エホバ病、よしおバンナいすらえる [無断転載禁止]©2ch.net
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イエス・キリストはヤハウェである
イスラエル ✨ エルサレム 🔯 ヤハウェ ☆ YHWH [無断転載禁止]©2ch.net
http://itest.2ch.net/rio2016/test/read.cgi/psy/1500858788 イエス・キリストはヤハウェである
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http://itest.2ch.net/rio2016/test/read.cgi/psy/1500858788 杭ではないなら十字架じゃないの 可能性としてはXアンドレ十字 Tエジプトタウ十字 そして普通な†十字架
そもそも確かに 古代バビロンでセミラミスの息子であり夫であるニムロデと さらに息子のタンムズはタウ十字をシンボルとしていたのは事実だが それはサタンが先回りして将来 主が磔刑される十字を ミスディレクションする為なんだよ >>264
ジジイがはしゃいでんじゃねーよ。バカか。 >>267
サタンが先回りwwww
もう何でもありだなw
マジで吹いたわ ◆十字架
「[2本の梁材を十字に組んだ]形は古代カルデアにその起源を有し,同国およびエジプトを含む隣接した国々において,タンムズ神の象徴(その名の最初の文字,タウの形)として用いられた。
西暦3世紀の半ばまでに,諸教会はキリスト教の幾つかの教理から逸脱…。
背教した教会制度の威信を高めるため,異教徒が,信仰による再生なしに教会に受け入れられた。
こうして,タウつまりTがキリストの十字架を表わすのに用いられるようになり,多くの場合に横棒を下にずらした形が使われた」(新約聖書用語解説辞典) では 夕飯タイム ブレイクしてからまた来る。一時中止
ヤハウェの御名はほむべきかな >>268
イエス・キリストはヤハウェである
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http://itest.2ch.net/rio2016/test/read.cgi/psy/1500858788
イエス・キリストはヤハウェである このスレがなんなんだ?ジジイ。誘導してんの?
もうここでもやり合いたくないってか? キリスト教が十字架を使うとわかっててサタンが先回りしたんだとよwww
腹いてぇw やっぱりアホは構えば構うほど好き勝手に言い訳を考え出すから面白くて堪らんわ。
『デカイ口たたけるのは今のうちだけ』とかほざいておいて、この程度の言い訳しか用意してなかったとは。 今のところ
十字架の呪いwww
サタンの先回りwww
が飛び出しました。
笑いが止まりません。 へぇー おぬしエホバの証人じゃないのかい?そう言ったよな 嘘偽りなく?霊的何とかって奴でなく それでエホバの証人擁護。
ま 滅びる奴らは関係ない
十字架でないなら杭と信じていないのか不思議な奴だな じゃあキリストはどんな姿で磔刑を受けたのだろう?
うるせぇ お前らの背後にいる悪霊をイエスの御名で縛る さて 旧約時代 イスラエル12部族の荒野における宿営の仕方を民数記二章では 幕屋を中心にして 東西南北に
部族ごとに並んでいて 上空から見ると 巨大な十字架の形をしていたのだ。コロサイ1:24
ハレルヤ 十字は救いの印としてイスラエルは使い始めていました。 バビロンにおいて クシュは美女セミラミスと交わりニムロデを生み 創世記3:15 約束の女の胤 実現化を企て。 ニムロデはセムの手で暗殺(サレムでメルキゼデクと改名)ニムロデは太陽になった 息子を生まれ変わりと 輪廻転生の起源 聖母子像 先回りして いろいろあったって話 >>277
ああ、全く関係ねーよw
そもそもお前らは三位一体を否定したらエホバの証人だと言う固定観念にとらわれ過ぎている。
ある種の洗脳に近いな。
今日はこれから用事がある。たまには休むわ。 さて十字架について話をすすめる。
十字架の言葉は滅びに至るものには愚かであっても 救いを受ける私たちキリスト者には神の力であります。子どもにも理解できる簡単な教え ただ信じるだけ で罪赦され救われる 人間の努力や苦行 善行によらず ただ恵みのゆえに信仰だけで救われる 象徴なんだよ。 ま、俺が居たらボコボコにされるだろうからしばらくいい気になってりゃいいさw
たまには羽伸ばせw たいした用事も無いからまた覗き込むアホ
くだらん野郎だ
クズだな お前の休むとかの報告など誰も聞いてないんだよタコが アダムは土のチリで造られ 鼻に命の息吹プニューマを吹き込まれ 生きた魂になったんだと 意味わかるか。つまり人とは 霊と肉で出来ているってこと 死ぬってのは 肉と霊が分離すること さらに復活とは 霊に新たな栄光体がついてイエスと同じ驚くべき 身体になる 「木にかけられた者はすべて呪われたものである」と書いてある ガラテヤ3:13 主に使われたローマ式の死刑道具 十字架はラテン クロスという種類で 樹木をはぎ 葉をむしり取っただけの荒削りの縦木と横木の組み合わせでした キリストの打ち傷のゆえに あなたがたは癒された 第一べテロ2:24
