれ、「従属」には変わりありません。
本質的に同等であるなら、そして各位格が同じ意志を共有しているなら、従属関係など持たずとも各々で自由に活動することが全体として調和するはずです。 何回も聞くようだけど、
父が知ってて子は知らないってどう言い訳してたんだっけ?
あと、サタンはイエスを何だと思って誘惑したんでしたっけ? 3つのうちの一人が一人に「遣わした」という表現は1000歩譲ってまだいいとしても、 3人のうち1人が、
「目に適う」とか「選んだ」なんてなった場合は、もう完全に論理が破綻しとりやす。 目が曇らされているのが何よりの証拠 救われない 選ばれていない 世のはじめからお前は燃える火の裁きを受けるようになっているってことだよ www >>425
ほう。正教会でも父、子、聖霊を神と認めている点の間違いを指摘されたらまた話題を変えるのかね。
新約聖書用語解説辞典の不備を指摘しタンムズとは無関係である事を示された時も同じ事をしたな?
次は、ここから自由主義神学のリベラルな学者の説を拾ってきたわけか。
http://ehyehist.blogspot.jp/2015/10/ousia-online-substantia-essentia_13.html?m=1
お前の場合、単に三位一体を否定できそうなものなら何でもいいから適当に拾って貼るだけで理解力は無いに等しい。
知恵袋のいい加減な天使が聖霊などという事まで調べもせず安易に持ってくる。
今度はリベラルな人間の書いたもの。
言っておくが、リベラルな神学校では、イエス・キリストは神でも救い主でもなく、単なる人間だと教えている所さえあるのだ。
つまり、自由主義神学も極端に走り過ぎると聖書すら否定し始める。大抵のリベラルな人間は三位一体のみならず、イエスの処女懐胎や使徒信条さえ否定する。
つまり、お前は、そのような教えから逸れた人間の書いたものからコピペして持ってきているに過ぎない。 >>423
反キリストのルイスの著作などお決まりのコピーなど無意味
ヨハネ8 あなたがたは真理を知り 真理はあなたがたを自由にします
ものみの塔の統治体と呼ばれる自称忠実なしもべの 詐欺商法でサタンにまんまと騙されている証人に 真理である方からの自由なんてある訳がない あるのは組織への隷属と束縛だ >>426
父は遣わし、子は贖い、聖霊は助けるのだ。
役割が異なる事は矛盾はない。
神としての立場を捨て低くなられ人となられた人間イエスに知らない事があったとしても不思議ではない。
役割が異なるから、お三方なのであり、三一なのだ。
また、「私はあなた方を知らない、離れ去れ」という言葉のように、実際に知らないのではなく、関心がないという意味だとも受け取る事もできる。
つまり、その日と時刻は父なる神の決める事であり自分は全知で知ってはいるものの父の判断なので自分の与る事ではないとも取れる。
サタンは人間となった弱き御子イエスを惑わせようとしたのだ。 >>427
何の破綻もない。ある人が他の人を目に留め選んだなら他の人は人間ではなくなるのか? >>430
それは私が貼りました。
三位一体は理解できないという意見に対して、神様の全てを人間のちっぽけな頭では理解できないとしても、ある程度なら三位一体なる神様を理解する事は可能という事を示すためです。
ハレルヤ。 >>431
これが全く説明になってないんだよなぁ。
ガキすら騙せんよ。
本質は1つで役割が違って知らないこともあるってバカ論。
サタンは人間となった神って知ってて試したのか?
本当の神なら如何なる場合でも試されることはないんだよ。
本当バカバカしい。 >>433
ああ そうかね スマンスマン
早とちりだったか
今日で偽りのキリスト教団体ものみの塔のバプテスマを受けて四十三年になる。勿論主に祈り異端と決別 悪魔との契約は無効にしていただいたが 1974年 東京府中競馬場 神の目的地域大会二日目がちょうど四十三年前の今日 嘘偽り一切なしの実話だ >>434
説明になってないと感じるのはリベラルな不信仰な者とお前のような者だけ。
人間だから身代わりに死ねるわけだ。
本来なら死ねない神が死ぬ方法が受肉だ。 >>434
格好つけようがエホバの証人は偽物 偽予言 偽福音の宗教詐欺商法だよ
まんまと騙され人生危うく棒に降りそうになり主の慈悲で キリストの神に出会い 偽りから解放され救われ人生謳歌している自分がいること自体が証だろうが エホバの証人は偽キリスト教 なんだよ 君らには背教者になるわたしとやり合うつもりかね? >>435
そうですか。私よりかなり年上の方だったのですね。
あまり無理されないように。 >>437
そのバンナという人物は、聖書が改竄されたと思ってますから、ものみの塔オンラインのコピペなどもしますが基本的に聖書すら信用していないのでエホバの証人の現役とは違うと思いますよ。
まぁ、エホバの証人と研究していたわけですので多大な影響を受けてますが。
そういう意味ではエホ症なのですが。 >>439
2ちゃんねるから今日で卒業するので記念に書き込みしたのさ
昭和32年 1957年生まれの還暦になるよ 正社員から退いて年金貰うまであと三年はアルバイトする予定 君らも元気でな
再臨の時を待ちわびている 希望と信仰と愛のみ 在主 アーメン >>439
よーくわかってんじゃねーか。
ただな、プロテスタントの時から伝統的な教えに異常なほど嫌悪感を抱いていたからな。
1番影響が大きいのはその頃通った図書館やら大型書店で読んだキリスト教の本だ。
その後エホバの証人とちょっと研究したのみ。集会も2回〜3回行ったけどプロテスタントとの違いに衝撃をうけたな。信者の人柄の良さ、言葉遣い、服装、全てにおいてプロテスタントに優っていたよ。
ただ、俺にはちと違うかなと。
あとはもっぱらネットの情報だ。
お前らの言い訳も何故ここにこうやって意地でも三位一体を頑なに押し付けるかも、ぜーんぶネットに書いてあったぜ。
とにかく何と言おうと三位一体などという神は存在しない。人間が人間為に作った偽りの神で間違いないよ。 >>441
引退詐欺。 バカバカしい。無駄な人生だね。 >>442
>図書館やら大型書店で読んだキリスト教の本だ。
それはキリスト教の本ではない。
>集会も2回〜3回行ったけどプロテスタントとの違いに衝撃をうけたな。信者の人柄の良さ、言葉遣い、服装、全てにおいてプロテスタントに優っていた
たった一箇所のプロテスタントに行った程度、集会に2、3回行った程度で分かったような事を言うな。
様々な会衆、教団、教派を知っている人々でもエホバの証人より、一般教会の方が素晴らしいと言ってる人々も存在している。
つまり、お前の狭い考えと至らない浅い理解で判断しているに過ぎんという事だ。
偽りの教えの最たるものがエホバの証人である。 >>445
キリスト教を暴露した本だ。
ネットでググってもプロテスタントがクリスチャンとして素晴らしいという書き込みはとても少ない。
むしろクリスチャンのくせになにやってんの?
って書き込みが圧倒的。
調べてみろ。 生活の清さではプロテスタントはエホバの証人に歯が立たんよ。
これは実際プロテスタントの信者もたくさんの人が認めてる。
頭が下がりますと。 もう消える、将来主イエスの再臨の前に 約七年の患難時代が地上を件席し世界は地獄と化す 最後は主の裁きに委ねれば良い。既に主は勝利している大丈夫だ ヨハネ16:33 それでは携帯を解約してくる。さらば >>445
お前はどれほどのエホバの会衆、プロテスタントの教会を経験したんだ?
ネットの情報の方が話は早いだろ。 >つまり、お前の狭い考えと至らない浅い理解で判断しているに過ぎんという事だ。
これ、まんま三位一体のこと信じてる奴のことやんwwww 今どき三位一体とか本気で信じてんのなんてジジイかとババアしか居ねーよ、それかどうしようも無いアホw
歴史と照らし合わせて調べれば何が真実かがわかる。
聖書には要約すると、唯一まことの神で有られるエホバ=ヤハウェがキリストととして遣わしたイエスキリストに信仰を持って、唯一まことの神エホバを崇拝するようにと書いて有る そうそう。時代遅れだよな。
ジジババの洗脳がなかなか解けなくてこまるw いや〜改めて1から読み直すとおもしれぇなこのスレw
三位一体なんぞの支離滅裂な教理なんざぁサタンの策略なんだよボケがぁ、
脳ミソ凝り固まった思考停止のジジイとババアしか居ねーよ
ダセェダセェー、マジダセェーwwww
正に老害w
もう寝るわw 2ちゃんに現れるプロテスタントなんてエゴまみれのカスしかいないからな。
本当、プロテスタントから足を洗って正解だったぜ。
ここに来てるアホ共みたいな人生になるとこだった。 このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか
ルカ11:13
聖霊も神の言いなり。ま、言うまでもなく聖霊は神じゃなく神のエネルギーだがな。 聖霊は神の意思によってのみ動くものだしな。
聖霊自体が人格的な存在ではなく、神の意思にそって人格的な現れ方もするという事。
イエスが洗礼を受けた時もそうだが、あくまでも、神の意思のみで働くのであって、イエスキリストの意思ではない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています