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仏教は苦を滅するのに役立たない [無断転載禁止]©2ch.net
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0001神も仏も名無しさん
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2017/07/20(木) 19:00:57.55ID:vwMo0+T5
釈迦の教えがそんなに素晴らしくて役に立つなら、皆忠実に従おうとするだろう。
ところが実際には多くの派が乱立してしまい、何が何やら分からぬ状態。
仏教が苦を滅する特効薬だと言い張る輩を、試しに拷問してやりたい。
もし苦しんだらそいつは嘘つきだ。
0586神も仏も名無しさん
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2017/11/23(木) 07:03:50.94ID:nXtmpAHk
>>585
>『弁道話』の中に出る言葉から、《後になって生み出された曹洞宗の修証観》に関わる用語である。
0587神も仏も名無しさん
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2017/11/23(木) 08:02:48.93ID:cF6WmMZE
583.
智慧か。
それは論理学であるよ。
仏教が心理学に堕落したことを批判するものであるよ。
0589神も仏も名無しさん
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2017/11/23(木) 09:23:29.55ID:nXtmpAHk
>>588
修証一等、発心即到を曲解した現代教学でしょ

それなら只管打座も否定されるし

浄土真宗の自力放下=信心一辺倒よりも劣る邪見じゃない?
0590神も仏も名無しさん
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2017/11/23(木) 09:24:28.47ID:63PAk2mj
まことは、何に腹を立てているんだ?
オレが、柔道でまことに絡んでいるのと同じだぞ
0591神も仏も名無しさん
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2017/11/23(木) 09:44:07.49ID:GyiK7ENh
>>589自身が曲解している者だよw

妙修を放下すれば本証手の中にみてり、本証を出身すれば妙修通身におこなはる。

それ修証はひとつにあらずとおもへる、すなはち外道の見なり。仏法には、修証これ一等なり。いまも証上の修なるゆえに、初心の弁道すなはち本証の全体なり。

自分で訳してみろよw
0592神も仏も名無しさん
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2017/11/23(木) 09:53:23.28ID:nXtmpAHk
>>591
じゃあ苦労して修行する必要ないでしょ
黙照禅でもなんでもないし、禅宗である必要もない

「弁道話」を直解的に解釈して金科玉条にする人って電波な人が多い気がする

あとねー仏教は道元教じゃないんだから道元が言った=真理ではないのだよ
0593神も仏も名無しさん
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2017/11/23(木) 09:56:13.27ID:nXtmpAHk
>それ修証はひとつにあらずとおもへる、すなはち外道の見なり。

だいたい、道元禅師のこの言葉の根拠はなんなんだろう

生死即涅槃を元にしたオリジナル教義なら、これは「修行しないでいいよ!」って意味じゃないから誤読で、
もしこの野狐野郎の言うこと通りの解釈なのだとしたら道元禅師は見性にも到ってないことになるんじゃないの
0595神も仏も名無しさん
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2017/11/23(木) 10:34:53.83ID:nXtmpAHk
>>594
だからそれは仏教ではない
道元さんの教えの解釈としてもおかしいし、仮にその通りなのだとしたら道元さんが間違ってるだけ
0596神も仏も名無しさん
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2017/11/23(木) 12:01:54.78ID:GyiK7ENh
>>595
道元は比叡山出身で本覚思想自体は否定せず、ただ本覚思想に甘んじて修行不要という風潮が蔓延っていたのに対するアンチテーゼを打ち出し、
修証一如、そこから本証妙証としたのであって、本覚思想に立脚しているという点では「釈迦仏教」とは違うのは確かやろな。

ところで、もともと今のこのスレの流れの原点は
>>576
なのだがすでに仏であるから修行不要は中国ではなく日本の平安期の仏教であり、それに異を唱えたのが座禅や念仏や題目が必要とした鎌倉仏教で、
今日では本覚思想だから修行不要などと言ってる坊さんなどいないでしょ、という話から始まっている。
現在の坊さんの宗祖の一人、道元を例としてね。
一応、確認のため。

道元と天台本覚思想
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/53/1/53_1_33/_pdf
0597神も仏も名無しさん
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2017/11/23(木) 12:26:54.36ID:fgJYwoGe
計らいによる修行をやめれば、本来の悟りの姿が出てくる・・・
本来の悟りの姿が出てくれば、自然に正しい修行が行われる・・・

