1+1=2は何もない机の上に蜜柑を一つまた一つと乗せれば2個になるから疑う余地がなく正しいことが分かる
少なくともこの地球上の世界ではね

五蘊を自己と見做す見做さない見解は1+1=2ほど明快で正しいというわけではない
もっとも五蘊なる言葉を作り出しそれは無我非我であると言ったのは仏陀だから仏陀の教えとしては正しい
では五蘊の代わりに感情とか思考とか意志という言葉を使い、それらは自分ではあるのかないのか、無常苦無我の説明だけでは説明はつくまい
仏典だから仏弟子は素直に仏陀の話にそうでありますと答えてはいるが
五蘊、思考、感情、意志…これらが自己ではないというのは単なる思い込みでそれで逆に自我を強化しているかもしれないのだよ

少なくとも1+1=2と同列に語るべきことではない