主イエスは九回裏逆転満塁ホームランが好きらしく 物事を大逆転させる為に屡々私たちを 窮地に陥れ試練に遇わせることがあります。しかし コロサイ一章万物は主イエスの為に存在していますので 私たちはどんな時も 肉体を破壊されたとしても基本平安に生きるのです よく日本の神社の鳥居のルーツは出エジプトの過ぎ越しの子羊の血を塗りつけた 左右の門柱と上の鴨居と云われます。その是否はともかくも 当時の門柱と鴨居の形は 十字架二つの形になるのをご存知でしたか?悪霊が一番恐れ嫌うのがイエスの血潮と十字架です 賛美しましょう ユダヤの伝承によりますと 荒野での試みの際 青銅の蛇を鋳造して 生きるか死ぬかの瀬戸際火急の際に 真っ直ぐな棒状の蛇を製作して 樫の木にくくり付けて 癒される為に人々は 見つめました。
ストレートに此れは十字架を予表しています。横木が蛇で縦木は樫の木で 以上 十字架は旧約時代から あらかじめ顕されていました。モーセのアマレク戦での不思議な格好から 荒野の幕屋の上空からの十字形 青銅の蛇 さらに エゼキエルと黙示録に顕された神の幻には 十字形の乗り物が出現します。
このように 聖書は十字架を預言しており イエスが磔刑されたものは 一本の縦木だけでなく 横木も組み合わせたものでした。勿論 状況によれば生木に掛けられたり 一本杭に掛けられた囚人もいたでしょうが イエスの場合は ラテンクロスだったのは明らかなのです。 >>283
ですから結論 わたしをボコボコにしたい輩は神に裁きを委ね
古代バビロン起源のタウ十字云々と口を尖らす者には言わせておきなさい、されど我らは 十字架につけら 私たちの為に死んでくださった主なるイエス・キリストに感謝し 賛美します。
♪救う為です 主の十字架 滅ぶばかりのこのいのち 荊の冠 釘の痕 堪えられたのは誰のため 9十分です。
以上 十字架に関して考察いたしました。三位一体に関しては以前再三書いたのに あほどもが無視してるから また機会ありましたら 霊を縛ってから投稿いたします。約束はしません またあほどもが ハイエナのように彷徨することでしょう。それでは 今夜はこれで 解除します。 O
o と
。 ,. -ー冖'⌒'ー-、 思
,ノ \ う
/ ,r‐へへく⌒'¬、 ヽ. キ
{ノ へ.._、 ,,/~` 〉 } ,r=-、. チ
/プ ̄`y'¨Y´ ̄ヽ―}j=く /,ミ=/. ガ
ノ /レ'>-〈_ュ`ー‐' リ,イ} 〃 /. イ
/ _勺 イ;;∵r;==、、∴'∵; シ 〃 /. で
,/ └' ノ \ こ¨` ノ{ー--、〃__/ あ
人__/ー┬ 个-、__,,.. ‐'´ 〃`ァーァー\ っ
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W 口が悪い人の方が理屈通ってる。確かにキリスト教の教えは政治的要素が多すぎる。
プロテスタントはもっと反抗者、抗議者としてカトリックの異教的要素を排除するべきだったと思う。 その通りだ!偶像やマリア崇拝を排除したのは偉いが肝心な三位一体やらクリスマスは継承してしまった。
それでプロテスタントと名乗るのは如何なものかねぇw >>296
異教に勝ち、キリスト教のものとしてやってるからOK。 365日教会は証しているだろ。
いつでも証するべきならクリスマスの日も伝えてOK。 0325 神も仏も名無しさん 2017/07/24 17:08:28
>●隣人愛なし。むしろ煽る。
>●証しない。 むしろ仕事と2ちゃん。
>●父を崇拝しない。むしろ子にロックオン。
>これがプロテスタント流クリスチャンだとさ。
>何処かのクリスチャン見習ったらどうかね。
▼愛があるから正しい三位一体なる神を伝えているんだろが。
▼クリスチャンはエホバカルトのような偽の伝道、個別訪問ではなく日常の中で機会をとらえていつでも証している。トラクト配布、教会でのイベントへの招待等も行う。
▼愛する御子なる神を遣わして下さった父に感謝して礼拝しているのは明白。父を尊ぶのと同じように子を尊べ。イエスは主なる神。
三位一体なる神を礼拝するのが真のクリスチャン。
悔い改めたらどうかね。 十字架であった事は証明されている。
1世紀のクリスチャンの墓にも十字架が記されている上に完全にバンナは論破されている。
聖書辞典から悪引用している時点で敗北している。
しっかり確かめろ。
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} 十字架か杭かで揉めてるのはエホバとカトリック&プロテスタントだろ?
問題はそんなことじゃねーんだよ、何故わざわざ異教の象徴を首からぶら下げなきゃなんねーんだよ、ドアホ イエスは人間となられたので神の不変性に反するというバンナの間違った意見もあったな。
ヘブライ13章 08節
イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。
永遠の存在、変わらない存在は神のみ。
イエスの霊、神としての本質は不変である。
イエスは神。 >>302
世界が注目する点で価値があるんだろが。 >>304
職種などお前には関係ねーだろ。
十字架を象徴とするのは相応しく、異教のものではないと言ってるんだよ。
お前は論破済みなわけよ。論破された事を繰り返すなタコ。 サタンが先回りの人物と俺は別人だからな。
それくらい分かれよ? >>291
ってことは極端な話 スタウロスは机でもスタウロスなのか
昔 黒板にくくりつけられた番長に投げナイフで殺傷した劇画あったな 愛とまことって奴よ まことだよ まこと >>306
んなもん、わざわざ悪魔を崇拝して世界にアピールせんでもいいやろドアホ >>307
異教の象徴ではないと言い切ってんのはあんたら十字架をぶら下げてる奴の言い分だろ?
そんなもん論破でも何でもねーんだよ、異教の象徴をそう言う意味で使ってないって言っても何の説得力もねーんだよ、ドアホ >>307
どーせろくでもねぇ仕事だろ オメーなんざ。 >>298
異教に勝ちって言ってるけど、結果的に異教を捨ててねーんだからむしろ敗北だ、ドアホ プロテスタント=抗議者(笑
同じことやってるだけだろ、カトリックと大差ねーよ
カスだよカス 教会とはエクレシアだよ。信者の集合体 集会 つまり教会の組織や建物に非ずってことよ >>316
教会が悪魔崇拝だろ。どんだけ悪魔の思い通りになってんだよw
戦争して、異教引き継いで、挙句の果ては行動は必要ないだぁ???
笑わせんなwww お前らに当てた聖句だろう。
「この民は、口先では私を敬うが、その心は私から遠く離れている。
彼らが私を拝んでも、無駄なことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。」
お前らはまさしくこれなんだよ。
イエスの教えを無視して、人間が決めた教えを正当化する為に聖句を誤引用する。 >>321
ダントツでプロテスタントだと思う。こいつらほど野蛮で強情で自己中な団体はない。 プロカスは異教徒は地獄行という前提で他を煽り、我々こそが!!と永遠の命を望む姿は自我の存続に固執した究極のエゴイズムだなw 論破されまくりwww
プロカス撃沈!!