だから、計らいを捨てて、心はありのままの状態で、自然に正しい修行が
行われるようになるのが良いのだ、ということだな。

たとえば、座禅中に雑念が出てくる。
それを計らいで消そうとしている・・・
だからいつまで経っても雑念は消えず、正しい修行にはならない。

計らいが止めば、自然に正しい座禅の修行になる。
そして計らいが完全に止めば、それが悟りの姿になる。
0598神も仏も名無しさん
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2017/11/23(木) 13:30:54.69ID:JVSry+sI
>>574
旗先経には「また仏陀を念じ、また法を念じ、また僧を念じなさい」とあるがこれは釈迦を本尊にすることとは異なる。
0599神も仏も名無しさん
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2017/11/23(木) 13:35:27.54ID:JVSry+sI
>>598
追記で本尊の定義は存在そのものが救い導く存在でなければならない。「釈迦の法」が救うのであって釈迦自身が救うわけではないからだ。
0600神も仏も名無しさん
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2017/11/23(木) 13:40:41.29ID:0qiLNz6f
598.
それは単なる心理学であるよ。
それは宗教ではないよ。
0601神も仏も名無しさん
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2017/11/23(木) 13:45:26.60ID:0qiLNz6f
599.
救い導く存在、か。
そんなものは存在しないよ。
0602神も仏も名無しさん
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2017/11/23(木) 13:52:13.88ID:JVSry+sI
>>601
実在する存在ではね。だから、経典に顕れる諸仏の存在が必要になる。
0603神も仏も名無しさん
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2017/11/23(木) 14:04:35.87ID:0qiLNz6f
602.
存在するものが救うのではないよ。
0604神も仏も名無しさん
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2017/11/23(木) 14:53:20.30ID:JVSry+sI
>>603
ここで言う存在は有無のことを言ってるわけではない。識の話で言えば第七識や第八識の話。六識までの話ではないよ。
0605神も仏も名無しさん
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2017/11/23(木) 20:46:05.35ID:nXtmpAHk
>>598
「比丘たちよ、仏、法、僧を念じなさい。(そうすれば)恐怖、畏れ、身の毛のよだつことは起こりません。」
0606神も仏も名無しさん
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2017/11/23(木) 21:19:27.71ID:JVSry+sI
>>605
あくまで仏法僧を念じることが大事。ここの仏とは必ずしも釈迦牟尼仏のみを指してる訳ではない。その場合仏陀のみを念じよとなるから。
0607神も仏も名無しさん
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2017/11/23(木) 21:22:18.46ID:JVSry+sI
>>606
つまり、宗派によって本尊は異なれど釈迦牟尼仏以外を本尊にしている宗派をエセ仏教と否定するのは間違ってる
0608神も仏も名無しさん
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2017/11/23(木) 21:38:28.07ID:nXtmpAHk
>>606
「かくまた、かの世尊(シャカムニ)は、阿羅漢であり、正自覚者、明行足、善逝、世間解、無上調御丈夫
天人師、仏、世尊である。」

「比丘たちよ、仏を念じなさい」

「もし仏を念じられないときは法を念じなさい」

「もし法を念じられないときは僧を念じなさい」

「比丘たちよ、このように(evam)仏を・・・念じなさい。(そうすれば)恐怖、畏れ、身の毛のよだつことは起こりません。」
0609神も仏も名無しさん
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2017/11/23(木) 22:40:24.13ID:wGpg7LiL
608.
それは単なる心理学であるよ。
それは宗教ではないよ。
0611神も仏も名無しさん
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2017/11/24(金) 21:20:18.85ID:IP1AVxPn
>>607
だから、教えの中身でしょ
調べると禅宗は、釈迦牟尼を本尊としているようだが
原始仏典で仏教でない外道の教えを定義していて、
それらのほとんどは大乗なんだよ
禅宗でも道元教も中国で改造の似非仏教だし
煩悩あるがまま、毎年曹洞宗の僧に犯罪者が生まれている
犯罪行為そのものになる行、あほか 中国産に慧の修習がない
老荘思想の影響か、計らないのない子供のようにと口癖なのか
子供は道徳を守らず、いじめ、暴力、非行、反社会的あるがままで
いいのか 釈迦は智慧で道徳、慈悲の説法をした
択法覚支で分別、ものごとの正邪真偽を実際に判別
結局、集中三昧では解脱できないと原始仏典で説かれてるんだけどね
0612神も仏も名無しさん
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2017/11/25(土) 03:44:59.47ID:Cd6w9gno
>>611
2号、エックハルトトールってのは原始仏典に書いてあることと同じことを言ってるのか?
0613神も仏も名無しさん
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2017/11/25(土) 04:08:49.69ID:U5H9CErI
禅宗の人は「禅は修禅にあらず」っていうんだけど
じゃあ禅のどこに観(ヴィパシャナ)の要素があるのかっていうと言わないんだよな
0614神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/11/25(土) 07:02:09.97ID:tk119Ih8
611.
集中三昧では解脱できない、か。
正解である。
だからして、バカ禅師とバカ弟子しか存在しないのである。
0616神も仏も名無しさん
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2017/11/25(土) 11:28:37.54ID:U5H9CErI
>>615
禅と観が関係ないなら座禅では悟れないな
0617神も仏も名無しさん
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2017/11/25(土) 11:30:13.61ID:WuADppB/
>>616
悟ってからものをいえ
0618神も仏も名無しさん
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2017/11/25(土) 11:32:16.90ID:U5H9CErI
>>617
観なしに解脱できるというなら仏教的には間違い
道元教は仏教とは違うといわざるを得ない
0619神も仏も名無しさん
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2017/11/25(土) 11:33:15.85ID:YicTUcM3
616.
坐禅は身体の状態である。
身体の状態と悟りとは関係がない。ヨガも同じである。
0620神も仏も名無しさん
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2017/11/26(日) 16:31:00.04ID:/36bINCu
仏が現在しない時点で解脱への道が途方もなく遠のいてるというか、不可能になってるし、釈尊が涅槃したあとにどう理解していくかっていう感じで色々解釈出てきたちゃったわけだししゃーなしじゃねえの
0621神も仏も名無しさん
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2017/11/26(日) 21:37:40.32ID:XR7bZydC
>>620
八正道というのを実践すれば解脱できると釈迦は言ったのだが
0622神も仏も名無しさん
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2017/11/27(月) 00:26:35.92ID:MrrFSXDT
>>621
例えば八正道の正見がわからなくなったら誰に聞けばいいのか
仏が現在してれば一番正しい答えが帰ってくるだろうけど、現在してないから大問題
そこを自分たちで理解していかなくちゃいけないわけだからアビダルマが発展したんだろうけど
仏がいないからしょうがないね
0623神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/11/27(月) 01:35:10.05ID:1r+6XBGb
>>622
自分の目で見た、耳で聞いたことしか信用出来ない人にとってはそうなのかもね。
0624神も仏も名無しさん
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2017/11/27(月) 02:02:16.74ID:MrrFSXDT
>>623
個人的な見解だけど、実際そういう人ばっかだったと思うよ
残された言葉だけですべてを理解できる人なんて多くないだろうし、そもそも不過言説なわけだし
当時からすれば頼りの仏陀が入滅してるからかなりの詰みゲー状態
仏教の思想発展自体が、こうした詰みゲー状態や屁理屈に対抗した結果なんじゃないかな、ホントよく理屈こねくり回されてるよ
0625神も仏も名無しさん
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2017/11/27(月) 02:16:50.89ID:mpmUpBqk
>>622
釈迦の入滅後でも500人の阿羅漢がいただろう?
0626神も仏も名無しさん
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2017/11/27(月) 03:23:13.92ID:0HLvAlAs
仏教の教えというが仏教は教えてるのか?
教えてないから修行者を何千人と受け入れて修行させるという教義だったんじゃね
0627神も仏も名無しさん
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2017/11/27(月) 03:48:25.02ID:m/1njSsc
>>621
それはおそらく後の誤訳だな。

