質問者    私はときどき、空間自体が私の身体だと感じることがあります。
マハラジ   「私は身体だ」という幻想に拘束されているとき、あなたは単なる空間のなかの一点、時間のなかの一瞬でしかない。身体との自己同一化がもはやないとき
       、すべての時間と空間は自然のなかに反映された気づきとして、また意識のなかの単なるさざ波として、あなたのマインドのなかにあるだけだ。気づきと物
       質は、純粋な存在のなかの活動的側面と受動的側面だ。それはその両方であり、そのどちらをも超えている。時間と空間は、普遍的存在の身体とマインドだ
       。私の感覚では、時間と空間のなかで起こるすべては私に起こり、すべての体験は私の体験であり、すべての形態は私の形態なのだ。私自身だと見なすもの
       が私の身体となり、それに起こるすべてのことが私のマインドとなるのだ。しかし宇宙の根底には、空間と時間を超えた今ここにある純粋な気づきがある。
       それをあなたの真の存在だと知りなさい。そして、それにしたがって行動しなさい。
質問者    私が何であると見なすかが、行動においてどのような違いをもたらすというのでしょうか?
マハラジ   環境や条件は無知を支配する。実在を知る者は強要されない。彼がしたがう唯一の法則は愛だけなのだ。