あと仏教は「苦の滅」につきる、これに異存はございません。
しかし、無我・・・我は存在しないと我は思うことで苦は滅すでしょうか。

仏教が成立する前は、我=アートマンという誤った解釈により、自分と宇宙は同じものだという狂った思想(梵我一如)が究極の悟りだとされてたんですよね。
釈迦は、そうではなく逆転の発想で本物の悟りを得たのではないか。
それは、一切を無我=アートマンとして見ることで、主体をなくし苦を滅する道を示したことです。
つまり諸法=一切は無我=アートマンであるという見方です。
我ではなく、この世の諸々の存在はアートマンである、要するに宇宙全体=ブラフマンと同一であるです。

梵我一如という独りよがりの悟りでは、個人を救えても全体は救えません。
仏教はアートマンを無我と表すことでインド思想を人類を救済する世界宗教に生まれ変わらせたと。

話をもどします(´・ω・`)
仏教はアートマンの有無を説かないとありますが、違います。
釈迦は諸法無我としてアートマン自体をハッキリと有ると定義してます。
肝心なのは、アートマンとは何か?これについて経典は何も語ってないということです。

それは諸法無我・・・一切をアートマンと見る方法で苦が無くなり悟りが開ければ良いのであって、肝心のアートマンが何であるかなどどうでもいい、答えが無いというスタンスです。
(しかしアートマンが形を変えて、業や法に実体があるとして議論してる宗派や論もあるらしいですが、素人で詳しくないので割愛)

・・・わかってくれましたかパーピー(´・ω・`)?