「八正道を実践しているものは、解脱出来ている」が正しい

結果論と修行論を間違えている典型。

八正道は完成という結果論であって、過程という修行論ではない。
0628神も仏も名無しさん
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2017/11/27(月) 09:35:20.32ID:mpmUpBqk
>>627
 実に〈苦しみ〉という聖なる真理は次のごとくである。
生れも苦しみであり、老いも苦しみであり、病い恥苦しみであり、死も苦しみであり、憎い人に会うのも苦しみであり、愛する人に別れるのも苦しみであり、欲するものを得ないことも苦しみである。
要約していうならば、5つの執着の素因としてのわだかまりは苦しみである。
 実に〈苦しみの生起の原因〉という聖なる真理は次のごとくである。
それはすなわち、再生をもたらし、喜びと貪りをともない、ここかしこに歓喜を求めるこの妄執である。それはすなわち欲望に対する妄執と生存に対する妄執と生存の滅無に対する妄執とである
 実に〈苦しみの止滅〉という聖なる真理は次のごとくである。
それはすなわちその妄執の完全に離れ去った止滅であり、捨て去ることであり、放棄であり、解脱であり、こだわりのなくなることである。
 実に〈苦しみの止滅に至る道〉という聖なる真理は次のごとくである。
これは実に聖なる八支より或る道である。すなわち、正しい見解、正しい思惟、正しいことば、正しい行ない、正しい生活、正しい努力、正しい念い、正しい瞑想である。
http://www.wikidharma.org/index.php/%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%A6%E3%82%93%E3%81%BC%E3%81%86%E3%82%8A%E3%82%93

これも誤訳ですか?
0629神も仏も名無しさん
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2017/11/27(月) 09:35:24.63ID:1r+6XBGb
>>624
マクロ的に物事を見てるからそう見えるだけ。ロボットが教えを繋いでいるわけじゃないんだから
0630神も仏も名無しさん
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2017/11/27(月) 10:25:46.43ID:0HLvAlAs
>>628
で富を否定すれば生死の苦しみはなくなり、憎らしい人をそもそも関係せず生きていれば苦しみはなくなり
愛する人も子供も何もなければ離別の苦しみはなくなり、それを突き詰めていけば欲求もなくなると
0631神も仏も名無しさん
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2017/11/27(月) 10:32:00.84ID:0HLvAlAs
仏教はBC6世紀ごろだからもしかしたら欧州の解脱宗教がインドにわたった可能性もあるのかもしれないが
でもニルヴァーナ思想の根本はヤジューニャヴァルキヤとかそれ以前から存在したから
やはりインドの修行涅槃思想がヨーロッパにわたってミトラス教やゾロアスターミトラ教やピタゴラス教団とかになったのかな
その際すべてを良いものもまとめて否定する教義があいいれなくて、結局ゾロアスターを抱合して善悪終末論禁欲思想となった
仏教などは光と闇、善悪論がそもそもなくて執着の否定と輪廻思想があるからより自然に思えるが
当時からそれがいい教義と思われてればヨーロッパにそのまま伝わっていただろうし
やはり世を離れるって思想が不可欠なのかな
0632神も仏も名無しさん
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2017/11/27(月) 11:20:30.34ID:mpmUpBqk
>>630
1001.(1002) 〔わたしは〕死を喜ばない。〔わたしは〕生を喜ばない。正知と気づきの者として、この身体を置き去りにするであろう。

1002.(1003) 〔わたしは〕死を喜ばない。〔わたしは〕生を喜ばない。しかして、雇われ者が報酬を〔待つ〕ように、〔為すべきことを為して、死の〕時を待つ。
http://zhaozhou-zenji.hatenablog.com/entry/2016/07/10/094409

