<超越的ビジョンの眼>が開くのは、どこでもない「そこ」においてです。芸術の道においてそれは、まさに
あの瞬間(ジェじぇエームス・ジョイスを引用すれば)「美の全体性によってとらえられ、美の調和によって魅惑された心がこ
ういう至高の徳性、審美的映像の明るい光輝を輝かしく認識する瞬間〔・・・〕審美的快楽の輝かしく静寂な状態」に他なり
ません。インドではこの状態に到達することがヨーガの典型的な目標とされています。それはさまざまに記述されていますが、
究極的には涅槃と呼ばれるものです。これは天国のような場所としてではなく、(情念)、(像悪、?)、(そして(迷妄)という
心の三重の火が消えることとして理解されなければなりません。・・・という語は「吹く」を・・は「消す、吹き消す」を意
味しており、文字通り解釈すれば「吹き消された、過ぎ去った、消滅した」という意味になるからです。
では「吹き消された」ものとは何でしょうか。輪廻転生思想の関連から言えば「吹き消されたものとは」再生の
衝動および欲求であり、それゆえにこの意味では生(未来の生)が吹き消されたものだと言えるでしょう。しかし現在の生との
関連では生ではなく.欲望.嫌悪ないし恐れであり.またそれらが喚起して代表するところの無知ないし妄想です。これらは
すでに見たようにまさしくジョイスが非本来的芸術の特徴と認めた動的な性格を持っています。他方本来的な芸術は眼と精神
の静的状態を呼び起こします。眼と精神は「引きとどめられて」私たちの物の見方を偏らせ曇らせる諸要素を「超越したとこ
ろへ高められる」とジョイスは言います。ここから神秘家の道と「本来的な」芸術家の道には実際には関連がある.という
結論が導かれます。実際東洋では両者は同一なのです。唯一の相違は.神秘家には技術がないというだけです。
?まあ修行して小乗もらった人はまあ僧なんだろうけど我々衆生は大乗部かと心配で安心がない生活が苦しいと昔は創価学会
にはいり助け合うから任せなさいと布教されたのか?日蓮関係は浄土真宗よりキリスト教関係の様だなあ産めよ増やせよ地に
満てよは生物の本能丸出し