【不安障害治癒】「無我」の教え Part.2 【仏教、悟り】 [無断転載禁止]©2ch.net
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仏教、 無我の教え、悟り、森田療法により神経症(不安障害)は治せる
という話をしている無我さんのスレです。
※前スレ
【不安障害治癒】「無我」の教え【仏教、悟り】
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1462873365/ >>748
空虚 虚しさ 言葉って難しいですね 今の状態はネガティブな感情は全くありません ただ楽なだけです
確かに飛び上がって雄叫びを上げて喜びを表現するようなことはもうないかもしれないです
逆に悲しみや怒りで我を忘れるようなこともないと思います
ただ それはこの瞬間の話でこれからどうなるかはわかりません
あんまり脱線しすぎてもいけませんのでこのへんで
言いたいのはここを訪れて思い立って挑戦を始める人は 無我さんとも私とも違うその人だけの過程を経て
何かを理解する可能性があるということです
私は人生に納得がいかないので足掻きました 無我さんの他 少なくとも数人の方が同じように何かを理解した
実例を知っています それを言いたかったんです >>749
>ちなみにこんな書き方をすると心のない人間のように見えるかもしれませんが
いや、思わないですよ。
母親から離れようとか、悪く言えば放っておこう、見捨てようと思うような状況だったのかもと想像します。見当外れかもですが。
聞いて良いのか不明ですが、749さん自身は、人生を上手くやっているんですか?
恋愛、結婚、子育て、仕事等々。
僕は仕事はやっと落ち着き始めたくらいで、恋愛等はまだ難しい感じですね(笑)
なんかほとんど廃人だった以前よりは、いろいろマシな気がするんですが(^-^; >>750
>今の状態はネガティブな感情は全くありません ただ楽なだけです
きっと神経症及び、苦しみも無くなった(軽減した)という感じですね
>あんまり脱線しすぎてもいけませんのでこのへんで
いえ、脱線というか、貴重なお話だなと(^-^; >>751
うーん 他人から見て順風満帆かはわかりませんが 好きなように生きてきました 後悔することもほとんどありませんでした
やり残したことは1つぐらいでしょうか 深層意識のことは自分でもわかりませんが
憧れていること やってみたいことは全てやり終えることをお勧めします でも心身と相談しながら無理なくですね
飽きるぐらい恋愛して下さい 恋愛からは非常に多くのことを学べると思います >>749
あなたは輪廻を断ち切ったのだ。
母親の歪んだ愛情はおそらくその母親自身の幼少の頃の心の傷が今も癒されず脈々と息づいている事の表れなのだろう。
親から見捨てられたかの様な経験
かまって貰えなかった事への不満
近年取り沙汰される虐待やネグレクトは
子供にとって深刻な心的影響を及ぼす。
それらは世代間連鎖を生みネガティブな感情は輪廻のかたちをとって受け継がれて行く。
そして今、あなたは母親の中の傷ついた子供を癒してあげているのだ。
あなたの慈悲は世代を越えて広く行き渡る。 >>753
>憧れていること やってみたいことは全てやり終えることをお勧めします
『やり終える』って、ちょっとやってみるではなく、没頭してみろということ?
>飽きるぐらい恋愛して下さい 恋愛からは非常に多くのことを学べると思います
したいんですが、なんかブレーキが強くて。
求める気持ちと怖さの狭間で身がすくんでしまう感じですね。 >>756
>『やり終える』って、ちょっとやってみるではなく、没頭してみろということ?
「生存は尽きた、清浄行はすでに確立した。為すべきことは、すでに為し終わった。もはやこのような状態に戻ることはない」
このように独白できるまでになれば『やり終えた』と言える >>756
そうです やり終えるんです と言ってもこれまでやり終えてきたのではないですか? 砂場で遊んだりゲームしたりその他にも昔は熱心にしたけど今はもう飽きてその当時ほど熱心にできないことが多いのでは? 悩みも解決したいことも移り変わってきたのではないかと想像します
恋愛は自分を大事に 傷つかないように立ち回ることがうれしs 恋愛は自分を大事に 傷つかないよう立ち回るのが嬉しさ 苦しさ その他色々なものを生み出すと思います もう面倒だわ と思えるぐらい恋愛できると良いですね それなりに欲に素直に生きることも良いと。
そして飽きて仏道に入るみたいな感じか。
確かに理想かも。
しかし、神経症で欲に素直に生きられないから仏道で進展をはかると。
しかし仏道をそれなりに体得すると欲は変化すると。
う〜ん、と。 悟りって一つの方向しかないんですかね?
つまり、禅的な心身脱落みたいな身体から離れる方向性と、
クンダリーニ的な身体に徹底してこだわった方向性と、
いくつもあるってことはない? >>757>>763
コピペするなよな
人間自体がコピペになるぞ >>763
その辺りは一生答えが出ないのではと思いますよ 私の感覚ではどの方法も ある一瞬の心身の状態を作り上げるために考え出された方法論だと思います
確かに身体のエネルギーに着目した方法 自分を観察する方法 禅的な方法 無我さんが進められる仏教書に触れる方法 哲学的問題を究極まで突き詰める方法 完全に神などに帰依する方法 自分を完全に捨てるような自己嫌悪による方法
思いつくだけでもたくさんあります たくさんりますが人との出会い 自分がこれだ!とピンとくる方法 これらの方がはるかに影響力は強いのではないかなと思います >>759
やり終えるってかなり難しいことだと思うんだ。
749さんは能力や境遇で出来ない場合はなかったんですか?
一つだけやり残したことは何ですか?
聞いて良いか分からないけど(^-^;
>>766,764
方法論(到達するルート)はいくつもあるが、到達点は同じですかね? >>768
やり終えるの意味は 興味が無くなる という意味ですので失敗 成功はどうでも良いと思います まあ成功することは絶対にないんですが
ですから総理大臣になりたい! 勉強する 良い大学に入る そこで自分より能力もコネも比較にならない人達と出会って完全に諦めて興味が無くなった でも良いんです
私の場合はまだ死ぬのは惜しい気がする というのが一つ残っています ですから衣食住が維持できなくなるのはマズイ という感覚があります
到達点はどうなのかわかりません 自分で確かめるしかないと思いますよ 恋に趣味に
自分なりにいろいろやり尽くして
はあー死んでもいいやー
→悟り? 恋も趣味も全然やらずじまいで、
欲求不満
でも私には仏道があるのだからーー
→偽悟り? 恋愛や仕事、家族を持ったり、普通の日常を送れなかった人間の悟りは、確かに胡散臭いんだよな 15年程パニック障害に苦しんでるんですがどうすれば治りますか? >>775
何が苦しいですか? 苦しみの原因に心当たりはありますか? 少しの事で癌かもとか脳の病気かもと心配になりずっと抜けずにいます
どうしたら良いでしょうか? キャリコネ編集部
クロス・マーケティングは9月18日、たばこに関する調査結果を発表した。調査は、今年9月にインターネットで実施。一都三県(埼玉、千葉、東京、神奈川)に在住する20歳〜69歳の男女2000人から回答を得た。
現在の喫煙状況を聞くと、「喫煙習慣があったことは一度もない」(58.1%)が最多で、半数を超えた。以降、「現在喫煙習慣がある」(22.3%)、「過去喫煙習慣があったが現在はない」(19.7%)と続く。
喫煙する理由1位は「気分転換」(52.4%)、2位は「リラックス」(45.1%)、3位は「生活の習慣」(44.5%)だった。
次いで、「ストレス解消」(40.4%)、「口寂しい」(24.1%)、「喫煙者同士のコミュニケーション」(14.7%)がランクイン。喫煙は気晴らしやリフレッシュの効果があるようだ。
非喫煙者「増税した分で分煙の設備を沢山作って欲しい」 過去のかほぼボンボンのあまえの教えがあるから
甘ったれたやつが出てくるのか
甘ったれたやつがいるからこんなものが重宝するのか .シ ⌒ ミ
暑いね ('・ω・`:)
ハ / ヽ
. ミ_|ニ.イ゚ ゚ | |
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∧_∧ | .iuj |╯
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(.つ旦C' | .| | .|
と_)_) /_ノ ヽ.〉 (>>586)
>臨済禅師が弟子たちに向かって、「われわれのこの身体の中に、一人の形の限定できない真実の人(にん)がいる。彼≠ヘ、朝から晩まで五官を通して出たり入ったりしている。
そいつをまだ見たことがない者は、見よ、見よ」と言われた。これこそ禅者が求めるべき、「真実の自己」なのだ。
西田幾多郎という哲学者の代表的論著『善の研究』の序文に、「個人あって経験あるにあらず、経験あって個人あるのである」という難しい一文が見える。
われわれは誰でも、「自分」が花を見たり、月を眺めたり、鳥の声を聞いたり、あるいは雪を冷たいと感じたりしていると思っている。しかし西田はそうではない、と言うのである。
西田に言わせれば、「個人」が花を見たり月を眺めたりするのではない。むしろ逆で、花や月を見て美しいなあと経験することによって自己が形成されるのだと言う。
今朝は寒くて外へ出るのは嫌だなあと思ったとき、寒いと感じる個人(自分)ができ上がる。そのように、自分という個人は、一瞬、一瞬、違った内容の個人として生き続けている。
決して個人というような確固不動な実体はない。個人は「存在」ではなくて「生成」、つまりいつも進行形なのである。
頬を抓ってみると、確かに他人ではない個体としての「自分」がある。しかしこれはもともと母の胎内から生まれ出たもので、やがて死ぬと棺桶に入れられる「肉の固まり」に過ぎない。しかし「私は」という自我意識が、その事実を見失わせる。
木や石と違って人間には「意識」があり、その意識が他人ではない「自分」を自覚させている。こうしてわれわれは自我意識を「自分」だと勘違いしている。
意識は鳥の声とか、花の色というような外界のものが、感覚器官に入ってくる瞬間に起こるものであるから、もし何にも入ってこなかったら自我の自覚もないであろう。
こうして「自己」というものの内容は、肉の固まりと感覚器官を通して入ってくる経験によって成り立っているのである。
道元禅師はこのことを「本来の面目」(真実の自己)と題した歌で、「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて冷しかりけり」と歌っているのである。 批判だけするクズ
俺もそうだった無我さんに批判だけするクズ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています