>>697
仮構された自己の克服による、理想的な倫理的主体としての自己
というのが中村元氏の解説にあって、
中村元は、人間の構成要素にアートマンはないが、アートマンの
存在は否定してなく「非我」なんだと、これ有名な話ですよね
で、無我か非我の論争になるけど、肝心なのはその論争の囚われでなく、
仮構された自己の克服で実現される自己であり、
パーリ律蔵でも、自己を探し求めよ、とありますよね
無我非我は、自己否定ではないですから