一応、ダンマパダやスッタニパータなどで、何故バラモンやヴェーダなどに大徳が言及してるのか、種明かししておきます。

当時の仏教教団は、大徳釈迦牟尼世尊を中心に、勢力としては新興勢力でまだまだ出来たばかり、
旗揚げしたばかりの無名集団だった、それ故に例えば「八正道」と教えたとしても、人々は何を基準として正しい根拠と出来るのか
それ自体がまだまだ分からず、しかも当時の正しき基準は「バラモン教」で、正しき人とされてたのは代々バラモンの家に生まれた人
古代インドのカースト制では頂点に位置する家柄の人だけが、正しく穢れの無い人と考えられてたんです。
百姓の家に生まれた人は、どんなに頑張ろうが王族なんかとは結婚も許されず、どんなに聡明だったとしてもバラモンになる事は出来なかったんです。
そう言う時代背景の中で、王族に生まれ育った釈迦は、暮らしが嫌になったので妻子を捨て夜逃げして出家比丘になって悟って
「人は生まれによってバラモンになるのではない、行いによってバラモンにも卑しき人にもなるのだ」と教えたのであって
バラモンになる事を勧めた訳でもなく、ヴェーダを読む事を勧めた訳でも無いのです。

ダンマパダやスッタニパータなどの成立時代は、バラモンを比較の対象にしなければ民衆には理解できなかっただけなんです。

鬼和尚は時代錯誤も甚だし過ぎます。

初期仏教や初期経典・部派仏教などが、大乗グループから区別される様になった経緯も、
古代インドの習俗をそのまま引きずる輩が絶えなかったので区別されるようになり、或いは小乗教と言われ差別すらされたんです。
大乗は古代インドの習俗は極力排除され、全て方便で経典が成り立つ、時代を超えられる経典群となっているんです。
それはヴェーダ教典すら及ぶところではありません。

この辺の理解が出来ない以上、鬼和尚の悟りとやらは自称、詐称の類を免れません。
まあ、パーリ版の梵網経と涅槃経を認められないのですから推して知るべしでしょう。
外道は軒並みこの文献を否定して止みませんから。