オウム・Aleph・ひかりは完璧だ298 [無断転載禁止]©2ch.net
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でも、恩田みたいな悪さする奴の情報知っとかないと
だまされるから難しい アレフでは、四女VS三女(次女、長男)VS次男(新教祖)の3派をどう言われているの? 長女だけ表に出てこないね。
長女が人格的に最も新教祖に相応しかった気もするけどさ。 グルってのは本人が心底信奉しなければ意味が薄いと思う。
血統だからとかじゃだめだね。 視聴者が心打たれたのは、この時の唯の純粋な恋心なのだろう。
可愛いとかではなくて、崇高な心なんだよね。
http://upup.bz/j/my43644zaNYtIAdBNkk1Oc2.jpg サリン殺人テロ事件は1995年だった。
もう22年だ。
被害者とその家族には苦しい22年だったろう。
これもカルマなのだろうが、解脱する方法を持たないアレフもそのカルマから逃れることはできない。 俺様は解脱できる!
何故なら「光の中のマインドフルネス」を読んだからだ!! 「ミイラ取りがミイラ」にはなりたくないので
オウムの教義には明るくないのですが
本物の真理の仮説を読んでサッサとオウムから脱退してください
真理を発見しました (哲学系)
http://p.booklog.jp/book/106489/read
無料の電子書籍です! 他スレで消えろと言われたので
このスレで勉強させてもらうかなっと^ ^ ただ今なりとも命おわりて、地水火風もとにかえりぬれば、ただ白骨となりて、
つゆほどもわが身とたのむべきものなし。
かかるあさましき白骨を、わが身と思いて、千生万劫、このされこうべにつかわれて、
地獄の業をのみつくりて、三途にしずみはつるは、おろかにあさましきことにあらずや。
かかる地水火風の、仮なる身なることを知らずして、わが身と思いて、千万年も、
死すまじきように思い、わが身ぞとかたく執着す。
これ一重の、凡夫のまよいなり。
鉄眼禅師 仮字法語
ほんまこれ^^ 地水火風の、仮なる身なんだよな・・^^
人の体は星屑でできているか・・^^ 「水素を別にすれば、人体を作っているすべての原子は、血の中の鉄にしろ、
骨をつくるカルシウムにしろ、脳の中の炭素にしろ、何千光年もかなたの
赤色巨星のなかで、何億年も昔に作られたものなのだ。
『われわれは星屑でできている』というのは、私のお気に入りのセリフである。」
天文学者カール・セーガン 「まよへる人は心中にうつる影のみを見て、本心の鏡を見る事あたわず。」
この身は本より法身の体なれども、法身なる事を知らずして、
わが身と思えるは、法身を見かくして、わが身と思い、わが身に迷いて、
貪瞋煩悩をつくり、ふかく悪道にしずむなり。
一切もろもろの衆生は、この万法の諸相にまどいて、目に見てはむさぼり、
耳にききてはあらそい、鼻にかぎ、舌にあじわい、身にふれて、そのものごとに
、貪着して、さらにこの万法の、夢幻泡影のごとく、鏡象水月のごとくにして、
幻化虚妄なる事を知らず。
鉄眼禅師 仮字法語 賢い人は、身体に四大元素が存在すると瞑想するだけで良いとされます。
う〜〜ん^^
これだけにしよおっと^^ そしてまた、五大はすなわち五智であり、五智はすなわち五佛をあらわす。
その五佛の位置関係を説明すると、いわゆる法界体性智は空大、空は中央に位置し
てこれは大日如来だな。大円鏡智は地大、地は東方に配して阿閃佛、妙観察智は
水大で、水は西方に配して阿弥陀佛、平等性智は火大で、火は南方に配して宝生
佛、成所作智は風大で、風は北方に配して不空成就佛で、この地・水・火・風の
四大のほとけの徳と、その四智を集約したものが中央の大日如来であるとしている。
真言密教はこのように、私たちの目の前にある事物、すなわち五大の実相が
そのまま佛道に通ずるアクセスであるとし、我々人間の心身を除いて、
ほかに真理を求めるべきものはなく、六大を有する私たち人間は、たとえごく
普通の人間であるにせよ、その本性はみなあるがままの天真如来である、
と真言密教はきっぱり言っている。 曼荼羅に、金剛界と胎蔵界の二種類あるようですが、その金剛界、胎蔵界とは、いったい何のことです?
この金剛界、胎蔵界が、さっき言った六大のことであるとされている。
つまり「識大」を金剛界とし、「五大」を胎蔵界とする。この二つの名称は、
ものの例えから名づけられているようだ。金剛石(ダイヤモンド)は美しい輝きばかりでなく、
地球上の物質のなかで一番硬度が高いから、どんな物にも破壊されず、反対にすべての
物をくだく性質を持っている。だからこれを「金剛」という。 そう。空・風・火・水・地の五大のことだ。
真言宗では、この五大をたいへん重要視する。
「五大」に「識大」を加えて「六大」となる
「大」は周りに遍(あまね)し、つまり、残すところなくゆきわたっているという意味で
、この宇宙の涯まで、すべて六大の周遍していないところはない。
そして、この六大周遍の意味こそが、真言密教の極意であり
、秘奥ともいうべきもので、その意義は最も深甚かつ不可思議のものであるとされている。
それだけに、この六大を逐一説明しようとすれば、真言密教の全部を説明しなければ
ならないからこれは私ごときでは、とてもできることではない。
そうゆうことか・・^^
曼荼羅ね・・・^^ 。万物の構成要素とされる、地・水・火・風・空・識の六種。真言密教では
これを万有の本体とし、大日如来の象徴とする。
1)宇宙の森羅万象を構成する六つの要素,すなわち地界,水界,火界,風界,空界,
識界を六界といい,前5界は物質的要素,識界は精神的要素である。
これらの6要素はあらゆる事物を構成するものであるから,〈六種の大なるもの〉
すなわち六大(ろくだい)ともいわれ,むしろこの六大の方が術語としては
広く用いられている。密教の〈六大縁起〉説は万有のあり方をすべて六大に
よって説明しようとするものである。 弘法大師は、「六大」すなわち「地大」「水大」「火大」「風大」「空大」「識大」
という、六つの根源的なものが宇宙の万物を構成しており、仏も人間も本質的な差はないと説いています
空海ちゃんが見えてきた^^ 後夜佛法僧鳥を聞く<空海>
閑林獨坐す 草堂の暁
三寶之聲は 一鳥に聞く
一鳥聲有り 人心有り
聲心雲水 倶に了了
高野山の静かな林中、暁の草堂に独り坐して無我夢想の境地に居る時、どこからともなくブッポーソーと鳴く鳥の声が聞こえる。
鳥は無心に鳴いているのであろうが、この鳴き声のうちに仏法僧の三宝を悟ったのである。鳥の声と人の心とが、更に山中の雲と川の流れとまったく一つに融け合って、ここに仏の教えをはっきりと悟ることができた。
う〜〜ん^^ 『秘密曼陀羅十住心論』、空海
異生羝羊心 - 煩悩にまみれた心
愚童持斎心 - 道徳の目覚め・儒教的境地
嬰童無畏心 - 超俗志向・インド哲学、老荘思想の境地
唯蘊無我心 - 小乗仏教のうち声聞の境地
抜業因種心 - 小乗仏教のうち縁覚の境地
他縁大乗心 - 大乗仏教のうち唯識・法相宗の境地
覚心不生心 - 大乗仏教のうち中観・三論宗の境地
一道無為心(如実知自心・空性無境心) - 大乗仏教のうち天台宗の境地
極無自性心 - 大乗仏教のうち華厳宗の境地
秘密荘厳心 - 真言密教の境地
人間の心を10段階に分け、それぞれに当時の代表的な思想を配置することによって体系を築いている。真言密教こそが人間の心の到達できる最高の境地であるとしている。
まぁ〜こうなるわな^^ 地・水・火・風
↓
地・水・火・風・空
↓
地・水・火・風・空・識
↓
曼荼羅
こうゆう流れか・・^^ さてまた二乗は、凡夫よりも、智恵かしこきゆえに、この身は地水火風の、仮のものぞと、
よく見あきらめて、この身をまことの白骨のようにみなし、身においてちりほども、執着の心
なし。
かつてこの身のために我執我慢をもおこさず、貪欲瞋恚をもおこさず、いつわりへつらいも
なく、ねたみそしりもなし。
かくのごとくのさとりはひらけぬれども、いまだこの身の、法身如来なることをしらず、
これによりて、世尊、小乗とて大いにきらいたまえり。
かの法身の当体をさとらざる故に、二乗の智恵にては、仏の内証、菩薩の境界は、
いまだ夢にも見ず。
これまた二乗の、一重のまよいなり。
さきの凡夫のまよいとともには二重なり。
二乗は法身にまようこと一重。
凡夫は法身にもまよい、また二乗のさとりしところにもまよう故に、二重のまよいなり。
鉄眼禅師
これやな・・・^^ う〜〜ん^^
曼荼羅までいくとは思わんかったな・・^^
曼荼羅の意味が少しだけ理解できた・・
収穫や^^ 明日から四界分別観でもするかな・・^^
とは言っても既にしていたが・・
当然水風呂に浮いてね^^ 他縁大乗心 - 大乗仏教のうち唯識・法相宗の境地
これがでかいんだよな・・・
分岐点というか・・^^ 五大皆響き有り
十界に言語を具す
六塵悉く文字なり
法身は是れ実相なり 空海によれば、世界の根源あるいは根底には「大日如来」がある。大日如来とは、大いなる光、無色透明の純粋な光である。
この大いなる光が、渦を巻き、螺旋を描きながら(マンダラに描かれているように)、多種多様に生成変化したのが、世界である。
大日如来は言葉(真言)を通じてたえず説法している。それを「法身説法(ほっしんせっぽう)」という(あまり擬人化して考えないように)。
では、大日如来の説法とはどのようなものだろうか。
ふむふむ^^ >>203
法身を擬人化せずに考えろって、お前は何を言っているんだ?(笑)
(^。^)あぁ、サンマヤとかシュジでイメージしろってんのか?(笑) この響き(resonance)の文化を、ひとつの思想に体系化したのは、ほかならぬ真言密教の空海でした。空海は、宇宙を構成する地、水、火、風、空の五大要素は、すべて響きを発している、「五大みな響きあり」と説きました(『声字実相義』) 日本人の空海は、身体感覚で感じとる「響きの無限連鎖」におきかえたのです。
マントラと想念の響きを伝えることを通じて、身体と宇宙の因果を調えようとしたのです。
真言密教は、池に波紋が広がるように宇宙の海に調和のとれた響きの波紋を伝えようとする、まさに「響きの宗教」といってよいものです。
最近の素粒子物理学では、物質は五次元ないし十一次元の膜に存在の根を持つ極微なヒモ
の振動体であるというヒモ理論が登場してきています。電子、原子も分子、細胞もすべて
ヒモの波動体であるというのです。とするなら、「五大みな響きあり」という空海の説は、
そろそろ「五大みな響きなり」と修正してよいのではないでしょうか。天地を構成する
地、水、火、風、空は、響きの事(こと)タマとして生り、成り、鳴っているのですから。 寝るとみせかけて空海ちゃんを勉強してた・・^^
まぁいろいろな考え方がある^^
とても勉強になる^^
こまかいことは気にしない^^ 五大皆響き有り
十界に言語を具す
六塵悉く文字なり
法身は是れ実相なり
五大 十界 六塵 法身か・・・ 六塵
仏語。色・声・香・味・触・法の六境のこと。心を汚し煩悩を起こさせるのでいう。 法大師空海はいとも簡単に「それ如来の説法は必ず文字による。文字の所在は 六塵
その体なり。六塵の本は法仏の三密すなわちこれなり。平等の三密は法界に遍じて常
恒なり。五智四身は十界に具して欠けたることなし。悟れるものをば大 覚と号し、迷えるものをば衆生と名づく。衆生癡暗にして自ら覚るに由なし、如来加持してその
帰趣を示したもう。帰趣の本は名教にあらざれば立せず。名教の 興りは声字にあら
ざれば成ぜず。声字分明にして実相顕わる。いはゆる声字実相とはすなわちこれ法仏
平等の三密、衆生本有の曼荼なり。故に大日如来この声字 実相の義を説いて、かの
衆生長眠の耳を驚かしたもう。」(『声字実相義』)と言ってのけました。 初に五大といつぱ、一に地大、二に水大、三に火大、四に風大、五に空大なり。
