>>721
つまり、私なるものを これだ と規定できるものがないんです
爪が私ですか、髪の毛が私ですか、乳首が私ですか、、、
そして それら要素の集合体の呼称を、私というラベルを便宜上貼っています
ところがその要素の集合体は、固定的でなく変化しているんです
そしてこの私なるものは、喪失、事故、病気、障害、老齢、死、等
固定安定でなく、無秩序が忍び入り、四苦八苦があり、
永続的な満足が得られず、思いに振り回され、心の穴埋めに奔走し、
受容限界な苦から自殺予備軍、国内の自殺者さえ年間数万です

そんな仮構された不安定な私より、真の心の平安の自己になれる救済が、
四諦根本仏教にあります
私なる自我は、安定性と自己意識強化を求め、何かに しがみつきやすいんです
肩書、所有物、思想哲学、信仰宗教、、=私そのものでないのに
それらと同化仮構させ自我を構築させてしまうわけです
心も始めは、世俗の世間体なる概念を吸収同化させ仮構させました
それが俗世心なる凡夫の誕生です、世間体概念=私そのものでないのに
で、その仮構の自己を空なりと観ぜよと、独我論的な錯視主観の思考を内側から
破る救済法が仏教でもあります
仮構の自己(我執)の克服により、以前より変われ、いろんな人生上の恩恵が
ありますよ、実体験としてホントです 凡夫か仏かという0か100でなく、
仏道を実践し進めていく途中(階梯は4段階)でも恩恵を実感できますよ