2014年(主日A年) 8月17日 年間第20主日
イザ 56:1〜7  ロマ 11:13〜32  マタ 15:21〜28

「もし彼らの捨てられることが、世界の和解となるならば、 ・・・・・ 」(ロマ v.15)

現代ユダヤ人哲学者として高名な E.レヴィナス は、旧約聖書に書かれている出エジプトやバビロン捕囚から、近代のヒトラーやスターリン等の迫害に至るユダヤ人の受難を、決して偶発的な災禍とは考えませんでした。
“それはユダヤ人がこの世界で果たすべき民族的な責務ゆえの必然なのである。 ユダヤ人はそのために諸国民の中から選ばれたのである” と言うのです(内田樹の書籍から引用)。
600万ユダヤ人の大虐殺(いわゆるホロコースト)を経て、なお神の民イスラエルの選びと使命を信じる現代ユダヤ人哲学者の声に、私たちキリスト者は襟を正す謙虚さを持つべきでありましょう。

「神の賜物と招きとは取り消されないものなのです。」(ロマ v.29)

私の個人的な体験から言うと、多くの一般的キリスト者の理解では、この言葉がイスラエル人を指して言っていることにほとんど気付いていないように思えるのです。
その第一の原因は聖書を断片的にしか読んでいないことにありますが、それと並んで聖書を勝手に料理して捻出した(非現実的な)キリスト教的道徳やスローガンが、真の神のことばを排除してまかり通っていることにあります。
E.レヴィナスは彼の著書 “全体性と永遠”(岩波文庫)の冒頭を、“私たちは(いわゆる)道徳によって欺かれてはいないだろうか” と書き始めています。
聡明であるなら、戦争のない平和な世界を実現しようなどという非現実的な道徳的スローガンはあり得ないと言うのです。 “戦争によって道徳はわら(嘲笑)うべきものとなってしまう。”(同)

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より