> 実に〈苦しみの生起の原因〉という聖なる真理は次のごとくである。
>それはすなわち、再生をもたらし、喜びと貪りをともない、ここかしこに歓喜を求めるこの妄執である。
>それはすなわち欲望に対する妄執と生存に対する妄執と生存の滅無に対する妄執とである。

という釈迦の教えを阿羅漢達はしっかり会得してますね
0633神も仏も名無しさん
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2017/11/27(月) 11:43:50.24ID:m/1njSsc
>>627
それ読むとまさしく、八正道を実践しろ、とは書いてないな。

>真理の体現者のさとった中道−それは 〜〜 聖なる八支よりなる道〉である。

悟った後の道が、「八正道」と書いてあるんであって、「八正道」によって悟ったとは書いていない。

>実に〈苦しみの止滅に至る道〉という聖なる真理は次のごとくである。
>これは実に聖なる八支より或る道である。

これは悟った後の人が、歩む道が、八正道ということであって、
それが苦を死滅する道だってこと。

日本人的感覚だと、「道」というのは過程論に使われやすい。
だけど、悟った人の歩く道こそが八正道であって、それこそが苦の死滅に 「向かわせている」 道だってこと。

その説明では、簡単に言うと、「苦の死滅とは放棄であり、解脱である。  そして、苦の死滅に至る 道(どのようなことでそうなるか)というと、
それが八正道である。」
こういう風になる。

肝心なのは、過程ではなくて、「同時的」ということ。
たとえば、
「光を感じるのは目の前に覆うものがないからだ。(苦の死滅)
なぜならサングラスをとったからだ。(苦の死滅に至る道)」

サングラスをとるというのは、光を感じるということと同時なんだよ。
つまり、これは修行のプロセスではなくて、悟りのメカニズムを分解してるだけだ。
0634神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/11/27(月) 12:00:39.42ID:mpmUpBqk
>>633
君の詭弁はつまらない詭弁だね
0635神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/11/27(月) 12:25:03.71ID:MJ/mtSpy
>>633
悟りと解脱は別という独自解釈の上で論理展開していくから無理が生じている
0636神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/11/27(月) 12:59:24.76ID:/8vUWbQ0
633.
悟った後は、同時的、ということになる。
悟る前は問題としなくてもよい、ということかや。
0637神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/11/27(月) 14:39:16.34ID:QIq3XRrl
「空の思想史」 立川武蔵

この世界を実体のないものと考える空観、
この世界を実体のあるものとして考える仮観、
空観と仮観を同時に行う中観、
この一心三観は日本仏教の中軸だと思うが、
これが匿名掲示板で天台宗の円融によって始まったと聞いていたが、
それはまちがいで、中国の仏僧によって始まっていたことがわかってよかった。
一心三観と無上瑜伽タントラこそ、日本仏教の真髄だと思う。
0638神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/11/27(月) 14:40:58.79ID:QIq3XRrl
無上瑜伽タントラで苦しみの世界から救われるってのが仏教の現時点での答えでしょ。
ぼくもそれなら、救われる気がするわ。
0639神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/11/27(月) 14:45:58.94ID:/8vUWbQ0
638.
苦しみの世界から救われる、か。
それは不可能である。
なんでか。
その世界が存在しているからである。
0640神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/11/27(月) 16:05:33.84ID:9ZsstNLt
>>637
> 一心三観と無上瑜伽タントラこそ、日本仏教の真髄だと思う。

なにそれ、日本仏教のどこに無上ヨガタントラがあるの
0642神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/11/27(月) 16:11:35.90ID:/8vUWbQ0
641.
学者で、本も多数に出している。
0644神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/11/27(月) 16:21:39.10ID:/8vUWbQ0
643.
立川の本を読んでいないバカは黙っていろ。
0645神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/11/27(月) 18:06:10.66ID:Ud5q8996
>>611
とりあえず言いたいことはわかったけど原始仏典における外道の定義は全然違うからな。
0647神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/11/28(火) 21:30:53.02ID:3+OMdU9a
>>618
お釈迦さま&道元禅師のダブル遺言の「八大人覚」も最重要なのが、五番目の「不忘念」。
その意味は勿論、「マインドフルネスを忘れるな」。
0648神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/11/29(水) 10:06:05.51ID:1Eh3yGUx
小倉智昭氏。〜この人は正しい見方「正見」ができている?

日馬富士は「これ以上、協会に迷惑をかけたくない」という思いが強いと思われ、「それぐらい相撲界のことを考えている人。

「モンゴルに小学校を作ったり、体の不自由な方と接し方もほかの力士とはまるで違ったり」と例を挙げた。
小倉氏は「それを思うと、ちょっと気の毒だなと思う。僕はね、彼が好きだからそう思っちゃうのかもしれないけど」と続けた。
0649神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/11/30(木) 17:58:42.71ID:ga98fSIS
>>647
「妙修を放下すれば本証手の中にみてり、本証を出身すれば妙修通身におこなはる。」と「八大人覚」がどう繋がるんだよ
0650神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/11/30(木) 22:32:35.24ID:jxHp2UjL
本来仏であるからこそ、修行は文字通りの仏行となるのであり、同時に仏行を行っているからこそ、我々は本来仏であると直観できるが、
この循環の論理こそ「本証妙修」の特異な点である。
0651神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/01(金) 00:42:00.22ID:il1Pw3pa
臨済、黄檗ではそんなこと言わないよね
道元教をこれぞ仏教みたいに言われても、ね
0652神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/01(金) 01:30:55.32ID:fBfiM2NO
>>651
臨済宗で読まれる白隠和讃

衆生本来仏なり  水と氷のごとくにて
水を離れて氷なく  衆生の外に仏なし
衆生近きを不知(しらず)して  遠く求むるはかなさよ
譬(たとへ)ば水の中に居て  渇を叫ぶがごとくなり
長者の家の子となりて  貧里に迷うに異ならず
六趣輪廻の因縁は  己が愚痴の闇路なり
闇路にやみぢを踏そへて  いつか生死をはなるべき
夫れ摩訶衍の禅定は  称歎するに余りあり
布施や持戒の諸波羅蜜  念仏懺悔修行等
其品多き諸善行  皆この中に帰するなり
一座の功をなす人も  積し無量の罪ほろぶ
悪趣いづくにありぬべき  浄土即ち遠からず
辱(かたじけな)くも此の法(のり)を  一たび耳にふるゝ時
さんたん随喜する人は  福を得る事限りなし
いはんや自ら回向して  直に自性を証すれば
自性即ち無性にて  すでに戯論(げろん)を離れたり
因果一如の門ひらけ  無二無三の道直し
無相の相を相として  行くも帰るも余所ならず
無念の念を念として  謡うも舞ふも法の声
三昧無碍の空ひろく  四智円明の月さえん
此時何をか求むべき  寂滅現前するゆゑに
当所(とうじょ)即ち蓮華国  此身即ち仏なり
http://shofukuji.net/5hakuin.htm
0653神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/01(金) 08:18:53.21ID:il1Pw3pa
>>652
ただの仏性論だよね
「妙修を放下せよ」とは言ってない
0654神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/01(金) 09:17:34.49ID:fBfiM2NO
>>653
>「妙修を放下せよ」とは言ってない

そんなことは道元も言ってない
0656神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/01(金) 13:50:45.80ID:ZBDR01Ty
>>613
ヴィパッサナーと「只」は同じことだぞ。

結局、小乗仏教と大乗仏教が分離したのは、小乗が、「本来、自己を放下するはずの修行」を
自力的に解釈してしまった、ということになるんだろうな。
0657神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/01(金) 18:10:40.18ID:Ap/245z/
余談ですが、これも一種の宗教みたいなところがあるので書きますと、アミューズメントメディア
総合学院のアニメータ科の内田順久のいうことは絶対聞いてはいけません。
学べるのは本当に一部分の技術だけです。内田は過去にアダルト作品を作っていますが
どれもインポみたいな作品になり失敗しています。内田は潔癖症ではありません、インポです。
アダルト作品を作ろうと考えてる人は特にこいつの言うことにしたがってはいけません。
インポにされます。
0658神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/01(金) 19:10:06.91ID:fBfiM2NO
>>655
それはすればであってせよではない
0659神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/01(金) 19:13:23.94ID:kv4ZVUWY
余談ですが、阿含宗の桐山は絵に自分が描けないコンプレックスをもってるので、デザインや
絵の方向目指してる人はこれから後の人生決める大事なときに桐山の嫉妬から絵を下手くそ
にされダメにされます。そしてあとから正当化する屁理屈をはめ「絵を極めると後から修行の
さまたげになるから・・・」とごまかされます。だから特に絵の方向を目指す人はここは
行ってはいけません。また、絵の方向を目指す人じゃなくても、借金じごくにされたり、
癌の因縁をうえつけられたり、死んだ人もいてようするに少なくとも現実の人生が
むっちゃくちゃにされます。人生があらかじめうまくいっておらず全部投げ出したい人には
行ってもいいのかも知れません。
0660神も仏も名無しさん
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2017/12/01(金) 19:14:22.83ID:il1Pw3pa
>>656
観(ヴィパシャナ)は「只」という意味ではない
0661神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/02(土) 00:00:42.70ID:jw+7OCEW
小乗仏教の国、タイに行ったことないけど、
お坊さんのプロマイドやフィギアが売ってるらしい
お坊さんはアイドルなのか??それちょっと行き過ぎな気がするがw
タイでは仏教が人々の心の支えになっている
日本の仏教は死人のため(死んだ人の遺族が死者の冥福のために金を払う宗教)
「死んだ宗教」と言ったら語弊があるかな…
生きてる間はあんまり関わりたくない(お世話になるときは死んでいる)葬儀屋のような
個人的な感想だけども…常々とても残念だと思ってた

昔お坊さんはもっと尊敬されてたんじゃね?戦国武将のメンターだったりしたし
0662神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/02(土) 00:07:57.71ID:bQ5P26/2
>>661
>日本の仏教は死人のため(死んだ人の遺族が死者の冥福のために金を払う宗教)
>「死んだ宗教」と言ったら語弊があるかな…
>生きてる間はあんまり関わりたくない(お世話になるときは死んでいる)葬儀屋のような

