>>627
それ読むとまさしく、八正道を実践しろ、とは書いてないな。

>真理の体現者のさとった中道−それは 〜〜 聖なる八支よりなる道〉である。

悟った後の道が、「八正道」と書いてあるんであって、「八正道」によって悟ったとは書いていない。

>実に〈苦しみの止滅に至る道〉という聖なる真理は次のごとくである。
>これは実に聖なる八支より或る道である。

これは悟った後の人が、歩む道が、八正道ということであって、
それが苦を死滅する道だってこと。

日本人的感覚だと、「道」というのは過程論に使われやすい。
だけど、悟った人の歩く道こそが八正道であって、それこそが苦の死滅に 「向かわせている」 道だってこと。

その説明では、簡単に言うと、「苦の死滅とは放棄であり、解脱である。  そして、苦の死滅に至る 道(どのようなことでそうなるか)というと、
それが八正道である。」
こういう風になる。

肝心なのは、過程ではなくて、「同時的」ということ。
たとえば、
「光を感じるのは目の前に覆うものがないからだ。(苦の死滅)
なぜならサングラスをとったからだ。(苦の死滅に至る道)」

サングラスをとるというのは、光を感じるということと同時なんだよ。
つまり、これは修行のプロセスではなくて、悟りのメカニズムを分解してるだけだ。