仏教は苦を滅するのに役立たない [無断転載禁止]©2ch.net
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釈迦の教えがそんなに素晴らしくて役に立つなら、皆忠実に従おうとするだろう。
ところが実際には多くの派が乱立してしまい、何が何やら分からぬ状態。
仏教が苦を滅する特効薬だと言い張る輩を、試しに拷問してやりたい。
もし苦しんだらそいつは嘘つきだ。 苦を滅する、か。
滅すべき苦が存在するのか。
六祖慧能は苦など存在しない、と言う。 (靴下を嗅ぐ)くさっ!…靴下を嗅ぐ)くさっ!…靴下を嗅ぐ)くさっ!…靴下を嗅ぐ)くさっ!…
靴下を嗅ぐ)くさっ!…靴下を嗅ぐ)くさっ!…靴下を嗅ぐ)くさっ!…靴下を嗅ぐ)くさっ!…
靴下を嗅ぐ)くさっ!…靴下を嗅ぐ)くさっ!…
(沸騰したヤカンに触れる)あっつ! 布教期間が長すぎて説法が多岐に渡ってしまったことが原因の一つかもな 釈迦の教えは応病与薬と言われその処方は八万四千の法門と言われる 未熟な理性は世の害悪。本能は無成長にして純粋かつ調和 (-人-) 仏教自体方便かも^^;筏の譬えっていうし何かに気付かせたいだけで、他の宗教とは少し違うかも^^; 苦を苦と思うから苦しむ
そう思わなければ苦しくない
と、言うのが仏の教えだぞ? でも仏教国のタイは苦とか考えてなさそうな気楽なお国柄だよ。日本仏教が正しい仏教を伝えてないだけじゃないの? 苦を滅することは可能だ
しかし修行しなきゃダメだ
修行しなきゃ始まらんからなかなか広まらん 更に言うと、苦を滅することに成功した魂を拷問すると言うのは大悪業になり、
>>1に何億年もの災いが降りかかることになるから殺してでも止めさせねばならない 六師外道より説得力のない曖昧模糊とした教義で救われるわけがない。
自称阿羅漢のショボさには呆れ果てる。
世捨人を気取ったスキゾイドパーソナリティ障害者、宗教ビジネスでボロ儲けする詐欺師、他人に賞賛されたくて悟ったような態度をとる自己愛性パーソナリティ障害者等々。
ろくな奴がいない。 社会にすんなり適応していて、なおかつ心身が安定していたら、そもそも宗教に救いを求めたりしない。
どうにかして社会に適応したいと望んでいる者が、やせ我慢ではなく本気でこんな社会は適応するに値しないと思うように変容すれば、確かにある種の悟り・諦観には違いない。
しかし、客観的に見ればそれは不適応者の現実逃避にすぎない。 性欲が溢れすぎて、
オナニーだけじゃ満足出来ず、
満子ナメなめしたくて
風俗通いがやめられませんずり〜
本番禁止のヘルスで本番してしまいますかき〜 >>14
その修業が苦だろ
苦を滅っする為に苦を味わい続け人生を無駄にする
この世は苦であり苦を滅っしたいなら自殺するのが最善の選択だ >>19
それは違う。
苦を伴いながら人としての生を歩む、
まあ人生と端的に言うものだ。
当然のことながら腑に落ちないことも多々あるだろう
しかしながら、そういった時にとった対応を踏まえて思考しながら対応していく。
これこそが苦行であり、その先にあるのが悟り、要するに苦をめっする事が出来たということなのでは? >>21
違うね
宗教を信じて真に受けるなら自殺こそが最善だ
仏教に限らずキリスト教もだ
イエスを信じて即自殺するのが出来るだけ苦しまず天国に行く方法だろ
宗教やるくらいなら自殺したほうがマシなんだよ
自殺こそが最善の一手だ >>22
今が苦しいから自殺するわけでしょ?
思い通りに行かないから苦しむわけでしょ?
結局は自分のワガママなエゴが原因。自殺は見当違い。
そのエゴを滅する方法を仏教は教えてくれます。 全てはいずれ滅びる。
人も死ねば地水火風に分解されてしまう。
だからあれこれ執著せずに快活に生きろ。
宗教を盲信して苦しむな。
死後の罰や輪廻を恐れるな。
ありとあらゆるしがらみを捨ててしまえ。
地水火風しか無いのだから。
自ら苦しみを呼び込むような愚かな生き方は避けよ。
苦を避けて心の静寂を楽しむためには、断念しなければならない欲望もある。
いかに努力しても避けられない苦もあろう。
腹が減ることもあろうし、病におかされることもあろう。
だが、そんな苦は受容できるはずだ。
楽しく生きるために必要ならば、時々訪れる苦も喜んで受け入れ、心穏やかに生きよ。
以上が仏教が一方的に六師外道呼ばわりした沙門の一人、アジタ・ケーサカンバリン師の教え。
全面的には同意しかねるが、この教えで救える人も多かろう。
それに比べると仏教で救える人は多くない。 仏教には最初からあったのか誰かが後から付け加えたのか知らんが五戒という五つの禁止事項があるらしい
そのなかのひとつに不妄語戒(うそをついてはいけない)というのがある
でも実際仏教の経典とかに明らかに嘘とわかるものが大量にあるんだがそれはどうなんだ
五戒だけでなく当の仏教それ事態が虚構の作り話の嘘だったら
それは定かじゃないがこの自分で禁止した瞬間に自ら破っていくスタイル、一行でわかる矛盾を何食わぬ顔で言える無頓着さは完全に頭おかしい
まあ宗教なんて似たようなもんで聖書にも同じようなのがある
十戒で殺してはいけないといっといてモーゼがエジプト人を殺してこっそり埋めるエピソードがあったり
イエスが人を愚か者とか馬鹿とかアホとかいうと法廷に引っ張り出され炎の地獄に落ちるぞと戒めておいて自分は律法学者を愚か者呼ばわりしてたり教えを受け入れない人を犬や豚呼ばわりしてたり >>16
正しい教えが伝わってないのが問題なんだよなあ >>26
五戒を守るのは小乗仏教で
大乗仏教は特にこだわらない 苦をめっそうとする(苦に注目する)から増加するんだよ
それ知らないから 阿含経は解読して残したほうがいいかもしれないが、阿含宗では現世の人生をめちゃく
ちゃにされてしまうのでダメだ。 >>22
仏陀もイエスも死こそ天国への片道切符だなんて言ってないぞ?
人としての生を全うした先にあると教えてる。
なにやら取り違えをしてやいないか? チベット仏教が実証している
自称仏さま達の権威が通用しない相手がいることを 〒320-0043 栃木県宇都宮市桜5丁目1−3の明治屋。
お前の従業員の珍走族バイクがうるせーんだよ!住宅街だぞここは!
お前のとこの爆音でうちの寝ていた祖母が動悸や息切れをおこし大変だった、絶対に許さない!
そんな事ばっかやってるから食中毒出して営業停止になるんだよ!そこにもと住んでた○○さんから脅迫まがいで格安で土地を奪い取ったこともここら辺りじゃ有名だからな?田舎の糞チンピラがっ! 仏教の中身は心理学と自己啓発を合わせたもので、
外側を神秘性で包んで背中を押す仕組みになってるってだけだよ
心理学や自己啓発的には神秘性で包むところまで含めて理に適ってるし
それこそ自分に必要だと感じた人だけが取り組めばいい >>1
人間やめたレベルの超感覚のヤシのやりかたを凡人がマネしてできるワケが無い良い例。
やり方次第ではガイジもある程度のレベルになるという結果は出た。
ちなみにシャカのレベルに恐怖して不可能を悟ったダイダバッタはシャカを殺そうとした。 >>36
仏典なんて創作だらけ。
そんなの真に受けるなよ。
提婆達多については、仏教側から見れば教団を分裂させた人物だから、殊更悪人として書かれるのは当然。
実際には普通に袂を分かって新教団を作っただけだろう。
提婆達多が袂を分かって後、彼の教団が確認できる限りで7世紀まで存続していたが、仏教側が主張するような極悪人だったら誰が彼の教えに従うというのか。 >>37
いや、今もインドにある。殺生厳禁のベジ。
原書仏典や十大弟子のあたりは信憑性があると思う。人間的だし。
ちなみにインドでは考えの合わない・競争相手・ライバル・勝てないと思った相手を
「よし、ころそう」と至るのはごくフツーの考え。マハーバラタあたりだとお互いにニコニコ
しながら敵と認識した相手をどう殺そうかと思考をめぐらせる描写がとってもアレ。
これがインド人の感覚かとびっくりする。 チベットを見れば仏教なんて信じても救われないとわかるでしょうに
しかし創価学会を見れば詐欺的に金を集めることは出来るとゆーこと
皆さん現実を見ようね >>38
神がやたら出てくるわ、他の弟子の悪口を釈尊に言ったらデキモノで死ぬわで嘘満載。
提婆達多が釈尊を殺そうとしたら地中から起こった炎に巻き込まれて死ぬというオカルトっぷり。
信憑性ゼロだよ。 当時から今まで何千年もインド社会自体ががバラモンの教義に染まってるからな〜
当然神話でブランディングしないと人々は耳を貸さないし、
仏教ではそうやって真理への道を開くことを方便というんだよね
他の教えは苦行荒業だったり、死ぬまで食事禁止だったり輪廻転生カースト制だったりで無茶苦茶
その当時の文化の中で諸行無常、諸法無我という真理や
十二支縁起に辿り着いたのは偉業と称えて差し支えない
さらに弟子の経典に限界を感じる様になった数百年後に
大乗の思想による新興宗教が生まれたのは面白い
相変わらずバラモン中心の世間に広める為に、空の思想やさらに強い神話で塗り固めたことによって
多くの民が諸行無常や諸法無我という、
当時の文化にとっては非常識な教えに対する間口を広げることに成功した
さらに、刹那思想や五蘊十二処十八界や哲学的に研究された唯識論は
現代の脳科学の知見からも肯定されてしまう始末 ここに書くことではないのかもしれないが
水着バッグ持って髪が濡れた水泳帰りの女子小学生やべぇな・・・ 古今東西心の平静を重視する思想・哲学・宗教は数多ある。
率直に言って、心の平静・静寂を実現することが目的なら唯物論でも唯心論でも快楽主義でも禁欲主義でも何でも構わない。
どうせ形而上のことは証明不可能なのだから。
強いて言うなら、人をその気にさせてくれる思想・哲学・宗教であるか否かが重要になる。
その点で仏教が他よりも優れているかというと、甚だ疑問である。 >>45
修行を実践し続けるには信仰心が必要になるわけで、
現代人をその気にさせるのは観音菩薩や阿弥陀仏ではなく、
多数の科学信仰や少数派の哲学信仰だったり、流行としてスピリチュアルがありますね。
方便とは言い換えればセールス技法だから、時流に沿ったブランドを着せるのが仏教の正当な在り方なんじゃないかな。 仏教の修行は妄想を止めることだからね。
これにピンときた人は仏教の修行を行えばいいと思う。 妄想を辞めることに絶望感を抱いて乗り越えられない人でも
乗り越え易い様に見せかけることも方便だと言えるね 仏教は苦を滅するのに役立たない…
なるほどね。
理解できるわ。
苦を『和らげる』ではなくて、『滅する』だもんなぁ…
私はこの様に考える。
『生きる』事や『生活する』事とは『手品を見ている』事と同じで、『苦を感じる。』というものは手品の『タネに引っかかっる。』状態と置き換えたら分かり易いのかもしれない。
それは、『何故、手品のタネに引っかかっるのか?』は、『何故、生きるのに苦を感じるのか?』へと置き換えができ、お釈迦様は『タネ』の分析をした。は、お釈迦様は『苦』と向き合った。と置き換えれるのかもしれない。
そして、その分析結果が『思い込み』『先入観』『固定観念』…等という物が原因ではないか?とお釈迦様は言いたかったのだと思う。
人間の『思い込み』『先入観』『固定観念』とはどれ程脆いものかを検証する為に手品の練習をした事が仏教でいうところの瞑想をして自分と向き合った。
そう、この修行が大変なのかもしれませんね。
そうすると、『プロの手品師に成った。』は『苦を滅した。』に相当し、『知人に見せる程度の手品を習得した。』は『苦を和らげれるまでに成った。』に置き換えれるだろう。
我々世俗のひとは、苦を滅するとはいかなくても、苦を和らげれる程度に仏教と接すしかないのだから、『苦を滅する』という事に気持ちを傾けなくても良い様に思う。 >>52
それは苦が減じただけで滅してない。
その程度は仏教以外の宗教や哲学でも可能だし、もしかすると他に仏教以上に役立つものがあるかもしれない。 >>53
例えば?
単に文句付けてるだけにしか見えないけど >>54
滅してないのは事実だろ。
減じるだけなら他に宗教や哲学はあるし、心理学でもよい。 それから痛みがなくなったんだから
その時の苦しみは滅されたでしょ
何の具体的な話もできず突っかかってるだけじゃない、あなた >>57
人生において苦というものが一切消滅してることを滅するという。
心の動揺を抑えて高潔に生きるなら古代ギリシア・ローマのキュニコス派・ストア派・エピクロス派でもいいし、認知行動療法でもいい。
仏教勢力が外道呼ばわりした人々の中にすら、君がいう程度の苦の減少が見られただろう。 そりゃ君が仏教知らないから的はずれなこと言ってるんだな
完全にすべての苦しみを滅するとはお釈迦様の境地の悟りを言っていて、ふつうは108つの煩悩それぞれに対応する苦しみがあって、一つの煩悩を滅すればそれに対応する苦しみが滅するというのが仏教の理論だよ それから、心理学は発生から仏教の影響を受けていて、フロイトがバルドトドルからインスピレーション受けて作ったって知ってるよな?
そして、心理学で苦しみを和らげる方法はだいたい仏教の技法を取り入れてるってことも知ってるよな?
仏教が苦しみを取り去る力があるから、心理学がそれを真似てマインドフルネスとかやってるんだよ 仏教より俺様の方がよくわかってる
俺様スゲーの中二病やってないで
もっと広く勉強してから発言しような そういうちゃかししか出来ないレベルだって
自覚しような中二病君 フロイト以前に心理学が無かったわけでもないし、仏教の影響なんて限定的、というかほぼ無関係。
仏教大好きな君からして心の動揺がひどいのだから呆れてしまう。
仏教が全く役立たないなどと言っているのではない。
ただ、現代人に原始仏典読ませて苦を滅しなさいと言ったところで、ほとんどの人はついてこないだろう。 論争になるとムキになり、相手に中二病などというのは、仏教から最も遠い態度。
仏教をもっと深く学び、それと同時に他の宗教・哲学も学んで見識を広めたほうがよい。 夏休みだから本当に中二が出てきてるのか・・・
最初の主張は仏教は苦を滅するのに役立たないだったのに
前提が変わってるじゃないか
それから心理学の歴史くらいぐくればすぐ出てくるのに
知ったかするのかこのバカ
支離滅裂な中二病のアホは黙っててくれないか? 苦を滅するのに役立たないという前提は変わってないよ。
それ以外の利用法を否定していないだけで。
まあ、苦を減らすのには多少なりとも使えるのでは?
フロイトが心理学の祖だと思っている時点で君の方が心理学を知らないよ。 ID変わったが ID:/2bgJa99 です
> フロイトが心理学の祖だと思っている時点で君の方が心理学を知ら
これは私の間違いでした。また、チベット死者の書から多大な影響を受けたのはユングで
これもまた勘違いでした。間違いを認め謝罪します。
> 苦を滅するのに役立たないという前提は変わってないよ。
これは君の完全な間違いだな
具体的に苦しみを滅するのに役立つ方法を挙げてください
> 心の動揺を抑えて高潔に生きるなら古代ギリシア・ローマのキュニコス派・ストア派・エピクロス派でもいいし
高潔に生きるかどうかはここでは主題ではありません。これで苦しみが滅されるという理論や実例がありますか?
ちなみに、君の上げた認知行動療法だと完全に仏教とクロスオーバーしてるのは知ってますか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E8%A1%8C%E5%8B%95%E7%99%82%E6%B3%95
第三世代の認知行動療法
認知の機能に注目し、マインドフルネスとアクセプタンスを重視しているという共通点があると指摘されている。
マインドフルネス認知療法(MBCT)
マインドフルネス認知療法は、瞑想の技法を取り入れ、自動生起する思考にとらわれることなく、あるがままの状態に集中するという訓練である。
1979年に仏教的な実践を痛みの患者に応用したマインドフルネスストレス低減法(MBSR)を基として、1990年代にうつ病の治療のためにマインドフルネス認知療法(MBCT)へと変換された。
他にアクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)があり、これは受容という面に焦点を当てている。
弁証法的行動療法 (Dialectical Behavior Therapy:DBT)
弁証法的行動療法は、1980年代から90年代にかけてマーシャ・リネハンが境界性パーソナリティ障害に特化させて技法を開発し、
感情が不適切だと感じたなら、正反対の行動をとることや、禅の技であるマインドフルネスという、自分の呼吸や、感情が生じては去っていくまでを行動せずにただ観察することといった、要素を持つ 悟りだかなんだか知らんが修行とめいうって女房子供を捨てた糞野郎がいるって話だ 離婚なんて珍しくもない
人をそこまで非難できるほど
あなたは素晴らしい人なんですか? 残念ながら、全ての生命は生まれて死ぬまでの間は完全に苦を無くすことはできない。お釈迦様でもお腹が減るし病気にもなるし老いて死にます。
でも、もう生まれることは無いんです。
話しが輪廻転生のことになりますがね。
これが仏教の苦を滅する道です。今の苦を感じなくするとかの次元じゃないですよ。 仏教を非難する人はみんな仏教の中身を知らないんだってのがよく分かるね 道諦と言って八正道という実践を日々努めると
滅諦と言って苦を滅することができるとされる だからチベット見ろよ
国民みんな仏教徒なのに苦しみを受けてるぞ >>76
仏教徒は完全に守られると思っているのでしょうか?仏教徒でも殺されるよ。
だから、いつ死んでもいいようにと心を清める修行を行っている。 十邪行 じゅうじゃぎょう
邪見・邪思・邪語・邪業・邪命・邪方便・邪念・邪定・邪解脱・邪智 也。
対象とする宗教ではなくて、当人の因縁の問題。
苦行無垢法をやれ。
ハイ、論破。撤収。 >>70
珍しくなくとも捨てたのは変わらないし、そもそも離婚という事ではない。 別に王妃だから生活にも困らないし
後にヤソーダラーもラフラもお釈迦様に習って出家したんだから
正しかったんだよ もっとも純粋な仏教はブッダが覚った瞬間のありよう。
苦が滅するというのは、托鉢で他人に食を依存、衣は埋葬遺体からもらう、家は無し、
というライフスタイルから来るものです。
職業を持ち、衣食をまかない、家を持ち、税金を払い、家族を養う人に
完全な滅苦はありえないでしょう。 違います
日本仏教の法の不理解を
撒き散らさない様に 環境に依存した苦の滅尽なら
因果から脱した解脱ではありません >>84
では何故仏教では出家が奨励されているのか?
環境なんて関係ないなら出家の必要がないはず。 菩薩の道もあります
出家したから解脱するわけではありません
社会状況に合わせた方便の側面も大きい
当時のインドでは出家していなければ認められず、人々を救うこともできなかったでしょう
お釈迦様が出家しなければ解脱できなかったかといえば、そうではなかったと言えるでしょう 特に現代の日本の出家ならば
出家しない方が解脱に挑戦しやすいのではないでしょうか >>82
その通り。
無所有を徹底させて煩悩、渇愛を完全に滅却させて苦滅に至ることができる。 >>83
おっしゃる意味をはかりかねます。
日本仏教のほうがむしろ在家派ではないでしょうか?
>>88
現代日本の出家というのは日本の宗派仏教のことでしょうか。
日本の宗派のお寺、僧侶方ほとんど妻帯であって厳密な意味での出家ではなく
葬儀が主になっており、ブッダの解脱のための修行をされてる方はまれでは?
それは議論するまでもないことですよ。 極一部にしか反論がなく、大部分が理解されてないようですね
問答は不毛な様なので終了します >>81
後からとか生活に困らないとかで正しいとは言えんわな普通。 >>92
妻と息子が釈迦の出家を正しくないと考えていたら
あとを追って出家すると思うか? どんなにその思想が優れたものだったとしても嫁子どもを捨ててゴリ押しする姿勢は人としておかしいと思うのはの当然のこと。 ま、そこは否定できんわな
どんなに仏教が優れていたとしてもそこだけは否定できないし
そこを否定するから仏教徒は蔑んで見られる。 俺はブッダと言えど、元は悩める普通の人だったところに物語を感じるな
基本的に現代日本の常識からすれば、紀元前のインド人の行動は
常識外れなことの方が普通だったんだろうと想像できるし >>97
ほんこれ。
科学も医学も芸術も進化していく、人間性もそうだろう。
釈迦程度より今を生きる君たちのほうが素晴らしいと確信して言えるよ。 >>98
ん?
現代人も素晴らしいとは思うけど
釈迦を下げる意見ではなかったんだよ 生活や生存環境が覚りのたすけになるのだが誰でも家なしになるわけにはいかない
そこでいろんな瞑想修行が起こったのだろう
「浄土」を設定したり密教的な儀軌作法で意識に働きかけたり。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています