一心一切法、一切法一心
心とは、山河大地である。となる。けれども、それが、相対的な概念化の上でなされる判断だとすれば、道元の立場は異なる。

一つの心が一切の存在するものを作り上げ、一切の存在は一つの心から成る。
そうであるが、ここで確信することは、それより前に進めば、足りないところが出てくるし、
後ろに退けば余計ものが出てくる。山河大地は、山河大地のみである。そのほかに、なんの波浪も風煙もない。
生死去来は生死去来のみである。
更にそれと別に、迷いも悟りもない。