>>78
>今までの知識に当て嵌めて理解ではなく、そのまま聞く感じ?

「今までの知識」 というのが、仏典の言葉や悟った人に由来する知識なら役に立ちます。
ところが、悟りを知らない人から出た言葉や科学的な理解などは害あって益なしです。

>>53-55
>これは実証できますか?

実証も何も、神道系の霊能者たちにとっては常識のようなものでしょう。
私も死者からメッセージを受け取ったり、何回かの幽体離脱体験の中で
死者が沢山いる霊界に入った経験がありますから、私にとっても常識です。

作家の三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地(現在の防衛省)で割腹自殺をした
数時間後に、三島の友人が住職をしていた静岡の有名な禅寺に三島の霊が姿を
現し、それを住職や他の禅僧たちが目撃したという話は有名です。そのことを
住職が著書に書いて当時は騒がれたものです。

ただ、精神世界のことは最終的には一人一人が自分で体験して初めてわかる
ものです。「悟り」 にしても、そういうものが本当にあるかどうかは 「悟り」
を体験した人だけにわかるものですから、科学的な実証というのは意味がない
とも言えるでしょう。

>認識が、実体を含んでいる立場ですか?

実体などと言っても、自分の認識の中にしか存在しないということですね。
最初から外部にあって、それを認識するのではなく、認識した時点で生じるもの
だということですね。(これは、時間概念が妄想であることの理解が基礎にあって
初めて成り立つ理論ですから、先ず、その体験・理解が重要になります。)

>宇宙とか人とか、そういった言葉を使った時点で、すでに認識が含まれているから、・・

言葉は関係ないのですよ。言葉がなくても認識(意識すること)はあるのですから。
(広い意味での認識ということです。)