>>818  A ちゃん

ヨシュア さん、

硬いパンはヨシュアさんの体、
葡萄酒は、ヨシュアさんの血。

これをいただく。

食べるとまさに、神そのもの。

ボランティア と言うと日本では、善行だろう。

神の代理人と言うか、神だったらこう言う事をひとになすであろうことをお手伝いする、という宗教行為なんだろうね。

ユダヤ教徒が死後、神の前で問われる、という。
あなtらは、聖書に書き食われる新しい発見を一つ、云いなさい。
このようにして、古い皮衣(ふるい かわごろも) は常に新しいものになっていく、という。

日本のあのふにゃ増やした菓子パンは、とくにヨーロッパ人にとって、パンではない、と言う。

八百万の神々を崇拝する我が国民にとって、神を頂く食べ物、飲み物ってあるだろうか。

以前、横綱・朝青龍 が、モンゴルの平原で馬乳酒を飲む前に親指と人差し指で馬乳酒をはじいて、まず神にささげたのち、呑みほs字ている光景を見る事があった。

また日本では、マタギ と言う狩猟民族がこれから山に入ると言うとき、供物をささげてから山奥深く入っている光景も見た。

わたしたちは、太陽のエネルギーの別れであるが、ありがとう、いただきます、と感謝しているだろうか。

神によって生かされていると、
仏によって生かされていると、
感謝の実感を持っているのだろうか、