この五大は顕密の二義を具す。顕の五大とは常の釈のごとし。密の五大といつぱ、
五字五仏および,海会の諸尊これなり。五大の義とは「即身義」の中に釈するがごとし。
この内外の五大にことごとく声響を具す。一切の音響は五大を離れず、五大はすなわち
これ声の本体、音響はすなわち用なり。故に「五大にみな響あり」という。
う〜〜ん^^
どう考えてもひも理論やな・・^^ ドイツの物理学者でノーベル賞を受賞した「マックス・プランク」はその極微で捉え難いものについて
『すべては振動であり、その影響である。現実には何の物質もな存在しない。すべてのものは、振動から構成されている。』 宇宙に存在する、すべてのものは「波動」からできています。大本のエネルギーの、ひ
とつの周波数の産物です。すべてのものは、固有振動数をもっています
バシャール
う〜〜ん^^
量子論になってきたか・・・^^ 此身は、地水火風の四大をかりにあつめて、つくり立てたるものなり。
身の内の皮肉筋骨のたぐひは土なり。涙、よだれ、血などは水なり。
あ たたかなるは火なり。
出入(いでいり)の息と、うごきはたらくは風なり。
此地水火 風をはなれては、我身といふべきものなし。
ただ今なりとも命をはりて、 地水火風本にかへりぬれば、
ただ白骨となりて、つゆほども我身とたの むべきものなし。
(『瑞龍鉄眼禅師仮名法語(ずいりゅうてつげんぜんじかなほうご)』二の五)
https://goo.gl/VaXzHa 地・水・火・風+空+識
仏典を集約するとこうなるかも・・^^ 地・水・火・風+空+識
「一切皆苦」「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」
う〜〜ん^^ 識 「一切皆苦」
地・水・火・風「諸行無常」
空「諸法無我」
地・水・火・風+空+識 「涅槃寂静」 四界分別観 か・・・
それとも白骨観か・・・
とりあえず四界分別観 でいってみるかな・・^^
では温泉瞑想へ^^ 此身は、地水火風の四大をかりにあつめて、つくり立てたるものなり。
うーん^ ^ 「釈迦如来五百塵点劫の当初、凡夫にて御坐せし時、
我が身は地水火風空なりと知ろしめして即座に悟りを開きたまひき。」
日蓮
「我等も三千を具するが故に本有の仏体なり。仍って無間地獄の衆生も三千を具し、
妙覚の如来と一体にして差別無きなり」
日蓮 「凡夫にて御坐せし時、我が身は地水火風空なりと知ろしめして即座に悟りを開きたまひき。」
いまの状況やな・・・^^
即座ではないが^^ 「我が身は地水火風空なりと知ろしめして即座に悟りを開きたまひき」
これはあるな・・・^^
どうかんがえても^^ 六大は無礙にして常に瑜伽なり
四種の曼荼は各々離れず
三密加持すれば速疾に顕る
重々帝網なるを即身と名づく
-空海『即身成仏義』 「我が身は地水火風空なり」
これでみんな悟ってる気がするのだが・・・^^ 灯台下暗し。それは、人は案外、身近なことに気付けないという例え。
足元に、すぐ近くに大切なことがあるのに、私たちはたまにそれを見過ごしてしまう。
これやな・・^^ 五大とはすなわち妙法蓮華経の五字のことであると、日蓮大聖人様は説かれています
こうなるか・・^^ この世界を構成する六大(地水火風空識)は、さえぎるものなく、
永遠に融合しあっている。
四種の曼荼羅(マンダラ)は、それぞれが様相の異なる真実を表しており、
互いに離れることはない。
『即身成仏義』空海
こうなるか・・^^
仏と衆生の身口意が、互いに加持しあっているので、
すみやかに覚りの世界が現れる。
この世界のあらゆる身体が、帝釈天の持つ網につけられた宝珠のように、
幾重にも重なり合い、万華鏡のように互いに映し合うことを、即身という。 参飽大悟する生悟なるべし。拈悟の学なるがゆゑにかくのごとし。
しかあればすなはち、三界を拈じて大悟す、百草を拈じて大悟す
