>>805
また古代ヒンドゥの伝承由来に固執して、身体の外に意識体があると
妄執しているよね
長部経の中で、それらは、色受想行識の範疇の接触を縁としていて、
かれらが接触もなく感知できるという、この道理は存在しないと説かれ、
それは、渇愛に囚われた者たちとある

三昧は作られたものであり壊滅するものとあり、三昧の体験のその実体視は、
意識誘導されたもので、言語の消えた心的状態は。事物、自他の区別もなく
誤解が生じやすく、都合よく意味づけをしてしまうものです

「われには、われが、かつて存在したという思いもないし、
またわれには、われが未来に存在するであろうという思いもない。
潜在的形成力は消滅するであろう。ここに何の悲しみがあるであろうか。」
仏典テーラガーターより、これこそマインドフルネスらしい