この場合の軋轢とはなにか。
それは、我と我による軋轢である。
いわば、道標で殴り合う異次元殺法である。
我など無いと夢から覚めたならば、他人の我を咎める動機もおちたはずである。

我を捉える一般的手段坐禅が役に立っていないのである。
自動的におこる機械的な反応を、ただ眺め傍観する、というのがいい感じな方法である。
ショカンをトウカするとかいう、呪文にとらわれても無駄である。