サタンの策略にまんまと引っ掛かり、それを見抜けずに現在に至っているなんてwwww
本当に残念な人達なんですねw >>325
つまんねぇよ。熟年マンネリクソジジイ。
毎回毎回寒いんだよ、出てくんなボケ >>324
簡単ですよね。キリスト教の論破って。
少なくともそれなりの人材がいるメジャーな教団では
三位一体がどうしようもない空論である事は十分に認識している事なので、メジャーな教団では三位一体を
放棄するのは時間の問題だと思います。
もうね、殆ど気付いてるんだよ、本当は。 >>327そうなんですよ。
自分もサタンの策略に気づいてプロテスタントから離れましたからね コロサイ2章8
気をつけなさい。もしかすると、人間の伝統にしたがい、また世の基礎的な事柄に従ってキリストに従わない哲学や虚しい欺きにより、あなた方を餌食として連れ去る者がいるかもしれません。 マタイ13章14
イザヤの預言は彼らに成就しています。それはこう述べています。「あなた方は聞くには聞くが、決してその意味を悟らず、見るには見るが、決して見えないであろう。 >>331
盲目ですね。奴らにはこれだけ真実を教えてやってんのにw マタイ13章19
人が王国の言葉を聞きながらその意味を悟らない場合、邪悪な者がやって来て、その心にまかれたものをさらって行きます。これが道路のわきにまかれたものです。 >>333
もうプライドが邪魔して後戻り出来ないんでしょう、だから他の宗教を批判する事しか出来ないのですよ
本当に残念な人ですねw >異教を承認したものを押し付けるな。変な神信じるくらいならお前だけでバカやってろ。迷惑だ。
異教との関連がまず証明されていない。お前の妄想。
>甘えんな、JWの伝道に比べたらクズ中のクズ。
努力のどの字も知らん。楽なことばかり考えてる。
聖書によればエホバカルトのように一軒一軒、個別訪問を無差別に行うのではなく、家の教会を教えて回ったのだ。
つまり、教会を各地指導して回ったのだ。理解力ゼロだなお前。
>いや、イエスは神ではないからその時点で父も子も憤慨してる。しかも聖霊というのも混ぜ込んで無理やりその頃主流だった三位の神のモノマネしただけ。
非常に罪深い
神なんだよ。お前がなんと言おうと1世紀当時からイエスは神であった。
記録が残っているんだよ。
お前ほど罪深い奴もおらんぞ。 🏪で蒲焼き1860円もする💖
不味そう‼
辞めたほうがいい?😆 今日は土用の丑の日だから、2,3日経ってから値段も
こなれてきたら食べな >>337ほらよ。
マタイ4章10
その時、イエスは彼に言われた、「サタンよ、離れされ!『あなたの神エホバをあなたは崇拝しなければならず、この方だけに神聖な奉仕をささげなければならない』と書いて有るのです。 >>340
マタイによる福音書/ 04章 10節
すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、/ただ主に仕えよ』/と書いてある。」
ギリシャ語原文に『エホバ』は存在しない。
神である主である。
イエスも聖霊も神であり主である。
三位一体の神だけが唯一の神。
お前が最初から論破されている。 タンムズの神に起源?
ものみの塔の出版物は、タンムズの神について、次のような論理を展開する。
バビロンのタンムズ神は十字架によって象徴された。キリスト教がシンボルとしている十字架は、そのタンムズの十字架と関わりがある。
だから、キリスト教の十字架は異教に由来し、偶像崇拝となる。
果たして、この主張は正当なのか。検証してみよう。
まず、協会出版物が、タンムズ神と十字架の間に深い関係があったとしている記述を紹介しよう。
例え ば、『ものみの塔』誌は、次のように述べている39。
「十字は、キリストが来る数世紀も前から、インド、中国、ペルシャ、エジプト、そしてもとよりバ ビロンの異教徒が使っていました。
直立の十字は、バビロニア人の神タンムズの象徴でした。
また古 代ローマにおいては、太陽神ソルのシンボルとしても使われました。この種の十字は、タンムズ神の 頭文字「T」の原形でした。」
39『ものみの塔』1964 年 10 月 1 日号、587 頁。
ここでは、タンムズ神がTという十字に象徴された、と断言している。
しかし、そう主張する根拠を挙げていない。重要なのは、歴史的な証拠である。
さらに、他の『ものみの塔』誌は、エゼキエル書 8 章 14 節に出てくるタンムズ神と十字架を結び付けて いる40。
