仏教は苦を滅するのに役立たない [無断転載禁止]©2ch.net
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釈迦の教えがそんなに素晴らしくて役に立つなら、皆忠実に従おうとするだろう。
ところが実際には多くの派が乱立してしまい、何が何やら分からぬ状態。
仏教が苦を滅する特効薬だと言い張る輩を、試しに拷問してやりたい。
もし苦しんだらそいつは嘘つきだ。 >>750
外国には行ったことないから知らんがこの国には確実に霊的裏社会が存在する
そして、それらは神の怒りをかい地獄に堕ちるだろう >>1
乱立のくわしい内容は知らんが、
人間心理上、どうなったかの想像はつく
たぶん、何を重視すればいいかとか、何がポイントだとか
これ一つだけやってればあとは全部やったことになるから楽だよとか
一つに決めようとして
違うことを言った者同士がケンカしたんでしょ?
これが大事だ、いや、こっちが大事だと言い合って
自分と意見が違うとすぐ怒る
頭いい奴ほどこの争いを、争いだと思わない
俺は意見を言っているだけだ、事実を言っているだけだ、
よく考えた結果、これが正しいから言っているだけだ
それこそが、争いの正体だと、よく考えた人間ほどわからない
だから、意見の違いを言い合うのは、命を奪うよりも良いかのように見えるが
これも争いに入る。
だが、誰もが意見を他人に無理にでもわからせることを、争いだと思わない
だからこそ、戒められてしまう 苦を滅する
これが苦しい気持ちを小さくしていくことを差すなら
基本は座ることかな(座禅のような)
しかし、今までさんざん座ったが、ちっとも収まらない
(苦しい気持ちが消えない。小さくはなるのに)と思う人がいると思う。 苦が存在している、か。
否である。
対象の問題として、それを苦と表現しただけのことである。
なんでか。 糞っ、ニュー速に書き込めなくなった
ヤバいこと書きすぎたかな
糞5ちゃんの管理者早く死ねよ、地獄に堕ちろ
ゴミクズの塵にすぎない虫けらが
言論統制するなら管理者やめろ!糞野郎
誰かにかわれよ 南伝 相応部経典22-46 無常(2)
漢訳 雑阿含経3-36 正観察
http://james.3zoku.com/kojintekina.com/agama/agama7051902.html
上のリンク先に苦の滅し方について仏陀の説法が書いてある 知り合いから教えてもらった副業情報ドットコム
暇な人は見てみるといいかもしれません
グーグルで検索するといいかも『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
MWYLM 現世で完全に苦しみから解放されるかはわからない(まだわからない)けど
恐怖(不安や心配)人間関係にお金の問題に病気に…
だけど心というか意識の中には、完全な平和(絶対平和)があることは事実だよ
この世で「あ、平和だな〜(ほのぼの)」って感覚とは別次元の
絶対平和、わたしはそれを神の泉と呼んでいる(勝手なネーミングww)
ほんのちょっとでもそれを飲むと、心身の不調が消えるからだ
わたしのつたない経験だと、インフルエンザで高熱出したときに瞑想したとき
一回あるな、あれ以来はあの状態に入ったことはない
インフルは跡形もなく消えた、誰でも抱えてそうな小さな愁訴
例えば肩こり、とか頭が重いとか、歯のうずき、腰痛、疲れだるさ、膝が痛いとか腰が痛いとか、全部吹っ飛ぶ、 佛とは嘘で在り、悪で在る。
仏教なる名目に於いて一般労働からの逃亡を謳歌せし僧侶達は常に自己と周囲を欺く。
何ぞ反動的冒険を行えど、其れすら仏道の証と決定し、粉飾に塗れた生涯の一頁に刻むのだ。
例を挙げん。特権階級は道義的な労働条件から全く逸脱した人権の蹂躙たる酷使や富の再分配を忘却した独占主義なる犯罪行為に手を労働者の血で染めては其れを「ノブレスオブリージュの代償」と呼ぶ。
労働争議で被虐者が起てば、工場は生産是れ唯一の場所に非ずと言い出す。
資本家は青春の二文字をさも金科玉条かの如くに思慕し、如何なる一般的解釈も社会通念も屈曲する。
支配層に係れば虚偽も欺瞞も、詐術も弾圧さえも青春の香辛料でしか無いのだ。
又、封建領主は其の悪行に、其の詭弁に特別性を見出す。自己の労働からの逃亡は遍く青春の一部分で在るが、労働者の逃亡は青春でなく只の叛逆にして重罪であると断じるのだ。
仮に逃亡する事が仏道の証で在るのなら、資本家化を拒絶した労働者も又青春の中軸でなければ破綻的矛盾を生む。
しかし、肥え太った僧侶共は其れを認め無いだろう。
何の事も在らぬ。全体汚らしい豚の都合主義の範疇を超え無い。畢竟、其れは欺瞞に他成らぬ。虚偽も欺瞞も詐術も弾圧も糾弾される可き物だ。
資本主義は悪の源泉だ。
演繹的にも帰納的にも前衛的に仏道(笑)を謳歌してい無い労働者の方が正当な真理的正義で在る。
結論を言おう。
共産主義こそ根本である。 苦から離れる唯一の方法は、苦を感じている自分という主体が幻想であることを知り、
それを知った事自体も幻想とし、
概念を用いて積極的に表現することができない空の境地に安住すること。
苦は生じることもなく滅することもない。
苦は増えることもなく減ることもない。
このようにどちらも否定する形でしか表現は不可能な境地。
自己は有るわけでもなく、無いわけでもない。
その他のものは全て戯論であり虚しい議論。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています