2014年(主日A年) 10月5日 年間第27主日
イザ 5:1〜7  フィリ 4:6〜9  マタ 21:33〜43

「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。」(フィリ v.6)

現代の教会は、世界のこと、社会のこと、貧しい人々や難病に苦しんでいる人、災難にあって困窮している人、各地の紛争によって次々に生ずる難民たちのこと等々で、大いに思い煩っています。
“何とかしなければならない” という責任を現代の教会は負わされているという強迫観念に、キリスト教界の多くの論者たちが囚われているように見えます。

しかし、教会は約束された終末的嗣業の “キリストと共同の相続人” であって、このキリストの再臨の日を “忍耐して待ち望む希望”(ロマ 8:24-25)によって、救われているのです。
今朝の朗読部分が、その直前の 「主はすぐ近くにおられます」(フィリ 4:5)を前提にしていることを理解しましょう。
この部分を口語訳では 「主は近い」 と直訳していました。
フランシスコ会訳では、現代の私たちに理解させようとして説明的に、「主はもうすぐ来られます」 と訳した上で、これに “恐らく初代教会の典礼式文の一表現であろう” という訳注をつけています。

現代のローマ典礼の式文で私たちは、「主の死を思い、復活をたたえよう、主が来られるまで」(記念唱)、「わたしたちの希望、救い主イエス・キリストが来られるのを待ち望んでいます」(主の祈り)、と唱和します。
ミサを通しての私たちの交わり、つまり 「御父と御子イエス・キリストとの交わり」(Iヨハ 1:3)からこそ、教会とキリスト者の “良いぶどうという収穫を納める行為” が流れ出、
しかも同時にまた、それがミサに向かって秩序づけられるのだということを(ミサ総則 1)、真剣に考えようではありませんか。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より