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カトリック [無断転載禁止]©2ch.net

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0001神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/02/06(月) 19:54:16.56ID:j6KzG6kR
0690老クリスチャン
垢版 |
2017/08/23(水) 11:09:25.52ID:AL0eweX7
2005年(主日A年) 8月21日 年間第21主日
イザ 22:19〜23  ロマ 11:33〜36  マタ 16:13〜20

「あなたはペトロ。 わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。 陰府の力もこれに対抗できない。 わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。」(マタ vv.18-19)

マタイ福音書が教会におけるペトロの比類のない権威を伝えたこの言葉は、初代教会の信仰を証言する重要なテキストです。
教会とは他のどの個人の信仰よりも、ペトロの信仰の上に建てられたのだという歴史上の事実を象徴的に表現するものとして、このテキストは現代の私たちにとっても重要なものです。

私たちが知っている通俗的主張の多くは、ペトロやパウロという使徒たちによる証言を相対化して、現代人が現代的感覚で独自にキリストと父なる神を再発見することが出来るという、新しいキリスト教、新しい福音を提唱するものでした。
人々から権威を認められているようなキリスト教会の有力者が、現代的な正しい教えによって会衆を養っているのだから、信者は今さら過去の使徒たちにさかのぼって学ぶ必要はないと、多くの人が考えて来ました。

二つのことを、ここで述べなければなりません。
先ず、カトリック教会の司教たちは使徒の後継者、その中でローマ教皇は使徒ペトロの後継者であり、司祭は司教に従属してその任務に共に与って、教導職として教会に仕えているということです。
彼らは使徒の後継者であって、新しい使徒ではありません。
教会憲章が 「ただし、彼らは信仰の神的遺産に属するような新しい公の啓示を受けない」(25)と述べているのはそのためです。
神の啓示に関する教義憲章も 「この教導職は神のことばの上にあるものではなく、むしろこれに奉仕し、(使徒たちから)伝えられたことだけを教えるのである」(10) と明言しています。
0691老クリスチャン
垢版 |
2017/08/23(水) 11:09:56.49ID:AL0eweX7
(つづき)
第二に、私たちが使徒たちの証言をそこから聞くのは聖伝と聖書からであるということです。
使徒たちがいなかったら、その後継者もいなかったし、聖伝と聖書も存在しなかったことでしょう。
イエス・キリストについて私たちが知っていることは、すべて使徒に起源しているのです。
私たちは聖書を通してペトロの証言に出会うことが出来ます。
しかしペトロと知り合いになろうとして(ガラ 1:18)エルサレムに上ることは出来ないし、ローマ教皇といえども彼はペトロ自身ではありません。

このように、聖伝と聖書という教会への委託物を軽んじて、別のところで現代人が直接にキリストとその福音を再発見出来るなどと考えてはなりません。
使徒ペトロは、歴史の教会と受肉された神の子イエスとの連続性を保証する者として、聖伝と聖書を通して今も生きており、岩、つまり教会の土台であり続けているのです。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
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