>>694
少し誤解がありますね、自我思考視点での解釈で限界があります
原初の出家用の教えですが、仏教用語を一切使わず、分かりやすく説明
しますと、まず心についてです
「自分の観念的な思いは、真の自己ではなかった」ことが、シャカ仏陀が発見し、
思いに依存しない、思いと自己に距離を置き、思いに振り回されない、
思いと同化してない境地の実現が可能なんです
(手順があり、誰でもその境地になれることが可能で、怠ると思いに飲み込まれ
真の自己でない思いの奴隷となってしまいます)
※思考に自分が支配され、束縛奴隷となっていないことが肝心なんです
(なぜ真の自己でないか、そこは教説にあり体験も必要で、説明が長く略します)
ただし観念的概念フィルターを通さない、根拠,証拠,事実をもとに思考したり、
計画したり、過去を調べたり、思考を道具として使えることは別です
生きてる基準は今この瞬間であり、あれもこれもするのは、常に今その時で、
未来と過去と現在の妄想の思いでなく、今ここの事実に生きる(禅でいう前後際断)
そのテーラガーターのところは、悟った人の境地で、観念的思いから離れて
いて、智慧によって語っているわけです

同じくテーラガーターから引用しますと、
「われには、われが、かつて存在したという思いもないし、
またわれには、われが未来に存在するであろうという思いもない。
潜在的形成力は消滅するであろう。ここに何の悲しみがあるであろうか。」

>道は違えど「現世に望みはなく
という思いではない
>かといって死を願うわけでもない」
死を願うという思いではない ということです