>>351->>354 あいかわらず勘違いが激しいのう。
 おぬしは実践はせず、学ぶこともしないと広言した故に放って置いているが、最初から勘違いばかりなのじゃ。

 昔、勘違いばかりしているバラモンがいたのじゃ。
 そこへ正しい悟りを得た鬼のような和尚がこのようにいったのじゃ。
 「お釈迦様は修行する者はみんなバラモンじゃ、と言ったのじゃ」
 すると勘違いするバラモンは、
 「それはアドバイタじゃぁぁぁアウアウアー」
 と叫んでえびのように跳ね回り、地面に激しく頭を打ちつけ転げまわったのじゃ。
 鬼のような和尚が放って置いていると、
 「アドヴァイタはシャンカラじゃぁあああアウアウアー」とか。
 「外道じゃぁぁぁぁアウアウアー」
 「パーり語の梵網経じゃアウアウアー」
 とか次々に叫びながらえびのように跳ね回り、地面に激しく頭を打ちつけ転げまわったのじゃ。
 そして最後には不常見の穴、断見の穴に落ちて死んでしまったのじゃ。
 
 わしはアドヴァイタであるとかシャンカラの説が正しいとは一言も語っていないのじゃ。
 お釈迦様が修業する者は皆バラモンと語ったブラフマンについて語ったヴェーダを学ぶことも語ったと、教えたのじゃ。
 するとおぬしが勝手に妄想し、それはアドヴァイタであるとか、シャンカラは五世紀とか妄想をはじめただけなのじゃ。
 ブラフマンを常見、不断見とするものこそ外道に陥っているのじゃ。
 ヴェーダとお釈迦様の教えは完全に整合し、正しい道を示しているのじゃ。
 ヴェーダを学ばないと語ったおぬしには永遠にわからない話であろうがのう。