【聖書】ピッピのブログ通算11【生活】 [無断転載禁止]©2ch.net
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悠衣っ、出るっ!中に出すよっ、うっ!ドピュッ!ビュルビュルビュルッ!ビュルッ! 魚を🐟食べてたら うつ病にならないって
鬱の漁師に聞いた マジでキリスト教スレ、眠い。
素粒子よりも小さな物質の構成単位は見つかってて、それの名前を「闇(やみ)」というんだよ。
そんなことも知らないで、「無」とか語ってほしくないよ。
光は素粒子だから、闇は光より根源的な宇宙の構成要素なんだよ。
まだ重力にはたどりつかない。
ヴァーリンデのエントロピック重力理論なら、重力は未解明のままでいいんだ。
光は、時間を予知して軌道を決める。
闇は、時間がどうなってるのかマジで複雑なんだ。時間科学を解明できないと闇にはたどりつけない。
光は未来を予知していて、闇は時間を過去へさかのぼっている。闇が宇宙のより小さな根源にあるのだ。
その原理の探究者たちは、「万物の原理」を合言葉に探求している。 『黄金伝説』によると、福音記者の使徒ヨハネは自分の婚姻の日にイエズスの弟子になりました。
花婿だったのです。
*それでマグダラのマリアはヨハネの花嫁だったという噂が生まれました。『黄金伝説』ではこの伝承は嘘だといっています。
ヨハネは100歳近くまで生きたそうです。なんと最期は肉体ごと消えました。雲に包まれ消えたそうです。 マグダラのマリアについて、『黄金伝説』は聖書の記述通りイエズスから特別愛された女性として紹介しています。
マルタが長血を癒されたのもラザロが生き返らされたのも、マグダラのマリアへの愛ゆえでした。
イエズスがたとえ話で七つの悪霊が戻ってくる話をしていると、突然「あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房はさいわいです」と叫んだ人がいます。
この人はマルタの召使いの女でした。この女はマルタやマグダラのマリアを産んだ母のことを叫んだというのです。
私はずっとこれはイエズスの母のことを叫んでいるのだと思ってきました。違うらしいです。
『黄金伝説』はより詳しく、声をあげたのはマルタの仕え女のマルティラであったと教えています。 先ほど書いたヨハネとマグダラのマリアの婚姻説については全文を書いてみます。
(以下)
マグダラのマリアは福音史家聖ヨハネ(九章)の花嫁であったと主張する人たちがいる。
その説によると、ふたりが結婚式をあげようとしていたとき、主は、婚礼の席からヨハネを使徒として召された。
そこで、マリアは、良人をうばわれたことを恨みにおもい、その場を去って、あらゆる快楽に身をもちくずすようになった。
しかし、ヨハネの召命が堕地獄のひとつの原因になるということがあってはならない。
キリストがマグダラのマリアをたいへん憐れまれて、彼女に悔悛の秘蹟をさずけられたのは、そのためである。
そして、彼女を最高の肉の快楽から引きはなれたから、かわりにほかのすべての愛にまさる最高の霊の愛、神の愛でもって彼女をみたされた、というのである。
ヨハネにかんしても、おなじようなことを言う人たちがいる。
主は、ヨハネをあの地上の愛から引きはなして召されたからこそ、ほかの弟子たちをさしおいて彼にいちばん親密な交わりをめぐまれたのだという。
しかしながら、この見解は、謬説であり、適切でないとされている。 >>482
ごめんなさい。
今読み返してみたら、雲に包まれたのではなく大きな光でした。 >>483
これもちょっと深読みすると、イエズスが「いや、さいわいなのはむしろ神の言葉を聞き、守る人だ」と答えたのは、マグダラのマリアこそ恵まれている、さいわいだと彼女をほめているのです。 博多駅バスセンター内の紀伊国屋へ行きました。お目当ては先月発売のVoCE5月号です。
付録がポール&ジョーマルチ缶ケース二個付きのスペシャルセット。
もうすぐ6月号が発売になるというのに、何だこの平積みは!
しかも転売屋ーのせいで発売日の開店わずかな時間で品切れになるような特別付録ですよ。
もう信じられない。昨日買わなかったので夜、はげしく後悔しました。
こうしてまた物欲のとりこになるのでしょうか。 よかったのかどうか。
ロゴがなければペットボトルのおまけか100均と変わらない。
「あ、あの人の付録だ」
「あ、ダイソーのやつ」
美容サンプルつきだからお得かというと、実は私はすっぴん派なので使わない。
690円は高いか、安いか。
いや、死ぬつもりなんか毛頭ないのではないか。悲壮感どこへやらだ。 悲しいことが起こると、ふと思い出されるのは忍耐です。
神様はいつまで忍耐なさるのでしょう。
いつまで私たちは忍耐しなければならないのでしょう。
どうか力ある御方が、私たちの主が、中止を命令してくださいますように。 マグダラのマリア臨終に際し主の「来なさい、わたしの花嫁」という声かけについてですが、『黄金伝説2』には書いていませんでした。 アグレダのマリア「神の都市」を読んだ感想ですが、あまりにも現実離れしていて信頼を寄せることが難しいと感じました。
北朝鮮メディアの形容の仕方と似ています。
グノーシスのマグダラのマリアの立場が聖母マリアに代わっただけという感じでした。
聖母にはいかなる罪もなかった、 という強調がカトリックらしいところです。
幻視者への元后の言葉はとても厳しくて、普通の人にはちょっと適応しかねるみたいな、心が萎縮するような、叱咤激励だったと思います。 教皇がフェイクニュースの害悪を私たちに伝えています。
最近の例では、癒やしスレに出現したコテいとぴょん氏が貼っていたブログにも、現教皇がある人に地獄はないと語ったとされる、まことしやかなニュースが流れた出来事と関連すると思います。
この件はカトリック放送局でも遺憾の意を表明されていました。
こういう齟齬は私にもありますが、相手の言論を要約や注解する時に起きるニュアンスの間違いとか誤解とか、
本人のこだわる単語とか、意図が違うとか、これだけは切り離せないんだよという条件とかでも、結果、フェイクになってしまうのです。
ヨハネがけっして死なないという噂がたったのも、言葉の受け取り方でしたよね。
しかし『黄金伝説』によるとやはりヨハネは死なずに肉体ごと消えています。
余談ですが。 [バチカン市 9日 ロイター] - ローマ法王フランシスコは9日、使徒的勧告(ガウデーテ・エト・エグズルターテ)と呼ばれる公文書を発表し、「聖性」について論じるとともに、十数か所にわたり悪魔に言及した。
3月29日には、法王と知的な友人関係にあり無神論者を自称する93歳のジャーナリストが法王は地獄は存在しないと発言したとの記事を公表、ローマ法王庁(バチカン)が記事への非難を表明するなど波紋を広げている。
使徒的勧告は、「喜びなさい、大いに喜びなさい」(マタイ5章12節)を主題に掲げ、人生が「悪魔とのあくなき戦い」と成り得ることに言及。
保守派が強い言葉でリベラル派の信者を攻撃している現状を踏まえ、一部カトリック信者のブログやツイッターで誹謗中傷が拡散されていることを憂慮する考えを示した。
法王は「したがって、われわれは悪魔を神話や象徴、思想と考えるべきではない。
この過ちはわれわれの用心を砕き、不注意を助長し、より不用心な状態に導く」と述べた。
また、舌と地獄の炎について述べた聖書の一節を引用し、「不注意な発言が地獄によって煽られ、あらゆるものを興奮させる」として地獄に言及した。
http://news.livedoor.com/lite/article_detail/14558542/ >>484
この見解、というのがヨハネに関することか二人に関することか、悩むところ。 今、私は聖人伝を読んでいます
聖人を慕う罪人を、その聖人が神にとりなしして天国へ招き入れるお話がたくさんあります。 >>495
でもプロテスタントには残念ながらそんな考え方はありません。
キリストだけがとりなし手です。 エンメリックによる幻視
八 世の罪 より
イエズスが使徒たちから離れると、わたしは一団の恐ろしい幻影がまわりに押し寄せ、ますます主の身近にひしめき迫って来るのを見た。
主の悲愁と恐怖はいや増した。主は恐るべき暴風雨に会って避難所を探す人のようにおののきながら、洞の中にお入りになった。
しかしわたしは、この脅迫的幻影が、洞の中までついて行き、ますますはっきり現れて来るのを見た。
ああそれはまさに、人祖の堕落から世の終わりまでの、あらゆる罪悪の恐怖に満ちた幻影を、この狭い洞穴の中に、詰め込んだかのようであった。
ちょうど、オリーブ山のこの場所は、アダムとエヴァが、かつて楽園から追放され、始めて来た荒れ果てた所で、かれらはここで悲嘆にしずみ途方にくれていた。 主は罪悪の償いとして、神の正義をなだめるため、来たらんとする苦しみに、ご自身を捧げられた時に、その神性は、聖三位に戻ってしまわれたようであった。
そして主がただ無限の愛から、また最も感受性の鋭い汚れなき人性において、人間的愛の力だけで、あらゆる恐怖と苦しみの重圧にまかせようとしておられるのだとわたしはその時はっきりと感じた。
すべての罪に対するつぐないと苦痛とをその聖心に引き受けた。
そして苦しみは、主の尊きおん体の四肢や尊き霊魂のあらゆる感覚のうちに、無数に枝を張った苦痛の木のように入り込み生え纏うた。
主は全く人性のみにたちかえり、はてなき憂いと恐怖のうちに神に懇願し、顔をおおいうつ伏せに倒れたもうた。 主は無数の幻影のうちに、世のあらゆる罪悪とその真のみにくさを見たもうた。主はこれらをすべてご自身に引き受け、あらゆる罪のため苦しんで天のおん父の正義に償いを果たそうと切に祈られた。 嘲笑、不潔物、乱暴、髪、よろめき
【イエズスの場合:十】
かれらは主に向かって嘲笑い、つばきをかけ、罵倒し、不潔物を投げつけ、浴びせかけ、突き倒し、殴りつけた。
かれらの剣や槍は、広い広い脱穀場の連枷のように振り上げ、振り下ろされた。
そして生命のパンをもってすべての人々を永遠に養わんために地上に降り、死んで一粒の麦となるべき主に対し、あらん限りの乱暴を加えた。
わたしはイエズスがこれらの恐るべき軍勢の真只中で、実際にかれらの武器で打たれているかのように恐れおののいているのを見た。
わたしはこの時。血が濃い滴りとなって主の青白い顔を流れ落ちるのを見た。
主のいつも滑らかに分けられた髪は血でこびりつき、乱れ、もつれ上がり、そのひげは血にまみれ、むしり取られたようになった。
主が逃げるように洞穴から出て再び弟子たちの方に行かれたのは、この幻影の後であった。
しかし主の足取りはたしかでなく、重い荷の下に深く身をかがめ、あちらこちらよろめく者のように、あるいは傷におおわれ、今にも打ち倒れそうな者のようであった。 激しい動作、衣服、髪、嘲笑、汚物
【マグダレナの場合:三十】
マグダレナは全くこれに反していた。かの女は丈が高く、その姿や、動作にも動きが多かった。
かの女はささえ切れぬ苦しさの重荷のために、今はほとんど恐ろしいくらいの姿になっていた。
その着物はぬれ汚れ、めちゃめちゃになり引き裂かれていた。
その長い髪はとけて、破れたヴェールの下で、もつれていた。
かの女はその苦しみのほかは何事も考えず、ほとんど狂人のようになっていた。
そこにはかの女の以前の豪奢、放埒な罪の生活を見知っていたマグダラや、付近から来ている人々がたくさんいた。
かの女は長い間、隠れた生活をしていたが、今、みなかの女を指さして、そのあさましい様子を嘲笑った、
実際、マグダラの悪い人々はそればかりでなく、行きずりにかの女に汚いものさえ投げつけた。
しかしかの女は何も気が付かなかった。それほどかの女は悲嘆にくれていた。 私がエンメリックを読んで、まるで肉体のペアのようだと思った苦しみ方の特徴。
>>501 イエズス
>>502 マグダラのマリア 一方、聖母は目こそ赤く泣き腫らしているが、外見は節度を保ち、衣服は汚れておらず、静である。
【聖母の場合:三十】
わたしはマリアの顔が青ざめ、やつれ、その眼は泣かれたためにほとんど血のように赤くなっておられるのを見た。
聖母の容姿は真に驚くほど、また書き現せないほど、素朴、率直、かつ単純であった。
聖母は昨日以来、また夜通し恐怖と憂いと涙のうちにヨザファトの谷、エルサレムの町を歩きまわられたにもかかわらず、その着物はきちんと整い、かつ汚れもなかった。
着物のひだ一つ一つにも尊さがこもっていた。
聖母の身のまわりには威厳、清浄、純潔がただよっていた。
かの女があたりを見まわす様子には全く気品がこもっていた。
また首を少しまわされる時、ヴェールにできるひだにも非常な単純と清らかさが現れた。
聖母は激しく動くようなことはされず、非常に苦しい時ですら、その動作は、単純であり、静かであった。
聖母はあらゆる美しさは同時に無垢、真実、天真爛漫、威厳、および神聖そのものであったから。 キリストを産んだ方は聖母マリア。ちょくちょく引用される雅歌なんだけど、矛盾を感じないでいられるのは何故なのか私にはサッパリわかりません。
全体をとおして読むと、マグダラのマリアのほうがピッタリ一致します。
教父オリゲネスの注解によると前半はマルタの妹マリア、後半はマグダラのマリアだそうです。『黄金伝説』によるとこのマリアは同一人です。
すると矛盾なく読めます。
雅歌8章
5 自分の愛する者によりかかって、荒野から上って来る者はだれですか。りんごの木の下で、わたしはあなたを呼びさました。あなたの母上は、かしこで、あなたのために産みの苦しみをなし、あなたの産んだ者が、かしこで産みの苦しみをした。 (口語訳)
荒れ野から上って来るおとめは誰か/恋人の腕に寄りかかって。
おとめの歌
りんごの木の下で/わたしはあなたを呼びさましましょう。あなたの母もここであなたをみごもりました。あなたを産んだ方も/ここであなたをみごもりました。 (新共同訳) カトリックの大罪、小罪の具体的な例を読んだ。
めちゃくちゃ厳しい。
パリサイ派の厳しさなんか大したことないくらい。
それらを生きた人間に告白する義務を考えたら、もう恥ずかしくて恥ずかしくて、卒倒したくなるわ。
でも生きた人間といとも簡単にセックスできる人がいることを知ると、なぜなのかわからなくて信じられない。
このことへの恐ろしさだけは私の持って生まれた性質なのだ。 拷問中のイエズスが、遊女二人の蔑視を目撃して傷つく場面が、エンメリックにあります。
イエズスは彼女たちに同情しているだろうのに、罪の女たちはイエズスを侮辱するのです。
そしてイエズスのみ心は傷つきました。 このメカニズムは何だろう。
終わりの日に、このような侮辱に対する対応が変わり、痛みの代わりに峻厳な態度を取り戻す神が、罪人の罪を突き放すということだろうか。
地では軽悔しか起こらない侮辱者が、かの日には神のみ前で罪の全容を自覚して、堪えられなくなり、地獄へ落ちるということだろうか。 ルカ6章
24 しかしあなたがた富んでいる人たちは、わざわいだ。慰めを受けてしまっているからである。
25 あなたがた今満腹している人たちは、わざわいだ。飢えるようになるからである。あなたがた今笑っている人たちは、わざわいだ。悲しみ泣くようになるからである。
26 人が皆あなたがたをほめるときは、あなたがたはわざわいだ。彼らの祖先も、にせ預言者たちに対して同じことをしたのである。 ジュンク堂へ行きました。
何なの、VoCE 5月号あるやんけ!
明日6月号発売なのに、どんだけ余ってたの〜? NHK連続テレビ小説「半分、青い。」ちらっと二回見た。
漫画家になりたい主人公が読んでいるのは、くらもちふさこではないか!
私もかなり影響受けた漫画家の一人。 2 わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。
3 そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。 16 わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。
17 それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。 1 わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。
2 わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。
3 あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。
4 わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。
5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。
6 人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。 26 わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう。 >>486
ベルぜブル論争
24 汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからないので、出てきた元の家に帰ろうと言って、
25 帰って見ると、その家はそうじがしてある上、飾りつけがしてあった。
26 そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人の後の状態は初めよりももっと悪くなるのである」。
27 イエスがこう話しておられるとき、群衆の中からひとりの女が声を張りあげて言った、「あなた(マグダラマリア)を宿した胎、あなたが吸われた乳房は、なんとめぐまれていることでしょう」。
※ マグダラのマリアを産んだ母上は幸い
28 しかしイエスは言われた、「いや、めぐまれているのは、むしろ、神の言を聞いてそれを守る人たちである」。
※ マグダラのマリアの方が幸いです
自分と自分の子供のために泣け
29 『不妊の女と子を産まなかった胎と、ふくませなかった乳房とは、さいわいだ』と言う日が、いまに来る。
※ マグダラのマリア賛歌(肉欲に耽りながら妊娠したことがない=神の恵みが表れるために) ・神の御霊を受ける(聖霊降臨)ため
・わたしたち(父とイエズス)はその人と一緒に住む
・父はイエズスよりも大きいかた
・イエズスが去らなければ助け主は来ない
ヨハネ14章
20 その日には、わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう。
23 イエスは彼に答えて言われた、「もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。そして、わたしの父はその人を愛し、また、わたしたちはその人のところに行って、その人と一緒に住むであろう。
26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。
28 『わたしは去って行くが、またあなたがたのところに帰って来る』と、わたしが言ったのを、あなたがたは聞いている。もしわたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるであろう。父がわたしより大きいかたであるからである。
ヨハネ15章
26 わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう。
ヨハネ16章
7 しかし、わたしはほんとうのことをあなたがたに言うが、わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ。わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう。
12 わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。
13 けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。
ヨハネ16章
26 その日には、あなたがたは、わたしの名によって求めるであろう。わたしは、あなたがたのために父に願ってあげようとは言うまい。 キリスト教に輪廻を持ち込みたい人は、一回かぎりの生と死に対する審判を不都合だと思っている。
峻厳なる裁きから目を逸らし、なんとか助かりたいと甘い夢をみる。今、決断を迫られている。しかし時が満ちていない。
それで偽りを信じることになる。
「わたしは裁かれないし、わたしの尊敬する人たちや愛する人たちも裁かれない」
エバが騙されたようにこの人たちも騙されてしまう。
その日、権威を帯びた主が地に降りてくる。新しい世界を携えて。
そこには不一致がない。わたしたちを混乱させてきた肉の働きが霊≠ノ服従するからである。霊≠ニは神の性質である。そしてこの神こそキリストなのである。 ここ何日か外出すると内住の聖霊らしきものから指導されています。
バスを待っている時、後から来たおばさま方が真っ先に乗り込んだので、心の中で「図々しいおばさんたちだなあ」とつぶやいてしまったのです。
私が乗り込むとなぜか電子カードがばらけて落ちたカードをそのおばさま方の一人が拾ってくれました。
声に出して「ありがとうございます」と言いました。
別の日。
バスの中に立つ若い女性を見つめていると、その白く清潔な手を認めました。
ああ、男の人はこういう人の体をめちゃくちゃ愛するのだろうな。でも中身は大したことないのかもしれないよ。
しかし私の思いはすぐ訂正されました。彼女は知らないおばあちゃんたちに話しかけられて笑顔で応対していました。
山口智子のような笑顔、ナチュラル系。
良い人でした。 『黄金伝説』を読むと、聖母ほどの方でも帰天する時、悪魔と遭遇することを怖れて天使に守ってくれるよう頼んでいるのですよ。
マルタも死の前に悪霊の群れがやって来て彼女に対する罪を告発しようと待ち構えています。お守りくださいと祈るマルタがいます。
二人の怖れとはまったく違うのがマグダレナです。
彼女は天への憧れをまっすぐ望み、30年間誰とも交流せず、天の食事だけで養われていました。
マグダレナの愛と恵みの秘密はひたすら神により頼むしかない境遇からではないでしょうか。
イエズスの伴侶はマグダレナのような人がふさわしいと思います。 レタスとベーコンとトマト缶を煮て夕食にしました。ワインが合うような気がしました。
もうホットワインより冷たい飲み物がいい。水で薄めたら飲めるかしら?
ワインと水とだいだいの汁を入れたら普通に飲めました。最初からこうすればよかったのですね。
しかしワインの分量次第では酔います。二杯目はワイン1:水3くらいにしたら顔がほてりました。 あの後急に思い立って残りのワインをシンクに捨てました。
ワインを愉しむ気持ちを葬りたかったのかもしれません。
でもまだ数本あるので、薄めて食事と一緒に飲む予定。
だいだいの汁は何にでも合います。料理には塩分カットのためにオススメです。
捨てたワイン:アルパカ レッド
開ける予定のワイン:キリンのマークのトールホース レッド
アルパカ ホワイト でも苦手なワインが飲めるようになって嬉しい。
考えたらイエズスのお体から流れ出たものは血と水でした。
私の苦手克服は牛乳、納豆、ウリの奈良漬、グラタン、コーヒー、ビールなど。ワイン追加。
食べられないものはレバー、蜂の子、センマイ(色と姿が)、豚足(形が)。
無理に食べなくてもいいや。 神のいつくしみの御絵イメージを広めるよう要請された聖ファウスティナ。
その日記を購入しようとして見つけたサイトです。
日記も贋作があるので注意して。
http://www.maroon.dti.ne.jp/gokyo/translation/something_to_avoid.html
http://www.maroon.dti.ne.jp/gokyo/diary2007/d-2007-11-21.html
「御聖体」というものに対して、天主様ご自身、もう少し「厳か」な意識をお持ちです。(いくら「愛」であろうとも。)
そして、「戯れ」を好むのは、むしろ悪霊達です。
しかもこの場合、御聖体を使っての戯れなのです。
シスター・ファウスティナの「神のいつくしみへの礼拝」は天国から来たものだろう。
しかし、彼女が書いたと言われる「日記」の中には、間違いなく敵の手に成る贋作が含まれている。特にホスチアに関する幾つかの箇所では、教皇座空位論者の言う通りに、「手による聖体拝領のプロモーション」が行なわれている。 激しい誘惑とは何でしょう?
http://hushiginomedai.holy.jp/st%20birgitta%20vid.htm
ビルジッタはそれからなお二、三ヶ月を生きながらえていた。しかしその短い間に様々の激しい誘惑が起こり、次いで底知れぬ憂鬱に襲われた。それは天主の許し給うた最後の試練に他ならなかった。 実は私もアグレダのマリアの啓示を読んでいる時、理解できないことがありました。
「汝だけのため、取っておいたのです」とはどういう意味か?
天の元后の御言葉は全般的にとても厳しく、私の経験とよく似た要求だなと思いました。
私の時はそれが神からのものかもしれないから真剣に対処していたのですが、神のいつくしみとは正反対でした。厳しく追求を受けました。
その後、夢をみて「今回まではゆるす。だが次回はない、そのときは地獄だ」といわれたのです。
そして甘くない熱いだけの霊に体を包まれました。
私はこの霊が悪魔だと判断しました。
そのときの経験を踏まえ、ファウスティナの贋作日記のことも考えると、アグレダのマリア『神の都市』サイトの元后の御言葉は、信用できるのかどうか。
【第三書・第一章】元后の御言葉より
● 私の親愛なる者よ、汝は主の所帯の一員であり、キリストの浄配です。
●汝の花婿の全ての財宝は汝のものです。
●主が全ての恩恵を汝だけのため、取っておいたのです。 フェニキアバラ
http://www.seinan-gu.ac.jp/shokubutsu/list_search/946.html
うちの庭で何本か生えてるのを見つけて、わ!バラだバラだと喜び庭の隅に植え替えたら、葉ばかりでちっとも咲きやしない。
しかし今年は小さな群れなす花をつけた。蕾が濃い色なのでとりわけ可愛い。
しかし開くとサクラのように淡く薄いピンクだ。
五枚の花びら、まるでフェニキアバラだ。
トゲはあまりない。
何年か前からだが、時々見つけていたのだが、こんな種だったのか。野ばらっぽいとは思っていた。
不思議だ。何箇所か離れた場所からどうして芽を出すのか。 救われたのに試されるってどういうことかしら。
とても厳しい。
落ちたら地獄ですね。結局、救われなかったというオチ。
本当にわからない。
長生きすれば罪が重なり、試される。
無理して走り抜き、体壊して短命になるほうがいいの? ボブ・ディランが7月末ごろ開催される新潟のフジロックフェスティバルに出演するらしい。
ボブはユダヤ教徒でしたが、一時キリスト教に改宗しました。
彼の歌詞の中には聖書からの人物名も出てますし、インタビューで「イエスとマグダラの時代に生まれていても面白かっただろう」と話しています。
しかしのちにまたユダヤ教徒に戻ったそうです。
イエスとマグダラの関係が、キリスト教会の考え方では師と弟子でしかないことから、ボブの自由な霊感による間柄とはマッチしなかったのではないかと、勘ぐっております。 浅ましい夢を見ました。
成功した同級生たちの高額収入リストを保険会社がバラしてる夢でした。
私は自分より貧しい人のことを思わずに、貧しい私にお金をくれないかしらと想像しました。
これですから、私は地獄行きになっても文句言えません。 理解していたような花嫁じゃないことがわかってから、それをよりはっきりと確信するにつれて、人生の虚しいことを実感しています。
あとはただのババアになるだけなんだなあ。。。
なんで生まれたのだろう、と。
壮大な夢を見てきた。
この年齢になるまで気づかずに少女のような夢を信じていたとは。
毎日が脱力です。 明日は「ファウスティナの日記」と「神のいつくしみへの礼拝」二冊が届く予定です。
いつくしみに頼り、ゆるしていただくほかはありません。 『聖ファウスティナの日記―わたしの霊魂における神のいつくしみ』
『神のいつくしみへの礼拝―イエスよ、あなたに信頼します』 昔「奥様は魔女」を見ていて、サマンサの母親が時々、ダーリンをダッグウッドと呼んでいました。
あれどういう意味だろう、とずっと気になってて
昨日、これかなと思いました。
花水木のことをアメリカではドッグウッドといい、この木が十字架の材木だと信じられているらしいのです。
ダーリンはクリスチャンてこと? 聖ファウスティナの日記
29 わたしの愛は誰をも欺かない
上長の一人は、主イエスとのわたしの親密な関係について知ったとき、わたしが自分自身を欺いているに違いないと言いました。
彼女はわたしに言いました。
主イエスがこのように親しくなさるのは、聖人たちに対してだけであり、「シスター、あなたのような」罪深い霊魂に対してではない、と。
それを聞いて、わたしはイエスに不信感を抱いたかのようでした。
主との朝の語らいの中で言いました。
「イエス、あなたは幻に過ぎないのでしょうか。」イエスはわたしにお答えになりました。「私の愛は誰をも欺かない。」 シスター、あなたのような・・、
罪深い霊魂・・・
ひどい。ひどすぎる。 >>532
ボブ、私はユダヤ教徒なんかにはならないわ。
他のどんな宗教、思想、偉人を神としないし媚びないし、天使にさえひざまずかない。 まだ一度もご聖体を拝領したことがない。
いったいどんな変化がわかるのか?
なぜ喜びに覆われていながらファウスティナは悲しいのか?
「愛と悲しみは、手を携えて行く」881と彼女は書いている。 プロテスタントは「完了した(テテレスタイ)」だからもう苦しみはないかのようにいうけど、カトリックではイエズス様は私たちのためにともに苦しまれたり、忘恩に傷つき苦しまれる。
苦行と従順は神に喜ばれる。
とりわけ従順が喜ばれる。 今月、一週間ほど悲しみの霊につきまとわれ、ついに号泣することが何日かありました。
「私はいつも愛されない。最後にはかならず勘違いしていたことがわかる」
しかし、これはほんの始まりに過ぎず、私が切ない悲しみに浸っていると偽りの霊が私を優しく愛しに来るのです。
そしてまた偽りに傷つくという繰り返しでした。
幸せに終わることがないのがその特徴です。
私は悲しみに呑み込まれる代わりにイエズスとイエズスが選んだ天国の住人の幸いを喜ぶ祈りを捧げ、堪えてきました。
ある日、幻をみました。私がイエズスの前に投げ出され、その勢いでか小さな天使たちは仰け反り離れ、イエズスは心配そうな顔をして私を受け止めてくれました。
このときのことを考えていました。天使はなぜ逃げたのか、まるで汚いものを避けるかのように。
こんなふうに考えていたら、ビジョンがあり、小さな子どもが、まるで死体のように見える姿で現れました。髪は逆立ち、細い肩はひどい青アザ、背中まで続いています。死体のように見えました。
角度的には、あの幻のイエズスから見る私の姿でした。 青アザは知らない間にできてることもあるから大したものではありません。
でも肩は骨が突き破らんかのようにひどいアザになっていました。肉に吸収されず骨と薄い皮だけで受け止めるので相当痛いと思われます。 この小さな子が私だったら大いに慰められるのですけど。
イエズスが本当にイエズスであれば、私の痛みは受け入れられたということですから。
しかしまだ油断できず、偽りの霊がイエズスのような姿を装ってる可能性もあります。
もしくはこれは私のことではない、もしくは私の勝手な想像であったかもしれませんから。 自分自身が信頼できるものではないとすれば、何もかもが信頼に欠けます。
判断もビジョンも偽りです。
私は自分のことは自信がありません。いつも否定されるからです。
でも私の希望を捧げることは許されるのではないかと思いました。
神の勝利は確信しています。
ですから神と神に選ばれ天国で憩う人たちの幸いを喜びます。
私は地獄へ行くとしても、彼らの永遠の幸いを喜びます。
これだけが希望の確信なのです。 私の所に、40代の可愛い女性が来ました。
彼女は、子どもの頃からいじめられ、中学から鬱になり、拒食症からの胃の痛みに戦い、それでも何とか良くなろうと頑張って来ました。
ここに来る前には、ヨガのインストラクターになっていて、少しは症状が良くなっていたものの、本人は、いつも安心がなく不安定の状態にいたそうです。
彼女が、イエス・キリストを受け入れ、神様からいただいた御言葉に感激して、一生懸命覚えたりして、聖書を読んでいました。
そして、久しぶりに来た胃の痛み、自分で追い出すことができたことに感激していました。
今、彼女は新しい仕事につきましたが、彼女が心に思っていたことが、現れてしまいました。
それは、いじめられるのではないか、という心の思いでした。
私のアドバイスは、相手が良い人だと思ってごらん、その根拠は、あなたの思った通りになるのと、人を愛する心にある人は、神様も愛してくださる、とにかく信じて希望を持ってやることを伝えました。
最初は、泣いて来たけど、今は、強くなり、楽しんで仕事をしています。
彼女は、たくさん御言葉を覚えたのに、いざ自分に使うとなると、一つの聖句しか、思い出せなかったようです。
それでも、御言葉は、イエス・キリストの現れです。
御言葉を使うと、それに伴う聖霊が働かれます。 出しゃばって、ごめんなさい。
もし、何かに役立ってくれたらと思い、書き込んでしまいました。 >>548
優しいね、まちこさん。
時が来れば示されるでしょう。
詩篇27:11 去年の10月から継続している体のしるしが止んだら、何か変化があったのかなと思えるでしょう。
プクプク、プツプツ、体内から絶えず湧き出すような振動があります。 >>550
更年期障害かな。
私は、まったく無かったので、どういうのか分からないけど。
話しだけは聞いている。
自分のだと問題ないので、イエスの御名でやっつけてみたら?
もしやるんだったら、私も手伝います。 >>551
若い頃にも一時的に体験したので更年期障害ではないです。
霊的なものです。 >>552
自分でやった方が後々、あなたは強くなっていきます。
イエス・キリストがいるというイメージを持つことです。 返事が来なかったので、祈っておきます。
では、お邪魔しました。 ピッピはお薬で体と顔がむくんでいます。
霊的というより、お薬の症状だと思う
まだお若いです。30代にしか見えない。
更年期ではない 草取りしました。
つる草系が裏庭を覆い尽くしてもう大変。
連休中の予定なし。 私が例のイエズスと交わる時の一つのパターンがあります。
タイムリミットが組まれ、焦燥感が支配し、やがて時が来て、私は罪悪感に襲われ始めます。
しかしイエズスの御意志は事前にリミットを廃止しており、私は時を過ぎ越し、変わることを強いられませんでした。 日常生活で例えると…
明日は仕事、早く寝なくちゃと思いながら興奮して眠れない。
ついに朝が来て、ギリギリまで粘るがもう時間を過ぎた。
ああ、ズル休みしようか、それとも遅刻か、神様!!
突然の連絡が入り、本日休業もしくは休日だったことに気づく。
安心して眠る。楽しい夢を見る。
こんな感じか。 イエズスの目的は何か、この密かな事前計画を知らされない私への意地悪か?
サディストなのか?
わかってほしいとイエズスは言いました。
イエズスは愛に溢れた方です。
私は自分から制限をかけましたが、イエズスは囲いを取り払っていました。
その無限の愛を知って味わって欲しかったのだと思います。
神様は私たちを私たちが想像する以上に赦され愛されています。 ユダヤ教徒たちはメシアを待望しています
我らのイエズスキリストは彼らにとってメシアではないからです
偽メシアは人間であり、ユダヤ教徒にとっての救い主です
彼はベツレヘムで生まれるのでしょうか?(肉の家・パンの家)
また、おとめから生まれるのでしょうか?
偽メシアはダビデの子孫でしょうか?
しかしメシアが来る時、彼がどこから来たのか知る者はいないとされています
よーするに後になってわかるってことかしら 偽メシアは人間であり、ユダヤ教徒にとっては救い主と見えます パスタの上にレンチンした輪切り人参と輪切りズッキーニを飾ったのですけど
パスタとソースと一緒に口の中へいれたら輪切りだけ喉に吸い込まれてしまいました。
苦しいです。死ぬかも。
ソースだけ流し込んだつもりが…。 ナイフとかフォークとか異物を飲み込む人がいるけど、どうやって胃の中へ押し込むのだろう。
喉に引っかかって痛い。 【とっさに考えたこれからの奇跡】
1. 毒リンゴならぬ、輪切り野菜を詰まらせて死ぬ
2. 葬式
3. イエズスの登場
4. 輪切り野菜を吐き出し、生き返る
5. 生きたまま天国へ 去年のことが強烈ですけど
じつは30年前から神か悪魔かわからないで、日々、霊的識別の連続でした
彼(反キリスト)は私を助けようとして私に降りて来ました
私を愛して自信を得させようとするのだけど、私は彼(反キリスト)が妻帯者であることを知っているし、私自身が彼(反キリスト)を愛していないので発狂する
右側に天使とイエズス〜天使の助けを止めるイエズス
左側に反キリストと父役の偽預言者〜偽預言者のGO!サインで降りて来た反キリスト 野菜をふやけさせるしかないと気づき、水を飲んでいます。
お湯のほうがいいか。 神様はなぜ助けてくれないのか?
私は自分の側に問題があるのだろうと一所懸命に考え続けています。
去年の恐怖と助けのない絶望に苛まれ、何度も発狂寸前の苦しみを味わいました。
苦しみを見かねた天使が「助け(に来るの)は一度だけ」と助言してくれますが、
私は理解不能ですし、何を信じたらいいか、またあの恐怖が襲ってくるかもしれないという見捨てられ感覚が生じ、
苦しみました。
>>543
このあたりから少し落ち着いてきました。気分も悪くないです。 明日から五月、聖母の月。
私の大好きな五月が始まります。
薔薇も何輪か咲きました。
私の代になってから薔薇も紫陽花も瀕死状態なんですが、今年もよく踏ん張ってくれました。
花が枯れる頃になっても、まだ私が生きていたら、大掛かりな剪定をして土も替えて生き返らせたいです。
今までの陳謝と感謝のために。 多分、今ちょうど輪切り野菜を胃のなかへ入れるため門を開こうとして難儀してる最中だと思う。
い、いたい。 【偽証人の種類】
エンメリック14章より
これらのものは今や次第にカイファの法廷に集まって来た。
またエルサレム出身のファリザイ人や律法学士などの一群も、自分たちに味方する偽証人を引き連れて集まって来た。
・その中には主によって神殿から追い出されたことを遺恨に思っている商人や、
・神殿に集まった人々の面前で沈黙させられてしまった傲慢な教師もいた。
・主がまだ十二才の少年の時、神殿で主に教えられ、恥をかかされたことを未だに忘れることのできない何人かの人も恐らくいたであろう。
・ また主がいやすのを拒みたもうた悔悟せぬ罪人や、
・再び病気になった再犯の罪人や、
・主の弟子になることを拒まれた虚栄心の強い若者や、
・その人が死ねば自分が相続しようと思っていた者を主が癒したために、腹を立てている卑劣な相続人や、
・自分の友だちを主が改心させてしまわれた与太者や、
・自分の情婦を主が徳に進めてしまわれた放蕩者や、
・姦夫や、
・あらゆる悪事に手を出そうとしていた多くの節操ないおべっか使いや、
・またすべての聖なる者に対し、したがってもっとも聖なる主に対し、憤れる悪魔の道具になってしまっている者がそこにいた。
これらの人間のくずは、世の罪を負える汚れなき真の過越しの羊にあらゆる罪を負わせるために、各方面からカイファの館を指して合流し集まり始めた。 私にマグダラ花嫁説を持ってきて、サランラップのように顔にぴったり覆いをし、すっかり信じ込ませた者がいました。
去年の9月です。
彼は黙示録の最後の結論を変え、そこからすべてを整合するように変えていました。
変えられた文字が赤く見えました。
私は騙されないようにと意識ははっきりしていたものの、まるで学芸会の始まりのように物語の中へ組み込まれたところで目を覚ましたのです。 騙されない、という意識ははっきりしていました。
マグダラファンクラブのようなサイトや、私的霊感によるサイト、ダン・ブラウンのような創作を愉しむ人らの想像、異端グノーシス、幸福の科学など宗教団体による説。
これらには信用する価値がないと一掃しました。
しかし私が驚愕、戦慄したのは、カトリック聖書の注解や聖伝承から導かれたものだったのです。
私は今でも信じざるを得ないのですが、雅歌や黙示録の花嫁の行動は、マグダラのマリアにこそピッタリ一致します。
私の霊体験と夢、幻、理解は、すっかりマグダラ花嫁説と一致しました。
私は一時、フランシスコ会訳聖書を読めなくなりました。調べれば調べるほど、自分がみじめになるばかりだったからです。 南フランスから広まったカタリ派はマグダラのマリア花嫁説を信じていました。
彼らはカトリック教会によって虐殺されました。
虐殺とはどういう意味かわかりますか。剣をとる者は剣で滅びる、とあるように何ら正当性を持たないものです。
この出来事によりマグダラ花嫁派は勃興の機会を与えられました。
と、私は考えています。
(サーペンが書いているように「なぜ現代になってナグハマディ文書が発見されたのか?」の理由です) 私の顔にかけられたサランラップみたいなマグダラ花嫁説は、いまだに取れません。
無理に取ろうとする霊的な波が近づくと、私は恐れ、嫌悪し、発狂するのではないかと思うほどです。
マグダラのマリアが花嫁であると考えたり、書いたりすると、不思議と落ち着きます。
自分の信じることと矛盾がないからだと思います。 解釈の真偽は私にはわかりません。
でも私が信じているのはキリストの勝利とキリストに選ばれた人たちの永遠の憩い、祝福です。
私は脱落しても、キリストの勝利は確信しています。 そういえば悪魔サタンらもキリストの勝利は認めているんでしたっけ。
天国の皆さんが幸せに過ごされますように。
私はもう精神系のお薬は飲んでなくって、時々、漢方薬のお茶を飲むくらいです。
献血もできます。
だけど今は輪切り野菜が痛い。
神様、み心がなされますように。 まだ生かされています。
痛むのは心臓ではないか、と思います。
膝下の脚の血管(静脈)を固まりが下っていきました。
お腹も固まりが消化中です。みぞおちが痛むのはやはり胃なのかもしれませんが、どういう状況にあるのか今ひとつ不明。
ただ痛いということ。消化中だということ。血管にも影響しているということがわかりました。 「輪切り野菜、吸い込み事件」から、らくだは呑み込んでいるというイエズスの批判を思います。 朝鮮半島の平和がうまくいくよう祈りたいと思います。
そして拉致された方々の速やかな帰国が実現しますように。
教皇フランチェスコがツイッターでたびたび言及しているシリアの平和も祈りたいと思います。
また悲しむべきことが起きています。 薬局で重曹 炭酸水素ナトリウム 3g×12 一箱200円位 を購入して 天然水で一袋を200CC位で割りチビリチビリ飲むことをオススメします。
http://m.ameba.jp/m/blogTop.do?guid=ON&unm=64152966 >>583
そいえば重曹忘れてたな。
ありがとう、
去年もお世話になりましたから
さっそく飲みます。 食事して
(しめじ、豆腐、シメサバ)
重曹飲んで、楽になりました。
今は何ともないです。
お祈りしてくださった方もありがとう。 若い頃、私は東京のアパートでLAストーカーの霊と闘っていました。
ある日、私は早朝目を覚ましました。それはまったく変わった目覚めでした。
まず瞼が開いてすぐ閉じました。
起きたというより、まばたきをしただけという感覚でした。
それから目を閉じた状態で部屋の様子が見えました。
足元に影が表れ、私の体はふわふわ浮いていきました。
おそらく霊的に浮かんだのでしょうが、部屋の様子が肉の目で見えてるように感じられるので、天井近くなると異様な状況でした。
もう戻ってこれなくなるかもしれないという不安が強くなりました。
私は力を集中して体を落としました。 東京に疲れ果て、実家にもどり生活していた頃は以下のような変わった夢を見ました。
目が覚めた、という夢をみた
という夢でした。
三段階の夢です。
現実だと思ったら夢で、それもまた夢だったというものです。
エリヤが天の軍団を見せたような
ステパノが神の右の座につく主を見たような
おそらくそれと同じリアル感のある別世界のものでした。
地上の肉の目で見ている世界とは別の(また、それは天国でもないでしょう)世界と交流する人たちがいるのではないか?と思います。
『奥様は魔女』のサマンサのように、魔法の世界を生きてる人たちがいるのではないか、と私は思いました。 もうポピュラー音楽とか、作家の作り話とかドラマは、捨てようと思います。
キリスト信仰者の読み物でも、心に響かないものもあります。
神学も幅広くあるし、聖書の翻訳もニュアンスが違うように感じたりと、何が本当なんだか迷ってしまいますね。
私が信じてきたキリストも悪魔かもしれないとかさ。
他人から見たらコップの中の嵐で、真剣に悩む姿もおかしいだろうね。
霊的識別なんて高度な技は私にはまだまだ到底無理です。 悲しくて悲しくて悲しくて。
この沼地から出られない。
Q:イエズス、私の生き方がわかりません
A:健全な生活をしなさい。
健全に暮らす。
石田さんチを観ながら
パパ「恩を仇で返しちゃいかん。親でも他人でも、どんな不条理でも」 NHKニュース
これに先立って、安倍総理大臣は記者会見で、「経済の繁栄こそが平和の礎になる。日本ならではのやり方で、中東の平和と安定に貢献したい」と意欲を示しました。
1テサロニケ 5章
1 兄弟たちよ。その時期と場合とについては、書きおくる必要はない。
2 あなたがた自身がよく知っているとおり、主の日は盗人が夜くるように来る。
3 人々が平和だ無事だと言っているその矢先に、ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むように、突如として滅びが彼らをおそって来る。そして、それからのがれることは決してできない。
4 しかし兄弟たちよ。あなたがたは暗やみの中にいないのだから、その日が、盗人のようにあなたがたを不意に襲うことはないであろう。
5 あなたがたはみな光の子であり、昼の子なのである。わたしたちは、夜の者でもやみの者でもない。
6 だから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして慎んでいよう。
7 眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うのである。
8 しかし、わたしたちは昼の者なのだから、信仰と愛との胸当を身につけ、救の望みのかぶとをかぶって、慎んでいよう。
9 神は、わたしたちを怒りにあわせるように定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによって救を得るように定められたのである。
10 キリストがわたしたちのために死なれたのは、さめていても眠っていても、わたしたちが主と共に生きるためである。
11 だから、あなたがたは、今しているように、互に慰め合い、相互の徳を高めなさい。 白菜1/2が100円でした。
大葉12枚入りが100円、トマト1パック(小玉7個)128円。
ツナドッグ
豆腐サラダ
カステラ三切れ 夕食
煮た白菜1/4を、ダイダイと
納豆、大根おろし、トマトと一緒に食べた。
白菜は1/8でもよかった。
多過ぎたかもしれない。 ピッピさん、この人、先日聖書研究スレ荒らしてた人でつ
583 名前:神も仏も名無しさん :2018/05/01(火) 13:14:41.22 ID:il1bp/71
薬局で重曹 炭酸水素ナトリウム 3g×12 一箱200円位 を購入して 天然水で一袋を200CC位で割りチビリチビリ飲むことをオススメします。
http://m.ameba.jp/m/blogTop.do?guid=ON&unm=64152966
148 名前:神も仏も名無しさん :2018/05/01(火) 09:34:02.83 ID:il1bp/71
衣食住の内、性を極めた俺さまが通り抜けますよ♪
おそらくこの人と同人物
50 名前:神も仏も名無しさん :2018/04/29(日) 12:59:25.14 ID:cP6UBi7S
>>49 おまえ、誰だよ。おれは記憶喪失した男だっていってるだろうが。
ピッピ、やせたのかよ。
三十代後半だったっけ、ピッピ。
パソコン通信のキリスト教スレアイドルのなるみんとピッピが聖書の勉強いまだにしているって聞いて、
どんな感じか見に来たんだよ。
おれ、やっぱり若い女の子が好きだから、遠慮しておくけど。
ピッピは、おれの小説にいろいろと感想くれたんで、恩返しだよ、恩返し。
これを知ってると、キリスト教を勘ちがいしている男にモテると思うぞ。
52 名前:神も仏も名無しさん :2018/04/29(日) 13:23:43.07 ID:cP6UBi7S
ピッピよ、なるみんの教えなんて、
美人で性格よければ、キリスト教の勉強をネットで書いてるだけで男が勝手に押し寄せてくるわ。だぞ。 しばらく、『聖ファウスティナの日記』を読むことに専念します。
とても参考になります。 小学三年生の時、同じ夢を別々の日に二回見ました。
リアルな夢でした。
西の方角から溶岩が流れて来るのです。
黄色く輝いていてとてもきれいでした。 今日からどんたく祭りです。
昨日の天気予報では西風が強いらしいので、どんたく隊は向かい風かも。 私の場合
反キリストは気持ち悪いストーカーのようなもので
本人に悪気はないのです
ただ的外れなだけ
嫌われていることも意に介さず
私の真偽を誤る
こうして悪気なく正しいことをしてるつもりだけど
読み間違っている 反キリストは私がキリストに騙されている or 私がキリストについて誤解していると信じています
1. 私はキリストのただ一人の花嫁だと信じてきましたが
2. 反キリストはマグダラのマリアが花嫁だと伝えてきました
3. 調べてみたら本当にそうとしか思えなくなりました
4. キリストを私のダーリン枠から切り離しました
5. 一般信徒として再出発
6. 反キリストが図々しく私のダーリン枠に食い込もうとする
7. 発狂する
8. 虐待死した私はキリストのもとへ投げ出された あのLA住みのストーカーは
半分ユダヤ人だそうです 肉の耳で聴こえる(ように感じる?)声は三回
中学生→金縛りから突然お経をよむ声が聴こえた
東京のアパート→肥大化した悩みから等身大の自分に戻ると多くの歓声を聴く
去年→頭の中で聖母マリアの心臓をながめていると、悪魔が地の底から唸り声をあげてきた 【私が見た聖母の心臓】
彼女は横たわって眠っていました。
その胸には大きな穴が空いており、私の心を言い当てているような気がしました。
私は彼女の顎から額へ視線をあげていきました。こめかみのところで一旦くぼみ、額へ移るときに
悪魔の唸り声がしました。
最初は地の底から小さく、そして私の肉の耳に上がってきました。
大きな唸り声がして、今にも悪魔が私の横に現出するのではないかと思い恐怖を覚えました。
私の耳は耐えようとして震えました。
目を開けると静寂が戻りました。 本日の『manna』
詩篇 73:1-5、11-12、16-19、23-24
1 神は正しい者にむかい、心の清い者にむかって、まことに恵みふかい。
2 しかし、わたしは、わたしの足がつまずくばかり、わたしの歩みがすべるばかりであった。
3 これはわたしが、悪しき者の栄えるのを見て、その高ぶる者をねたんだからである。
4 彼らには苦しみがなく、その身はすこやかで、つやがあり、
5 ほかの人々のように悩むことがなく、ほかの人々のように打たれることはない。
11 彼らは言う、「神はどうして知り得ようか、いと高き者に知識があろうか」と。
12 見よ、これらは悪しき者であるのに、常に安らかで、その富が増し加わる。
16 しかし、わたしがこれを知ろうと思いめぐらしたとき、これはわたしにめんどうな仕事のように思われた。
17 わたしが神の聖所に行って、彼らの最後を悟り得たまではそうであった。
18 まことにあなたは彼らをなめらかな所に置き、彼らを滅びに陥らせられる。
19 なんと彼らはまたたくまに滅ぼされ、恐れをもって全く一掃されたことであろう。
23 けれどもわたしは常にあなたと共にあり、あなたはわたしの右の手を保たれる。
24 あなたはさとしをもってわたしを導き、その後わたしを受けて栄光にあずからせられる。 イエズスのたとえ話
ルカ16章
19 ある金持がいた。彼は紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮していた。
20 ところが、ラザロという貧しい人が全身でき物でおおわれて、この金持の玄関の前にすわり、
21 その食卓から落ちるもので飢えをしのごうと望んでいた。その上、犬がきて彼のでき物をなめていた。
22 この貧しい人がついに死に、御使たちに連れられてアブラハムのふところに送られた。金持も死んで葬られた。
23 そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。
24 そこで声をあげて言った、『父、アブラハムよ、わたしをあわれんでください。ラザロをおつかわしになって、その指先を水でぬらし、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの火炎の中で苦しみもだえています』。
25 アブラハムが言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。
26 そればかりか、わたしたちとあなたがたとの間には大きな淵がおいてあって、こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし、そちらからわたしたちの方へ越えて来ることもできない』。
27 そこで金持が言った、『父よ、ではお願いします。わたしの父の家へラザロをつかわしてください。
28 わたしに五人の兄弟がいますので、こんな苦しい所へ来ることがないように、彼らに警告していただきたいのです』。
29 アブラハムは言った、『彼らにはモーセと預言者とがある。それに聞くがよかろう』。
30 金持が言った、『いえいえ、父アブラハムよ、もし死人の中からだれかが兄弟たちのところへ行ってくれましたら、彼らは悔い改めるでしょう』。
31 アブラハムは言った、『もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう』」。 >>604
本誌では新改訳を使っていますが
このスレでは口語訳でご紹介しています。 『manna』は新改訳 2017を使用しています。 新共同訳
1:詩編/ 073編 001節
【賛歌。アサフの詩。】
神はイスラエルに対して/心の清い人に対して、恵み深い。
2:詩編/ 073編 002節
それなのにわたしは、あやうく足を滑らせ/一歩一歩を踏み誤りそうになっていた。
3:詩編/ 073編 003節
神に逆らう者の安泰を見て/わたしは驕る者をうらやんだ。
4:詩編/ 073編 004節
死ぬまで彼らは苦しみを知らず/からだも肥えている。
5:詩編/ 073編 005節
だれにもある労苦すら彼らにはない。だれもがかかる病も彼らには触れない。
11:詩編/ 073編 011節
そして彼らは言う。「神が何を知っていようか。いと高き神にどのような知識があろうか。」
12:詩編/ 073編 012節
見よ、これが神に逆らう者。とこしえに安穏で、財をなしていく。
16:詩編/ 073編 016節
わたしの目に労苦と映ることの意味を/知りたいと思い計り
17:詩編/ 073編 017節
ついに、わたしは神の聖所を訪れ/彼らの行く末を見分けた
18:詩編/ 073編 018節
あなたが滑りやすい道を彼らに対して備え/彼らを迷いに落とされるのを
19:詩編/ 073編 019節
彼らを一瞬のうちに荒廃に落とし/災難によって滅ぼし尽くされるのを
23:詩編/ 073編 023節
あなたがわたしの右の手を取ってくださるので/常にわたしは御もとにとどまることができる。
24:詩編/ 073編 024節
あなたは御計らいに従ってわたしを導き/後には栄光のうちにわたしを取られるであろう。 【人口調査はサタンからの誘惑】
1:歴代誌上/ 21章 01節
サタンがイスラエルに対して立ち、イスラエルの人口を数えるようにダビデを誘った。
2:歴代誌上/ 21章 02節
ダビデはヨアブと民の将軍たちに命じた。「出かけて行って、ベエル・シェバからダンに及ぶイスラエル人の数を数え、その結果をわたしに報告せよ。その数を知りたい。」
3:歴代誌上/ 21章 03節
ヨアブは言った。「主がその民を百倍にも増やしてくださいますように。主君、王よ、彼らは皆主君の僕ではありませんか。主君はなぜ、このようなことをお望みになるのですか。どうしてイスラエルを罪のあるものとなさるのですか。」
4:歴代誌上/ 21章 04節
しかし、ヨアブに対する王の命令は厳しかったので、ヨアブは退き、イスラエルをくまなく巡ってエルサレムに帰還した。
7:歴代誌上/ 21章 07節
神はこのことを悪と見なされ、イスラエルを撃たれた。
8:歴代誌上/ 21章 08節
ダビデは神に言った。「わたしはこのようなことを行って重い罪を犯しました。どうか僕の悪をお見逃しください。大変愚かなことをしました。」
9:歴代誌上/ 21章 09節
主はダビデの先見者ガドに告げられた。
10:歴代誌上/ 21章 10節
「行ってダビデに告げよ。主はこう言われる。『わたしはあなたに三つの事を示す。その一つを選ぶがよい。わたしはそれを実行する』と。」
11:歴代誌上/ 21章 11節
ガドはダビデのもとに来て告げた。「主はこう言われる。『いずれかを受け取るがよい。
12:歴代誌上/ 21章 12節
三年間の飢饉か、三か月間敵に蹂躙され、仇の剣に攻められることか、三日間この国に主の剣、疫病が起こり、主の御使いによってイスラエル全土に破滅がもたらされることか。』わたしを遣わされた方にどうお答えすべきか、決めてください。」
13:歴代誌上/ 21章 13節
ダビデはガドに言った。「大変な苦しみだ。主の御手にかかって倒れよう。主の慈悲は大きい。人間の手にはかかりたくない。」
14:歴代誌上/ 21章 14節
主はそこでイスラエルに疫病をもたらされ、イスラエル人のうち七万人が倒れた。 15:歴代誌上/ 21章 15節
神は御使いをエルサレムに遣わし、これを滅ぼしてしまおうとされたが、御使いが滅ぼそうとするのを主は御覧になり、この災いを思い返され、滅ぼそうとする御使いに言われた。
「もう十分だ。その手を下ろせ。」主の御使いはエブス人オルナンの麦打ち場に立っていた。
16:歴代誌上/ 21章 16節
ダビデが目を凝らすと主の御使いが地と天の間に立ち、剣を抜いて手に持ち、エルサレムに向けているのが見えた。
粗布に身を包んでいたダビデと長老たちは地に顔をつけて伏した。
17:歴代誌上/ 21章 17節
ダビデは神に言った。
「民を数えることを命じたのはわたしではありませんか。罪を犯し、悪を行ったのはこのわたしです。この羊の群れが何をしたのでしょうか。
わたしの神、主よ、どうか御手がわたしとわたしの父の家に下りますように。あなたの民を災難に遭わせないでください。」
18:歴代誌上/ 21章 18節
主の御使いは、ダビデにこう伝えるようガドに言った。「ダビデはエブス人オルナンの麦打ち場に上り、主のための祭壇を築かなければならない。」
19:歴代誌上/ 21章 19節
ダビデは、ガドが主の御名によって告げた言葉に従い、上って行った。
20:歴代誌上/ 21章 20節
オルナンも振り向いて、御使いを見た。一緒にいた四人の子らは身を隠したが、オルナンは麦を打ち始めた。
21:歴代誌上/ 21章 21節
ダビデがオルナンのところまで来たとき、オルナンはよく見て、それがダビデであることに気づき、麦打ち場から出て、ダビデの前で地にひれ伏した。 22:歴代誌上/ 21章 22節
ダビデはオルナンに言った。「この麦打ち場を譲ってもらいたい。わたしはそこに主のために祭壇を築かなければならない。代価を十分支払ってそれを譲り受け、民から疫病を除きたい。」
23:歴代誌上/ 21章 23節
オルナンはダビデに言った。「お受け取りください。主君、王の目に良いと映るままに行ってください。
御覧ください。焼き尽くす献げ物のための牛も、薪にする打穀機も、穀物の献げ物のための麦も、わたしは差し上げます。すべて差し上げます。」
24:歴代誌上/ 21章 24節
ダビデ王はオルナンに言った。
「いや、わたしは代価を十分支払って買い取らなければならない。あなたのものを主にささげることはできない。無償で得た焼き尽くす献げ物をささげることはできない。」
26:歴代誌上/ 21章 26節
ダビデはそこに主のための祭壇を築き、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげ、主に祈り求めた。
主は焼き尽くす献げ物の祭壇に天からの火を送って答えられた。
27:歴代誌上/ 21章 27節
主は御使いに命じて、剣をさやに納めるようにされた。
28:歴代誌上/ 21章 28節
そのとき、ダビデは主がエブス人オルナンの麦打ち場でお答えになるのを見て、そこでいけにえを屠った。
29:歴代誌上/ 21章 29節
そのころ、モーセが荒れ野で造った主の幕屋も、焼き尽くす献げ物をささげる祭壇も、ギブオンの聖なる高台にあり、
30:歴代誌上/ 21章 30節
ダビデは主の御使いの剣を恐れ、神を求めてその御前に行くことができなかった。 【ダビデからソロモンへ】
1:歴代誌上/ 22章 01節
そこでダビデは言った。「神なる主の神殿はここにこそあるべきだ。イスラエルのために焼き尽くす献げ物をささげる祭壇は、ここにこそあるべきだ。」
5:歴代誌上/ 22章 05節
ダビデは、「わが子ソロモンは、主のために壮大な神殿を築き、その名声と光輝を万国に行き渡らせるためにはまだ若くて弱い。わたしが準備しなければならない」と言って、死ぬ前に多くの準備をした。
6:歴代誌上/ 22章 06節
ダビデはその子ソロモンを呼び、イスラエルの神、主のために神殿を築くことを命じて、
7:歴代誌上/ 22章 07節
ソロモンに言った。「わたしの子よ、わたしはわたしの神、主の御名のために神殿を築く志を抱いていた。
8:歴代誌上/ 22章 08節
ところが主の言葉がわたしに臨んで、こう告げた。『あなたは多くの血を流し、大きな戦争を繰り返した。わたしの前で多くの血を大地に流したからには、あなたがわたしの名のために神殿を築くことは許されない。
9:歴代誌上/ 22章 09節
見よ、あなたに子が生まれる。その子は安らぎの人である。わたしは周囲のすべての敵からその子を守って、安らぎを与える。それゆえ、その子の名はソロモンと呼ばれる。わたしは、この子が生きている間、イスラエルに平和と静けさを与える。
10:歴代誌上/ 22章 10節
この子がわたしの名のために神殿を築く。この子はわたしの子となり、わたしはその父となる。わたしはその王座を堅く据え、とこしえにイスラエルを支配させる。』
11:歴代誌上/ 22章 11節
わたしの子よ、今こそ主が共にいてくださり、あなたについて告げられたとおり、あなたの神、主の神殿の建築を成し遂げることができるように。
12:歴代誌上/ 22章 12節
賢明に判断し識別する力を主があなたに与え、イスラエルの統治を託してくださり、あなたの神、主の律法を守らせてくださるように。
19:歴代誌上/ 22章 19節
今こそ、心と魂を傾けてあなたたちの神、主を求め、神なる主の聖所の建築に立ち上がれ。主の御名のために建てられる神殿に、主の契約の箱と神の聖なる祭具を運び入れよ。」 25:歴代誌上/ 23章 25節
ダビデは言った。「イスラエルの神、主はその民に安らぎを与え、とこしえにエルサレムにお住まいになる。
26:歴代誌上/ 23章 26節
レビ人はもはや幕屋とその奉仕に用いるすべての祭具を担ぐ必要がない。」
28:歴代誌上/ 23章 28節
彼らはアロンの子らの傍らで主の神殿の奉仕に就き、庭のこと、祭司室のこと、すべての聖なる物を清めることの責任を負うこととなった。彼らは神殿の奉仕に従事し、
29:歴代誌上/ 23章 29節
供え物のパン、穀物の献げ物用の小麦粉、酵母を入れない薄焼きパン、鉄板、混ぜ合わせた小麦粉、すべての量と大きさについても責任を負った。
30:歴代誌上/ 23章 30節
更に彼らは、毎朝主に感謝し、賛美し、夕べにも同様に行うこと、
31:歴代誌上/ 23章 31節
また安息日、新月祭、および祝祭日には、定められた数を守って常に主の御前にささげる、主への焼き尽くす献げ物すべてについても責任を負った。
32:歴代誌上/ 23章 32節
彼らは、主の神殿の奉仕に際して、臨在の幕屋の務めと聖所の務めと彼らの兄弟アロンの子らの務めを果たした。 聖母マリア
あなたはなんて尊いお働きを任されていることか!
裁きの場に立つことから免除され
神の裁きのときには秘書として神の傍にいられるという
煉獄においては気配りを怠らず
同情といたわりを惜しまれず
地においては
あなたの子らへの心配事を
愛を込めて伝えてくださいます
どうか私の傍らでも
そして神に反する子らのもとにも
あなたの御眼を傾けてください
私たちが「マリアの子」と呼ばれるにふさわしくそだち
「神に似た子」とされますように 一年中忙しい首相がたまの休日でもゆっくりせず、ゴルフやるでしょ。あれなんでかなと思うの。
国民もこのようにレジャーやりなさいということ?
日曜、祝祭日にテレビつけると、各局示し合わせたようにスポーツ中継してる時ありますよね?
あれも視聴者に体を動かすかスポーツに親しみなさいと促しているのかもしれないと思うの。
私はこの一致が恐いです。 北朝鮮に拘束されている米国人三名が開放へだって。
日本人の拘束者も開放してください。 本日の『manna』
詩篇74:1-4、9-11、18-21
神を説得するように訴えています。
「自業自得の苦しみだから」と悲惨を受け入れることは、運命論的な諦めと似ていると解説者は指摘しています。
御名を侮る者を滅ぼし尽くし、御名が崇められることを望んでいます。
贖いの契約を忘れないでくださいと。 『聖ファウスティナの日記』40
+’29年のある時。ミサ中に一度、神に背を向け、神から逃げようとしたにもかかわらず、特別に神の身近さを感じました。
神から逃げようとしたのは、他の人から何度も言われていたように、悪霊の餌食になりたくなかったからです。
そして、この戸惑いはしばらくの間続きました。
ミサ中、聖体拝領前に、誓願の更新がありました。
わたしたちがひざまづき台から立ち上がり、誓願更新の言葉を唱え始めると、イエスが、突然、白い服をまとい金色の帯を締めた姿でわたしのそばに現れて、言われました。
「あなたの純潔が汚れることがないように、また、決して純潔に反する誘惑に陥らないよう印として、あなたに永遠の愛を与える。」
イエスは御自分の金色の帯を外して、わたしの腰に締めてくださいました。
その時から、この徳に反する攻撃を心にも精神にも経験したことがありません。
後ほど、これは至聖なる処女(おとめ)マリアがわたしのために獲得してくださった最大のお恵みの一つであることが分かりました。
何年間も、わたしはマリアにこの恵みを願っていたからです。
その時から、神の母への信心がますます深まるのを経験しました。
マリアはわたしに、神を霊的に愛する方法を、また、万事において神の聖なる御旨を行う方法を教えてくださいました。
ああ、マリア、あなたは喜びそのものです。なぜなら、あなたを通して神は地上に、〔そして〕わたしの心に降って来られたからです。 純潔が汚される、というのは私の中に去来したものと同じか似ているのではないかと思います。 私も長い期間、性的な興奮から自由でした。
のぞみが猥褻な投稿や動画でスレッドを荒らしていた頃がそうです。
私は何も感じませんでしたし、影響を受けませんでした。 『聖ファウスティナの日記』55 後半
わたしの修練期の終わり頃に、修練長との話の中で次のように言われました。
「シスター、単純と謙遜をあなたの霊魂の特性としなさい。幼子のような人生を送りなさい。いつも単純と謙遜にあふれ、すべてに満足し、どんな境遇にあっても幸せに人生を生きなさい。
他の人々が恐れる所を、あなたは、この単純と謙遜のお陰で平静に通り過ぎるでしょう。
シスター、生涯このことを忘れないようにしなさい。水が山から谷に流れるように、神の恵みも謙遜な霊魂にのみ流れ込むのです。」 わかるぅ〜。
『聖ファウスティナの日記』57より
神よ、あなたを知れば知るほど、ますますあなたを理解することができなくなります。
しかし、この「理解不能性」こそ、あなたがどんなに偉大であるかをわたしに悟らせます。 しかし、これは何だろう?
『聖ファウスティナの日記』57より
わたしの望みは、狂気じみていて実現不可能です。わたしが苦しんでいることをあなたに隠しておきたいのです。
わたしの努力や善い行いに対して決して報われないことを望みます。
イエス、あなた御自身がわたしの唯一の報いです。わたしの心の宝よ、あなただけで足ります。
隣人の苦しみを情け深く分かち合い、わたしの苦しみを隠しておきたいのです。隣人だけでなく、イエス、あなたにも。
苦しみは大きな恵みです。苦しみによって霊魂は救い主に似たものとなります。
苦しみのうちに、愛は具体的で明確なものになります。苦しみが大きければ大きいほど、愛はますます清くなります。 あちこちで芽を出すから、ありふれた雑草だと思って引っこ抜いていた葉を、あるていど大きくなるまで放置していたら、結構、可愛い花を咲かせてくれました。 ●どうしてこんなことをしたのだろう
使徒16章
3 パウロはこのテモテを連れて行きたかったので、その地方にいるユダヤ人の手前、まず彼に割礼を受けさせた。彼の父がギリシヤ人であることは、みんな知っていたからである。
●その後、こんなことが起きた
使徒16章
6 それから彼らは、アジヤで御言を語ることを聖霊に禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤ地方をとおって行った。
7 そして、ムシヤのあたりにきてから、ビテニヤに進んで行こうとしたところ、イエスの御霊がこれを許さなかった。 涙が数珠のように残されていたら、悲しみが思い出されても、その都度、満足したかもしれない。
落ちては潰れ、消えてしまう涙。
涙は何度でもよみがえる。
まるでおでん君のように、復活の湖から姿を現す。 http://ja.radiovaticana.va/news/2018/05/04/「祈り・清貧・忍耐を念頭に」教皇、奉献生活者らに/1373337
宗教的奉献を世俗への奉献にしないために、清貧の精神は譲ることのできないものと話された。 切り花より地に植わっている花が好きだった頃の話。
アムネスティの本『希望色のエアメール』の表紙に花菱草が描いてありました。
この花菱草が家のそばにたくさん咲いていたので、少し考えを変えて飾ってみようと思いました。
ハサミで茎を切りました。
でもなぜか花びらが次々に散って落ちてしまうのです。
乱暴だった?今度はそーっとやってみよう。だめです。ハサミをあてるだけで、すぐにハラハラと離れてしまうのです。
これは何なの?
不思議でした。
結局、一本も飾ることができませんでした。 寝る前に私は神に祈りました。
もう我慢ならないからです。
インドに大きな悔い改めが起こりますように
神の御名が賛美されますように
御名で埋め尽くされますように
アーメン 心ある方は祈ってください。
インドの性的犯罪は異常な様相で行われています。
また世界中でレイプが行われています。
私はとくにインドの事件を憂慮しています。
インド国内でも女性たちがすでにプラカードを掲げて叫んでいます。
年端もいかない少女たちが犠牲になり、殺されています。
ある少女はレイプされた後、入院している時に、病院の警備員からもレイプされました。
ある少女は複数人からレイプされている時、通りかかった隣人に助けを求めると、その隣人もレイプに加わったということです。 本日の『manna』
創世記28:13-22 ヤコブの夢
主はヤコブの夢の中に現れ、子孫にいたるまでの祝福を約束なさいました。
(ピッピ談)
彼はまだ知りませんでした。
愛する人の代わりにその姉を抱くことになろうとは。
ヤコブには四人の妻と12人の息子が与えられました。 九州は明日まで雨の予報です。
子供の頃から雨が好きでした。とくに嵐や台風がお気に入り。雷光を神秘的な神の表現の一つとして眺めているのが大好きでした。
神は善そのもの。神に撃たれて死ぬなら本望と思いました。 盛り盛りサラダ
(納豆、大根おろし、トマト、きゅうり、大葉、キムチ)
ビネガーだけでも美味しいですよ。
ただいまオリーブオイルを切らしております。 霊的な性の誘惑が起こる時の様子を説明します。
私が相手の立場になるのです。
つまり脳を共有している感覚です。
ですから、私が相手を見るのではなく、相手の側に立って私を愛します。
電気をつけたら始まり、電気を消したら止む。
これが「霊」の求婚時代のパターンでした。礼儀を重んじる悪魔ですね。 >>635
訂正
電気を消したら始まり、電気を点けたら止む 私は義にたいして飢え渇いています。
主にあって正しいことは何か、が、まるでわからなくなっているからです。
聖ファウスティナの聴罪司祭であるソポチコ神父は、シスター・ファウスティナが神のいつくしみの御絵を広めるように示されことを受けて、それを果たそうとしていました。
しかし神はソポチコ神父の前に苦しみを置かれ、まるで邪魔をしているかのように振舞われました。
シスター・ファウスティナが主にいただいた言葉を読むと(『聖ファウスティナの日記』90 *)、私には、神の働きが証明されるのは順調な中にではなく、反対による苦しみから紡がれるといわれているように理解できます。
*
すると、主は言われました。
「わたしが彼に対してこのように振舞うのは、この業がわたしのものであることを証明するためである。いかなるものも恐れるなと彼に言いなさい。
わたしの眼差しは昼も夜も彼に注がれている。彼の冠を形づくるために、この業によって救われる霊魂の数と同じ数の冠があるだろう。わたしが報いを与えるのは、業の成功に対してではなく、苦しみに対してである。」 従順の誓願
従順の誓願は、先の二つの誓願より優れています。これは、実は焼き尽くすいけにえであり、いっそう必要です。と言うのは、これによって修道共同体を形成し、生かすからです。
Q 従順の誓願によってどのような義務が生じますか。
A 従順の誓願によって、修道者は、自分の合法的な上長たちが会則に基づいて命じるすべての事柄に従うことを神に約束します。
従順の誓願により、修道者は、会則に基づき、全生涯を通して万事において、上長に従属します。修道者は、従順の誓願と会則とによって与えられる命令に不従順である度ごとに、誓願に反する重大な罪を犯します。 従順の徳
従順の徳は従順の誓願よりも高度のものです。それは会則、会憲、さらに上長の勧告も含みます。
Q 従順の徳は修道者にとって不可欠のものですか。
A 従順の徳は修道者にとって極めて必要であるので、従順に反して善い行いをしても、その行いは悪となり、功徳もありません。
Q 従順の徳に背いて、大罪を犯すことがあり得ますか。
A 上長の権威や命令を軽蔑する場合、また、不従順の結果、霊的または物的損害を共同体に与える場合に、大罪を犯すことになります。
Q どんな過ちがこの誓願を危険にさらすでしょうか。
A 正式に与えられた上長に対して偏見を抱いたり、反感ーー不平と批判、不承不承と怠慢を持ち続けたりすることです。 従順の段階
〔第一に〕素早く完全な実行ーー意志の従順。つまり、意志が知性に働きかけて、上長の勧めに従うようにと説得するとき。
従順を容易にするために、聖イグナチオは、更に、三つの方法を提案します。
すなわち、上長がどのような人であっても、いつも上長の内に神を見ること、上長の命令や勧めを本質的に正しいと見なすこと、上長の各々の命令を、それについて検討したり思案したりせずに、神からの命令として受け入れること、
そして一般的な手段は、謙遜。謙遜な人にとっていかなるものも難しくありません。 従順に反して善い行いをしても、その行いは悪となり、功徳もありません。
従順に反して善い行いをしても、その行いは悪となり、功徳もありません。
従順に反して善い行いをしても、その行いは悪となり、功徳もありません。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) 『聖ファウスティナの日記』
95の内容はめちゃくちゃわかります。とくに後半部分は。
それから96、97、98、99と試練について書かれていますが、私の時とそっくりです。
100 霊魂はそのような苦しみを隠せません
それから、わたしの体力は衰え始め、勤めを果たせなくなりました。もはやわたしの苦しみを隠せなくなりました。自分の苦しみについて一言も言わなかったのに、顔に表れた苦痛の様子がわたしの秘密を暴露しました。
院長は、他のシスターたちが自分のところに来て、聖堂でわたしを見るとき、あまりにもひどい様子なので可哀想ですと告げるのだと、わたしに話しました。しかし、あらゆる努力にもかかわらず、霊魂はそのような苦しみを隠せません。
101からも、しばらく霊魂の苦しみについて書かれています。
とても参考になります。
シスター、ありがとう。 『ユダヤの知恵
箴言カレンダー』
5月7日
扉は、ちょうつがいの上で回転する。
怠け者は、ベッドの上で。
(26・14) 本日の『manna』は詩篇75:1-10
まことに 神こそさばき主
この箇所を一部リビングバイブルで抜き書きしてみます。
75:2
すると、主の御声がしました。
「そうだ、その時が来れば、悪者には罰を下そう。
75:3
地が揺れ動き、人々が大混乱に陥っても、
地の柱は揺るがない。
それは、わたしが据えつけたものだからだ。
75:4
わたしは思い上がった者に、謙遜になるように警告した。
悪者には、傲慢な態度を捨て、
75:5
強情な生き方もやめよと言った。」
75:6
神のお力添えがあってこそ、
誉れも権力も手にすることができるのです。
神は、思いのままに人を栄えさせたり、
低くしたりされます。
75:8
主の手には、熟成した発泡性ぶどう酒の杯があり、
このさばきの杯を、悪者たちは
最後の一滴まで飲みほさなければなりません。 75:8
主の手には、熟成した発泡性ぶどう酒の杯があり、
このさばきの杯を、悪者たちは
最後の一滴まで飲みほさなければなりません。
発泡性〜私の腹から絶えず湧き出すプクプク、プツプツする振動も、炭酸のようなシュワシュワしたものです。
去年の10月から一日も止むことがありません。
私はこれを「レギオンの泡」と呼び、ゲンコツで思い切りうち叩きました。霊的泡は両脚に逃げ、シュワシュワと広がりました。
しかし戻って来ます。
布団から肩が出ていると、肩に集まりました。左のわき腹にビジョンが表れると凄まじい勢いで泡がわき腹近くに上り来て、親密さを表現しました。
この時のビジョンが私には悪と思えたので、「レギオンの泡」と呼ぶことにしました。 その時のビジョンはこれです。
遠くに「愛されていた都」が見えました。誰もいません。
私は寝ていました。友達のようないいなづけが声をかけています。
ブルブル震える振動は新しいエネルギーだそうです。私たちはこのエネルギーの充満を待って結婚するのだそうです。
甘くもない、嫌悪もない、ただの振動です。
このビジョンが突然、私の左わき腹に表れると、「レギオンの泡」がぎゅるぎゅると泡立ち遡り、ピタッとビジョンのそばに待機しました。 去年10月末のことです。
私はキリエエレイソンを唱え真剣に神に助けを求めていました。
するとこの声を聴きました。
「助けは来たか?来ないだろう。
俺がそのイエズスなんだから」
とても恐くて、私は自分の真剣な気持ちを外に表すため、下腹をゲンコツでうち続けました。
「出ていけ!出ていけ!出ていけ!」
(後日、紫色のアザが二箇所できました)
もう自分の体を傷つけて死ぬしかこの泡みたいなものを殺す方法はないのかと思いましたが、
女性の声がして中断することになります。
「私が可哀想」と彼女は言いました。また男が「君も大切だよ」と言いました。
ビジョンも見えました。この女性が私の末の従姉妹に思えました。
キリストは来ませんでしたが、こういうビジョンがあり、泣きながら中断したのです。
私はまだ納得いかず「レギオンの泡」を憎み続けました。 試練について、聖書はこう言っています。
13 あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。
(一コリント10:13)
『聖ファウスティナの日記』106には、「神はわたしたちが耐え得る以上に決して試みられない」と書いています。
そうです。
私もこの苦しみの最中に、猫の異常な鳴き声を聞くと中断して外へ出ましたが、その時は苦しみを忘れ、外の空気にあたり普通でいられました。
私の苦しみはまるで分割払いのようでした。
しばし忘れても、解き終えていない問題を残しているような気がして捨て去ることもできません。
私にはまだ苦しみを吐き出し尽くせていないという感覚しかありませんでした。 シスター日記
117
一滴を加えることで溢れ出す苦い杯
119
一言を聞いて重い病気にかかり死ぬ霊魂もある
(ピッピ談)
神のいつくしみに信頼するほかない シスター日記
122
(略)
ますます深く自分の霊魂を打ち明けたとき、自分か願ったものを得ませんでした。すなわち、〔わたしがその対象であった〕これらの恵みはありそうにないと上長に思われたので、彼女からそれ以上何も助けを得られませんでした。
彼女はわたしに語りました。神が御自分の被造物とそのように親しく語り合われることは不可能です、と。
「シスター、わたしはあなたのために恐れます。これはある種の幻影ではないでしょうか。司祭の所へ行って、助言を願えばよいでしょう。」
ところが、聴罪司祭はわたしを理解せず、「シスター、行って、これらの事柄についてあなたの上長たちと話せばよいでしょう」と言いました。
(略)
それで何度も主に直接言いました。「イエスよ、わたしはあなたを恐れています。あなたはある種の幽霊ではないでしょうか。」
イエスは、いつもわたしを安心させてくださいましたが、わたしはなおも疑い続けました。
しかし不思議なことですが、疑えば疑うほど、ますますイエスは、これらのことが御自分に由来するという印をお与えになりました。
(ピッピ談)
私の体験と同じように思います。
求婚時代前後がそうでした。
シスターが具体的に書いてくれたらよかったのですが。 シスター、私の体験を記します。
私はイエズスからキスを求められました。性愛の始まりにおけるあのキスです。
友情のしるしであるキスとは違います。
電気を点けると消えるので、受け止めることを拒む時は電気を点けました。 マグダラのマリアは人生の後半30年間を洞窟で過ごしました。
誰とも会わず、生活に必要な飲食や家事をしませんでした。
今年になってうちの猫(ハム♂)が日本語で話しかけるのを聞きました。目が覚めたばかりなので寝ぼけていたのかもしれません。
ハム♂はこう言っていたのです。
「マグダラを超えなければ勝利はない」と。
私は即座に敗北を認めました。
何の競争であっても、勝ちたくありません。 マグダレナの件で私の心が優勢になりかけると、私の心は高慢になることを恐れてマグダレナを祝福します。
誰がマグダレナのように神の書に記されたでしょうか。誰もいません。あの驚くべき洞窟の30年に匹敵する恵みがほかにあるでしょうか。
すると私の惨めさを打ち消すようなかすかな声を聴くのです。
「天ではこれが逆になる」
これが私をどんなに不安定にさせることか。
この世で貧しい暮らしを送ると、かの世では豊かになるというのです。こうした逆転現象が前提となるマグダラへの祝福は、あざとく計算高い人間がする欺瞞ではないですか。
私は恐れました。私が祈ることは真心からの願いなのですから。 イエズスなのかサタンなのか、
それとも別の霊なのかと
識別しようとして苦しみました。
私は苦しみの最中に大きな声で叫びました。
「もう当てっこはやめて!」
それでも、ねえ皆さん。
容赦なく試みは続きます。
覚えておいてください。 数名の悪魔たちが私とイエズスを訴えました。
悪魔にとっては、イエズスの求愛とストーカーの淫らな行為の違いがわからないからです。
イエズスが来る時もストーカーにしたように「警察呼べよ」と云うのです。
しかしイエズスは悪魔にこう言いました。
「わたしの妻に気持ちいいことしてもらって何が悪い」
開き直って肯定してくれました。
私はイエズスを愛していました。
そして私は私たちが問題のある関係だとは思っていませんでした。
結婚していると信じていたからです。 これが本当にイエズスなのか、悪魔なのか、今ではわかりません。
ただ私はマグダラのマリアを超えることを望んでいませんし、
自分の人生に何が起きているのかを考えるだけで精一杯です。 130
(略)
これらの内的霊感に注意を払わず、気を逸らそうとしました。しかし、喧騒と散漫にもかかわらず、わたしの霊魂の中で続いていることを認めることができました。神の言葉は明瞭で、何ものもそれをもみ消すことはできません。
自分の霊魂における主との出会いを避け始めました。幻覚の餌食になりたくなかったからです。しかし、ある意味で、主は御自分の贈り物をもってわたしを追い続けられました。
この時期に神がお与えになった様々なヴィジョンや恵みについて、ここでは何も記しません。なぜなら、他の箇所でこれを既に書き記したからです。
(しかし、シスターは天使を自称するものの勧めに応じて燃やしたらしい)
130には他にも
〈わたしと神との間にある最も密やかな事柄〉などの表現がつけてある。 135
奉献するいけにえとして主の御前に立つ
136
いけにえへの自由な同意
(略)
その瞬間、計り知れない御稜威(みいつ)との交わりに入っていると悟りました。神がわたしの言葉を、わたしの同意を待っておられると感じます。
すると、わたしの霊は主の中に沈められました。そして言いました。
「お望みのままに、わたしになさいますように。わたし自身をあなたの御意志に委ねます。今日から、あなたの聖なる御旨がわたしの糧となるでしょう。あなたの恵みに助けられて、あなたのご命令に忠実に従います。
お望みのままにわたしになさいますように。主よ、切にお願いします、わたしの生涯の各瞬間にわたしと共にいてください。」 137
大いなる神秘がこの聖体礼拝中に実現しました
突然、心を尽くし意志を尽くしていけにえに同意したとき、神の現存がわたしを貫きました。霊魂が神の中に沈められ、深い幸せに満たされたので、その最小の部分さえも書き表せません。
神の御稜威(みいつ)がわたしを包んでいるように感じました。並み外れた仕方で神と一つに融合しました。神がわたしを大そうお喜びになり、また、〔神の愛に愛をもって応えながら〕わたしの霊も神の中におぼれているのを悟りました。
神とのこの一致を意識して、自分が特別に愛されていることを、そしてこの愛に応えて、わたしも霊魂を尽くして愛していることを感じています。
大いなる神秘がこの聖体礼拝中に実現しました、主とわたしとの間の神秘が。主の眼差し〔を見て〕、愛のために死にそうに思われました。
一言も言わずに、主とたくさん語り合いました。そして、主は言われました。
「あなたはわたしの心の歓喜である。今日から、あなたの行いの一つひとつが、最小のものでさえ、わたしの心に適うものとなる。」
その瞬間、完全に聖別されるのを感じました。わたしの地上の体は同じですが、わたしの霊魂は別のものになりました。神が今やわたしの霊魂の中で御自分の喜びの全体をもって生きておられました。
これは感情ではなく、いかなるものも曖昧にすることのできない意識された現実です。 若い女性と主の間に
このような表現で
記されていることを
勘違いせずに
いられるでしょうか 私には聴罪司祭がいなかった
だから
間違えたのか
それとも
イエズスがダビデやソロモンのように
多くの妻を持ち
歓喜の霊を与えていたのか
ほかに理由があれば教えて 私は十年間、イエズスを憎みました。
同意もなく求められたからです。生活に支障がありました。
私の人生は始まったばかりでしたから、なんらかのキャリアを積みたかったし社会に貢献することを望んでいました。
十年目に突然、苦しみが消えました。理由はわかりません。
そして数年後にイエズスが私に求婚してきました。
刺し違いたいほど憎んでいたあのイエズスが、私の誤解を解いて、一致を伝えてくれました。
それからもイエズスの意向には添えないことがあり、固辞したことがありました。
去年も、マグダラの件があったので、私の純粋な気持ちとは一致しないことをもって、イエズスから離れました。
それが神であろうと誰であろうと、恋をして、ライバルが現れたら身を引く習性があります。
私は今現在も処女です。肉体関係を持ったことは一度もありません。キスさえ未経験なのです。 沈黙して、己と語り合う
昼の太陽が刺す時、星々はそこにあるのにその存在が忘れられる
月が光る時、星々の存在は輝くが、今度は身近な存在が眠りにつく
太陽の光のような顕在意識の背景には意識されない私も存在し、眠りにつくと私の世界は裏返る
語らなくとも語り合り、沈黙せずとも沈黙する
ただその透明な働きは働きとして現前し、世界に拡がった後に反射して己に帰る
その時に世界が私であったことを知る この十数年は性的関心がなくなっていました。
シスター・ファウスティナがイエズスから金の帯を与えられ純潔を汚す誘惑から守られたように、健やかでした。
しかしストーカーによる嫌悪と不安と恐怖は逆に強くなりました。
このことを分析者が倒錯した性への関心と捉えるなら勝手にしたらいいです。
私は純粋に愛する人との性行為にしか同意しません。 ピッピさんはまじめで戦ってるんすよ
頑張ってください イエズスが
私に何をして欲しかったのか、
どんな働きを望んでいるのか、
まるでわかりません。
あの反キリストをおびき出す餌なのかと考えたことがあります。
私の少女趣味な理想では、私が花嫁で、私が死んだらイエズスが迎えに来て、神が人の目に現れ神の実在を証明することでした。
私にはそれ以外に何も期待されるものはなく、何もしなくていいし、時が来るまで私が人の世で人として生きていることが、唯一わかればいいのでした。
しかしせっかく生まれてきたのだから私もやりたいことをしたいのです。
生活しなくてはいけませんでしたから仕事をしました。
2ちゃん(5ちゃん)を媒体とする生存の記録をつけていました。 人生長いんだから答えを焦らなくていいんじゃないすか
味わって丁寧によく噛んで生きろ、と世界に言われます
そういうものか、とあっけらかんと個人的にはしてるけど、ピッピさんはまじめだから焦りますよね
でも世の中は自分の一存ではどうにもならないものだから、しぶしぶ噛んで生きようと思わされてますw 瀕死状態から回復と揺り戻しを繰り返しながら
気候の良さも助けになって
安定を目指しているところです。
イエズスの前に投げ出された子供の死体のビジョンを見て
聖ファウスティナの日記を読んで
もしかしたら、神のいつくしみによる一縷の救いの光が私にも与えられるかもしれないと思います。
まだ私は地獄へ行くほうが相応しいと確信が強くあるのですが、いつくしみにすがる道もあるのかもしれないと思い始めました。 >>668
今日死ぬかもしれないとは思わないの?
今日しかチャンスはないわよ。 >>670
出来ることは頑張る、出来ないことは未熟で出来ない
それが自分には分相応です
自分の十字架は自分で背負います
キリストと聖霊が荷を軽くしてくれます
あとは、分相応なことをやるだけす
後悔するかもしれないけど、分相応なことしか原理的に出来ないのだからしょうがないす
主を信じてます 使徒16章
30 それから、ふたりを外に連れ出して言った、「先生がた、わたしは救われるために、何をすべきでしょうか」。
31 ふたりが言った、「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」。
32 それから、彼とその家族一同とに、神の言を語って聞かせた。
33 彼は真夜中にもかかわらず、ふたりを引き取って、その打ち傷を洗ってやった。そして、その場で自分も家族も、ひとり残らずバプテスマを受け、
34 さらに、ふたりを自分の家に案内して食事のもてなしをし、神を信じる者となったことを、全家族と共に心から喜んだ。
ヨハネ16章
わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。 決意、覚悟がないことを痛感します。
時が来ていない、というのは私の中では嘘。私は言い訳してるの。
裁きはあっという間に来ます。こちらの準備なんかおかまいなし。 イエズス。
あなたの十字架の贖いの業を
冒涜する言葉を吐く人がいたら
決して赦さないでください。 NHK 押入れにツッパリ棒を前後に入れたら面倒よ。
私の父親が同じことしてて、私も洋服吊るしてるけど取り出しにくい。
ヨコ棒にすることをおすすめします。 NHK
わざわざキャスター出すの?
その一手間がめんどくさい。
ふすまの扉をなくしたら
猫めちゃくちゃ入って遊ぶよ 誰か横浜から私宛てに荷物か郵便か知らないけど、クロネコに預けたらしいの
明日届くってクロネコから連絡がありました
なんかね
最近やたらと他人の荷物が届くの
住所も名前もちがうのに
先日も不在連絡票がポストにあったので人違いを指摘したけれど
配達人によると我が家のポストに入れてくれと書いてあったんだって 体に表れたしるし、プクプク炭酸のような「レギオンの泡」が生まれた状況をよりよく知ろうとして、去年の10月を手帳でチェックしました。
16日(月)からの一週間の見開きのメモ欄に残り食材を書いています。
ウィンナー ←捨てる(呪い除け)
えのき
明太子
わけありエリンギ
アスパラガス
これのずっと後に夢を見ました。
関連あるかも。
●誰かが私の口に、油がたらたら流れるウィンナーを突っ込んだ
私はそのウィンナーをべっ!っと吐き出した
オエー。
目を覚ました後もしばしトラウマに苦しみました(たぶん数カ月)。
シスターが悩んだ純潔を汚す悪魔の攻撃ってこういうのじゃないですかね。 安い食材をスーパーでチェックしていると、ドラゴンフルーツというのが半額だったので購入してみたことがあります。
でも結局食べずに捨てました。
こういう行動が呪いの発動に利用されているような気がします。
もしドラゴンフルーツを安いからといって食していたらどうなったでしょう?
私は悪魔の誘惑を受け入れたと見なされ、オエー!なことになっていたのではないかと思われます。 私は一年を通してウインナーを滅多に食べません。
たまにおしゃれなハーブ入りを買いますが、袋いりのウインナーはまず買いません。
しかも、調理法は油ではなく、フライパンで空煎りか、煮こみます。 それがなぜか、袋入りを買ったのですよね。
たまに肉系も摂るかなという、気まぐれだったと思います。 本日の『manna』詩篇76:1-12
実にあなたは恐ろしい方
8
天からあなたの宣告が聞こえると
地は恐れて沈黙しました。
9
神が、さばきのために
地のすべての貧しい者たちを救うために
立ち上がられたそのときに。
(ピッピ談)
神のいつくしみは貧しい者に表れる
リビングバイブル
8
あなたが天から宣告を下すと、
地はおののいて、口をつぐみます。
9
あなたは立ち上がって、悪を働く者を罰し、
謙遜な人を弁護します。 「わたしの妻に気持ちいいことしてもらって何が悪い」
この気持ちいいことというのは、ちょっと疑惑があることです。
私はイエズスに対する純潔を厳しく取り調べられて、潔白を主張したのですが、その後、今度はイエズスが潔白を証明することになり、私はビジョンを見ました。
イエズスが私と思しき子どものような人形を抱いてシーツの下にいました。
この人形というのはパーマンの使うコピー人形みたいなものです。
私は「彼ら」を見ていました。
イエズスが頭の上にある赤い豆ランプのようなものをカチッと点けました。
薄いシーツというのは、男女が上下に寝て動いていれば、あからさまではないがその下で何をしているかが丸わかりになります。
例えば雅歌のようなものです。表現は詩的だけれどもこれが男女の性愛であることははっきりしています。
薄いシーツではなくて、厚い布団であっても、男女の動き次第で何をしているのかはだいたい想像できるでしょう。 当時の私はすでに雅歌がマグダラとのことであると確信していたので、イエズスの背後からマグダラ人形を投げ与えました。
イエズスが悪魔たちに「わたしの妻に気持ちいいことしてもらって何が悪い」と言ったのは、彼が仰向けに倒れてノックダウンしている時です。
私は彼が背後からマグダラ人形に(おそらく)いい事してもらったのだろうと思いました。
私にはとても悲しいことなので、このイエズスがニセモノであることを願いました。
ニセモノは的はずれなのです。こちらの真意が読めません。
最初の私の潔白について、私は確かに主張はしましたが、純潔は肉体だけでした。
恋を二回しましたし、相手の人との幸せを想像したことはありますから。
イエズスだけを恋して見つめていたのではないですから。
本当のイエズスならば承知しているはずです。 ホンモノだったら、なんてマヌケなイエズスなのだろうと思うことは他にも多々あります。
ですからどんなビジョンを見ても油断できないと感じます。
真面目な何を見ても、私には疑惑の余地が残るものに過ぎず、信じたいけれど確信に欠けると判断せざるを得ません。
当たり障りのない、人間のカウンセラーが言いそうなことだけが残されるとしたら、神である必要はありません。 NHK
宇多田かボソボソ歌うからって
真似しなくてもいいのに
はっきり歌え ちょうど読み始めたところから励まされました。
『聖ファウスティナの日記』139
しかし、神に忠実な霊魂は、自分自身の霊感を〔自分で〕確認することはできません。霊魂は自分の霊感を、極めて賢明で学識のある司祭の監督に従属させねばなりません。
そして、はっきりと確認するまで、〔霊感に〕信頼しない立場を保つべきです。霊魂は、自分独りだけの主導権で、これらの霊感やその他のより優れた恵みに信頼すべきではありません。そうするならば、自らを大きい喪失にさらす危険があるからです。
たとえ、ある霊魂が偽りの霊感と神からの霊感とを直ちに識別し得るとしても、それにもかかわらず注意深くなければなりません。なぜなら、多くの事柄が不確かですから。
神は、ある霊魂が神御自身のために神に信頼しないとき、御心に適い、お喜びになります。その霊魂は神を愛しているので、賢明になり、自分の中で働いているのは本当に神であると確信させてくれる助けを捜し求めます。
そしてひと度、学識豊かな聴罪司祭がこれを確認すると、霊魂は安心して、神の指示に従って、つまり、聴罪司祭の指示に従って、神に自分自身を献げるべきです。 142を読んでいると、『マディソン郡の橋』を思い出しました。
主人公の二人は、四日間、絶えず愛し合っていましたよね。
シスター、マグダラのマリアも洞窟の30年をこうして過ごしたのではないでしょうか。
私は、生活に支障がでることを恐れて、わざと霊魂の質を落としました。
一致すれば霊的高揚の中で恍惚となるからです。
しかも私は内心でイエズスを憎んでいました。私を恍惚とさせて現実の生活に適応できなくさせるからです。
でもシスター・ファウスティナは勤めを果たす妨げにはならなかったとのことです。 143
わたしはたくさんの神の恵みを無駄にしました。騙されることをいつも恐れていたからです。
神が御自分の方に極めて強く引き寄せられたので、突然神の内に沈められるとき、その恵みに抵抗することは度々わたしの力の及ばないことでした。
これらの時に、イエスはわたしを大いなる平安で満たされたので、後になって、不安になろうと努力するときでさえ、そうすることはできませんでした。そして、霊魂の中で次の言葉を聞きました。
「あなたにこれらのすべてを求めているのはわたしだと確信するようになるために、あなたが困惑や恐れを感じようと望んでも、今日、そうすることはできなくなり、愛が自分自身を忘れるほどまであなたの霊魂にみなぎるであろう。」 ここからソポチコ神父が聴罪司祭を務めるようになり、シスターの霊魂は跳躍し安定したようです。
しかしこの日記はまだまだずっと続くわけですが、死の直前まで苦しみも襲っていたようですね。 1938年9月2日
ソポチコ神父はプラドニクのサナトリウムのシスター・ファウスティナを訪れ、彼女がエクスタシーの内にいるのを見る。
1938年9月17日
大変弱り、食物も摂れなくなったので、シスター・ファウスティナはプラドニクから修道院へ。主イエスとの一致の瞬間を待つ。
1938年10月5日
午後4時、イエズス会のアンドラシュ神父が到着。シスター・ファウスティナは最後の告解をする。
(略)
午後10時45分、大いなる忍耐をもって長い苦しみに耐えた後、帰天。最愛の主と一致。
(ピッピ談)
まだ33才でした。 皆さんはどうお感じになりますか?
私は、シスターとイエズスが絶えず霊的なセックスをしていたように思いました。
もう何人目でしょうか。
私が見た夢の中にはひしめき合うほどたくさんの花嫁がいました。
男性で、もしこのような体験をなさった方がいるならば名乗り出て欲しいです。 明日到着予定のクロネコは
ネコポスらしいから
DMかもしれません。
カタログとか。 イエズス。
あなたの十字架の贖いの業を
冒涜する言葉を吐く人がいたら
決して赦さないでください。
彼は苦しまなければなりません。 【求める気持ちを起こさせる神】
・完全なる神(イエズス)には何かを求める必要がない
・私たちには神(イエズス)が必要である
・私たちに神(イエズス)を求める気持ちを起こさせようとする 【必要ではないとはどういうことか】
・イエズスは愛されなくてもかまわない
・イエズスは愛したい人を愛する
・律法には縛られていないので一対多でも問題ない 【私たちにこそ神が必要である】
・苦難のとき、自らを助けることができない
・被造物であること
・愛は私から来るものではない 【わかって欲しい、とはどういうことか】
・神(イエズス)は私たちを愛したいのだ
・神(イエズス)は私たちをもっと愛したいのだ
・必要のためではなく自由な意志により愛してくださる 今年の1月頃のことを思い出します。
私が悪魔の厳しい基準で自らを裁いた(良心の糾明)あと、かろうじて及第しましたが、悪魔は私にこう言いました。
「今回までは許す。だが次はない(地獄だ)」
開放された私は夢の中でトイレに行き生理用ナプキンをはずしました。
ここで生理用ナプキンの意味を説明します。
私は若い頃、私のソウルメイトを名乗るLAのストーカーの霊と闘いました。
夢の中で誰かが私に助言しました。彼に生理用ナプキンをあげたら喜ぶよと。
私はこの意味がわかりませんでしたが、そのとおりにしました。もちろん夢の中でです。彼は喜びました。
これは何を意味するか?彼のための純潔を指しています。
私たちは各自コピー人形を持っていて、人形に自分の希望を投影することができます。彼は私から生理用ナプキンを受け取り、自分のコピー人形に装着しました。
このことがわかったのは、私が東京のアパートで彼ではない悪魔サタンから霊的レイプを受けた時に、生理用ナプキンが出てきたからです。
私の霊は、LAのストーカーのコピー人形と同化していたのだと思います。 当時からLAストーカーの最大のライバルはキリストです。私をめぐる獲得のため争っていると思い込んでいました。
LAストーカーは自分の友人に、イエズスが性的にウブで臆病なのだと言わせています。
しかしイエズスはウブな童貞ではありません。むしろ知りすぎているために達観しているのです。
でも私に対してイエズスは冷淡過ぎると感じたようです。
焚きつけるつもりだったのかもしれません。 でも私に対するイエズスの態度は冷淡過ぎると感じたようです 東京に疲れ、実家に戻り生活していた頃、私も冷淡過ぎるイエズスに傷つき、しばしば思い出しました。
何もする気にならず、子猫に癒されているだけでした。
イエズスは、辱めに耐えていた私の体験を「美しいものにする」と言っていました。
霊的なものとはいえ、私にとって屈辱以外の何ものでもありませんでしたから、その時はまだイエズスを憎く思うだけでした。
取り返しのつかない辱めでした。 箴言30:4
天にのぼったり、下ったりしたのはだれか、風をこぶしの中に集めたのはだれか、水を着物に包んだのはだれか、地のすべての限界を定めた者はだれか、その名は何か、その子の名は何か、あなたは確かにそれを知っている。
箴言/ 30章 04節
天に昇り、また降った者は誰か。その手の内に風を集め/その衣に水を包むものは誰か。地の果てを定めたものは誰か。その名は何というのか。その子の名は何というのか。あなたは知っているのか。 25:使徒言行録/ 17章 25節
また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。
27:使徒言行録/ 17章 27節
これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。
30:使徒言行録/ 17章 30節
さて、神はこのような無知な時代を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます。
31:使徒言行録/ 17章 31節
それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。」 >>651
しかし不思議なことですが、疑えば疑うほど、ますますイエスは、これらのことが御自分に由来するという印をお与えになりました。
ここなんですけどね
疑いは不信仰ですから、ザカリアやトマス、ペテロ、旧約に至るとそれはそれはひどい目にあうのですよ
しかしシスターは神のいつくしみに追いかけられます。
これは何か?と思いませんか。
ずいぶん甘くおなりですこと、と嫌みも言いたくなります。
不信仰は罰の対象ではなくなったのでしょうか。 私が時々、警戒を怠らないように注意喚起している他の啓示宗教についても、その始まりは圧倒的信頼が人間を襲うようです。
天の神を名乗る、キリストを名乗る、ブッダを名乗る、死んだ偉人を名乗り、不思議を行い美しい説教で魅了します。
カトリックには聖母やキリストが現れ、福音派には聖霊が証しをします。
教えが噛み合わなくなると分派したり、別の団体を作り新しい活動を始めます。
悪魔がさせているのだとしたら、何を狙っているのでしょうか。
別のキリスト、新しいキリスト、キリスト以外の神、教会を分裂させるための活動をするでしょう。 去年のことです。夢の中で私は書き物をしていました。
「昔は(日本も聖書内でも)親が結婚する相手を決めたりして幸せになることが多かった」
すると男の声がしました。
「親が決めた結婚が幸せだとは限らない」
私の意識は夢から現実へ自然と移行していました。
継続する意識というものです。
男は私を背中から甘い感触で覆いました。
買い物へ出てもその甘い感触は続きました。
男の声は私の知っているイエズスと比べると、それよりもう少し強く低いのですが、イエズスが世の怒りを抱いている時なら不思議ではないがとは思いました。
しかし決定的なのは夢の中で私が書いていた考えにありました。
私は「親が決めた結婚が幸せだとは限らない」ことは百も承知なのです。むしろ私の考えは親の決めた結婚なんて信じていません。私は恋愛結婚以外の幸せを信じていません。
これが的外れな理由です。
なぜ私を読み取れないのか?
この霊はキリストではない、ということは明白です。
御自分の被造物の真意を読みきれない神がいるでしょうか。 本日の『manna』詩篇77:1-12
慰めがない時の慰め
(ピッピ談)
男性が神への思いと体験を表現する時は、さすがに一線引いた描写です。
まだ現実と一体化しているように見えます。
それが聖ファウスティナを例にあげるまでもなく、女性が神との交流を書く時は、本当に成されるがままの性的エクスタシーふうになり、男女のセックスと思しき描写が続きます。
マグダレナの30年間もこのエクスタシーの連続だったのではないかと想像します。 詩篇77:1-12
は、渇望ですけどね。
女性でいえばエクスタシーの最中でしょう。 なんかこういう感じでもある。
抵抗できなくして襲うレイプ魔。
↓
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180509/k10011431911000.html?utm_int=news_contents_news-main_007
警視庁によりますと、去年7月、東京 新宿区のマンションの部屋で、20代の女性に酒を飲ませて抵抗できない状態にしたうえで、性的暴行をした疑いが持たれています。 選びたくない、判断したくない。
上からの指示に従って従順でいることが楽な人には朗報では?
↓
https://www3.nhk.or.jp/news/business_tokushu/2018_0509.html?utm_int=detail_contents_tokushu_001
一人一人に合った服をアプリが提案、消費者は商品の選択を委ねる“選ばない買い物”。店、ネットに続く第3の選択肢ともいえる流れです。 私もなんとなく買ってしまったの、ソフトクリームを。
知らなかったわ、アイスクリームの日だとは。
↓
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180509/k10011432181000.html?utm_int=news-new_contents_list-items_004
9日は「アイスクリームの日」です。全国で1世帯当たりの消費が最も多い金沢市で、アイスクリームが無料でプレゼントされました。 この箇所なんだけど、つきみさんがこの箇所を否定して金光教の教えのほうを信じてるのよね。
たしかにさ、私でなければとか、私がいなければ、とか、必要を認められる存在だととても自意識をくすぐるし満足させてもらえると思うのよね。
でもそれは私たちが選択することかしら。
25:使徒言行録/ 17章 25節
また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。
別のところでパウロが、十字架の不足を私たちが補うといってる箇所もあるけど、それは私たちの義務であるから、神の不足ではないわけよ。 >>715
それか、催眠誘導かけられてる感じもする。
それタス誰かの役にはまって演じる感じも。 悲しみの霊もいますけど、求愛の霊もいます。これらは雰囲気として頭に迫ってきます。
シスターがいう「自分から抵抗できない」ほどの強力な霊です。
好奇心にやられると取り込まれます。
無理やり反抗すると(無視、気を紛らす)、時期をずらしてまたやって来ます。その時はより強力化していることをお忘れなく。
それは戻ろうとする性能に似ています。
立って腕を上げ続けているといずれ耐えられなくなります。
指をひろげていると閉じようとする力が働くでしょう。
磁石はSとNが引きつけ合うものです。
神の助けなしに、肉の働きや自然の働きを拒み続けることは困難です。 私には他に次のような体験があります。
頭の中である人との性行為が巡りました。私はこの人を慕ってはいませんでした。
そのため不思議でしかたありませんでした。
突き止めようとして没頭しました。行為自体と言語が頭の中に充満していました。これを頭の中に留めず、外に出しました。
ホワイトボードに書き出して書いては消し、書いては消し、を繰り返しました。
そうすると好奇心から体に影響させることなく、過ぎ越すことができるのです。
まるで作家がインスピレーションを書き留めているかのようでした。
私自身では止められませんでした。脳にはアイデアを堰き止めるピンがありません。
不本意な考えでしたが、ホワイトボードに書き出すことで乗り越えることができました。 >>721
怖いのはそれからです。
早朝まだ暗い時に、うちの前に車が停まる音がしました。
ドタドタと玄関まで走ってくる音がして、玄関を開けようとするではありませんか。それは乱暴な音でした。
鍵がかかっていることを確かめて、その人はまた車に乗り込み行ってしまいました。 >>691
142
わたしの翼は飛ぶために広げられました
わたしが平和にされ、神の道に従う方法を教えられたとき、わたしの霊は主において喜び踊りました。そして、歩いているのではなく、走っているように思われました。
わたしの翼は飛ぶために広げられました。わたしは、太陽の熱そのものの中へ舞い上がり、そのお方の中で霊魂が永遠に我を忘れてしまった主の内に憩うまで、降りてこないでしょう。
そして、自らを恵みの働きにすっかり任せました。神はわたしの霊魂にまで大そう低くへりくだられます。退くことも、神に抵抗することもせず、わたしの唯一の宝として神の内に我を忘れます。
わたしは主と一つです。わたしたちの間の、創造主と被造物との間の深淵が、消えたかのようです。
数日間、わたしの霊魂は絶え間ない恍惚の状態にありました。神の現存は一瞬間もわたしから去らず、霊魂は主との絶え間ない愛の一致に留まっていました。
しかし、これは決してわたしの勤めを果たす妨げになりませんでした。愛に変容されたと感じました。完全に燃えていましたが、燃え尽きることなく燃えていました。絶え間なく神の内に我を忘れました。
神が、わたしを大そう強く強力に御自分の方に引き寄せられたので、時々、地上にいるのを忘れました。とても長い間、神の恵みを妨げ、そして恐れていましたが、今や、神御自身が、アンドラシュ神父を通してすべての困難を取り除いてくださいました。
わたしの霊は太陽に向かい、神の光のうちに神のためにのみ花を開きました。わたしはもはわ理解…。
【訳注 文章はここで突然切れて、次の行から全く新しい思想が始まる。】 私が若い頃、持っていた心はこれです。
【強烈な善(神)への信仰】
善いものへの変化を信じること
善いものへの変化こそ本性と信じること
善いものを信じること
善いものを喜びとする
善いものへ向かうように励ますこと たぶん、善いこととは何か?
でつまずいたんだと思う。 すべてに優って神を信じること。
人生の答えはこれに尽きる。 私はただのザアカイの娘。
卑しい罪人。
恵みを受けた人間には恵みを分かち合う義務がある。務めがある。
恵みを与えたかたに栄光があるのであり、恵みを受けた人間は相変わらずみじめなままだ。
聖人は聖人自身を称えられてはならない。聖人に賜った恵みの栄光を称え、神を讃えよう。
神はこのような方だと改めてこの時代の人に教えてくださったのだ。
勘違いしないように、私たちは神のいつくしみを慕っていこう。
このように愛され得るのだと。 コヘレト12章
10 伝道者は麗しい言葉を得ようとつとめた。また彼は真実の言葉を正しく書きしるした。
11 知者の言葉は突き棒のようであり、またよく打った釘のようなものであって、ひとりの牧者から出た言葉が集められたものである。
12 わが子よ、これら以外の事にも心を用いよ。多くの書を作れば際限がない。多く学べばからだが疲れる。
13 事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。
14 神はすべてのわざ、ならびにすべての隠れた事を善悪ともにさばかれるからである。 ある日の午後、シスター・ファウスティナは湖の岸辺に立ち、観想しながら長時間そこにいました。
すると突然イエズスが現れてこう話したそうです。
158 より
そして、主は慈しみ深く言われました。
「わたしの花嫁よ、わたしはこのすべてをあなたのために創造した。そして、このすべての美しさも、わたしがあなたのために永遠のうちに用意したものと比べると、無に等しいことをわきまえなさい。」 外は暖かそうです。
散歩日和。
気候がよくなってから私も水のある付近を散歩するようになりました。
自然をながめるのは飽きないです。
でもこの美しさも、天国の麗しさに比べたら無に等しいと知ったら、うっとりして見とれることも偶像崇拝かもしれないなと思いました。
私はこの自然の造り主をよりよく理解したいと思いながら歩いているのですけど。 後ほど、私の体験によるシスター日記の解き明かしをします。 『聖ファウスティナの日記』1680
(略)
いと慈しみ深いイエスよ、わたしの下手な※、このいけにえを受け入れてください。それを天と地の前で今日あなたに献げます。
慈しみに満ちた至聖なる御心が、わたしのいけにえの欠けているところを完全にしてくださいますように。そして、それを罪人たちの回心のためにあなたの御父に献げてくださいますように。キリストよ、わたしは霊魂たちを渇き求めます。
【訳注※ 通常なら、「わたしの相応しくない、このいけにえ」と言うはずであるが、シスター・ファウスティナは、子供のような心で「わたしの下手な、このいけにえ」と言っている。】
(ピッピ談)
性テクニックが「下手で」ごめんなさい、の意味かも。
私の場合は、常に男性意識で向かうために、女性から男性へのサービスや行為が皆無でした。喜ばせる知識も意志もありません。
そのため不安な気持ちになったことがあります。おそらく普通は女性も男性に、喜ばれるような何かいい事してるのでしょうから。
性的未熟で何のお返しもできず「下手で」すみません。
1770 第二の黙想
「さあ、今から聖体の中のわたしの愛を考察しなさい。聖体の中で、わたしはあなたの花婿として、すっかりあなたのためにいる。我が霊魂も、体も、神性も。
あなたは愛が何を要求するかを知っている。ただ一つのこと、つまり相互交流…。」
(ピッピ談)
赤面した。 もう何がシスターの中で起きていたか丸わかりじゃありませんか?
私は夢の中で、たくさんの花嫁がひしめき合う部屋を見ました。
天井の低い細長い部屋におそらく500人以上はいたと思います。 まさか私のように露骨な告白をする人間が出てこようとは。シスター、想像できたかしら。
それとも私だけがヘンなのか。
少なくとも私の場合はキリストとの霊的婚姻が性愛を含めた交流であったことを告白します。 あとは各自、買うなり借りるなりしてお読みください。
私はAmazonで中古本を買いました。
花嫁の数だけコピー人形があるのか、イエズス本人が多妻しているのか。
私はまだご聖体を拝領したことがありません。 このようにキリストの花嫁は主に抱かれているわけですが、ちょっと面白い夢を思い出したので書いてみます。
東京で暮らしていた頃に見ました。
その女はイエズスのような人と結婚したようです。初夜、その女は襲われやすいように寝入ったふりをして起きてました。しかしイエズスは背中を向けて早々に就寝しました。
さて、朝まで期待しながら眠れなかった新妻は目の下に隈をつくるほどのやつれようでした。
女の取り巻きである女性たちは、この女が一晩中イエズスに愛されて、眠らせてもらえなかったのだと思い込み、勝手な想像を話し合いました。
男が「もう一回!もう一回!」とせがんだに違いないと。キャーキャー騒いでいます。
しかし実際は、男が寝入ってしまい何も起きなかったのです。 もう一つ、シスターの日記を紹介しておきます。
イエズスの嫉妬深さは聖書の神と一致します。
1683 修道者の被造物への愛着にわたしは耐えられない
「修道者の霊魂たちの益のために書きなさい。聖体拝領において彼女らの心に来るのは、わたしの喜びであると。
しかし、修道者の心にだれか他の人がいるならば、わたしはそれに耐えられず、すぐにその心を去り、その霊魂のために用意しておいたあらゆる賜物と恵みをわたしと共に持ち去る。
そして、その霊魂はわたしが去ることさえ気づかないであろう。
しばらくして、彼女は内的空虚と不満足に気づく。
ああ、そのとき霊魂がわたしに立ち返りさえすれば、彼女を助けて、その心を清め、その霊魂の中で万事を成就する。
しかし、彼女の認識と同意なしに、わたしは彼女の心の中で万事をすることはできない。」 地の人間が伝えることは不完全。
感じ方も理解も表現も。
共通のことがあったとしても不完全。 判明しました。
選ばれたキリストの花嫁は
主の寵愛を受けます。
霊的婚姻は性愛を含み得ます。
マグダラのマリア
シスター・ファウスティナ
ピッピ
ほか多数
このうち、本命一人を除いてすべてコピー人間の仕業です。 「この人が
いいね」と神が
立てたから
五月十日は
ピッピ記念日 一夫多妻なんて、冗談じゃないよね?
本音を言ってごらんなさい。
恋愛経験豊富なダーリンがお望みですか?
元カノとやりまくったカレシと結婚したいですか?
それでもいいわけ、ウソでしょ。 105 イエズス・キリストに就いての旧約の預言が成就したとは何でありますか。
それは、イエズス・キリストの御降誕、御奇蹟、御受難、御復活、公教会などに関する数百年前からの預言が、悉 く成就したことを云うのであります。
御降誕(場所ミケヤ 5:2、時ダニエル 9:24以下)、
御奇蹟(イザヤ 35:4-6、61:1-3)、
御受難(イザヤ 53:2-1 2、詩 21:13-19、ザカリア 11:12-13)、
御復活(ヨナ 2:1、詩 15:10)、
公教会(イザヤ 9:2-6、マラキア 1:11,エレミヤ 3:15、詩 21:29-32) 祈る前から私の希望をご存知の神様。
単純な信仰をお持ちの聖母マリア。
私の呻くような祈りをともに捧げてくださる聖霊なる神よ。
私の主、イエズス・キリストよ。
私のそばにいてください。 私は教会の従順について考えていました。間違っている命令についても従うほうが神の御旨に適うのかと。
「神様、悲しいです。私はとても苦しいです。」
※ 教会のお金の報告が信徒の監査によって指摘されたが、牧師および役を持っている人たちが、愛を訴え、監査結果を頑なに(まるで監査が神に逆らっているかのように)受け入れなかった。
他の教会で牧師が権威をかさに信徒の純潔を暴力によって無残にも奪っていることが発覚した。
神様、従順の美徳はここでも発揮されなくてはいけないのですか。
私は今朝、カトリック中央協議会を開き、新しい知らせを受け取りました。
聖霊降臨日の翌日月曜日が「教会の母 聖マリア」の祝日に制定されたことをうけて、差し替えの典礼式文が発表されました。
https://www.cbcj.catholic.jp/wp-content/uploads/2018/05/20180521_mass.pdf
最初の誤りはアダムとエバの不従順でした。
アダムはエバに従い、エバはへびに従いました。
私たちの神が教会の権威を立て、私たちは教会を通して神の命令に従います。
教会の誤りにも従うほうがいいのか迷いましたが、私は私の神の命令を思いおこし、不正と兄弟姉妹の葛藤が収まるよう教会のためにと奔走した後、私の教会を去りました。
私は教会の外でも引き続き忍耐を強いられました。とても苦しみましたが、今、教会の母 聖マリアに慰められました。 >>744
夫婦の愛から性愛を取り上げないでください。 アブラハムは二人の女性と交わりました。エサウとヤコブは四人の女性と交わりました。
ダビデは数百人の女性と、ソロモンは千人の女性と交わりました。
ダビデが間違いを犯した時、預言者が神の言葉を伝えました。
「足りなければもっと与えた」と。
私は驚きました。
主イエズスは聖書の始まりに書いてある神の言葉を引いて、二人が一人になることを教えてくださいました。
パウロは不品行を犯さないで結婚することを勧めています。
カトリックは避妊する代わりに、自由意志におけるある時期の忍耐を奨励しています。これは夫婦の性愛を高めることになると証明されました。
神の御旨は性愛を奪うことではありません。
純潔には意味があり、性愛も神の祝福された贈り物です。 少し不安なことが書いてあった。シスター・ファウスティナは煉獄の霊魂や天国の聖人たちとも話をしている。
死者との交流もゆるされるようになったのだろうか?
煉獄の霊魂はシスターに祈ってくれるよう依頼している。そして霊魂たちは救われたという。本来なら苦しむところを免除されるのだ。シスターの取りなしによって。
こんなこともある。シスターの罪聴司祭であるソポチコ神父は大変な困難にあっていたが、シスターに祈ってもらうことで嘘のように苦しみから開放された。しかしシスターは神父の苦しみを代わりに負い、生涯の中でこんな苦しみを受けたことはないということを告白している。
他人の苦しみを身代わりに負うことができるのだとわかった。 イエズス。
私はわかりません。あなたが複数の花嫁を持っていることが。
私には理解不能です。あなたが花嫁たちを烈しい愛の焔によって追いかけていることが。
理解不能。 散歩して神様がお造りになられた自然の美しさを堪能しようとしたら、シスターの証言によって、主のねたみの対象となることが判明しました。
もう何をしたらいいのかわかりません。
神の価値観は私には理解不能です。
女性がお化粧したり、派手な衣装を着たり、色目を使うなどはもってのほかだと信じていたら、雅歌を読んで豹変しますから。
花嫁が気に入られ愛されたのは、染めたらしい紫色の編んだ髪、耳飾りや首飾り、眼の魅力、身体の魅力なんですよ。
内面の魅力がどこかにないか捜してみたらいいですね。たとえば清貧や貞節や優しさ、勇気、勤勉など。ないです。
なるほどね。
たしかにマグダラのマリアが高価な香料を足や頭にかけてくれると、愛のゆえだと感激していたのは主でした。
私たちが真心からすれば主は喜んでくださいます。 私、たぶん今誰か適当な人に誘われたらデートするわ。
婚約→結婚コース踏むわね。
だって私は生涯純潔を望んでるわけじゃないもの。
シスターによると、処女の霊魂は美しいのだという。
私は特にそんな美しさを望んではいません。地獄へ落ちるかもしれないし、できたら天国の一番低いところの片隅に引っかかるようにして救われるだけでも満足です。 世の終わりには、造られたものが造られたものだと暴露されるために熱に溶けて無くなってしまうのだとパウロは言っています。
自然の美しさも、天の美しさに比べると無に等しいと主はシスターを通して私たちに教えてくれました。 一日中、強力な眠気に襲われていたので、洗濯ものを取り込んだ後、夕方から寝ることに集中しました。
4時間ほど寝て曖昧な夢を見て、9時すぎにようやく頭がはっきりしました。
何だろう、探られていたのだろうか?と思えるような夢でした。
しかし何も掴めなかったと思います。私には何の考えもありませんから。 訂正:貴女の場合、主への憎悪が逆に 思慕になっているのではありませんか?所謂ファザーコンプレックス(ファザコン)性愛エロスよりは友愛フィリア または家族愛ストルゲも良いでしょう。パウロも忠告しています、「善き伴侶が見つかりますように」結婚なさい。若いのですから >>755
おかしな人ですね。
なぜ憎悪していると思うのですか?
私がイエズスを憎んでいたのは生涯でわずか10年間、その中ででも権威と才と憐れみ深い性質を認めていました。
私はイエズスを誤解し、ある女の熱烈な支持者で庇護者だと思い込んでいましたが、イエズス自身が否定してくれてようやく安心したのです。 私はその10年間を踏みつけられていました。
この女は私に強力な否定意識を植え付けようとしていました。
こんな夢をみました。
聖書には私を本名で名指しして預言しているというのです。
「◯◯××はこれまでもこれからも誰からも愛されない」
※ ◯◯××は私のフルネーム
イエズスは私の心の支えでした。どうして子供の頃から尊敬していた人に、まるで身代わりの側女に対するように一方的に求められなければならないのかと。
しかも私がヒトラーほども嫌悪する世の憎むべき偽預言者を、情けないほどまで憧れを抱くようにして愛し、支えていると思い込まされていました。
私自身も、この女に屈してその配下に婢のようにして入らなくてはならないという、心理的圧力を感じました。
私は死ぬほうがみ心に適っているのではないかと考え、出刃さえ自分の胸に向けたことがあります。
私は宇宙の果てにまで逃げたかったくらいこの女の世を嫌っていました。 繰り返しになりますが、
シスターはイエズスとセックスしていたと思います。
私の体験だと、イエズスから強引にキスをされ、なし崩し的に体も求められました。
イエズスの手が私のわき腹を触ると死ぬほどに甘かったです。 去年、シャロンさんがイエズスに祈るのはおかしいと言い、父なる神に祈ることが正しいと教えてくださったので、私もそう言ってみました。
近かったイエズスとの間に距離がうまれて、身がよじれるほどの悲しみを感じました。私は号泣しました。
それも何日か経つと慣れまして父なる神に祈ることは苦にならなくなり、普通になりました。 ヨハネ16章
26 その日には、あなたがたは、わたしの名によって求めるであろう。わたしは、あなたがたのために父に願ってあげようとは言うまい。 これはどういうことだろう?
ゆるし?
http://ja.radiovaticana.va/news/2018/05/11/チェコ・スロバキア正教会ラスティスラウ府主教のバチカン訪問/1373944
一致とは同一性ではなく、聖霊において多様性を和解させること、と述べた教皇は、聖チリロ・聖メトジオがその証しをもって、完全な一致に向けたわたしたちの長い歩みを見守ってくれるようにと祈られた。 救われた人も裁かれるはずの人も、皆、生きていた時の肉体を復活させられます。
地上でみじめさを享受していた人は、天においてその反対のものを受けるそうです。
そうすると、今になって骸骨をさらしたマグダラのマリアは復活の時、さらに輝く肉体を纏わせられるかもしれません。
逆に、カトリックの聖人の中で腐敗を免れ美しいままで死すべき遺体を晒している人は、地の人々の賛美を受けているので復活の日には大したものをいただけないかもしれません。 北朝鮮の指導者は変わり始めて、これからは世界と交わるのではないかと思われます。
拉致された日本人らが無事に帰国しますように。 情欲によって支配されていた時代があったのではないかと思うようになりました。
男「わたしはあなたに情欲を抱き、昼の間中、あなたのことを思いました。わたしのあなたを思う気持ちが強いので、あなたは倒れたのです。今夜、わたしとともに寝てください」
女「あなたが外で働いている時、わたしは家のことを何でもしたのです。家を掃き清め、衣を洗い、あなたのために食事の用意をしていましたが、あなたが帰ってくるだろう時間になると必ずわたしは倒れるほどあなたを慕う気持ちに浸されるのです。
不思議に思って、抵抗できずに倒れてしまいました」
男「あなたがわたしの思いを受け入れたことのしるしです。さあ来なさい。わたしたちは愛し合おう」
女「あなたはわたしの主、わたしの定められた花婿です。どうぞいけにえとしてお受け取りください。わたしはあなたの愛に死にそうになっています。あなたの愛がわたしを貫きますように」
男「ガブっ」
女「ああっ」 創世記29章
21 ヤコブはラバンに言った、「期日が満ちたから、わたしの妻を与えて、妻の所にはいらせてください」。
31 主はレアがきらわれるのを見て、その胎を開かれたが、ラケルは、みごもらなかった。
創世記30章
16 夕方になって、ヤコブが野から帰ってきたので、レアは彼を出迎えて言った、「わたしの子の恋なすびをもって、わたしがあなたを雇ったのですから、あなたはわたしの所に、はいらなければなりません」。ヤコブはその夜レアと共に寝た。
17 神はレアの願いを聞かれたので、彼女はみごもって五番目の子をヤコブに産んだ。
22 次に神はラケルを心にとめられ、彼女の願いを聞き、その胎を開かれたので、 本日の『manna』創世記29:1-30
ラバンのもとで
ヤコブの妻たち
レア(姉)
ラケル(妹)9
二人の仕え女、ジルパとビルハ 去年の苦しみにまつわる話はたくさんあります。どうしても書けない性の側面だからです。
しかしイエズスにしてはマヌケなエピソードですので、報告するには二重の自重もありました。
少し落ち着いてきましたので分かち合っていただきたいと思います。※ どうぞニセモノでありますように
私がイエズスと思しき男から彼の弁明を聞いた時のことです。
彼はマグダラと私の性行為の回数を比較してすぐに追い越すという意味のことを言いました。しかしその数え方がまるで比較になっていませんでした。
また、私としては何もなかったと信じたかったわけで、回数の問題ではありませんでした。
私は悲しくなり、すぐに彼から離れ、なす術もない彼を上から見つめていました。
しばらく経ち
年寄りの声がして、男を代弁するように語りかけてきました。
「抜こうとして抜けず、かえって深くさしてしまわれた」
続けて爺が言いました。
「もはやお認めになられ、深く味わわれた」
私にはこれが十字架の主の受難のもう一つの側面であるように思われました。
主は両腕と両足の痛みを堪えて全身の力でお体を支えておられました。しかし力尽きて腰が下がり、もはや差すことしかできなかったのです。
私が責められたのは、こうした状況下で交わることもあなたは許さないのかということでした。 性行為のマヌケな数え方というのはこれです。
男性が女性と交わる時に一回抜き、また差す行為の往復を1と数え、ほんの5時間ほどでマグダラが天と地を往復する数を越すことができるというのです。
これが一日目。
冷静に考えるとこれはおかしい。
それではマグダラが一時間ごと天に留まったとして、一日に七度これが毎日続き30年間ですから、一回を一日目の数え方と同じように数えると天文学的数字になるでしょう。
おかしいのではないか、と私は訴えました。
これが二日目。
三日目は私が男を悲しく見つめる夢でした。
男は、私がイエズスから変わったキスをされた時の状況と同じ場所にいました。その当時(変わったキス=二人の舌を一枚にする)は、私がイエズスの側にいて彼の意識と同化してました。そのため私はイエズスの姿を見ていません。
この日の夢はイエズスがその時の様子で、私を呆然と見上げているところでした。
私は上から悲しい気持ちで彼を見つめていました。 自分から話すと齟齬が生じた場合、訂正するのも難しくなります。
そのため爺が代理で説明を始めたのだと思います。
しかし私も大したことは言えません。自分のことを考えた時はもっと弁明できないのですから。
「あなたは恋をしたことがないのか。別の誰かと幸せに暮らすことを想像したこともないのか。あなたは相手のこんなことも許せないのか」
たしかに私の純潔は心の中では汚れています。イエズスが愛の炎でこれら用済みの恋や想像を、藁のように焼き尽くしてくれたらいいのに!と願いました。
私もふさわしくない身です。とても汚れています。私は振り返り、とても苦しみました。
そしてあの言葉を聴いたのです。
「今回まではゆるす。次回はない(地獄だ)」
その場では何者かがわかりませんでした。でも今はこれが悪魔だったと確信しています。 次回があった。ということですね。
えろいえろい裁くダーリン。
ピッピの断末魔である。 どう読んだらあれが嫉妬に見えるのか不思議。
私は死ぬほどの悲しみをもたらされながら身を引き、祝福しているというのに。
その見える結果が、青あざだらけで死んだ子供という姿で現れたわけです。
ドクトルジバゴの妻がラーラの出現で身を引いた場面を見て、嫉妬してると解説する馬鹿いますか? ドクトルジバゴの妻がラーラの出現で身を引いたら、嫉妬してることになるんですか?
アシュレイの妻が死ぬ時に
スカーレットを呼んで「夫をよろしく」と頼んだら嫉妬してることになるんですか?
交際していた男性が既婚者だと知り、身を引いたら嫉妬してることになるんですか? これは統一協会の考え方なんですが…
嫉妬は愛の減少感だと。
サタンは神に愛されていたけれども、人間のほうが愛されていることを知って嫉妬した
それが愛の減少感だというのです。
なるほどね。
でも私は女性なので、逆なんですよね。
もともとない愛情を数えようとしたから悲しくなった
つまり欠けの認識です。
これは嫉妬というより憧れです。
サタンの嫉妬も私の憧れも、おなじ欠けの認識においての悲しみなんですが、怒りに転じるか切ない思いに引きこもるかで、全く別の結論になっていきます。
愛に転じるのは女性的な愛への憧れだと思います。 嫉妬は人間の病です。
家庭の関係性が悪いと嫉妬が起きやすいのです。
関係性の悪さを回復するには主との交わり、深い愛において嫉妬からの解放と、人間の関係の回復可能なのです、 サタンの嫉妬は愛の減少感。
暴力的な怒りへと向かう。
愛への憧れは愛の失望感を超えて愛に転じる。
埋めようとする態度への転換が生じる。
合うかけらに譲るのが愛。
私じゃダメなのだから、合う人が埋めたらいいのという考え方。
私の恋の諦め方の法則だよ。 自己中心、人間思考中心からは生み出されるものは無駄になるのさ。 暇人はシンプルさと深さに欠けているのが明白。
シンプルさに欠いているものは、疑うべし。 高尚すぎて難関な説明になってしまい申し訳ありません。
後日、平凡な人にもわかるように洗練した言葉でお伝えします。 >>776
でおーや?
これが嫉妬なんだろ?
70連投とかwww
114 名前:神も仏も名無しさん :2018/05/12(土) 18:35:33.22 ID:AGCU2KA5
嘘つきワンワン、議論能力が崩壊のようだな笑。
犬だな。 >>776
でおーや?
70連投の嫉妬は凄まじいな?
113 名前:でた笑、嘘つきワンワン笑 :2018/05/12(土) 18:33:10.74 ID:AGCU2KA5
嘘つきワンワン、今夜も狂うなあ笑。
_.. ,,.-'ヽ
ヽ "゙ー-、、 / : :!
i 、 :. ヽヽ_,,.....、,,,....._;/ ,;' ;,.!
i., ..;;;ヽ ヾ ,,;_ , /
ヾ_:::,:' -,ノ
ヾ;. 、, ノ_ ヽ,,._ ,.、;,
;; ≦゚≧,ミ::,≦゚≧ ;:
`;. ⌒( ._.)⌒ ,; '
,;' (,,,,,,,,,,人,,,,,,,_ノ,;
;' ヽ 王王王ツ ;:
;: ';;
ジャンキー14歳 オス
「今日も無限に吠えまくって今日も勝利だ」 主の昇天日
図々しいストーカーと好ましい人の夢を見た。
要するに、こちらがどう思ってるかがすべての鍵だ。
理屈ではなく。
神秘は秘されているから神秘を保つ。 主の昇天日
図々しいストーカーと好ましい人の夢を見た。
要するに、こちらがどう思ってるかがすべての鍵だ。
理屈ではなく。
神秘は秘されているから神秘を保つ。 キリストの気持ちがわからない。
私の気持ちはわかる。
そういうことでしょ? 私の気持ちはわかる。
イエズス、おめでとう。
私はあなたを愛せなかった。他の人を愛したあなたを。
ジーザス私の主、私の神、あなたを思って疲れました。
気色が悪いストーカー。
あっち行け。
図々しいストーカー。
死ね。 私はおそらく、盗人のように来て突然破滅が襲った組だと思いますが、それでも悔い改めれば赦されます。(黙示録の教会 参考)
神のいつくしみを信頼して、出直すしかありません。
まだ少しも手につかない状態です。
早く立ち直りたいです。 劇団四季
ジーザス・クライスト・スーパースター
わたしはイエスがわからない
筒井康隆
ジーザス・クライスト・トリックスター
わたしはマリア(マドレーヌ)がわからない >>787
信仰問答と聖書についてのレスです。
聖書勉強のお役に立てればと思います。
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1249082496/878-882n
ミサ式次第
日ごとの福音
次のミサ朗読について
聖書センター(カトリック教会のミサの朗読個所と説明)
主の祈りBoku1962's channel 日本語ミサ カトリック南山教会
「カトリック教会の日曜日の聖書」の記事一覧 | 教会のITサポート:826村
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1228647264/581n
ローマ書8章と詩編91
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1249082496/873n 私はいつも悲しくて泣いています。
でも夢の中ではそんなことも忘れていて、今朝なんか、馬鹿者たちを相手にして怒っているのです。
外へ出ると体育館から合唱が聞こえていましたが、これも私の胸を打つものではありません。
煉獄の霊魂について不思議に思うのです。ゆるしの秘蹟は意味がなかったの?
あなたたちが煉獄で苦しむのなら、秘蹟をもたない私はどうすればいいのですか?
神様の価値観は不思議に満ちて、私を当惑させています。 煉獄は欲を浄化する場所で、欲がないなら苦しまないんじゃない?
欲がある場合は自己責任だからしょうがないよね
毎日の悔い改めで少しづつなくしてゆく地道な努力は生きてる間に出来ることかと
やるかやらないかは本人次第 私は一晩中、神様に
こわい、悲しい、つらい、苦しいと正直に訴え、泣き続け、まぶたも腫れてしまいました。
しかし夢の中ではそんな気持ちはすっかり忘れて、怒りや不快感や不満でいっぱいでした。
あのままだと、神を呪い、憎悪をもやし、不満ばかり訴えたことでしょう。
肉体の脳と心、夢の中の心理と記憶が違うのは何故かしら。
不思議ですね。
自分の今の状態は信用できませんよ、皆さん。安らかでいるとか、優しい気持ちになってるとか、感謝しているからそのような良い世界に行けるとは思わないほうがいいです。
まったく異質の世界だと覚悟してください。 私が今朝見た夢の前にも眼前に現れた不快なビジョンがあるの。
それは昨日のうちに「こさせないでください、離れさせてください」と祈ったものでした。
つまりストーカーの。
神様は私がいやがるものを与えたいみたい。
守ってくださらないって悲しいね。 本日の『manna』詩篇80:1-3、8-14
このぶどうの木を顧みてください >>801
>>802
この夢を見たとき、突然変な夢見たと感じたけれど、直前に怒りがあったのね。
よく振り返ってみないと。 今朝の夢。
外の体育館から合唱が聞こえる。これも私の胸を打つほどではない。
体育館の合唱が心に響かないのは、行い軽視(必ずしも重視しない)、
従順より自由を選択する傾向のためだろうか。
体育館=行いの象徴
合唱=行い賛美
私が怒っていたのは、
個室で液晶画面を見ている人たちの賛美や評価が、私の判断とはまるで違うからでした。 >>798
急にゆるしの秘蹟の話になったのは
夢の中の私が地獄にいるような気がしたからです。 従順より自由というのは頭が痛い問題です。
私は祈る時によく「どうしたらいいのか教えてください」とお願いするのだけど、教えられたことをやるとは思えないのです。
こうしたらいいといわれても、やりたくないことはやらないやれない頑固さがあります。
自分でもやりたいと思うことがあってもやらないやれない覚悟のなさがあります。
悲しいね。
現在は休養中でもあるし、怠惰な方へ流されがちです。
一日中働いて、休みの日もイベントをいれてスケジュールをいっぱいにしていた頃は、時間をつくって結構やりました。
誰かにものを頼むときは忙しい人に頼め、といいますよね。
フットワークが軽いからでしょう。 人類には罪があること、イエズスのキリストであることを認めないのは高慢の極みです。
私たちが神様を誇り賛美すると
まるで私たちが高ぶっているかのように見る人がいますが
聖書の神が繰り返し教えている内容をその方が理解してないから、そう見えるだけですね。 夢は藁(わら)
麦藁に過ぎない、夢に頼るな 9割強は無意味だからだ。
実を食しなさい、御言葉を聖書を この世のためにではなく
ヨハネ17章
9 わたしは彼らのためにお願いします。わたしがお願いするのは、この世のためにではなく、あなたがわたしに賜わった者たちのためです。彼らはあなたのものなのです。 使徒20章
21 ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、強く勧めてきたのである。
29 わたしが去った後、狂暴なおおかみが、あなたがたの中にはいり込んできて、容赦なく群れを荒すようになることを、わたしは知っている。
30 また、あなたがた自身の中からも、いろいろ曲ったことを言って、弟子たちを自分の方に、ひっぱり込もうとする者らが起るであろう。 >>810
ありがとう。
ただ、自分の状態がコントロールできないところへ置かれるという現実があることを知って欲しかったのです。 23 ただ、聖霊が至るところの町々で、わたしにはっきり告げているのは、投獄と患難とが、わたしを待ちうけているということだ。
24 しかし、わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜わった、神のめぐみの福音をあかしする任務を果し得さえしたら、このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない。 聖霊は一致してパウロの苦難を伝えています。
しかしどう従うかは、各々に任されています。
11 そして、わたしたちのところにきて、パウロの帯を取り、それで自分の手足を縛って言った、「聖霊がこうお告げになっている、『この帯の持ち主を、ユダヤ人たちがエルサレムでこのように縛って、異邦人の手に渡すであろう』」。
12 わたしたちはこれを聞いて、土地の人たちと一緒になって、エルサレムには上って行かないようにと、パウロに願い続けた。
13 その時パウロは答えた、「あなたがたは、泣いたり、わたしの心をくじいたりして、いったい、どうしようとするのか。わたしは、主イエスの名のためなら、エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬことをも覚悟しているのだ」。 コントロールできなくなるのと同時に記憶さえ忘れてしまうのではないかと恐れます
生きていると、忘れていたこともふと思い出すことがありますね
夢の中では私の体験していない記憶も自分のものとして刻まれていることがあります
こういう訳わからない強制的なものと、神の光による照らしからまったく思いもしなかった価値観で有罪判決を受け取るようなしろものが恐ろしいのです 聖ファウスティナも強烈な神の照らしから微小な罪が色濃く認識させられる経験をしています。
彼女は不安を隠せなくなります。でも、主の燃える愛の炎が小さな罪を藁のように燃え尽くすと約束してくれて、ようやくファウスティナは安心するのです。 主の燃える愛の炎が小さな罪を藁のように燃やし尽くす
神は溶鉱炉です。
罪を償いたいのなら苦しんで溶かしていただくことも可能です。
この苦しみが、悔い改めの際に罪に応じたふさわしい苦しみでなければ、煉獄という神の溶鉱炉に一時はいる形となるのでしょうかね?
地上に生きている人の祈りが彼らのための冷たい水になるんだそうです。
主御自身もファウスティナの存在をそういう冷たい水のような比喩で呼びかけていましたから、地上の人の役割は大きいのでしょう。 >>813
藁にもすがりたいお気持ちもわかります、しかし…
藁の意味をご存知でしたか?藁とは稲や麦から実を除いた クシュです。日本名ではクズ
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/uranai/yudayayume.htm >>819
田舎で育ちましたから知ってますよ。
私は藁を焼く時のにおいがたまらなく好きです。 無印良品のペンを買いに行きました。
芯の細いカラーペン、なくなるの早過ぎです。
そして今日は暑い。 本日の『manna』詩篇81:1-4、9-16
あなたの口を大きく開けよ
新改訳 2017とリビングバイブルは節が対応していますが、
新共同訳、口語訳は1節からずれていきます。
指揮者のために。ギテトの調べにのせて(新改訳 2017)
は1節の外に置かれています。
ですから新共同訳を開く場合は17節までの分です。 ファティマとファウスティナは同時進行だったみたい。
1924年7月 ファウスティナ修道院の門をたたく
1938年10月5日ファウスティナ死去。
1929年6月13日午後11時〜12時頃 ファティマの聖母
修道院の聖堂で、ルシア助修女1人だったから、第三者はいなかった。
1938年1月25日午後8時45分〜26日午前1時15分 ヨーロッパの空を覆う不思議な光
「1938年(昭和13年)1月26日の諸新聞は、(略)西ヨーロッパ全域にわたって確認された異常な極光(オーロラ)に関する電文を掲載した。 >>823
オーロラ現象があった日の頃、シスター・ファウスティナの霊魂は闇夜を体験していました。
悪魔の脅しを受けていたのです。
しかしすぐにイエズスの愛を受け、回復しています。
このように幾度となく内的苦しみに遭いながら、試みを乗り越えています。 イエズスの愛に沈められ、また浸され、一致し、溺れ、秘密
こんな表現ばっかりよ。
二人だけの秘密は聴罪司祭にも打ち明けず、将来的にも知られたくないそうです。 従順=真の自由
私が>>805で自由と書いたのは自分自身に従属する自由意志のことです。
ズバリ罪を意味します。
教皇ツイッター
聖霊に導かれるままに身をゆだね、聖霊が望むところならどこへでも連れて行かれるにまかせること以上の自由はありません #教皇 #法王 #カトリック #キリスト教 #聖霊への信頼 #自己奉献 twitter.com/Pontifex/statu…
16:51 - 2018年5月14日 >>827
詳しい考察については、>>807も参照のこと 従順について考え続けています。
シスター・ファウスティナは自分だけの幻覚ではないかと疑い、悪魔の餌食になりたくないから神の贈り物を拒んでいました。
優れた聴罪司祭の指導がシスターの視ているキリストから来ていることをたくさんのしるしによって示されました。
シスターは大喜びで神の贈り物を受け取ることになります。
信を共有する第三者がいれば、信頼に足るのかしら。
シスターは司祭のGO!サインを受け入れました。
私は頑なで不従順で、おまけに肉的自由意志が強い人間です。
おそらくどんな高い位の聖職者が私に同意してくださっても、自由の信じたくないことには喜びがないでしょう。
たとえば、私の夢の中のイエズスのことを思います。
彼は私がある人から見下されたのを不快に思われ、私の姿でその人に優秀な助言をしてくださり、私を見直させるように行動してくださいました。
「偽善者が!」とイエズスは言いました。
私はとても複雑な気持ちでした。なぜなら私は不正をしてまで高めてもらいたくないからです。
等身大の私が見下されてもそれは当然のことです。私が信じたいのはむしろあの人の清らかで善なるものが育つことです。私は聖霊が私に服従することを聖書の説明によって信じていますので、夢の中のイエズスの行動に同意することが困難です。
私はファウスティナのような従順の美徳がありません。 自由の信じたくないこと ×
自分の信じたくないこと ○ >>825
シスター、天国でお会いすることができたら根ほり葉ほり訊きますよ。
なんでも教えて。 >>818
該当箇所一例
あなたはわたしの心の涼しさ 1058
それはわたしの心の涼しさ 1061 何が起きているのだろう?
何が起きていたのだろう?
この関心が去らない。
花嫁の選出
試み
ある実験 or 比較?
地上の人を魅了する天からのメッセージ群はどこまで信用できるのか?
サタン、神、キリスト、聖母、神話、宇宙人、有名人、肉親、前世のあなた、花の妖精、… 本日の『manna』詩篇82:1-8
おまえたちは神々だ
参考箇所
ヨハネ10:34-36 キリストの十字架の贖いを信じて悔い改めればどんな罪も赦されます。
しかし、悔い改めにふさわしい苦しみと償いをしない者は、死後、煉獄で清められます。
悪いことをしたら「神さま、ごめんなちゃい。てへペロ」で軽く済むと思ったら大間違いです。
聖ファウスティナの記録を読むまでもなく、地獄と煉獄を見た者の報告は数多く残されています。
煉獄で苦しむ死者のためにごミサが立てられています。
私たちが苦しみの犠牲をささげることで他の霊魂が救われます。
あの人が苦しんでいるのはわたしたちの罪のためだった、と十字架について預言されたことを思い出しましょう。
私たちは苦しむ人を見て、本人の自業自得だから助けると本人のためにならない(カルマ論者)と言ってる人には要注意です。
私たちはその苦しみの本当の意味を知らないのですから。(ヨブの友人たち) >>826
このサイトを読んでいくと、死んだ息子のために毎日泣き暮らす母親のことが書いてあります。
しかし息子にはそれが重荷となっていたのです。彼の衣は母親の涙に濡れて重くなり、天国へ進むのが遅れます。
彼はその母の涙を「無駄な涙」と呼ぶのです。
私もしょっちゅう泣くので、無駄な涙、重荷となる涙を流しているのかもしれないとゾッとします。
悲しくて止められません。
無知っておそろしいですね。 これを読んでいたら、私の下腹のしるし「レギオンの泡」が活動を停止しました。ゾッとします。
10月から今まで一日も活動をやめない不思議のしるしが。
↓↓↓↓
ルシフェル「我が座の座して余れる部分よ、この容器の中に入れ」と叫んだが、たちまち、その座の余れる所はつぶれてこのあやしい器の中に投げられると火炎海は突然泡立って、その座の余りであったものは焼石に変わった。
http://rozario0318.com/archives/9241#i-38
悪魔の計略に落ち、地獄に沈む者はどのようなものか?比喩話 悪魔の恐ろしい顔はほてっていた。「傲慢の悪魔よ、お前の血を持ってこい」と煩悩の王ルシフェルが叫ぶと、その傲慢の悪魔は尖ったその爪で動脈をかき切って流れる血を器に満してその王に捧げた。
赤い火炎の深湖の噴火口をのぞいて、ルシフェルはその器の血を流し込み、黄金づくりの杖で混ぜながら落ち着いて言う。
「この金属によって、人類は傲慢の希望を感じよ、その同額のみならず、天主の上にも思いあがれ、偽善者となって俺を拝むようになれ、
人類の心は善事に無感覚となり、同情心も慈善心も消滅してしまえ」との声に合わせて悪魔の衆は一緒に叫んで言う。「アーメン(まことに)」。
中略
しかし、天主の天使は地を護っている。悪魔が地の底や砂の中に金属を隠し去れば、天使は近づいて、その羽翼を金属にふれて言う。「この金属よ!善業のため、罪の赦しのため、天国に登るためのものとなることを願う」と。 天使の祈りを読んで、私たちの罪が、神のゆるしのための一大スペクタクルな影に見えてきました。
サタンは神の善なる光を受けて邪悪さをくっきり見せつけますが、闇から光への変化が際立つための一時的な影であり、元来あるものではないから、地獄の火で焼かれるときは透きとおるのです。
罪は影。
罪はサタンの影であるから、サタンが罰されると罪は煉獄を去り、サタンに従属するものとしてサタンと一致するのです。 光そのものである神はその全権威をくまなく現して、サタンの正体を火の光に晒します。
火は神の正義です。この火で焼かれる者は神に反する者であることを自ら永遠に宣言しているだけなのです。 だいたいサタンは神に近い天使として創造されたのですから、容易には見抜けないほど似せられます。
ここまで徹底して比較化しないとサタンを自覚させられないでしょう。勘違いエリートですから。
私たちにもわからなかったと思います。
神様のご計画は被造物である人間を天使よりも祝福するためでした。無知で無力な人間を。
ご計画に反対したのがサタンです。サタンは人間に仕えることを拒否し、人間を支配したいと思いました。
私もサタンのように、私の正しいと思うことを他の人にも要求することがあります。
バカには従ってられないという気持ちがあります。
しかしキリストの十字架には手足を打ちつけられ不自由となられた主のお姿があります。
眺める御眼と息絶え絶えの御舌があるのみです。その御眼と御舌も私たちの前から取り去られました。 レギオンの泡は再び活動を開始しました。
やはり一時的な不活発状態にしかならないです。 神様。
他人事のようだけど、プロテの楽ちん信仰の行く末が心配です。 私は聖人になりたいと思ったことは一度もないけど、聖ファウスティナは子供の頃から聖人になりたかったそうです。
カトリックが完徳を目指す意味は煉獄を経由せず天国へ一直線に帰りたかったからでもあるでしょうね。
それだけ早く主とお目にかかれるのですから。
煉獄で償う期間が達成されないまま終わりの日が来たら、どうなるのでしょう。
まあそれでも救いは約束されてますから、無駄な心配かもしれません。 昨日の残りの豆腐をつぶして味噌だれをかけ、
上からもやしとえのきと豚しゃぶをのせ、大葉をちらす。
物足りないのでお酢をふりかけた。
夏はお酢が最適、爽やか。 >>847
それでも足りなかったので
もみじおろしを追加した。 昼近くなってから曇りがち、風が吹く。
あやめ♀が興奮して走り回る。
どうしたのかな。うんちが近いの? >>820
すごい思い違いでした!
私が好きなのは籾殻を焼く時のにおいでした!!
わらは、ああ、あれか茎か!
やってもうた。 本日の『manna』詩篇83:1-4、13-18
こうして彼らが知りますように
新改訳 2017
13 藁のようにしてください
リビングバイブル
13 もみがらのように
新共同訳
14 藁のようにしてください
口語訳
14 もみがらのようにしてください
(ピッピ談)
もーぅ、わっけわっからーん 私が好きなのはコレ焼いてる時の煙のにおい。
立ち止まって煙に包まれていたいくらいです。
https://basilist.jp/basilog/momigara.html >>848
しかしごま油をかければ良かったのだ。
香ばしさがすべてを包むと気づいたピッピである。 北朝鮮はまた前言撤回術か。
なんだろうな、この戦術は。 >>850
西城秀樹 名台詞集
『ちぎれた愛』
台詞
好きだよ、好きだよ、
好きなんだよー!!
『ジャガー』
台詞
さあ来い、とんで来い
抱いてやる、抱いてやるー!!
『寺内貫太郎一家』
ヒデキ「じゃあ、俺がミヨちゃんと結婚すればいいんだろ!!」
貫太郎「なーにィー!!」
お約束の大乱闘 >>856
あ、ごめんなさい。
みよちゃんじゃなくて、かよちゃんだった。
じゃあ桜吹雪の方だったか…。 >>857
ああ、また間違い。
花吹雪だわ、『花吹雪はしご一家』ね。 >>858
いやいや、父親がいない設定だから
『花吹雪…』じゃなくて、やっぱり『寺内…』です。
💦 下記リンクの、パニヒダの項目をご覧ください。
東方正教会の、こういう死者への儀式がある、という紹介です。
今の気持ちの救いにつながるか手助けになればと思います。
http://keynoters.co.jp/orthodoxchurch13/
かたち-諸奉神礼:日本正教会 The Orthodox Church in Japan
http://www.orthodoxjapan.jp/tebiki/kokoroe03.html
日本ハリストス正教会 大連祷
https://www.youtube.com/watch?v=IeZyzLGxWgU ヒデキも「眠れぬ夜」を歌ったことあるんだな、これオフコースの曲ですよね。
東京でLAストーカーの霊と闘っていた頃、突然この歌を夢の中で聴きました。知らない曲でしたが、オフコースっぽいなと思いました。
それでわざわざ買ったか借りるかしたんです。歌詞が知りたくて。
歌の贈り物というのは、たいていなんかメッセージ送りたいのよね。
歌って便利ですね。本人の気持ちを代弁させるための騙しアイテムだから。
歌自体はいいわよ。
でもそれで私に何が言いたいわけ?感動してほしいわけ?
本当に無意味でした。 私はあの男(LAストーカー)が十字架につけられて牢屋に入ってる夢を見たことがあります。
十字架があるため牢屋を出ることができないのだと訴えていました。
しかしそこは広い間隔の牢屋でした。体を横に向ければ余裕で出られます。男は出られないのではなく、自分の意志で出ないのです。
呆れる言葉が次にありました。
「それでも君が望むなら愛し合おう」
不倫か?この世では結ばれないが霊的関係を続けようというわけです。しかも私がどうしてもとそれを望むならですよ?
図々しい男だ、バカみたい。
私は怒りに燃えました。 この不誠実な男は、私を他の誰かと間違えてるのではないかと思いました。
私には空想癖があって、私ではないけれども私と心理的に一致する女性と、彼女が愛している男性の物語を持っていました。
いつも同じパターン、同じストーリーを繰り返すのです。
とても切なくて悲しくて、私は毎晩目を泣き腫らしました。
イメージ的にはティモテシャンプーのCMの男女です。
彼女は尊敬して愛していた人から真実に愛されているとはどうしても思えませんでした。
いつも肝心なところのタイミングが悪いのです。
私の頭の中で無邪気に繰り返される理想の男女の物語は、決してハッピーエンドにはなりませんでした。
そしてこの男性こそ「俺だ」と名乗りをあげたのがLAストーカーです。
私は驚きとともに真相を知りたいと思い、潜心し、たどり着いた答えが「同じ空想を共有していたのだ」ということでした。
私はこの物語を捨てました。 しかしすでに私は新しい理想を描いていました。ティモテシャンプーのCMの男女は白人だったので、私により近い東洋人の男女を創造しました。
まあこれも後に破綻するのですが。
私はティモテの彼女がとても可哀想で悲しくてしかたありませんでした。
ある日、イエズスが演者を変わりティモテの彼として登場してくれました。すると、今まで失望と破滅しかなかった物語が一瞬のうちに幸福に変わったのです。
私は(彼女は)、嬉しくてイエズスにとびつきました。
私の(彼女の)酷い痛みも、イエズスはともに受けてくれました。私は真実に愛されていることを実感し、感謝しました。 いまだにわからないこと。
十字架の甘美
とは、どんな? 状況は同じなのに一方は不信と傷、もう一方は心に届いて喜びとなる。
この意味は何でしょうか。
この二者には決定的な違いがあるのです。
私をわかっているか、いないかです。 ストーカー被害なら、警察に相談して
相手へ警告を入れてもらえば、と思うんだがな。
ただ祈ってるだけでは、埒(らち)があかないし。
祈って(被害相談という)行動に移す。
それで、いいんじゃないの。 >>869
今書いてるのは昔、東京に住んでいた若い日の『霊』の付きまといのことです。
その人とは別に近年、アルバイト先の上司が突然家を訪ねてきて、同意も得ず上がり込もうとした件については、警察に相談済みです。
でも脳内恐怖がトラウマになっています。 (18歳差)
ヒデキ 41歳
花嫁 23歳
(18歳差)
ヨゼフ 33歳
マリア 15歳
こうして見ると年齢差は違和感ないね。 >>872
訂正
(18歳差)
ヒデキ 46歳
花嫁 28歳
(18歳差)
ヨゼフ 33歳
マリア 15歳
こうして見ると年齢差は違和感ないね。 本日の『manna』詩篇84:1-12
主の大庭を恋い慕う
84:10 新改訳 2017
まことに あなたの大庭にいる一日は
千日にまさります。
私は悪の天幕に住むよりは私の神の家の門口に立ちたいのです。
(ピッピ談)
一日と千日の比較は聖書の他の箇所でも出てきます。
価値のある一日は無駄な千日よりも貴重です。 こっちのが凄い
(45歳差)
加藤茶 73歳
綾菜 28歳 衝撃報道!! めんたいワイド FBS
御笠川にワニのようなものがいる
捜索中/捜索中/捜索中/捜索中/捜索中 飼われていたんじゃないかなあ。
人に馴れているなら手荒なことはしないで。 >>874
級友に大庭さんっていた、大庭洋子
ロシア系のような顔で出身が青森の津軽半島 そう云えば人間失格を書いた太宰も主人公を津軽の生まれにしたよね、「大庭葉蔵」道化の花と同じ主人公。 ファウスティナが言うには、イエズスのいつくしみは少しだけ赦すよりたくさん赦すほうが容易いのだとか。
罪人にとっては朗報だけど、被害者にとってはやられ損なわけ? だから私は
悲しくて悲しくて悲しくて悲しくてしかたないのだけど
このことで毎日泣いています。 強制的に、同意なく
私が悲しみと苦しみに見舞われるのは
神の犠牲のいけにえなんかではなく
私的な人生の罪深さによるもの
私の身に起きる悲劇や苦痛は
神のゆるしの中で起きているもの
私の悲しみは身を引き裂くほどただ悲しい
イエズスのゆるしの中で起きているのだから
イエズスは不幸の中止を命令してくださらない 『聖ファウスティナの日記』198
ある時、主はわたしに言われました。
「我が娘よ、あなたの信頼と愛がわたしの正義を引き止める。それで、わたしは罰することができない。わたしが罰することを、あなたが妨げるからだ。」
ああ、信頼に満ちた霊魂の力は、何と偉大でしょう! 『聖ファウスティナの日記』199
わたしの終生誓願について、また、わたしと結ばれることを望んでおられるのはどなたであるかについて考えるとき、何時間も主の思いに心を奪われます。
どうしてこれが起こりうるのでしょうか。つまり、あなたは神であり、そしてわたしはーーわたしはあなたの被造物です。
不滅の王であるあなたと、物乞いであり、惨めさそのものであるわたしが!
しかし今や、すべてがわたしに明らかです。つまり、主よ、あなたの恵みと愛が、イエス、あなたとわたしの間の深淵をふさぐのです。 184より
主とわたしとの永遠の婚約の日※のために、わたしのあらゆる苦しみと困難をイエスに献げる花束として集めました。
苦しみと困難が、主への愛の証として、わたしの花婿のためであることを思い出すとき、いかなるものもわたしにとって難しくありませんでした。
【訳注※ 終生誓願宣立の日のこと。】 >>883
これなんか読むと、どうしても「わたしだけが主の花嫁」だと思い込んでいるような書き方じゃないかなと思います。
皆さんそうなんでしょ?と、私は思うのですが、シスター・ファウスティナはわたしだけを選んでくださり、わたしだけが主のお望みなのだ!と理解しているように感じます。 男性の方で、このシスターと同じように思われたことありますか?
いたら名乗り出てください。
なんか同性が感じるような、あるいは大勢の中の一人として感じるような表現とはちがうように思います。 201
どんな被造物もわたしの心を知らないように、身を隠したいと思います。
イエス、あなただけがわたしの心を知っておられ、それを残りなくそっくり持っておられます。だれもわたしたちの秘密を知りません。
わたしたちは、互いに一目で相手を理解します。わたしたちが互いを知るようになった時から、わたしは幸せです。あなたの偉大さはわたしの充満です。
イエスよ、わたしが、志願者たちよりも、最も若い志願者よりも低い、最後の地位にいるとき、その時、ふさわしい地位にいると感じます。
主が、これらの灰色の隅っこに、こんなにたくさんの幸せを置いておかれたことを、知りませんでした。今、わかります。刑務所においてさえ、清い心からあなたへの完全な愛がほとばしり出ることが可能だと。
以下、略 私と同じだわ。
このあとしばらくイエスがシスターから隠れられます。
211より
(略)
その聴罪司祭は、わたしがそれ以前に持っていた疑いよりも、もっと大きい疑いのうちにわたしを去らせました。彼は言いました。
「シスター、どんな力があなたに働いているのか、わたしは識別できません。神であるかも知れず、悪魔であるかも知れません。」
告解場を去ったとき、彼の言葉について考え始めました。考えれば考える程、ますます深く霊魂は暗闇に沈みました。
「イエス、わたしはどうすべきでしょうか。」イエスが優しくわたしに近づかれると、恐れました。
「あなたは本当にイエスですか。」一方で愛によって引き寄せられ、他方では恐怖。何という苦悩! それを言い表すことができません。 寝る前にiPhoneの電源切ったのに、朝になると勝手に電源が戻ってる。
なんかおかしいの、私のiPhoneて。 私の人生の最も悲惨な時がくる度、聖母マリアの胸があるだけでいいと思いました。
その方が安心するのです。
何らかの理由でイエズスは私から去り、もう守ってはくださらないのだと、絶望のただ中に置かれると、聖母が私のただ一つの慰めになりました。 >>888
シスターは終生誓願する日を控えていました。この前後、主はシスターの前からしばし消え、確信から遠ざかり、シスターの気持ちを自由な意志に任せるようにされたのだと思います。
私も大事な場面でそういうことがありました。
私は心の中で大きな意志にうながされているのだと感じていたのですが、最終的な決断を伝える時に、全く突然不可解なほど『霊』が消えてしまうので、私の決断が私だけの責任の返事となりました。 私を駆り立てる燃える『霊』が私の行動に付いてこない時もありました。
私は七年間、父を嫌って口をききませんでしたが、その謝罪をする時に土下座をしたのです。
しかし私の意識をゆらゆらさせるまで指導していた『霊』は、私の土下座する上半身には付いてこなかったのです。
私は思わず自分の後ろを振り返りたくなりました。 その時、私自身と『霊』の違いがはっきり分かりました。
私の体の中に重なっている『霊』は私ではありませんでした。 この『霊』が何者かについて、私はいまだによくわかりません。
神に属するものか、堕天使に属するものか。
でもこの指導のおかげで父との関係が変わっていきました。 心理実験をするとき、テレビでもやってますが被験者には本当の目的を告げないことがあります。
その方がよりよく結果を出せるのです。
私は「見せなさい」といわれたことには神は関心がなく、ほかのことにこそ真の目的があったという体験をしています。 イエズスの求婚はしばらく続きました。私に来世の様子を言葉で説明してくれました。
それが永遠の束縛だったのです。
私はあまりにも予想外で過酷なことに思え、私に要求することをマグダラのマリアに代えてくださるよう訴えました。
イエズスは私が許諾するまで諦めず、とうとう観念して私も同意しました。
しかしこれは私にだけではありませんでした。イエズスは他の女性にも同じように説明し、その人からもあっさりお断りされたようです。
私も悩みに悩んだすえの決断でしたからわかります。
ただイエズスは私に対しては諦めなかったのです。 イエズスと来世における永遠の束縛を約束したらどうなるでしょうか。
私はかならず悪魔や反キリストに狙われることになります。
私は彼らの餌になりました。
それまでも私は餌ではありましたが、イエズスとは距離のある立場としての、ある意味、掌中の餌でした。
反キリストの動機が悪意ではないことは、ちまたのストーカーが自覚してないことでも明らかです。
彼は善意のつもりで私に揺さぶりをかけています。
彼の目的は遂げられ、私はイエズスの花嫁戦線から離脱しました。しかし誤算がありました。私はイエズスを思う気持ちが清らかでした。またイエズスの勝利を信じていたからです。 私がこの地上を去る日まで、悪魔どもは私を諦めないでしょう。
私はどこに行くかわかりません。
その日私の報いが明らかとなるまで、私は信仰を燃やし続ける熱意を新たにしなければいけません。 本日の『manna』使徒2:1-21
聖霊がくだる
(ピッピ談)
ペテロが立ってヨエル2:28-32の成就を説いています。
私は聖霊降臨のこの様子がイザヤの次の場面と重なるのです。
66:6 聞けよ、町から起る騒ぎを。宮から聞える声を。主がその敵に報復される声を。
6:イザヤ書/ 66章 06節
都から騒がしい声がする。神殿から声がする。敵に報いを返される主の声が聞こえる。
これは敵の破滅する様子だとずっと思ってきました。
本当のところどうなのでしょう。 黙示録では大バビロンに神の報いが返される時に「よろこべ」と書いてあるけれど、箴言にはこう書いてあります。
箴言/ 24章 17節
敵が倒れても喜んではならない。彼がつまずいても心を躍らせるな。
箴言/ 24章 18節
主がそういうあなたを見て不快とされるなら/彼への怒りを翻されるであろう。
箴言/ 24章 19節
悪事を働く者に怒りを覚えたり/主に逆らう者のことに心を燃やすことはない。
口語訳
17 あなたのあだが倒れるとき楽しんではならない、彼のつまずくとき心に喜んではならない。
18 主はそれを見て悪いこととし、その怒りを彼から転じられる。
19 悪を行う者のゆえに心を悩ましてはならない、よこしまな者をうらやんではならない。 昔の2005年の談話室を読んだ。
内容がなかった。
私も名無しでいくつか書いてるけど内容がなさ過ぎて驚いた。
みんな何が楽しくて集まっていたのだろう。不思議。 私のiPhoneそろそろ買い替えどきか。
電源オフしても
いつのまにやら復活してる。
不気味ケータイ。 夢を見ました。新人の私の仕事が粗いと陰口たたかれていたらしい。
指摘してくれる人がいないと自分を許してしまうからな。そしてついに忘れてしまう。
箴言20:9
だれが「わたしは自分の心を清めた、わたしの罪は清められた」ということができようか。
詩編19:12(または13)
だれが自分のあやまちを知ることができましようか。どうか、わたしを隠れたとがから解き放ってください。 賜物のちがい、ゆるしの権限
コリント 一
12:27-28
あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。
そして、神は教会の中で、人々を立てて、第一に使徒、第二に預言者、第三に教師とし、次に力あるわざを行う者、次にいやしの賜物を持つ者、また補助者、管理者、種々の異言を語る者をおかれた。
ヨハネ20:21-23
イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。
そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ。
あなたがたがゆるす罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残るであろう」。 詩篇104
29 あなたがみ顔を隠されると、彼らはあわてふためく。あなたが彼らの息を取り去られると、彼らは死んでちりに帰る。
30 あなたが霊を送られると、彼らは造られる。あなたは地のおもてを新たにされる。
詩編/ 104編 029節
御顔を隠されれば彼らは恐れ/息吹を取り上げられれば彼らは息絶え/元の塵に返る。
詩編/ 104編 030節
あなたは御自分の息を送って彼らを創造し/地の面を新たにされる。 「あなたの体をよく覚えていなさい。復活の日にあの体があなたに与えられます。そして裁きを受けます」
死者が連れて行かれる時、天使が上のようなことを語るという。 >>907
これは秋田のロザリオサイトかどこかで読みました。 寝る前の私が訴えていたこと。
私はどうしようもない不安と悲しみに苦しんでいました。
つらく悲しい。
み心がわからないこと。
私たちの無知も悲しい。
何もかもがわかりません。 教皇ツイッター
マリアはほかのだれよりも、イエスが唱える真福八端を生きたかたです。聖人の中の聖人であり、わたしたちに聖性の道を示し、ともに歩んでくださいます #教皇 #法王 #カトリック #キリスト教 #聖母マリア #真福八端 #聖性 twitter.com/Pontifex/statu…
18:13 - 2018年5月18日 聖書ではイエズスが「マリア」と名前を呼ぶのは母ではないマリアの方だけなので、時々、人間を間違えてしまうことがある。
たとえばマルタとマリアのところでマリアが褒められる場面を説明する時。
解説者が、マリアはマリアがと書いていると場面を知る人にとっては自明でも、よく読まないと聖母のこととして読み進めてしまうことがある。
復活の場面のマリアもそう。マグダラのマリアとわざわざ書かないでただマリアと書いていて、知る人にとっては自明でも、どちらのマリアかわからないようなこともある。
「マリアは」と言われる時いつもこのことを思う。
本の立読みや試し読みの時も困る。長文の中の一節にこの「マリアは」があると。
私はいつも聖母マリアのことを頭に描く。だが論者は別のマリアについて書いていることがある。 今日は特別美しい空です。
綿帽子みたい。
青い空、つの字に円く流れるひつじ雲。
風も急に出てきました。 聖母マリアを愛さないでイエズスを愛することができるのか?
プロテはなぜイエズスの母を侮るのか。なぜ蚊帳の外に置きたがる?
天国へ行って聖母のお立場を知った時の、プロテの面々の驚きを見たい。 本日の『manna』使徒2:22-47
ペテロの説教とその結果
38 そこで、ペテロは彼らに言った。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。・・・」
40 ペテロは、ほかにも多くのことばをもって証しをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って、彼らに勧めた。
41 彼のことばを受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた。 シスター・ファウスティナの体験についてと、修道院内での苦しみについて考えています。
無理解による周囲の疑いの目と闘いながら暮らしていました。
時には心に疑いを持ちながら近づいてくる人もいたようです。
またファウスティナは相手の霊魂が受けている痛みもダイレクトに伝わるようなので、その苦痛は半端じゃなかったでしょう。
全般的に他人との交流を避けていたみたいですね。できればイエズスとの霊的交流に没頭したかったのではないかと思います。
入院中もお見舞い客の対応が苦痛だったようです。
我々5ちゃんねる住民的に言えば「ハヨ帰れ」といったところでしょう。 霊的飢え渇きというのか、悲しみが癒えません。
正しいことが何もわからない、やる気もなく、悲しくて、苦しくて、怖くて、不安です。
自分の力で歩き出し、自分から考えようとすると、とても悲しくなります。 217より
イエス、これについて何かを考えてください。だって※ 、これからも常に上長はいるでしょう。それは本当です。しかし、今や、独りでいることが多いからです。
【訳注※ 主イエスに向かって、「だって」と親しく語りかけている】
(ピッピ談)
訳注するほどなの!
私は、私は、私は…。
マジで? 218より
イエス、我が師よ、わたしを導いてください。あなたの御旨のままにわたしを支配し、あなたにふさわしい者となるよう、わたしの愛を清めてください。あなたのいと慈しみ深い御心のお望みどおりにわたしをお取り扱いください。
(ピッピ談)
ファウスティナはポーランド人です。
その同じポーランドで戦争終結直後に起きたある出来事を映画化した作品『夜明けの祈り』があります。ポーランド修道院のシスターたちはソ連兵に犯されます。そして妊娠出産し、信仰さえ揺らいだという。
アブラハムがイサクを生贄にしようと手をかける直前、神は中止を命じました。
もしもファウスティナにも先の犯されたシスターたちのような危険が及んだ場合、助けられたのでしょうか。それは現実に犯されたシスターたちの信仰の揺らぎより尊いのか。
それともソ連兵によるレイプ、これは罰なのか。
私がファウスティナのような決意を神の御前で言えなくなったのは、レイプ暴行の悲惨さを霊的に知ったからです。私は暴行されたくありません。発狂することがわかっているからです。 239 愛と賛美のいけにえ
終生誓願の日の聖なるミサ中の祈り。今日、わたしの心をパテナの上に置きます。そのパテナの上に、イエスよ、あなたの御心が置かれていました。
そして、今日、あなたと一緒にわたし自身を愛と賛美のいけにえとして、あなたの父であり、わたしの父でもあられる神に献げます。
慈しみの父よ、わたしの心のいけにえをご覧ください、しかし、イエスの御心の御傷を通して。
(ピッピ談)
しかし、イエスの御心の御傷を通してーーこんな表現、私にはできません。
すごいな。これが信仰の高さ、深さ、純粋さなのかと。
終わりの日の描写にもあったのではないか?父なる神が地上を眺める時はキリストの十字架の御傷の穴からご覧になるのだという。 ピッピ・シェアトゥさん御愛読、本日の『manna』って
以下のリンクでしょうか。
ディボーションガイド manna – クリスチャンの霊的生活の
充実をお手伝いします
http://wlpm.or.jp/manna/ 239より
+愛、あなたへの愛のためです。至聖なる三位一体よ、わたし自身を賛美のいけにえとして、焼き尽くすいけにえとしてあなたに献げるのは。
この自己奉献によって、主よ、あなたの御名が高められることを望みます。わたし自身を小さなバラの蕾として、主よ、あなたの御足もとに献げます。
そして、この花の香りがあなただけに知られますように。
(ピッピ談)
この花の香りがあなただけに知られますようにーー可愛いシスター。 >>922 教えて頂きまして、恐れ入ります。
私は
自分の家庭礼拝での聖書黙読にと >>797 で紹介の
日ごとの福音
https://www.higotonofukuin.org と
日本聖書協会 聖書 新共同訳 今日の聖句
https://www.bible.or.jp/read/seiku.html を
利用してます。 ピッピの日課
□ 日ごとの福音
https://www.higotonofukuin.org//
□ カトリック中央協議会
https://www.cbcj.catholic.jp/
・ツイッター
・バチカンラジオ放送
□ 『manna』
□ 『ユダヤの知恵 箴言カレンダー』
□ 『聖ファウスティナの日記 わたしの霊魂における神のいつくしみ』
□ 聖書通読
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm 我 ◆82SSORBSMoさん、の消息はご存じですか? >>925
なぜ私に聞くのですか。
サロメさんならしばき隊とまじ喧嘩中(裁判)だとか。 ヤコブ3章
17 しかし上からの知恵は、第一に清く、次に平和、寛容、温順であり、あわれみと良い実とに満ち、かたより見ず、偽りがない。
18 義の実は、平和を造り出す人たちによって、平和のうちにまかれるものである。
マルコ9章
23 イエスは彼に言われた、「もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる」。
24 その子の父親はすぐ叫んで言った、「信じます。不信仰なわたしを、お助けください」。
28 家にはいられたとき、弟子たちはひそかにお尋ねした、「わたしたちは、どうして霊を追い出せなかったのですか」。
29 すると、イエスは言われた、「このたぐいは、祈によらなければ、どうしても追い出すことはできない」。 昨夜、悪魔をビジョンで見ました。
レスリングの栄監督みたいな人でした。目が赤い。
ドラゴンボールの禿げキャラみたいにも見えました。
私はナザレの少女のことを考えていました。
悪魔も聖母には降参でしょう。 ねえ、どなたか。
シスター・ファウスティナは主イエズスと人間的な性行為をしているという指摘をしている方がほかにもいたら教えてください。
912より
すると、このように語る次の言葉を聞きました。
「わたしは、あなたがわたしの花嫁になることを望む。」
畏れがわたしの霊魂を貫きましたが、平静にこれはどのような類の婚姻なのかと考え続けました。
けれども、畏れがわたしの霊魂を襲う度に、いと高きところからの力が霊魂に平安を与えたものでした。
(略)
【聖体拝領に対する私の準備】ノートから
1805 この偉大な主がわたしの花婿です
1806 心にあることを何もかも話します
1807 どんな犠牲も難しくなく、重荷でもありません
1808 愛を受け入れるために、心のうてなを開きます
1809 イエス、あなたの愛を注ぎ入れてください
1810 あなたと一つに結ばれるために天の王座を後にした 私はイエズスがナザレの少女を愛して降られたのを信じています。
昨夜はそのことについて黙想していました。
聖母が聖霊の花嫁であることはカトリック内でも知られています。
父・子・聖霊は一つの神です。不可分な神の一部と婚姻だなんてあり得るでしょうか。
教会が主の花嫁であるとはよく聞かれる話です。パウロは信徒である共同体に対し語りかけていますね。あなたがたをただ一人の花婿と婚約させた、と。
しかし一対多の婚姻なんて不自然だと思います。
ファウスティナは明らかに個人的な花嫁だと信じています。彼女は主の昇天について行く幻想を内的に見ていますが、これはアグレダのマリアが「神の都市」で見た聖母の霊魂の様子と一致するのです。
ファウスティナにはお気の毒ですが、彼女は聖母の体験を追体験しているに過ぎません。 >>888
おそらく結婚詐欺師もこんな感じだろうなと思います。
私がよく考える疑いは、聖霊は私たちに服従するはずなのに、このイエズスはなぜ生活を疎かにするような愛への没入を強いるのか?でした。
私もそうでした。
マグダラのマリアもです。
シスター・ファウスティナも外部を避けたがります。
そして恍惚状態を最上のものとして選ぶのです。 イエズスはなぜポーランドの少女も愛したのか?
まるでわたししか愛されていないかのようにシスターは感じたのです。
イエズスとファウスティナ。
わたしはあなただ。あなたはわたし。
シスターは力のかぎり叫ぶ。
「わたしをもう一つのホスチアに変えてください。あなたのために一つの生きたホスチアになりたいのです。略」1826
わたしを完全にあなた御自身へと変容させてくださいとシスターは祈る。1489、1629
イエズス、あなたが愛することを決定したら抵抗できる被造物はいません。
マグダラのマリア然り、シスター・テレーズ然り、シスター・ファウスティナ然りです。 (基本)
洗礼→入門講座終了後に望んだ時点
ただし入門講座中にミサ聖祭に参加することが基本
堅信→洗礼後に司教から授かる
ただし子供は自分の信仰を識別できる10才以上
及び子供も大人も聖霊について学んだ後
⬛入門講座終了後に 司祭の許可と日程を相談
普通入門講座を終了するまで半年以上かかり
又カトリック教会は 復活祭にあわせて洗礼を授けることが
多いが クリスマスなど他の祝日にも洗礼式が行われる
日本のカトリック教会では年間約5000人以上が
尚カトリック教会がキリストとの救いの契約によって有する秘跡は7つ
(@洗礼A聖体B堅信C罪の許しD結婚E叙階E病者の塗油)
しかもその一つである堅信は必ず洗礼を受けたキリスト者でなければ
授かることができないし その秘跡は使徒の後継者の司教の権能によら
なければ聖霊は降らない 要するに堅信の秘跡を授かっていないと
そのキリスト者には聖霊が働かないのだ
よって聖霊は 洗礼を受けても自動的に聖霊が降ったりはしないし
他教会の牧師からでは 聖霊は決して信者に降ったりはしないから
教会を見極めることができよう
プロテスタントが有する秘跡は一つ@洗礼のみ(聖餐は秘跡と異なる 引きつけをおこす息子を癒すイエズス(マルコ9章)。
このたぐいの霊は祈りによらなければ追い出すことはできないとイエズスは言いました。
それだけ強力なのでしょう。
神の御力はそれ以上です。
グノーシス文書によるマグダラのマリアが「歩く生きた聖霊にしよう」と主に言われたことと、
ファウスティナが「もう一つの生きたホスチアになりたい」と願ったことを思う時、
果てしのない一致願望を抱く憧れの強さが、いかに傲慢と結びつきやすいかを考えます。
私は個人的に聖母マリアをただ模範とすることをお勧めします。 昨日見たハゲ悪魔はもうなす術がないかのように呆然としていました。
目がすべて赤いので瞳がわかりませんでした。
イエズスはナザレの少女を愛しました。彼女のために他のすべての被造物をつくり、すべての諸機関も彼女への贈り物です。
神はこの少女を天で形作り、この地に送り、彼の永遠の住まいとされたのです。
ですからのちに聖母となられるナザレの少女が主の花嫁です。 シスターの見ているイエズスが鏡のコピー人形だとしたらどうなるでしょう。天国へ着いたら本人が出てきて労うが、待機しているように言わないでしょうか?
まだ終わりの日は来ていません。
シスターは戸惑うでしょう。わたしのイエスはどこにいるのと。
目の前にいるのはイエスには違いない。でも地上で知っていたはずのイエスとは少し違う。
「だって」ファウスティナが主のたった一人の花嫁だなんてまだ誰も信じてないでしょう。これからどう歴史がひらくのかはわからないですが。
聖母はなぜ主の花嫁探しをしているのでしょうか?
アグレダのマリアもでしたが、私の体験でもそうでした。
私の場合は、聖母は私が信じないので主に訴え持っていかれました。「やっぱりダメです(信じません)」と言われたのです。
複数の中の一人でしかない花嫁なんかになれますか?
他の人との関係が終わっていたとしても、私の少女ロマンは傷つきました。 イエズスの求婚を承諾した後、父が自殺しました。私はとても裏切られたような気がして怒りにかられ、所持していた聖書をすべて燃やしました。
それでもイエズスを愛していました。来世の約束は確保されていると信じていました。
しかしそんな甘いはずはないのですよね。
私が別の人に恋をして、それがなぜかわからないながらも神が地上の私を助けるために与えられるのだと考えました。
イエズスは両手を後ろ手に縛られ、音声OFFの状態でこちらに向かって泣き叫んでいました。
しばらくしてまたビジョンを見ました。イエズスは別の女の子を連れて家々をまわり宣教しています。
私は自分の代わりが容易く見つかることに動揺を覚えながら、私の恋が神の御旨ではないのかということを考えざるを得ませんでした。
この時、イエズスが連れていた女の子は従順な徳に秀でていたので、今はこの子がファウスティナであるように思います。 その後、信仰が回復して2ちゃんデビューしました。
二人目に恋しましたが、すぐ失恋しました。この人も私の地上生活をサポートするために与えられるのではないかと期待したのですが、見事に壊れました。
そのためイエズスはやはり私を手放さないことにしたのだと確信しきりで、喜んだのでした。
どのようにイエズスとの霊的婚姻関係を回復したのかまるで覚えていません。
ただ2ちゃんねる投稿による不思議が数多くありましたので、自然回復したのだろうと思っていました。
恋するたびになぜイエズスがこのことを許すのか不思議でした。もっと力強く私の心を捕まえてくれていたらと何度も思いました。
それとも私が霊的婚姻を軽く見ていたので婚姻関係は破綻したままだったかもしれません。性的欲求も皆無でした。
まさか見捨てられていたとは考えもせずでした。私は仕事に打ち込みました。 恐ろしい日が来て、私は打ちのめされ傷つきました。
主は私を気持ち悪いストーカーの手に渡されたかのようでした。
助けは来ませんでした。私を発狂するままにされ、信仰さえ失いかけ、悲しい日々が続いて、何もわからなくなりました。
花嫁は最初からマグダラのマリアでした。もう決定していました。
私はいったい誰なのだろう、何役だろう、無意味なただの勘違い女じゃんと気づきました。
正しい関係がわかったのだから適応するしかありません。
私は悔い改め、もっと苦しみを深くして痛悔したいと思いました。
でも痛悔の恵みが来ない。ぼんやりするだけでした。救いも確証できない。怖くて怖くてたまりませんでした。
愛されていない確信は強く、不利な立場は揺らぎません。悲しくて悲しくて、苦しくて不安で、自分が怖かったです。 たびたび見るビジョンと夢とそれらの理解を得たいと必死でした。
問題は私の救霊に関してなので、イエズスの心配は必要ないことを理解しました。
天はイエズスのものなのです。地もイエズスに与えられています。
私の確信する喜びはただイエズスの幸福だけでした。誰が花嫁だろうとイエズスは確定された花婿なのですから。
私が地獄へ行く時は、イエズスももはや惜しんだりなさらないでしょう。
私は自分の霊魂の状態を心配し、よく悔い改めて神に敵対しないことだけを望みます。
イエズスのいない空虚さを埋めてくれる人が欲しいとお願いしました。イエズスに花嫁がいるのに、なぜ私には花婿を与えられないのでしょう。
処女の霊魂が美しいとか私にはどうでもいいです。天国の最下層民でけっこう。御国の角っこに引っかかるほつれた衣の織り糸ていどでも十分奇跡ではありませんか。 地獄とはどういうところか考えます。涙も喜びも忘れて、不快な感覚しかわからなくなり、すべてを呪うしかなくなるような場所に行くことになるかもしれません。
その前にたくさんの感謝と、御旨に適うことをできるだけしたいと希望しています。
御旨、それが何かがもうすっかりわからなくなっています。
やりたくても正しいことかどうかわからないのと、正しいことだとわかっても動けるような気がしない悲しさ。情けなさ。
私はゾッとするのです。なんの意味もない、この薄汚れた霊魂と人生を見つめると。
神の道を塞いでいただけの罪深い存在とその日々を、震えながら耐えるしかありません。 240 終生誓願の日の三つの懇願
終生誓願の日の三つの懇願。イエス、今日あなたがわたしに何も拒まれないことを知っています。
第一の懇願
教会の勝利を、特にロシアとスペインにおける[教会の勝利]を、教皇ピオ11世とすべての聖職者の上に祝福を、悔い改めない罪人には回心の恵みを。
そして、わたしの生涯を通して告解する司祭たちのために、特別な祝福と光を、イエスよ、あなたにこいねがいます。
第二の懇願
わたしたちの会にあなたの祝福を懇願します。そして、わたしたちの会が偉大な熱意で満たされますように。
イエスよ、わたしたちの総長と修練長、すべての修練者とすべての上長を祝福してください。
わたしの愛する両親を祝福してください。わたしたちの寄宿生たちに、イエスよ、あなたの祝福をお与えください。
彼女らをあなたの恵みによって力強く強め、わたしたちの家を巣立った彼女らが、どんな罪によってもあなたに背かないようにしてください。
イエス、母国のために懇願します。敵の攻撃に対して母国をお守りください。
【訳注※ 修道院内の厚生施設で生活している若い女性たち】 第三の懇願
イエス、祈りを最も必要としている霊魂たちのために懇願します。臨終を迎えている人々のために懇願します。彼らに慈しみを注いでください。そして、すべての霊魂を煉獄から開放してくださるよう、イエスよ、あなたに懇願します。
イエス、次の特別な人々をあなたに委ねます。わたしの聴罪司祭たち、わたしに祈りを依頼した人々、ある人…、(略)
イエス、今日、あなたはわたしが懇願している人々に対して何でもおできになります。
わたし自身のためにお願いします、主よ、わたしをあなた御自身に全く変容してください。あなたの栄光に対する聖なる熱意をわたしの内に保ってください。万事において、あなたの聖なる御旨を行う恵みと霊的な力をわたしにお与えください。
略
ピッピが代弁:ファウスティナ日記
「嫁のいう事が聞けないの?そんなわけないわよね。私にメロメロなんだから。
この偉大なお願いを叶えてくれるわね? 私にはそれだけの価値があると思うわ」 東京に住んでいた頃の体験を書きます。
夏でした。
私の部屋は一階にありました。エアコンもないため暑かったです。夜は窓を締め切りました。蚊取り線香もありません。
夜中、一匹の蚊がしつこく飛び交っていました。電気を点けたらいなくなり、寝ようとしたら耳元で羽音をさせるではありませんか。
寝られませんでした。
ところが今までに経験のないことが起こったのです。
空中でバシッと感電したような音がしました。どうしたのでしょう、もう蚊の飛ぶ音はしなくなりました。 ヤコブ4章
4 不貞のやからよ。世を友とするのは、神への敵対であることを、知らないか。おおよそ世の友となろうと思う者は、自らを神の敵とするのである。
9 苦しめ、悲しめ、泣け。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えよ。
詩篇1:6
主は正しい者の道を知られる。しかし、悪しき者の道は滅びる。
マルコ9章
35 そこで、イエスはすわって十二弟子を呼び、そして言われた、「だれでも一ばん先になろうと思うならば、一ばんあとになり、みんなに仕える者とならねばならない」。 教皇ツイッター
この黄金律を決して忘れてはなりません。「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」(マタイ7・12) #教皇 #法王 #カトリック #キリスト教 #イエス #律法 twitter.com/pontifex/statu…
18:17 - 2018年5月19日
聖霊、あなたは教会を前進させてくださいます。わたしたちの上に再び降り、一致することを教え、わたしたちの心を新たにし、イエスが教えられたように愛せるよう助けてください #教皇 #法王 #カトリック #キリスト教 #聖霊降臨 #刷新 twitter.com/Pontifex/statu…
17:23 - 2018年5月20日 >>947
>>948
大きなことをお願いしたのね。
母国の守護とすべての煉獄の霊魂の開放、自分自身をイエズスご自身に変容させること。
この日はシスターの終生誓願の日であり、主との永遠の婚約を誓う日でした。
「今日、あなたがわたしに何も拒まれないことを知っています」ってどういうことなのかわかりませんが、そのお願いというのがこの大きな意向でした。
ファウスティナには確信があったのでしょう。
最終決定は主にあります。 >>952
私はファウスティナの尊大さが悲しかったです。
理解不能。 私も祈る時、何か良いことのために祈りたいと思い、熱い気持ちを伝えようとして社会的な大それた課題についてお願いしています。
それが正しいことのような気がするからです。
私の祈りが決定を左右するかのように信じながら祈ることもあります。
信仰とは望んでいる事柄を保証し、目に見えないものを確信させる(ヘブル11:1)
でもそれを叶えてくださるのは主です。神には私たちが見ない事柄まですべてを把握する能力がお有りで、承知されています。
適宜、最善がなされるでしょう。
それでは祈りとは何ですか。
私はもう自分の個人的なわがままなお願いとしか認識してません。
戦争も貧困も霊的盲目も的外れな行いもなくなることを希望します。それは終わりの日にすべてが明らかとなる日に、成就するのでしょう。
わがままなお願いというのは、まだ世界が試みの中にある間もお守りくださいということです。私たちが互いに諌め合い、励まし合い、罪を告白し合って、神のもと忍耐すること。悪魔のいじめに屈しないことをすべての人に願います。 ファウスティナの場合は特殊でした。主御自身からの照らしや要請があるからです。
私たちには見えませんが、ファウスティナには見える部分がたくさんありました。
煉獄の霊魂もファウスティナにお願いしにやって来ました。そして本当に助けになったのです。
義人の祈りは神にきかれます。神にはできないことはありません。
終生誓願の日に抱いたファウスティナの確信も日頃の霊性の賜物だったでしょう、と私は思うのです。
それが私には結論を急ぎ過ぎなように感じました。 雅歌ー福音書ー黙示録ー黄金伝説
私はこのつながりを「神の北斗七星」と呼んで、マグダラのマリアは主の花嫁説を補強してきたわけですが、当の主ご自身はその後つまみ食い…じゃなくその後も花嫁を選びまくり…これもチガウか、
崇敬者に愛を注ぐ日々を邁進していらっしゃいます。
勘違い女はあとを絶たず、信仰してない人でもイエズスLOVEする広がりようです。
何でしょうね。
神の霊感によって記録された聖書と聖伝が最強だということは、紛れもない事実です。
ぽっと出の私やシスターなど及びもしない歴史をかいくぐってきました。重みがあります。
花嫁の件はいったいどう捉えたらいいのか。 240
抜粋
神の母、至聖なるマリア、わたしの母よ、あなたの最愛の御子がわたしの花婿となられたので、あなたは今や特別な仕方でわたしの母となられました。
こうして、わたしたち二人はあなたの子です。あなたの御子ゆえに、あなたはわたしを愛してくださらねばなりません。
マリア、最愛の母よ、わたしの霊的生活があなたの御子の喜びとなるよう、導いてください。
244
今や、灰色の、平凡な日々が始まりました。終生誓願の荘厳な時は過ぎ去りました。しかし、神の大いなる恵みはわたしの霊魂の内に留まっています。
わたしは全く神のものであると感じています。神の子供である、完全に神のものであると感じています。
このことを肉体的・感覚的に感じられるような仕方で体験しています。何事についても完全に平和です。なぜなら、わたしのことを考えてくださるのは花婿の務めであると知っているからです。わたし自身を完全に忘れてしまいました。
イエスのいと慈しみ深い御心に対するわたしの信頼は限りがありません。絶え間なく主と結ばれています。
イエスはわたし無しでは幸せであり得ないかのようであり、わたしもイエス無しでは幸せであり得ないと思われます。
神であられるので、主は御自身において幸せであり、どんな被造物も絶対に必要となさらないことを、わたしは理解していますが、それにもかかわらず、主の優しさは、被造物〔のわたし〕に御自身を与えるよう、しかも理解を超える寛大さをもってそうなさるよう強いるのです。 245
我がイエス、これからあなたの御名に誉れと栄光を帰するよう努力し、あなた御自身がわたしに、十分だ! と言われる日まで戦います。
イエス、あなたがわたしにお委ねになった各々の霊魂を、祈りと犠牲をもって助けるよう努めます。それは、あなたの恵みが彼らのうちに働くことができるためです。
我がイエス、霊魂たちを偉大な愛をもってお愛しになる方よ、あなたが霊魂たちをわたしたち〔主とわたし〕の世話に委ねられた、この広大な信頼をあなたに感謝します。
仕事と単調な日々よ、お前はわたしにとって少しも単調ではない。なぜなら、各瞬間が、善を行うための新しい恵みと機会をわたしにもたらすのだから。 248
終生誓願式で話された司教様の言葉「この蝋燭を、天の光の印として、また、燃える愛の印として受けなさい」
指輪を与えるとき「わたしは、あなたをイエス・キリスト、いと高き御父の御子に婚約させます。キリストがあなたを汚れなく保たれますように。
この指輪を、あなたが乙女たちの花婿であるキリストと結ぶ永遠の契約の印として、受け取りなさい。この指輪があなたにとって信仰の指輪、また、聖霊の署名となりますように。
それは、あなたがキリストの花嫁と呼ばれるため、そして、もしあなたがキリストに忠実に仕えるならば、永遠に冠を授けられるためです。」 254
+わたしが終生誓願を立てたときに経験した瞬間ーーそれを話してはいけない。
わたしはW彼Wの内にあり、W彼Wはわたしの内におられます。司教様がわたしの指に指輪をはめておられたとき、神はわたしの全存在に満ちてくださいました。
しかも、その時のことを表現することができないので、それについて黙ります。
神とわたしの関係は、終生誓願以来、それ以前よりもっと親しくなりました。
わたしが神を愛しており、神もわたしを愛しておられるのを感じます。
ひとたひ神を味わうと、わたしの霊魂は神なしで生きられなくなりました。霊の最大の無味乾燥のうちに祭壇の下で費やされた一時間は、世間的な快楽の百年間よりもわたしにとって好ましいものです。
この世で女王であるよりも、修道院で最も卑しい下女であるほうを好みます。 昔見た不思議な夢の話です。
イエズスが統一協会の文鮮明のように結婚をマッチングしていました。
イエズスを信じるならば、好きな女を与えるという約束をしたようです。
彼らは各々好きな女性の名前をあげていきます。
一人の男がためしに私の名前を出しました。
「ピッピ・シェアトゥ」
※ 私の本名で
しかしイエズスは沈黙しています。イエズスはラフに椅子によりかかりながら聞いていましたが、私の名前には反応しませんでした。
この男が考えを変えて別の人を希望することを期待しているようでした。
私の名前を言った男はイエズスからの返事がないことでこの約束を信じないことにしました。私の悪口を言い始めたのです。
この夢を見た時、イエズスが何をしたいのか理解できませんでした。でも私を他の男にやるつもりはないのだと後で思いました。 シスターの日記をもっと紹介したいです。
しかしあり過ぎて、日が間に合うかどうか疑うほどです。
主の愛がファウスティナを恋い慕っていることを私たちはこの日記のあらゆるところで目にします。
ファウスティナはまるで大恋愛の最中であるかのように恋人に一人愛されていること、自分無しにはいられないほどその人がファウスティナを愛しているという意味のことを書いています。
ファウスティナは自分だけが特別な愛を持って追われていると解釈しているようです。
恋に夢中な乙女、恋人を見失うと不安の極みに陥る人間らしさ。
マックス・ヴェーバーの婚約者への膨大な手紙群を思い出します。
もう、好き好き好き好きそれしかない内容のような。
シスターに現れるイエズスは、ある霊魂には嫌々ながら入るが入る時を遅らせるためにシスターにその人の分まで二枚分のホスチアを与えたなどの、人間を選り好みする本音を漏らしたりしてます。 シスターは、主が入るのを嫌がる理由も知りますが、そのことについてシスターは他のところで言及することがないのですよね。
私はこういうことを聞いたら多分どうしたら嫌われる霊魂のために力になってやれるかを人間的に追求するだろうと思いますが、シスターの場合、それ以上の詮索をしないのです。
おそらくその霊魂は煉獄で苦しむだろうに。
シスターのことですから、神に委ね、祈りを信じて、それなりの気遣いをされたとは思いますが。
でも何となく釈然としなくてモヤモヤします。
イエズスは何のために選り好みしていることをファウスティナに話したのでしょうか。こんな霊魂にはならないように気をつけましょうという警鐘を鳴らすためですか? シスターが病弱と健康のどちらを主がお望みなのか訊ねたら、病弱の方でした。
私の見たてでは、ファウスティナが病気を恋しがって訊いたように思えます。
1125
’37年5月20日。まる一ヶ月間、健康を享受したとき、〔次の〕どちらが主の御心にいっそう適うのか分からないという考えが心に浮かびましたーーわたしが主に仕えるのは、病気においてか、それとも、〔一ヶ月前に〕主にお願いした逞しい健康においてかーー。
そこで、主に言いました。
「イエス、あなたのお好きなようにわたしになさってください。」
すると、イエスはわたしを以前の状態に戻されました。 テサロニケ 一
5章
11 だから、あなたがたは、今しているように、互に慰め合い、相互の徳を高めなさい。
12 兄弟たちよ。わたしたちはお願いする。どうか、あなたがたの間で労し、主にあってあなたがたを指導し、かつ訓戒している人々を重んじ、
13 彼らの働きを思って、特に愛し敬いなさい。互に平和に過ごしなさい。
14 兄弟たちよ。あなたがたにお勧めする。怠惰な者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。
15 だれも悪をもって悪に報いないように心がけ、お互に、またみんなに対して、いつも善を追い求めなさい。
16 いつも喜んでいなさい。
17 絶えず祈りなさい。
18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。
19 御霊を消してはいけない。
20 預言を軽んじてはならない。
21 すべてのものを識別して、良いものを守り、
22 あらゆる種類の悪から遠ざかりなさい。
23 どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。 昨日の『manna』詩篇85:1-13
神への賛美と懇願との関係
10
恵みとまことは ともに会い
義と平和は口づけします。
11
まことは地から生え出で
義は天から見下ろします。
12
主が 良いものを下さるので
私たちの大地は産物を産み出します。
13
義は 主の御前に先立って行き
主の足跡を道とします。
※
【天】
「恵み」とはヘブル語の「ヘセド」(変わらない愛)であり、
「義」は神ご自身の契約に対する真実さで、この二つには同じような意味があるそうです。
【地】
それに対応するのが「まこと」と「平和」で、前者は「アーメン」と同根のことばで人に信頼を生み、後者は「平和」と同時に繁栄を意味し、それらが地から生え出で成長し、
天と地が一つになるように「恵み」と「義」として「ともに会い」「口づけ」します。 本日の『manna』詩篇86:1-2、9-17
私は苦しみ 貧しいのです
15
しかし主よ
あなたはあわれみ深く 情け深い神。
怒るに遅く
恵みとまことに富んでおられます。 エンメリック17
カイファの前のイエズス
二、三の者が「こいつは、おれの病気を癒したが、あとからまた病気になってしまった。こいつは魔法で癒すだけだ。」と言った。
また主がかつて弟子にしなかったあのナザレトの若者は、わざわざここまで出かけてきて、イエズスに反対の証言をするほど卑劣きわまりなかった。 ヨハネ20章
27 それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。
28 トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。
29 イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。 イエスは、ギリシャに深入りし過ぎたのです。
ダビデの若枝とはエフライム。
ヨハネの再来とは、聖ユダ。 うっせーよ、メシア・ハデス殺しのディオニュソスが! オルフェウス指揮の雷の子ヤコブの相方ヨハネだから
ディオニュソス教主宰として俺を野次ってるのかね。
お前、大ヤコブ嫌いだろ。
んで、カイアファだな? >>976
それもそうだな。
アンチクリスト教徒で大学主席にまでたどり着いたのに
急に聖書やって落第したカスかもな。
まー、オーディンの仙台というのは複雑でな。
彼は聖シモンズなんだろうが。
イエス亡き後、使徒たちはキリストアンチのマリアのイエズス会に入って、
彼等はみんなアンチクリスト扱いさ。
ヨハネ殺しの千葉猫が怪しい所だが。 ヤコブ4:17
人が、なすべき善を知りながら行わなければ、それは彼にとって罪である。
詩篇90:12
われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください。
マルコ9:40
わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方である。 教皇ツイッター
神はそのゆるしといつくしみを世に伝える人々を必要としています #教皇 #法王 #カトリック #キリスト教 #神のゆるし #神のいつくしみ twitter.com/Pontifex/statu…
18:28 - 2018年5月21日 神の正しさに耐えられる人なんていません。
使徒の伝える正しい道を行おうとするとき、そのむずかしさに直面し、神のゆるしとあわれみといつくしみによりすがるようになるでしょう。
聖霊の助けなしに私たちは誰も完全な人生を送ることはできません。 雨が降ると寒くなる。
夢を見ない日は恵まれている。
二度寝すると変な夢を見ることが多い。
一日中、気にかかり、夢の内容について考えたものだ。
このところファウスティナにかかりきりだったので、マグダラのマリアについてまた思いを寄せた。
涙と高価な香油で主の御足を濡らすこと、ラザロの死を悲しむ時のこと、頭から埋葬のための油を注ぐこと、十字架に寄り添い辱めをともにしたこと、復活の朝。
五つの場面を思い起こす。
神の感動を呼び起こす痛悔の霊魂のことを思った。
愛される霊魂のことを。 一説によれば姦淫した罪深い女はマグダラのマリアだともいう。
七つの悪霊に憑かれていたのだから急転する人生であっただろう。
主の憩いのベタニアにいた。
主の愛される家族は、迫害をうけ外国へ出され、ベタニアにはもう戻らない。 >>961
この夢の中でイエズスはノートを手にしていたと思います。
カウチに寝そべるようにして座り、片足は立てていました。
反キリストの昔の仲間で反キリストと仲違いしていた男も、イエズスから約束を聞いたようです。彼は何度か離婚しており、現在の妻と安泰であることを望みました。半ば疑って「本当だな!?」と言っています。 神は、まだ14歳だったナザレ人の少女のもとに天使ガブリエルを遣わし、受肉の承諾を得させ、降下なさった。
少女には婚約者がいた。
まだ少女に触れない前、少女が身ごもっているのを知ると、人しれず離れようとした。
不思議な夢を見て思い留まり、少女を妻として迎え、時が満ちて彼女は男の子を産んだ。 ぴっぴ、コスモスっぽいな。
ハルピュイアの招集で集まったエクスデスです。
いまいち意思疎通ができんな。
やっぱ、ヒールスタッフ手に入れた罰ですか。
シャントット陛下はご存命ですか?
あのエウロペ教祖。 ヨセフ80歳で、処女降誕には、医学的に無理がある。
35歳あるいは40歳以上の夫たる男性は、
妻に男の子を産んで貰う、Y染色体の精子をつくれなくなる。
つまり妻が、
気を強く持ち、チンチンを押し出すように、りきんで、セックスして
(Y染色体の精子が受精し易い、男の子が生まれる、努力をして)も
女の子しか産まれない。
よって、神の母(生神女)マリヤが
男の子であるナザレ人イエスを産む可能性は、医学上ありえない。 ヨゼフ33歳です。
二人は同居していましたが疑われ(当然だ)、潔白を証明するため毒を飲まされ、荒野にしばらく追放されていたけれども、健康なまま戻ってきました。
イエズスが生まれ神殿奉献した時、預言したシメオンとアンナは、聖母の幼少時からの先生たちです。
参考 アグレダのマリアによる『神の都市』 詩篇90
13 主よ、み心を変えてください。いつまでお怒りになるのですか。あなたのしもべをあわれんでください。
14 あしたに、あなたのいつくしみをもってわれらを飽き足らせ、世を終るまで喜び楽しませてください。
15 あなたがわれらを苦しめられた多くの日と、われらが災にあった多くの年とに比べて、われらを楽しませてください。 イエスは通常な人間とは異なる特別な誕生をされています。
なぜなら神である方が人間になるのですから
http://www.nunochu.com/bible/index.html イエスは神であり人なのです、クリスマスとは神が地上で人間として私たちと同じ様に来てくださった奇跡なのです。
http://www.nunochu.com/bible/christmas/index.html 本日の『manna』詩篇87:1-7
この者もあの者も この都で生まれた
リビングバイブル
1-2
エルサレムは神の聖なる山の上にあります。
この神の都を、主はどの場所よりも
深く愛しておられます。
3
神の都については、
なんとすばらしい語り伝えがあることでしょう。
4
友人たちと話していると、エジプトやバビロン、
ペリシテやツロ、さらに、はるかエチオピアの名前が
話題に上りました。
それらの国の生まれだと誇らしげに語る者がいました。
5
しかし、いつの日か、エルサレムの生まれであることが
最高の栄誉となる日が訪れます。
あらゆる神々にまさる神が、格別にこの都に目をかけ、
祝福してくださるからです。
6
エルサレム出身者は国籍を登録するとき、
主から特別なしるしをつけていただくでしょう。
7
祭りの日には、人々は、
「ああ、わが心のエルサレム」と歌うでしょう。
※
イスラエルの敵だった国
→ラハブ、エジプト
エルサレムを滅ぼした国
→バビロン
イスラエルの仇敵
→ペリシテ
イスラエルの北に位置する繁栄都市
→ツロ
当時の世界の南端
→クシュ(エジプト南のエチオピア) >>995
新改訳 2017
詩篇87:4
「わたしはラハブとバビロンを
わたしを知る者として記憶しよう。
見よ、ペリシテとツロ、クシュもともに。
『この者は この都で生まれた』と。」 >>923 です。
参照個所は、https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1500858788/242n
現在は、日本基督教団の旧讃美歌や
日本聖書協会の今日の聖句の黙読、https://www.bible.or.jp/read/seiku.html
カトリック教会の毎日のミサや
日ごとの福音の黙読に、
朝夕にミサ式の主の祈りや、
毎食ごとの正教式の食前の祈りを、
家庭礼拝的に、牧師を持たない無教会的に、している。
信者に成りたくない一方で、教会の附属病院や介護施設目当ての、
老後の世話をして欲しいばかりの、なんちゃってクリスチャンで、
どの教会に帰依するか、いまだ考え中である。 サバ缶がなぜか大人気だという。
(TBSニュース)
私もサバ缶派です。
ツナ缶の油っこさが苦手で、以前からサバ缶ばかり。
でも売り切れ続出するほどにはないよ。
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