、四大を拈じて大悟す、仏祖を拈じて大悟す、公案を拈じて大悟す。
みなともに大悟を拈来して、さらに大悟するなり。その正当恁麼時は
而今(しきん)なり。
道元
道元は〈三界を拈じ、百草を拈じ、四大を拈じて大悟す〉と〈道得=言説〉している。〈正当恁麼時=而今〉とは、〈いま、ここに〉脈動する〈宇宙・生命〉の〈実存〉、すなわち〈妙法の曼荼羅〉である。
「四大を拈じて大悟す」・・・^^ 良源(慈恵大師、元三大師 912年 - 985年)比叡山中興の祖。
源信(恵心僧都、942年 - 1016年)『往生要集』の著者
良忍(聖応大師、1072年 - 1132年)融通念仏宗の開祖
法然(円光大師、源空上人 1133年 - 1212年)日本の浄土宗の開祖
栄西(千光国師、1141年 - 1215年)日本の臨済宗の開祖
慈円(慈鎮和尚、1155年 - 1225年)歴史書「愚管抄」の作者。天台座主。
道元(承陽大師、1200年 - 1253年)日本の曹洞宗の開祖
親鸞(見真大師、1173年 - 1262年)浄土真宗の開祖
日蓮(立正大師、1222年 - 1282年)日蓮宗の開祖
う〜〜ん^^ 「尊師よ、呼吸に対して精神を集中する修行をどのようにして修習し、
どのようにして数多く行なえば、大きな結果があり、大きな利益がありますか。」 「ラーフラよ、内の、自身の、堅く、固体であり、執着されたもの、
すなわち髪、毛、爪、歯、肉、筋、骨、骨髄、心臓、肝臓、肋膜、
脾臓、肺、腸、腸間膜、胃の内容物、糞、またはその他のあるゆる内の、
自身の、堅く、固体であり、執着されたもの、これが内の地の要素といわれる。
この内の地の要素と外の地の要素とが地の要素である。 次に水の要素とはどれらであるか。
内の水の要素と外の水の要素とである。
ラーフラよ、内の水の要素とはどれらであるか。
内の、自身の、水、液体であり、執着されたもの、
すなわち胆汁、痰、膿、血、汗、脂、涙、膏、唾、はなみず、
関節滑液、尿、またはその他のあらゆる内の、自身の、水、液体であり、
執着されたものが、ラーフラよ、内の水の要素といわれる。
この内の水の要素と外の水の要素とが水の要素である。 次に火の要素とはどれらであるか。
内の火の要素と外の火の要素とである。
ラーフラよ、内の火の要素とはどれらであるか。
内の、自身の、火、火的なもの、執着されたもの、すなわち熟せしめるもの、
老いさせるもの、燃焼させるもの、食べ飲み噛み味わったものを消化させるもの、
またはその他のあらゆる内の、自身の、火、火的なもの、
執着されたものが、ラーフラよ、内の火の要素である。
この内の火の要素と外の火の要素とが火の要素である。 次に風の要素とはどれらであるか。
内の風の要素と外の風の要素とである。
ラーフラよ、内の風の要素とはどれらであるか。
内の、自身の、風、風的なもの、執着されたもの、すなわち上に行く風、
下に行く風、腹外の風、腹内の風、肢体を循環する風、
吸う息、吐く息、またはその他のあらゆる内の、自身の、風、風的なもの、
執着されたものが、ラーフラよ、内の風の要素といわれる。
この内の風の要素と外の風の要素とが風の要素である。 次に空の要素とはどれらであるか。
内の空の要素と外の空の要素とである。
ラーフラよ、内の空の要素とはどれらであるか。
内の、自身の、空、空的なもの、執着されたもの、
すなわち耳の孔、鼻の孔、口の門、
またそれによって食べ飲み噛み味わったものを呑み下し、
またそこに食べ飲み噛み味わったものがとどまり、
またそれによって食べ飲み噛み味わったものを下腹部より排泄するもの、
またはその他のあらゆる内の、自身の、空、空的なもの、執着されたものが、
ラーフラよ、内の空の要素といわれる。
この内の空の要素と外の空の要素とが空の要素である。 それが、『それはわたしのものではない。
