2011年(主日A年) 9月11日 年間第24主日
シラ 27:30〜28:7  ロマ 14:7〜9  マタ 18:21〜35

私たちが洗礼の秘蹟によって受けた罪の赦しは、神の賜物であって、それは全く神の恵みにより、信仰による(エフェ 2:8、ロマ 3:24)ことを、決して忘れてはなりません。
教会に委ねられた秘跡(聖礼典)は、それが執行されれば自動的に効力を発揮する魔術のようなもではなくて、信者に信仰の応答を求めるものです。
“ただ一度成し遂げられたキリストの永遠の贖い”(ヘブ 9:12)が、父と子と聖霊の御名によって教会の上に成し遂げられることを、私たちは信じているのです。

教会はただの “仲良しクラブ” ではありません。
ただの “善人の集まり” でもありません。
一人一人の信者が “生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられて”(Iペト 2:5)、“共にミサをささげている共同体” としてここにあることを、感謝しようではありませんか。
外部の人々にとってどうであれ、教会の内部の人々にとっては、今朝のシラ書のテキストはただの処世術以上のものなのですから。

お互いの間にねたみや争いが絶えないような共同体であっても(Iコリ 3:3)、相手に復讐するのではなくて(ロマ 12:19-21)、愛し合うことによって教会を造り上げることが求められているのです(ロマ 13:10)。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より