「エホバの宮にすわり、バビロニアのバッカス、タンムズ神のために泣いた背教のユダヤ人の女にと って、十字架は神聖なる象徴であったに違いありません。
これらの女たちは、実際にはバビロンを建 設した強力な狩人ニムロデのために泣いていたのです。」
この『ものみの塔』誌の執筆者は、タンムズ神のために泣いた女にとって、「十字架は神聖なる象徴であ ったに違いありません」と推測している。
しかし、筆者の知る限り、エゼキエル書 8 章 14 節のタンムズ神 と十字架と結び付けて説明している注釈書は一冊もない。
タンムズ神が十字架と関係があったという歴史的証拠はない。
協会出版物の辞典、『洞察』や『聖書理解 の助け(Aid to Bible Understanding)』でさえ、「タンムズ」の項において、十字架との関わりは一言も 述べられていない。 協会が、十字架とタンムズ神とを結び付ける根拠として挙げる書物は、バインによる『新約聖書用語解 説辞典』である。
『目ざめよ!』は、次のように述べている41。
「新約聖書用語解説辞典はさらに明確に、十字架は『古代カルデアにその起源を有し、タンムズ神の 象徴(その名の最初の文字で、神秘的意味の付されたタウの形)として用いられた』と述べています。
ですから、十字架は明らかにキリスト教以前のものです。」
ここに指摘されている『新約聖書用語解説辞典』とは、むろん、バインの辞書のことである。
その辞書 が、十字架とタンムズ神とを関係づけていることは確かである。
しかし、残念ながら、バインは、そう主 張する根拠を提供していない。バインの辞書は、一般の読者のために解説したポピュラーな書物である。
従って、いつでも詳しい資料を提供しなければならないというわけではないが、一般に定説として認めら れていないことを記す場合には、その根拠を提示する必要がある。
上記のバインの主張はまさにこのケー スである。ところが、バインは一つの文献も挙げていない。 例えば、クリスマスだという12月25日は本来、太陽神であるバアルの誕生日として守られた季節である。
一年を通じて、弱くなった太陽が力を得るこの時期(冬至)を、バアルの誕生日と考慮したのだ。
また、復活祭(イースター)を英語ではEasterというが、実際には、この用語は、月の神として知られるIshtarという名前に由来したものである。
12月25日が太陽神であるバアルの誕生日であれば、復活祭がある4月中旬が、月の神イシュタルの誕生日だったということだ。
復活祭になると、教会で卵を配る風習があるが、実際にはこれも教会の伝統ではなく、 Ishtarが卵から誕生したというバビロンの神話に由来したものである。
カトリックのマリア崇拝も、まさにセミラミス、あるいはイシュタルに仕えたバビロン宗教から始まったのだ。
またマリアが赤ん坊のイエスを抱いている様子は、以下の図でも分かるように、セミラミスがタンムズを抱えているバビロンの宗教から持ってきたものである。
そのほかにも、バチカンで使用しているいくつかの建物と象徴の中で、今も難なくバビロン宗教の痕跡を見つけることができる。 タンムズ神と十字架との関わりは否定できません。
「新約聖書用語解説辞典」にそのことが記載されています。
また、「天地の女王イナンナ」(1983年)という著書には、「古代シュメールには非常に多くの『死にゆく神々』がいた。
最もよく知られているのはドゥムジ、つまり聖書中のタンムズで、エルサレムの女たちはエゼキエルの時代になってもまだこの神のことを嘆き悲しんでいた。
本来、ドゥムジ神は死すべきシュメール(バビロン地方)の支配者だった」。という記述があります。
タンムズは太陽神ではありませんが、最初のバビロニア帝国の神々の万神殿には三つ組の神々が幾組か含まれるようになり、その一例に、月神シン、太陽神シャマシュと、タンムズの愛人もしくは配偶者である豊饒の女神イシュタルということのようです。
そして、バビロニア人とシリア人は、タンムズを植物の神と考えていました。
植物は雨の季節に生長して乾季に枯れます。植物が枯れることはタンムズの死に相当したようで、暑さの盛りの時期になるとその死を嘆きました。
雨の季節に植物が再度生長してくると、タンムズがあの世から戻って来たと考えられました。
エゼキエルの時代の女たちがないているのもその崇拝行為の由来からです。
元来、世界中の宗教の様々な教義の要素は直接的間接的に、紀元前20世紀以上前のメソポタミア文明の流れから継承されている古代のバビロンに由来しているので、三位一体や十字架なども名残として今でも連綿と受け継がれてきています。
ちなみに、十字架が取り入れられて年月がたつと、約400種類もの異なった形の十字架が登場しそうです。
初めのうちはキリストは含まれていなかったようですが、西暦7世紀終わりごろに、十字架上に若い男子の胸像をあしらった十字架が“公式”となりました。
やがてこれがキリストの彫像の付いた十字架へと発展しました。 >>343
■文語訳(日本聖書協会発行)
「われはエホバなり是わが名なり 我はわが栄光をほかの者にあたへず わがほまれを偶像にあたへざるなり」
■口語訳(日本聖書協会発行)
「わたしは主である、これがわたしの名である。わたしはわが栄光をほかに与えない。また、わが誉を刻んだ像に与えない。」
■新共同訳(日本聖書協会発行)
「わたしは主、これがわたしの名。わたしは栄光をほかの神に渡さず わたしの栄誉を偶像に与えることはしない。」
■新改訳(日本聖書刊行会発行)
「わたしは主、これがわたしの名。わたしの栄光を他の者に、わたしの栄誉を刻んだ像どもに与えはしない。」
■新世界訳(ものみの塔聖書冊子協会発行)
「わたしはエホバである。それがわたしの名である。わたしはわたしの栄光をほかのだれにも与えず,わたしの賛美を彫像に[与える]こともしない。」
翻訳そのものは基本的にどれも変わりません。ただひとつの箇所を除けば…。
そうです、神の名前を明らかにしているか否かです。この点で、新改訳のあとがきには次のような一文が掲載されています。
「旧約聖書においては、特に、文語訳ではエホバと訳され、学者の間ではヤハウェとされている主の御名を、この訳では太字で〈主〉と訳し、それによって主の御名がしるされている箇所を明らかにした。」、同様に新共同訳も用語解説の「主」の項目でこう述べています。
旧約聖書中、イスラエルの神は種々の名称で呼ばれており、そのうち最も多いのがいわゆる神聖四文字YHWH(6,500回以上)である。この語の正確な読み方は分からないが一般にヤーウェまたはヤハウェ(文語訳ではエホバ)と表記されている。」
ですから、口語訳、新共同訳、新改訳の イザヤ書42章8節で「主」と訳されている部分は、本来はヤハウェもしくはエホバという神の名があるべき場所です。
そのことは、死海文書や他の古代写本からも立証されています。
神の名前を表すヘブライ語の神聖四文字(アルファベットの YHWH に相当)が、「主」とは訳せない以上、より正確な翻訳に近いのは、イザヤ書に関して言えば、文語訳 と 新世界訳 であるとの結論になります。
はい論破w タンムズ神とは無関係
筆者は、タンムズ神と十字架とを結び付ける歴史的資料を探している。残念ながら、今のところ、その両者を結び付ける歴史的証拠を確認できない。しかし、筆者がそう主張するだけでは、議論はかみ合わずに終わってしまう。
そこで、ものみの塔協会が主張するように、タンムズ神はTというシンボルによって表され、その形象は何らかの崇拝の対象となっていた、という仮説をとりあえず認め、議論を進めること
にしよう。
もし、タンムズ神がTというシンボルによって表され、そのシンボルが崇拝されていた場合には、協会が説くように、キリスト教の十字架のシンボルとタンムズ神のシンボルとの間に、関係があったことになるのか。
そう考えるには無理がある。というのは、もし、キリスト教の十字架がタンムズ神と関係があったので
あれば、キリスト教の十字架は、十字ではなく、Tの字の形でなければならない。
あるいは、Tの形から十字の形に変化した理由を説明する必要がある。
十字によって、タンムズの神を象徴したとは考えられないからである。
バインでさえ、タンムズ神はT字で表されたと述べている。
さらに、キリスト教に十字架が取り入れられていくプロセスの中で、タンムズ神への信仰がどのように 影響を与えたのかを歴史的資料によって説明しなければならない。
協会出版物は、コンスタンチヌス大帝 が太陽神の崇拝者であったことを述べているが、タンムズ神への信仰との関わりについては触れていない。
協会が、キリスト教とタンムズ神との関連性を主張する以上、協会には両者を結び付ける歴史的証拠を提 供する責任がある。
それは、むろん、コンスタンチヌス大帝であっても、彼以外の誰であってもかまわな い。
