カトリック教徒が励まし合う場所3 [無断転載禁止]©2ch.net
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2008年(主日A年) 11月16日 年間第33主日
「あなたがたはすべて光の子、昼の子だからです。 わたしたちは、夜にも暗闇にも属していません。」(Iテサ v.5)
洗礼の秘蹟によって新しく生まれたキリスト者は、なぜ光の子と呼ばれるのでしょうか。
それはキリストの福音を聞いて、信じて、贖われ、罪を赦されて、御国を受け継ぐ希望を保証されたからです(ロマ 10:17、エフェ 1:7、コロ 3:1-4)。
この福音こそが、まさにタラントンの譬え話の “委ねられた能力と賜物” であって、従って 「持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる」 のです。
ですから 「眠っていないで、目を覚まし」(Iテサ v.6)と強く勧告されていることを理解しましょう。
洗礼を受けてカトリック信者になったという肩書きを守ることに、つまり落ち度なく教会の教えに従う信者であることで足れりと考えて、ひたすら善良な生き方をしようと努力しているだけでは、
もしかするとその日には、「怠け者の悪い僕だ」 と外の暗闇に追い出されることになるかもしれません。 (つづき)
振り返って私たちは、初めに聞いた福音を今はもっと深く理解するようになり(エフェ 1:17-19)、
「神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか」(エフェ 1:18)を、説明できる程に成長しているでしょうか(Iペト 3:15)。
また 「キリストに結ばれ、あらゆる言葉、あらゆる知識において、すべての点で豊かにされ、 ・・・・・ キリストについての証しが確かなものとなって」(Iコリ 1:5-6)いるでしょうか。
「光の子、昼の子」(Iテサ v.5)とは、そういう人のことではありませんか !!
私たちはただの善良な、しかしキリストの福音に関しては “眠っている者”、“暗闇に属している者” であっては、断じてなりません。
・・・・・ 以下、本文参照。
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