碧巌録(へきがんろく) 第99則? 粛宗?(しゅくそう)の十身調御?(じつしんちょうご)   
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試(こころ)みに挙(こ)す看(み)よ

本則
粛宗帝(しゅくそうてい:唐の第7代皇帝粛宗)が、忠国師(ちゅうこくし:南陽慧忠) に問う、「いかなるかこれ十身調御(じつしんちょうご)?」。
国師云く、「檀越(だんおつ):布施をする在家仏教信者。ここでは粛宗を指す)、毘廬(びる:毘盧遮那仏。大日如来。)の頂上を踏んで行け」。
帝云く、「寡人(かじん:王侯が自分をさしてつかう謙譲語) 不会(ふえ)」。
国師云く、「自己清浄法身を認むることなかれ(自分を聖人天子だと見てはいけない)」。


十身?(じつしん):??華厳経に説く十種の仏身
調御?(ちょうご):??仏の十号の一つ、調御丈夫?(ちょうごじょうぶ:??どのような人がどのように救いを求めても上手く悟りへ導く教者)
十身調御?(じつしんちょうご):??十種類の仏身全てを備えている理想的な境地
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本則:
粛宗がある日、忠国師にたずねた、「十身調御(ちょうご)の仏とは何ですか?」
国師は云った、「檀越、ビルシャナ仏(大日如来)を超越して行きなさい」。
帝は云った、「私には分かりません」。
国師は云った、「自分を聖人天子だと思うのは妄想ですぞ」。

第九十九則 肅宗の十身(じつしん:華厳経に説く十種の仏身)調御

擧す。
肅宗帝、忠國師に問う、如何なるか是れ十身調御。
國師云く、檀越、毘盧の頂上を蹈み行け。
帝云く、寡人會せず。
國師云く、自己の淨法身を認むること莫(なか)れ。

本文 現代訳語
粛宗帝 (しゅくそうてい)、忠国師に問う、『如何なるか是れ十身調御 (じつしんちょうご)』。
国師云く、『壇越 (だんのつ)、毘盧 (びる) の頂上を踏み行け』。
帝云く、『寡人 (朕) 会 (え) せず』。
国師云く、『自己の清浄法身を認むる事莫 (なか) れ』。

〇 幸いにも私は、内と外に向かうほとけと言う人格的存在はないのだ、と言っている。
  小五の胸に金の立像を見たので、死の恐怖は無くなった。
  30を過ぎて、片手の人が叩く拍手の音を聞き、
  50を過ぎて、聞こえないになった。
  ただ、思いあがる事は、皆無だった。
  聖人ではない事のありがたみである。