2002年(主日A年) 6月2日 キリストの聖体
申 8:2〜16  Iコリ 10:16〜17  ヨハ 6:51〜58

今日我が国の多くのカトリック教会で、主日のミサに第二奉献文が用いられることが多いようです。
これは215年頃のローマのヒュッポリトスの “使徒伝承” にある祈りを、多少修正して採用したものです。
“ともにささげるミサ (ミサ式次第 会衆用)” には、上段に第二奉献文、下段に第三奉献文が印刷されていますが、この第三奉献文はローマ典文をより伝統的な構成に再編したもので、これを主に用いている教会も少なくありません。

「キリストの御からだと御血にともにあずかるわたしたちが、聖霊によって一つに結ばれますように。」(第二奉献文)
「キリストのうちにあって一つのからだ、一つの心となりますように。」(第三奉献文)
このようにミサは、これに参加するすべての人を一つにします。

「(キリストの体である) パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。」(Iコリ v.17)

これがキリストの聖体の神秘です。

「イエスは言われた。 “はっきり言っておく。 人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。 わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。”」(ヨハ vv.53-55)

私たちキリスト者は、主日のミサをともにささげる度ごとに、この主イエスの言葉を新しく聞かされているのです。
新約の大祭司となられたキリストは、司祭を御自分の代理者として用いてミサを司どらせ、その御言葉によってこれを支えておられるからです。
祭司職の制定が記念される聖木曜日の聖香油のミサの叙唱の中で、「司祭はキリストの名によって人々のために過越の食事を整えて救いのいけにえをささげ、ことばと秘跡によって神の民を力づけるように召されています」 と述べられている通りです。

・・・・・ 以下、本文参照。
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