一ヶ月後に成田山とか比叡山とか法隆寺とか高野山とかいってごらん
老若男女でうじゃうじゃしてるから
0663神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/02(土) 00:11:34.18ID:jw+7OCEW
でも最近、巷で、生きている人のために頑張っているお坊さん増えたような気がする
震災後くらいから(?)
心の悩みを抱えた人は多い、救いを求めている人も
日本じゃアメリカのようにカウンセリングが普及するとは思えない
大体…心を病んだ精神医がぁあああ(ってしつこいな私もww)
民心を救いたいという、高い志をもったお坊さんの活躍の場が増えることを祈る

って仏教のことを本当は良く知らないんだよね
「ごまかさない仏教: 仏・法・僧から問い直す」って本をポチった
とっ散らかった頭を整理したい
0664661
垢版 |
2017/12/02(土) 00:13:40.22ID:jw+7OCEW
>>662
敬虔な仏教徒もいるだろうけど、観光目的な人が多いんじゃね?
大体仏教徒は何か?と問われて答えられる日本人少ないでしょ
自分も含めて
0665神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/02(土) 00:16:23.49ID:j3CRB1L0
>>660
本質は同じ。

本質を見抜けないヤツが、自力の行に変えてしまった。
0666神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/02(土) 00:31:13.27ID:v82ALxnT
>>664
「仏教徒は何か?」

これがそのままタイトルになってるような本が並んでる国
0668神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/02(土) 00:41:43.30ID:G7IUWn3y
>>665
貴方みたいな洗脳された宗教患者がいるから、誤解を与える

綿密な学者の研究分析の結果
すでに仏、仏性内在は、中国産の思想、インド仏教では
仏に成れる可能性で、実在実体視してない
それは中国の内在タオ思想と融合した結果、生まれたもの

タオ思想と融合して一元論化、仏性内在と空に反して実体視、
つまり仏を確認する禅とか、無心でそのものになる行とか、似非なる
改造仏教になったと学者は指摘しているんです
その思想の背景に宇宙意識なる根源真実在と一体、梵我一如化ヴェーダーンタ化
があり、例えば鈴木大拙を、世界の学者はインド仏教と異なる日本独自の
ヘーゲル大拙乗と批判しています

根本仏教の慧の修習がないので、日常であるがまま思い(煩悩)に振り回され、
曹洞宗の僧侶は、毎年犯罪者を生んでいる統計データがあるのです
それはトマス キリスト教を仏教的焼き直しをした浄土教の僧侶も同様です
0670神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/02(土) 01:21:35.71ID:jw+7OCEW
そうだね、ご利益を求めて行くねww
0671神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/02(土) 01:45:31.48ID:G7IUWn3y
>>669
>>670
世俗的なことと、本来の仏教は異なって、乖離はあるものなんですよ
別に世俗の人の信仰、習俗は自由なんです それも否定してません
ただ寺に立派な仏像や おみくじwがあって、それが撒き餌になっても、
仏の教えを学ぼうとしない、それは苦悩や人生の疑問とか、切っ掛けが必要で、
本来の仏教は心の教えでもあり、逆に相手から布教してくるのは、今の時代
カルトがほとんどとも言われ、世間体、俗世心に洗脳されている凡夫から
求めてくれませんと、形骸化した葬式仏教しか知らないことになります
注意点は、一つの宗門の教えに固執しないことです
もう一つは、日本仏教学会の学者先生が、大乗非仏説が主流、支持している点です
0672神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/02(土) 05:22:49.77ID:j3CRB1L0
>>668
この文章なんだけど、仏教の教えの本質を知らないから
こういう文章になる。

もともと、ブラフマンとかアートマンという思想は、本質的には仏教と同じだったんだよ。
それを後の人の解釈で、実体化し始めた。
自我の延長上に、そういうものがあると解釈し始めたわけだ。
(そこで自力の行にもなるわけだ。)

それをお釈迦様の時代に、無我思想として改めたわけなんだよね。
悟りの世界というのは、我々自我の延長上には無いものだと。
自我を鍛え上げていった先にあるものじゃないと。
自我とは何の関係もないものだと。

ところが、小乗仏教の輩が、またしてもブラフマン、アートマン思想の時に陥ったワナにはまった。
すなわち、自我を鍛え上げていったその先に、悟りの世界があると思っちゃった。
自力の行というのは、イコール、無我思想に反するんだよ。
自分の延長線上に悟りの世界を置く = 自力の行 = 無我思想に反する。

こういうのをもう一度戻すために、今度は大乗の空思想が現れた。
だけど基本は同じなんだよ。
自我の延長線上に無いものを目指すわけだから、あくまでそういう世界を「在る」としてはならない。
だけど、自我を越えたところには、確かにあるわけだよ。

だから修行者には、「そういうものを目指すな、それはお前の延長上にあるものではない」ということになるし、
教典的には、「自我を越えたところに悟りの世界がある。」という表現になる。

始めのブラフマン思想の時にストレートに出しすぎたものを、後のお釈迦様の時代にひっこめた。
それを大乗仏教がストレートに出しつつも、ひっこめないといけない理由も説明した。
教えは進化しているんだよ。
0673神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/02(土) 09:09:52.65ID:4FQD/E4J
>>672
ウパニシャッド哲学と同じなら、わざわざ釈迦は異なることを説きません
貴方のは、原始仏典の げ も読み通してなく、後世に変容改造された思想を
正当化させた哲学者の本に、洗脳されたまま書いていることに気づいてません
自我というのは、要素の集合体で仮構された五蘊仮和合です
その中に、自分が しがみついた自我強化の価値観念や、思想哲学、宗教思想等
が含まれ、それら束縛支配からの解脱が仏教で、貴方の頭のような自我肥大とは
異なるわけです 貴方は単なる根拠のない相対的な精神的観念という色メガネを
かけているだけで、思い込みという宗教患者の固定観念に過ぎないのです
その証拠に、中国で変容創作された証拠事実を、あるがまま認めようともしません
貴方が実在と信じる宇宙我なるものは、古代の哲学思想に過ぎません
浄土教にしても仏凡一体どうのありますが、同じく思想に洗脳させる教えです
不生不滅の法性─空についての誤解
http://fallibilism.web.fc2.com/052.html
脱創作思想、脱信仰宗教思想等、思いとの非同一化等により苦滅、智慧が生まれ、
生命平等、慈愛が湧き、利己的な我執から利他、助け合い、寛容、宥和、慈悲心
という人格向上にも繋がり、悪人、罪人でも変われ、恒常不変ではありません
0674神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/02(土) 11:18:04.78ID:bQ5P26/2
 国連がある面白い統計を発表しました。
現在から過去に遡って300年の間、世界における素晴らしい科学者300人を対象に、神を信じる人が何人いるのかについて調査しました。
すると、8〜9割の科学者たちが神を信じていることが分かりました。

 300人の内、神を信じないと示した人は僅か20人でした。
一方、神を信じると明確に示した人は242人で、世界的に著名なニュートン、エジソン、X線を発見したヴィルヘルム・レントゲン、電池を発明したアレッサンドロ・ボルタ、
アンドレ・マリ・アンペール(電流のSI単位のアンペアはアンペールの名にちなんでいる)、ゲオルク・オーム(電圧と電流と電気抵抗の基本的な関係を定義付けた)、キュリー夫人、アインシュタイン
等々がその中に名を連ねています。

 また、20世紀におけるイギリス、アメリカ、フランスの科学者の中で9割以上が神を信じることも明らかになっています。ここで、6人の現代の著名な科学者をご紹介しましょう。
http://www.epochtimes.jp/2016/10/26258.html
0675神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/02(土) 13:12:49.59ID:j3CRB1L0
>>673
だから分かってないって言うんだよ・・・・
まさしく、仏性というのを自我の延長上にしか見れないヤツの見解だ。
ここの判別が分からないこそ、釈迦仏教と大乗仏教は違うという見方になっちゃう。
浅はかなんだよ。

「宇宙我」というのと「仏凡一体」とは違う。
「宇宙我」というのは、ある特定の「我」を表しちゃう。
ところが「仏凡一体」というのは、縁起によって
空になったことを現している。

たとえば、パズルのピースが独立しているように見えていたのが、一枚の絵として捉えられたとき、
一つ一つのピースの個我というものは、幻想だったということが分かる。
空になって消えるんだよね。
これが「仏凡一体」だ。
「宇宙我」のように新たなピースを生み出すことじゃない。

ところが、一枚の無限の絵を表現するために、ブラフマンだとか、言語表現が必要になったわけだ。
ところが、言語表現 = ピース化 してしまうという弊害が起こった。
だから釈迦は、一切の言語化不要として、無我の思想を打ち出したわけだ。
それが逆に言えば、一枚の絵を表現することになってる。

そもそも、大乗非仏説などを唱える輩は、縁起と空の
本当の意味さえ分かっていない。
0676神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/02(土) 14:43:21.45ID:/Ci6Va1n
>>675
ほらまた観念論が始まった
仏凡一体、法界縁起というのは、思考して論理だけを引き伸ばした
観念で哲学であり、そもそも哲学化するなが釈迦仏陀の戒めで、
論理的理屈で成り立っても、実際とは異なり、四句分別の哲学なんです
しかも色受想行識、五蘊の範疇の接触を縁としている思想です
古代の人は、理屈で地球が平ら、地動説の逆を説いて信じていたんです
その哲学と空に反し実体視した内在仏との一致は、梵我一如化です
後に龍樹さんも哲学化した失敗を認め、道徳論を書いて反省しています

そもそも仏性はインド大乗経でも、よく読めば、煩悩に覆われていて
除去すれば顕現、すでに実体として内在しているとは説かれてません
頭で創った思想を抱くことで、自我を構築させ、異なる思想に排他的、
敵対的にもなり(だから宗教戦争が起こります)ます
脱創作信仰宗教、全生命、生きとし生けるものが幸せにあれと、
清らかな心で善い行為をして、みんなのことを心配して生きる
そういうプロト仏教の教えをなぜ否定するのでしょう
そして小乗という蔑称は、世界仏教徒会議で誤解のある蔑称差別で使わない
ことが決議されました 来日したダライラマさんも根本乗と厳しく指摘しています
0677神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/02(土) 15:02:47.29ID:bQ5P26/2
平将門を親皇に任命したのは八幡神(八幡大菩薩)と合一した巫女なるぞ
0678神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/02(土) 15:11:09.80ID:bQ5P26/2
インドの梵(神)我一如
中国の内丹と道の合一
密教の大日如来との合一による即身成仏
日本などのの神霊が人の体に乗り移る神懸かりシャーマン思想
念仏宗の阿弥陀如来との凡仏一如
キリスト教イスラム教の人は神の子であるという神人合一

世界各地の宗教が何かと合一化する方向に進む
その方が人は救われるからであろう
0679神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/02(土) 17:02:59.78ID:4Hkmr0VL
>>675
>ところが「仏凡一体」というのは、縁起によって
>空になったことを現している。

空なら実体のない仏凡という呼称に過ぎない
縁起する故に無我、空は、変化していて実体がない
何か基体を構成させるものでない
仏と一体だから不変なる空住とか、何でもありの理屈観念の世界になりますよ
色受想行識、五蘊が空と説かれているのですよ
その理屈、観念世界を展開させているのは、五蘊の自我の観念で、
無我は、縁起する構成要素の心身は、私、私のもの、私の本質でないので、
その五蘊の範疇の接触の思いが生んだ観念、哲学も本質でないわけです
こういう書き方で、理解してもらえるかな
0680神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/02(土) 17:20:50.08ID:4Hkmr0VL
>>678
>世界各地の宗教が何かと合一化する方向に進む
>その方が人は救われるからであろう

まぁ心情としては、自我が支えられ強化させる素材となり、
欠乏渇望の穴埋めになる外的なモノ、娯楽、趣味、恋と変わらないね
それは一時的、一定期間の心の満たしだから、いつか何か物足りない思いに
かられるわけで、某長老なんかはピエロのごまかしと言っちゃうんだろうね
0681神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/02(土) 19:10:32.96ID:bQ5P26/2
>>680
>それは一時的、一定期間の心の満たしだから、いつか何か物足りない思いに
>かられるわけで、

想像乙
>>678で挙げた宗教はどれも長い歴史を持っている
一時的、一定期間の心の満たしだったらとっくに廃れてますがな
信者もだいたいは改修することなく生涯それぞれの宗教の信者であるぞ
0682神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/02(土) 19:49:53.52ID:j3CRB1L0
>>679
たとえば、仏教の本質を理解していれば、本質を理解していない人の意見っていうのは、
一発で嘘が分かるんだよ。

たとえば、

>縁起する故に無我、空は、変化していて実体がない

こういう書き方をしている時点で、あなたが縁起・空に関する本質を
理解していないことがわかる。

無我、空は変化していて実体がない・・・?
なんじゃそりゃ? って感じなんですよ。

無我が変化するとはなんぞや?  空が変化するとはなんぞや?
正確な文章を作るとすれば、
「我、空でないもの(存在するもの)は、変化していて実体がない。  故に縁起している。」
と、こうなるでしょ。

縁起する故に変化するって何だよ?
縁起したら変化の対象は無くなるんだよ。
もう頭痛くなってくるよ。
0683神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/02(土) 19:54:52.73ID:j3CRB1L0
>>676
>そもそも仏性はインド大乗経でも、よく読めば、煩悩に覆われていて
>除去すれば顕現、すでに実体として内在しているとは説かれてません

どこの大乗仏教にも、「実体として内在している」とは
書いてありませんよね?

誰が言ったんですか? それ。
0684神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/02(土) 20:03:05.04ID:LjeAZB4C
阿含宗及び桐山管長は悪いほうへ行ってしまったと聞いたのでダメだが、原始仏教である
阿含教の7か37道品ははやく解読しきり具体的には何をやるのかネットなどに載せ
コースも作るところは作って出来るようにすべきである。そうしないと本当の悟りは
いつまでたっても得られない。よく禅宗の坊さんが悟ったと言ったことがあるのを聞いた
ことがあるが、故桐山が生前言うには違うものだと言う。グモンジソウメイホウも
空海が出したまんまたどっただけでは違うものらしい。いぶきながよのほうもそうなのだろう。
ただ釈迦にも欠点はあり7か37道品の最後の八正道は中道を軸に作っているが。
中道でいいところはいいが、裏目に出ると肝心のところで中道ではなく中途半端に
(中途挫折)に物事が終わってしまう。しかも釈迦は自分がそれで失敗すると、なんでも
正当化して、しかも本当に成功してる者を二面性屁理屈などをつかってけなして騙し
全部中途半端に引きずり落としてしまう、そうしておいてそのダメ達の中では自分が勝った
と錯覚しようとする。
これでは今度は悟り以外なんともならなくなる。
ここはどうにか改良、改善して使わなければならない。
どうにか静と動になるようにしたい
0685神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/12/03(日) 00:06:33.75ID:BZXZaHYr
>>682
>空は変化していて実体がない・・・?
そんな興奮しなくても、端折った文で普通は通じる
不変の実体はない→空 と観ぜよ
我について空であり、我に属するものについて空である(仏典より)

>我、空でないもの(存在するもの)は、変化していて実体がない。
空でないもの(存在するもの)って、解釈が変

「もし空でない何ものかが存在するならば、空である何ものかが存在しよう。
しかし、空でない何ものも存在しないから、どうして空であるものが存在しようか
。」(第七偈)
「すべては空であるということが明らかになったわけだから、どうしてその空が
存在といえようか。存在であるならば、それもまた否定されなければならないこと
になるわけです。空性はすべての見解を越えていると、諸々の勝者(仏)によって
説かれている。しかるに、空性という見解をいだくかれらは、癒しがたい人びとで
あると〔勝者たちは〕説いている。」(第八偈)
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