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2005年(主日A年) 8月21日 年間第21主日
イザ 22:19〜23 ロマ 11:33〜36 マタ 16:13〜20
キリストの福音は、世々にわたって隠されていた “秘められた計画” を啓示するものです(ロマ 16:25、エフェ 1:9, 3:3-9 他)。
十字架の福音はこの “秘められた計画” を宣べ伝えるものである(Iコリ 2:1-2)ことを、使徒たちは明確に語りました。
そのことを前提にして初めて、私たちは使徒パウロのこの言葉を正しく理解出来ます。
「すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。 栄光が神に永遠にありますように、アーメン。」(ロマ v.36)
私たちはイザヤ書のこの部分で取り上げられている件について、具体的な事情を何も知りません。
ただここで確かなことは、神がシェブナを捨ててエルヤキムを 「エルサレムの住民とユダの家の父」 とし、彼に 「ダビデの家の鍵を置く」 と、イザヤが預言したということです。
神の民イスラエルの歴史を、ヤーウェの救済史として見るとき、それは神の “秘められた計画” の歴史であることを知ることが出来ます。
歴史の支配者は人間ではなくて神であることを、私たちは聖書から学ぶのです。
そのように、“秘められた計画” に与る教会は、「使徒たちや預言者という土台の上に建てられています。 そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり」(エフェ 2:20)ます。
教会は、聖伝と聖書を通して今も生きている岩(ペトロ)によるキリスト証言を土台として、これからも立ち続けて行くのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
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イザ 22:19〜23 ロマ 11:33〜36 マタ 16:13〜20
シェブナという王家の家令は、宮廷を支配する栄誉をひととき与えられていたものと思われます(イザ 22:15 参照)。
このような職務、このような地位には、いつもイスラエルへの神の救済の約束が結びついていました。
彼に与えられていたほとんどメシア的な全権が、彼から取り上げられて、ヒルキヤの子エルヤキムに委譲されます。
「わたしは彼の肩に、ダビデの家の鍵を置く」(イザ v.22)と主なる神は言われました。
しかし、やがて彼も挫折するときが来ます(イザ 36章)。
旧約聖書では、神の救済行為が、多くのカリスマ的指導者や偉大な職位者たちの召命と挫折の繰り返しによって、常にまた新しい目的地に向かっています。
それらの挫折の物語りにおいて、それに結びついていた神の約束は完了せずに残されました。
「かくして “ダビデの鍵” の職位は意外にも、キリストの足元に置かれるまで、そのまま残るのである(黙 3:7)。」(フォン・ラート/旧約聖書神学II p.506)
マタ 16:19 に言及されている “天の国の鍵” は、最終的には救済史をその完成へと導かれるイスラエルの神のものであることを、歴史の教会は忘れてはなりません。
「すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。 栄光が神に永遠にありますように。」(ロマ 11:36)
・・・・・ 以下、本文参照。
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