その証拠を示さない限り、キリスト教の十字架のシンボルをタンムズ神のT字形のシンボルと結び付 けて説明するのは、単なる空想にすぎず、説得力はまったくない。 >>349
ユダヤ人はヘブライ語聖書のYHWHをアドナイ(主)と発音し、四文字だけでは名前ではなく単なるアルファベット四文字なので読めない。
つまり、翻訳時にはアドナイの訳語である主が正しい。
ギリシャ語本文のどの写本にもテトラグラマトンYHWHは存在しない。
つまり、主である。
この点でも論破済み。 少なくともそれなりの人材がいるメジャーな教団では
三位一体がどうしようもない空論である事は十分に認識している事なので、メジャーな教団では三位一体を
放棄するのは時間の問題だと思います。 >>352日本語読めますか
■文語訳(日本聖書協会発行)
「われはエホバなり是わが名なり 我はわが栄光をほかの者にあたへず わがほまれを偶像にあたへざるなり」
■口語訳(日本聖書協会発行)
「わたしは主である、これがわたしの名である。わたしはわが栄光をほかに与えない。また、わが誉を刻んだ像に与えない。」
■新共同訳(日本聖書協会発行)
「わたしは主、これがわたしの名。わたしは栄光をほかの神に渡さず わたしの栄誉を偶像に与えることはしない。」
■新改訳(日本聖書刊行会発行)
「わたしは主、これがわたしの名。わたしの栄光を他の者に、わたしの栄誉を刻んだ像どもに与えはしない。」
■新世界訳(ものみの塔聖書冊子協会発行)
「わたしはエホバである。それがわたしの名である。わたしはわたしの栄光をほかのだれにも与えず,わたしの賛美を彫像に[与える]こともしない。」
翻訳そのものは基本的にどれも変わりません。ただひとつの箇所を除けば…。
そうです、神の名前を明らかにしているか否かです。この点で、新改訳のあとがきには次のような一文が掲載されています。
「旧約聖書においては、特に、文語訳ではエホバと訳され、学者の間ではヤハウェとされている主の御名を、この訳では太字で〈主〉と訳し、それによって主の御名がしるされている箇所を明らかにした。」、同様に新共同訳も用語解説の「主」の項目でこう述べています。
旧約聖書中、イスラエルの神は種々の名称で呼ばれており、そのうち最も多いのがいわゆる神聖四文字YHWH(6,500回以上)である。この語の正確な読み方は分からないが一般にヤーウェまたはヤハウェ(文語訳ではエホバ)と表記されている。」
ですから、口語訳、新共同訳、新改訳の イザヤ書42章8節で「主」と訳されている部分は、本来はヤハウェもしくはエホバという神の名があるべき場所です。
そのことは、死海文書や他の古代写本からも立証されています。 「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです」(ヨハネ17:3)
この聖句こそが全て。神は唯一。父が遣わしたイエス。遣わされたイエス。逆はあり得ない。
キャラが違うだけ。本質は1つとか言うデタラメかつアホな教理は抹消しましょう。 >>360
何イッテんの?ものみの塔の新世界訳では その箇所を イエスキリストの知識を知ること と無駄な事が書き加えられているけどね 父と子を 個人的に「知る」何が矛盾するのか お前おかしいでしょ コロサイ2章8
気をつけなさい。もしかすると、人間の伝統にしたがい、また世の基礎的な事柄に従ってキリストに従わない哲学や虚しい欺きにより、あなた方を餌食として連れ去る者がいるかもしれません。 よっしゃ、結論行くか!
クリスマスやら三位一体やら、キリストの教えを無視した結果が胡散くさい宗教に成り下がった。
人を集めることにだけ執着した結果がこれ。
異教の慣わしを大事に継承して、何の宗教だかわからなくなってる。
クリスマス、イースター、三位一体、十字架。
キリストの教えは皆無。。
以上をもちまして、結論行きます。
【結論】
三位一体は聖書とも矛盾しているし、クリスマスや十字架と同じく太陽神崇拝との同化を意図した間違った教義であーる。 あらゆる被造物から離れ それらに先立って唯一の神の生命のうちに三位一体の三つの御人格ペルソナの無限にして聖なる交わりがあったとさ
神は愛なり 無限の過去から 互いに御子を喜ぶ御父の喜び また御父を喜ぶ御子の喜び その両者とも聖霊による喜びがありました ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています