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ルーテル教会3 [無断転載禁止]©2ch.net

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0096老クリスチャン
垢版 |
2017/10/06(金) 11:14:39.08ID:Rl2vyy7Z
2011年(主日A年) 10月2日 年間第27主日
イザ 5:1〜7  フィリ 4:6〜9  マタ 21:33〜43

イスラエルはその嗣業の民としての従順に、ついに成功しませんでした。
「彼らはつまずきの石につまずいたのです。」(ロマ 9:32)
彼らは主が 「収穫を受け取る」(マタ v.34)ことを拒否しました。

「わたしの息子なら敬ってくれるだろう。」(マタ v.37)

父の 「独り子」(ὸ μονογενής υὶός ヨハ 1:14,3:16)、「愛する子」(ἀγαπητός マコ 1:11,12:6)は、その嗣業を受け継ぐ 「跡取り」(マタ v.38)であり、
彼らは 「さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう」(マタ v.38)と言って十字架にかけてしまいました。

「だから、言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。」マタ v.43)
0097老クリスチャン
垢版 |
2017/10/06(金) 11:16:21.65ID:Rl2vyy7Z
(つづき)
それで ・・・・・ 、今日の異邦人キリスト教会が古きイスラエルに代わって、もっとましな嗣業の民になったと単純に考えるなら ・・・・・ 、それは全くの誤解でしかありません(ロマ 11:28-29 参照)。
異邦人である私たちはユダヤ人と共に罪の下にあり(ロマ 3:9)、生まれながら神の怒りを受けるべき者であった(エフェ 2:3)という厳粛な事実に直面ることなしには、“御子に関する福音”(ロマ 1:3,9)は理解出来ないからです。
古きイスラエルだけの話ではなくて、教会も、自らの回心によって “良いぶどう畑、あるいはぶどうの木” に変身することが出来たなどというお目出度い話は、聖書には全く存在しないのです。

イエスが 「わたしはまことのぶどうの木」(ヨハ 15:1)と言われたのは、今やイエスこそが新しいイスラエル、真のぶどうの木になられたという意味であり、「このキリストのお陰で」(ロマ 5:2)教会は 「その枝」(ヨハ 15:5)にならせていただいたということです。
教会は神の国の 「キリストと共同の相続人(συγκληρονόμοι)」(ロマ 8:17)とされたのであって、それは厳密な意味で終末論的に理解されねばなりません。
私たちを律法の支配から贖い出して、神の子としてくださった御子をこそ(ガラ 4:1-7)、賛美しようではありませんか。

私たち教会は、「御国を受け継ぐことの保証」(エフェ 1:14)である 「初穂としての霊」 をいただいているけれども、なお 「神の子の身分、つまり、体の贖われることを待ち焦がれて」(ロマ 8:23/フランシスコ会訳)いるのです。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
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