わたしはそれではない。それはわたしの自我ではない。』とこのように、
正しい智慧であるがままに見られるべきである。
このように正しい智慧であるがままに見て、
地・水・火・風・空の要素から厭離し、
地・水・火・風・空の要素からこころを離れさせるのである。」
パーリ原始仏典中部第62経「大ラーフラ教誡経」 大ラーフラ教誡経
ある時、釈迦は、コーサラ国サーヴァッティーのアナータピンディカ園(祇園精舎)に滞在していた。
そこで釈迦は息子である沙弥ラーフラに、五蘊が非我であることや、入出息念(アーナーパーナ・サティ)、五大元素(五大)の観想などを説く。
ラーフラは歓喜する。 鉄眼禅師の『仮字法語』
これを読むとその気持ちがよく解る^^ 心経にいはく、五蘊みな空なりと照見すれば、一切の苦厄を度すと。
この意は、五蘊本より空にして、なきものなる事をさとりて、
その理をあきらかにてらし見れば、一切もろもろの、生死の苦患厄難を
度脱して、法身般若の体にかなふという意なり。
この身は本より法身の体なれども、法身なる事を知らずして、
わが身と思えるは、法身を見かくして、わが身と思い、わが身に迷いて、
貪瞋煩悩をつくり、ふかく悪道にしずむなり。
鉄眼禅師の『仮字法語』
http://d.hatena.ne.jp/elkoravolo/20110606/1307368476 つまりやな・・^^
う〜〜ん^^
温泉瞑想の時間や・・^^
いってくる^^ 二乗は地水火風、本より法身の体なることを知らずして、
地水火風は、非情の物なりと思えり。
菩薩の眼にて見たまう時は、地水火風、みな法身の真体なり。
鉄眼禅師 仮字法語
密教と顕教か・・^^
これもはじめの地のごとく、水すなわち法身、法身すなわち水、
火すなわち法身、法身すなわち火、風すなわち法身、法身すなわち風という意なり。
かくのごとくなれば、地水火風は、もとより地水火風にあらず、法身真如の妙体なるを
、二乗と凡夫とは、まよいて地水火風と思えり。 かかるあさましき白骨を、わが身と思いて、千生万劫、
このされこうべにつかわれて、地獄の業をのみつくりて、
三途にしずみはつるは、おろかにあさましきことにあらずや。
かかる地水火風の、仮なる身なることを知らずして、
わが身と思いて、千万年も、死すまじきように思い、
わが身ぞとかたく執着す。
これ一重の、凡夫のまよいなり。
これから・・・
「三界は虚妄にしてただ一心の作なり」
これやな・・^^
寝る かかるあさましき白骨を、わが身と思いて、千生万劫、
このされこうべにつかわれて、地獄の業をのみつくりて、
三途にしずみはつるは、おろかにあさましきことにあらずや。
かかる地水火風の、仮なる身なることを知らずして、
わが身と思いて、千万年も、死すまじきように思い、
わが身ぞとかたく執着す。
「三界は虚妄にしてただ一心の作なり」 虚妄というより「空」の方が・・・・
でも・・・
虚妄の方がわかりやすいか^^ う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん
しっくりこない^^ 心経にいはく、五蘊みな空なりと照見すれば、一切の苦厄を度すと。
この意は、五蘊本より空にして、なきものなる事をさとりて、
その理をあきらかにてらし見れば、一切もろもろの、生死の苦患厄難を
度脱して、法身般若の体にかなふという意なり。
この身は本より法身の体なれども、法身なる事を知らずして、
わが身と思えるは、法身を見かくして、わが身と思い、わが身に迷いて、
貪瞋煩悩をつくり、ふかく悪道にしずむなり。
鉄眼禅師の『仮字法語』
けど・・こう書いているからな・・・ 「地水火風の、仮なる身」
これを悟れば・・
経典はスラスラ読めるようになるのは確か^^ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています