2002年(主日A年) 6月23日 年間第12主日
エレ 20:10〜13  ロマ 5:12〜15  マタ 10:26〜33

マタ vv.26-27 は特にその前後関係から判断して、マタイ福音書はこれを使徒たちへの宣教命令として理解しているのが分かります。
使徒後の時代の教会は、この使徒たちへの主の命令を受け継ぎました。
キリストの福音を宣教することが、歴史の教会が常に真の教会であり続けるための重要な要素であることを、私たちは今朝このマタイ福音書のテキストから学ぶのです。
キリストの福音が覆われたり隠されたりしないように、教会はこれを 「明るみで」 「屋根の上で」 宣言しなさいと、主は聖書を通して私たちに語りかけておられます。

私たちがそこで生まれ育った20世紀の教会では、実際に福音は覆い隠されていて、まるでブラックボックスの中にでも入れられているかのように、その正体がさっぱり見えないというのが、多くの一般の信者たちの実感でありました。
あえて真剣にキリストの福音を聞き取ろうと願っても、それは暗闇の中にあって手探りして探し求めねばならず、耳打ち状態のかすかな声に聞き耳を立てて、とぎれとぎれに聞き取らねばなりませんでした。
しかし今は覆われており今は隠されているキリストの福音を、暗闇の中から探り出し聞き耳を立てて聞き取って、21世紀の教会に向かって明瞭に語り伝えることこそが、私たち現代のキリスト者に求められているのです。

あなたはキリストの仲間ですか ?  それともあなたはキリストを知らないという者たちの仲間なのですか ?

「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。 むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」(マタ v.28)

それは 「キリストの裁きの座」(IIコリ 5:10) を指しています。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より