まずあなたが誰なのかを見出しなさいと言うのである。私は誰か?どうして私はこの生の過ちを手にしたのか?
と尋ねれば、私は静まり、真我を実現するだろう。もしこの探求を正しく行えば、過ちという観念は消え去り
平和が得られるだろう。なぜ得る必要さえあろうか?

真我はあるがままに在るのである・・・
行為者である私とは誰か?誰がカルマを始めたのか、、
と問うことで、自己の真理を知ること。

それがカルマの本質である。カルマを為す自我が探求によって消去されるまでは、カルマヨーガの報いである至福の平和を達成することはできない。
もし。。私が唱名をしている、、という感覚がなければ、犯した罪も彼から離れていくだろう。
もし、、私が唱名をしている。。という感覚がそこにあれば、悪行の報いは彼につきまとうだろう。