「今までは大丈夫だった」というW安全神話”の見直しを

 先ほど述べた、老人に餌をもらっていて跳べなくなった野ガモの話なども、国の体制に関するWたとえ話”として持っていくこともできるでしょう。

 アメリカというW親切な老人”が、栄養のある餌を日本というW野ガモ”に一生懸命くれるので、日本はそれを食べるうちに、「もう、南のほうへ渡らなくてもいいな。このまま安泰で、冬も越せるだろう」と思っていた。
ところが、ある日、突然、雪解けの水が流れてきたときには、空を飛べなくなっていて、溺れ死ぬようなことはある。だから、「W安全神話”を守ってさえいれば大丈夫だ」と思っていると、ある日、突然に最後が来ることもある。

 要するに、そのW親切な老人”がえさをくれなくなることがあるかもしれないので、そのときのことを考えておく必要があるわけです。

 このような例をわざわざ引いたのは、今、日本の国会等でもいろいろ揉めているということもあります。

 普通の鳥たちであれば、冬になると南のほうへ飛んで行って餌を取るところを、
「いやあ、私たちは普通の鳥とは違うのだ。餌をくれる人がいるから、もう、南へ渡らなくても大丈夫なのだ」と思っているのかもしれませんが、「大丈夫ではないこともあると知っておいたほうがよい」ということを述べているわけです。

 ここでは難しい憲法論議には入りませんが、「今までのW安全神話”で、うまくいっているから大丈夫だ」とはいっても、基本的には、やはり、原点に戻るべきでしょう。
「国家とはどのようでなければいけないのか。ほかのところはどのようにしているのか」ということをよく見もせずに、「自分のところは、これでうまくいっているから大丈夫だ」などというのは甘いのです。

 それは、国家にも言えることですし、みなさん個人にも言えることですし、会社にも言えることですし、自営業等にも言えることでしょう。
「絶対に大丈夫」と思っていたのに、ライバルが出てきたりすると、突然、駄目になるようなことはあるわけです。ライバルの店が向かいにできたりとなりにできたりしただけで、潰れることはあります。

 したがって、いつも凛として張り詰めた生き方をしなければいけません。

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