>>659
>以前は「何かを達成して」喜びを感じていたのに対して、「何も達成しなくても」
嬉しさが感じられるようになるのです。

これは良く言えば自己充足的、悪く言えば自己完結的になりますね。
この場合、生きる目的みたいなものがなくなったり、惰性で生きるようになりませんか?
外的、行動的には。

>>659
>苦しみにつながるような人間味は減るでしょう。
しかし、それはもともと本当の人間味ではなく、単に感情に振り回されている状態に
過ぎなかったということがわかるものです。

苦しみや弱さも大切な人間の一部のような気がしますが、無我的には違うってことですね。

>>662
>実は、そのようなことに全く悲しまなくなるのは阿羅漢(小乗仏教の悟りの到達点)で、
大乗仏教では別の境地も存在するのです

無我さんは、どちらを目指しているんですか?
阿羅漢って、余りにも非人間的な感覚のような気がします。


>浄土真宗で本当に救われた人の境地は、禅で悟った人と違って非常に温かい人柄が残る特徴
があります。(浄土真宗の素晴らしです。)

無我さんは、特定の宗派はありますか?
禅によって悟ったのではなく、確か、神経症の苦しみの中で足掻いている時にある日突然、悟りを認識した(?)んでしたっけ?

もう少し、浄土真宗的な悟りの在り方、禅との悟りとの違いを知りたいです。